フェアポート・コンベンションと並んでブリティッシュ・フォークロックの代表選手である『スティーライ・スパン(Steeleye Span)』について書いてみたいと思います。
初期のスティーライ・スパンはフェアポート・コンベンションよりもトラディショナルに傾倒していました。
1969年にフェアポート・コンベンションを脱退したアシュリー・ハッチングス(Ashley Hutchings,b,vo)はティム・ハート(Tim Hart,vo,g,banjo,mandolin)とマディ・プライア―(Maddy Prior,vo,banjo,perc)のフォーク・デュオとテリー・ウッズ(Terry Woods,vo,g,mandolin)とゲイ・ウッズ(Gay Woods,vo,harp)の夫妻と共にスティーライ・スパンを結成しました。
ファーストアルバムは1970年にリリースされました。『Hark! The Village Wait』です。
トラッド色を薄めたフェアポート・コンベンションに嫌気がさして脱退し、結成した新バンドにトラッド色を求めるのは当然のことで、このアルバムもトラッド色の強いアルバムになりました。全曲トラッドです。アシュリーの要望でドラマーをメンバーに入れずに作られたアルバムですが、フェアポートのデイブ・マタックスがゲスト参加しています。
ファーストアルバムのリリース後ウッズ夫妻がバンドを脱退します。
代わりにマーティン・カーシー(Martin Carthy,vo,g,banjo,organ)とピーター・ナイト(Peter NIght,vo,banjo,mandolin,violin)を迎え、セカンドアルバム『Please to See the King』をリリースします。1971年です。
傑作アルバムの出来上がりです。これも1曲をのぞいてトラディショナルです。そして今回はドラムが完全にありません。しかし重厚感は増しています。やはりマーティン・カーシーの加入は大きかったようです。このアルバムははじめて全英チャート45位とチャートインを果たします。
続いて翌年の1972年に『Ten Man Mop, or Mr. Reservoir Butler Rides Again』をリリースします。
このアルバムも前作の延長線上で、この初期の3作はスティーライ・スパンのエレクトリック・トラッドフォークの代表3部作と言ってもいいでしょう。
このアルバムを最後にアシュリー・ハッチングスとマーティン・カーシーが脱退してしまいます。
この後リック・ケンプ(Rick Kemp,vo,b)とボブ・ジョンソン(Bob Johnson,vo,g)がメンバーに加わります。リック・ケンプは後にマディ・プライア―と結婚します。
そして1972年に4枚目のアルバム『Below the Salt』をリリースします。
新生スティーライ・スパンの出発です。しかしここでも全曲トラッドとあくまでも初心を貫く姿勢が見られます。トラフィックでも有名な「ジョン・バイレコーン」も取り上げています。全く違った曲に聞こえますが。このアルバムからマディ・プライア―の存在感が増してきます。マディーは透き通った声の持ち主で、トラッドフォークを歌うのにはもってこいの声です。また曲作りも出来ます。
1973年に5枚目のアルバム『Parcel of Rogues』をリリースします。
相変わらずドラムレス、1曲を除きトラッドの アレンジと初心を貫きます。しかし若干ロック色が強まったような気もします。
しかしこの後、ついにドラマーを加入させます。ナイジェル・ピーグラム(Nigel Pegrum,ds)です。
そして1974年に6枚目のアルバム『Now We Are Six』をリリースします。
プロデューサーになんとジェスロ・タルのイアン・アンダーソンを迎え、ゲストにはサックスにデヴィッド・ボウイが参加しています。アルバムの方はドラムが入った影響もあってよりロック色が強くなりました。トラッドのアレンジは相変わらずですが、この辺のロック色はイアン・アンダーソンの影響でしょう。
翌1975年には7作目『Commoners Crown』をリリースします。
ここでも9曲中8曲をトラッドが占めています。 前作でややポップ・ロック色が強まった感がありましたが、この作品では再びトラッド色の強いものに戻ったようです。
そして同年『All Around My Hat』をリリースします。
このアルバムはスティーライ・スパン最大のヒットアルバムとなりました。全英7位、タイトルシングルは5位を飾りました。
翌年は9作目の『Rocket Cottage』をリリースします。
このあと、ボブ・ジョンソンとピーター・ナイトが脱退します。代わりにジョン・カークパトリック(John Kirkpatorick,vo,acord)が加入し、マーティン・カーシーが戻ってきます。
そして10作目『Storm Force Ten』をリリースします。
前作でもロック色を強めていましたが、この作品もかなりロック寄りになっています。ただし曲はトラディショナルがほとんどです。この辺は一貫して守り通しています。
そしてこの後バンドは一旦解散します。
メンバーのマディ・プライア―はスティーライ・スパンでの活動中に1976年、ジューン・テイバー(June Tabor)とのすばらしいデュエットアルバム『Silly Sisters 』を発表します。
さらに、スティーライ・スパン解散後はイアン・アンダーソンのプロデュースの元、アルバム『Woman in the Wings』をリリースします。
レコーディングメンバーにはジェスロ・タルの面々が参加しています。スティーライ・スパンとは違って全曲オリジナルでポップ色も強くなっていますが、マディの声質がトラッドを歌うべく生まれてきたようなものですから、イギリスの牧歌的な雰囲気が漂う仕上がりになっています。
同じ年に『Changing Winds』をリリースします。
こちらには夫であるリック・ケンプが参加しています。
フェアポートのサンディ―・デニーとはまた違った魅力の持ち主です。
スティーライ・スパンはこの後1980年に再結成し、メンバーの入れ替えなどもありますが現在も活動中です。
マディ・プライア―はスティーライ・スパンに復帰したり離れたりしながらも、70歳の現在も活躍中です。ソロアルバムも相当数出しています。
ブリティッシュ・フォークロックといえばフェアポート・コンベンション、ペンタングル、リンディスファーン、アルビオン・バンド等の名前がすぐ上がってきますが、スティーライ・スパンの存在も決して忘れてはなりません。
まとまりがない記事になってしまいました。なにしろこれらのバンドは歴史が長くて、どうしても冗長な記事になってしまいます。これでも70年代に絞ってみたのですがうまくまとまりませんでした。文章力の無さを嘆きます。
マディーの声を堪能してください。
Steeleye Span - Lovely on the Water
Steeleye Span - All Around My Hat (Original Promo Video)
それでは今日はこの辺で。