Flying Skynyrdのブログ

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『アルカトラス(Alcatrazz)』と『グラハム・ボネット(Graham Bonnet)』

今日はだいぶ懐かしいところで、『アルカトラス』について書いてみたいと思います。

『アルカトラス』は1983年にグラハム・ボネットによって結成されます。

設立メンバーは

グラハム・ボネット(Graham Bonnet,vo)

イングヴェイ・マルムスティーン(Yngwie Malmsteen,g)

ゲイリー・シェア(Gary Shea,b)

ヤン・ウヴェナ(Jan Uveno,ds)

ジミー・ウォルド―(Jimmy Waldo,key)

でした。

 

グラハム・ボネットはご存じのとおり、元レインボーのヴォーカリストですが、レインボーを脱退後は、3枚目のソロアルバム『Line Up』を発表します。1981年です。

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このアルバムからシングルカットされた「Night Games」がヒットします。またキンクスの「Set Me Free」をドラマティックにアレンジしてカヴァーしています。結構気に入っています。

翌年、マイケル・シェンカーに誘われて、マイケル・シェンカー・グループの3枚目のアルバム『Assault Attack』に参加しますが、すぐに解雇されます。アルコールが原因とされています。

 

そして1983年に上記のメンバーで『アルカトラス』を結成します。結成に至るまでメンバーの決定に時間がかかりました。まずドラムが紆余曲折し、結局アリス・クーパーにいたヤン・ウヴェナに決定し、ギターに『スティーラー』イングヴェイ・マルムスティーンに決めました。イングヴェイは今でこそ知らないものはいないというほどになっていますが、当時はまだまだ無名と言ってもいいほどでした。ただ『スティーラー』での演奏にグラハムが目を付けたのです。スティーラーはキールのロン・キールが率いるバンドでした。

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そして1983年にデビューアルバム『No Parole from Rock 'n' Rollをリリースします。

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伊藤政則のライナーの見出し、帯にも書いてありますが「泣くがいい。声をあげて泣くがいい。」には笑っちゃいますが、楽曲はマイナー系の曲が揃い、素晴らしい出来に仕上がっています1曲目の「アイランド・イン・ザ・サン」4曲目の「ヒロシマ・モナムール」、レコードではB面の2曲目「トゥ・ヤング・トゥ・ダイ、トゥ・ドランク・トゥ・リヴ」など名曲ぞろいです。インギーの超早弾きギターには当時驚かされました。

 

翌年には日本公演でのライブ『Live Sentence』がリリースされます。

このライヴはファーストアルバムからと、グラハムのソロ、レインボー時代の曲などからなっています。

 

しかしインギーはさっさと退団してしまします。替わりに呼ばれたのが、フランク・ザッパのバンドにいたスティーヴ・ヴァイ(Steve Vai)です。

 

そして1895年に発表されたのが『Disturbing the Peaceです。

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 ギタリストが変わるとこんなに変わるのかという、典型的な例じゃないでしょうか。グラハムのヴォーカルは相変わらずですが、楽曲全体が明るくなって、アメリカンハードロックに近寄ったという感じです。スティーヴ・ヴァイはザッパのところにいたぐらいですから前衛的なギタリストで、当然この位置で満足できるわけもなく、すぐに退団してしまいます。せっかく新境地を探し当てたというのにまた一からです。

 

そして代わりのギタリストがダニー・ジョンソンです。1986年に4枚目として『Dangerous Gamesがリリースされます。

たいした評価も得られないまま、翌年あっさりと解散します。

スーパーギタリストをバンドに引き留めておくことが非常に難しいことだということを証明してくれたようなバンドでした。

それでもファーストアルバムの影響力はその後のメタル界をみると相当なものだったのではないかと勝手に思っています。

 


Alcatrazz - Jet to Jet

 


Alcatrazz - Hiroshima Mon Amour [HD]

 

それでは今日はこの辺で。