Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

トウショウボーイとテンポイント

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いつも音楽や映画の記事ばかり書いていますので、たまには趣向を変えて、音楽や映画にも引けを取らないぐらい長い付き合いの競馬についてちょっと書いてみたいと思います。ちょうど秋の競馬シーズンを迎えるところで挑戦したいと思います。

今年も凱旋門賞には日本馬が挑戦しましたが残念な結果に終わりました。

私が競馬を観るようになったのは、ハイセイコーによって競馬ブームが起きた頃だったと思いますが、その頃は未成年なので当然馬券は買えません。それでも重賞、今でいうグレードレース(GⅠ、GⅡ、GⅢ)などはテレビ観戦していました。

当時で思い出深いのはやはりトウショウボーイテンポイントでしょう。

1976年、昭和51年、トウショウボーイ皐月賞こそ獲ったものの、ダービーはクライムカイザーの2着に、菊花賞グリーングラスに阻まれ、3着に敗れました。

テンポイントは4歳時(今でいう3歳)の3冠レースは無冠に終わりました。皐月賞2着、ダービーは7着と惨敗、菊花賞は2着でした。

そして迎えた暮れの有馬記念。両馬のの一騎打ちはトウショウボーイに軍配が上がりました。テンポイントは八大競争は無冠に終わりました。

明けて5歳、テンポイント春の天皇賞を制し絶好調のまま春のグランプリ、宝塚記念へと駒を進めます。対してトウショウボーイは休養明け、ぶっつけで宝塚記念へと、再び両馬の一騎打ちムードです。当然テンポイントが1番人気、トウショウボーイはぶっつけが嫌われ2番人気でした。しかし結果はトウショウボーイの勝利に終わりました。この時の旗手は武邦彦武豊の父)です。一方テンポイント鹿戸明でした。騎手の差だなんて叩かれもしました。

その後、テンポイントは秋の京都大賞典を制し、有馬記念へ。トウショウボーイ高松宮杯を制し秋の天皇賞へ。しかし距離の壁に阻まれ(当時の秋の天皇賞は3200メートル)7着と惨敗し、有馬記念へと向かいます。またしても両馬の一騎討ちムードです。

スタートしてトウショウボーイが先頭、テンポイントはマークするようにがっちりと2番手。両馬のデッドヒートはスタートから直線に入っても続きます。4コーナーで並びかけたテンポイントトウショウボーイを交わし直線へ。そのままテンポイントが直線の叩き合いを制しました。テンポイントトウショウボーイに勝った瞬間でした。3着に同期で菊花賞を制したグリーングラス、4着にその年菊花賞を制したプレストウコウが入りました。

この後、トウショウボーイは引退し種牡馬生活に。戦績は15戦10勝、2着3回、3着1回と申し分ない成績でした。

一方、テンポイントは翌年海外遠征に向け、足慣らしに正月のハンデ戦日経新春杯に出走。66.5キロという過酷な重量を背負わされ出走。3~4コーナーの中間で骨折、そのまま競争中止。テレビ中継は杉本清アナウンサーの「テンポイント、おかしいぞ」との絶叫とともにテレビカメラはテンポイントを追い続け、ゴールシーンもあったかなかったか記憶にないくらいです。私はちょうど雀荘でこのレースを観ていましたが、ショックなどというものではありませんでした。

普通ならこのまま安楽死となるところですが、ファンからの殺すな、との声が殺到し、獣医師が総がかりで治療に専念しましたが、結局約2か月後死亡しました。安楽死ではなく自然死でした。戦績は18戦11勝、2着4回、3着1回とこれまた申し分のない成績でした。死後、寺山修司テンポイントに詩を捧げました。

トウショウボーイテンポイント、両馬は両極端な一生でした。トウショウボーイ種牡馬としてもミスターシービーなど多くの名馬を送り出しました。テンポイントはそのあまりにも非劇的な生涯に、競馬ファンの脳裏に永遠に残ることになりました。

この頃は私はまだ馬券は買っていませんでしたが、競馬という競技は単なるギャンブルではなくスポーツとしてのドラマ、馬の人生ドラマがあるのだということを、まざまざと見せつけられた気がします。これによりすっかり競馬の虜になってしまいました。

これ以降、しばらくしてから馬券を購入することになっていきますが、しばらくの間、スポーツとしての競馬、また好きな馬の追っかけを楽しむ期間が続きます。

そしてその後、ギャンブルとしての競馬にのめり込む時期が訪れます。

そのあたりのことはまたいずれ機会を見つけて書くことにしましょう。また思い出のレースなど思い出しながら書いてみたいと思います。

この後登場してきそうな馬。グリーングラスプレストウコウサクラショウリバンブトンコートビンゴガルーカツラノハイセイコモンテプリンスホウヨウボーイミスターシービーシンボリルドルフオグリキャップトウカイテイオーナリタブライアンテイエムオペラオーディープインパクト、等々きりが無いのでやめます。

といっても、最近はめっきり馬券も買わなくなりましたし、競馬場へも足を運ばなくなりました。いいことなのか悪いことなのかわかりませんが、大きな理由は集中力と記憶力の衰えです。集中力と記憶力が衰えると競馬は勝てません。ギャンブルに共通していますが。

ということで今は楽しむ程度になっています。


1977 有馬記念 テンポイントVSトウショウボーイ

 

なお、当時の八大競争とは皐月賞東京優駿(日本ダービー)、菊花賞桜花賞優駿牝馬(オークス)、天皇賞(春・秋)、有馬記念でした。

天皇賞は春・秋ともに3200メートルの距離で争われました(1984年から秋は2000メートル)。春は京都、秋は東京です。当時は天皇賞を一度制すると2度と出走できない決まりでした。ですから天皇賞を制した馬は国内で出走するとなると相当な重量を課せられるので自ずと出走するレースが限られて、海外へと向かう馬が出てきたのです。テンポイントもその例でした。

グレード制が導入されてこれらのレースはGⅠに格付けされました。

 

それでは今日はこの辺で。