今朝の新聞でリチャード・ディッキー・ベッツ(Richard Dickey Betts)が亡くなったことを知らされました。80歳でした。慢性閉塞性肺疾患と癌ということでした。
これであのオールマン・ブラザーズ・バンド(The Allman Brothers Band)の創設メンバーはデュアン、ベリー、グレッグ、ブッチが亡くなって、ジェイモを除いて全員逝ってしまいました。一つの時代が終わった感があります。
サザンロックという1つのジャンルを築き上げた偉大なるバンドでした。
ディッキー・ベッツは1943年、フロリダ州の生まれです。元々父親の影響で子供の頃はブルーグラスなどを好み、バンジョーやマンドリンを弾いていました。後にブルースに触れ、ベリー・オークリー(Berry Oakley)と知り合い、バンドを組み、そしてデュアン・オールマン(Duan Allman)と運命的な出会いでオールマン・ブラザーズ・バンドを結成します。バンドではデュアンとのツイン・リードギターで活躍しました。
セカンド・アルバムの『Idlewild South』の中の「エリザベス・リードの追憶」はディッキーの最初の作で7分近いインストナンバーで、ライブでの定番にもなりました。
1971年にデュアンが交通事故で亡くなると、ディッキーはデュアンに代わってリーダー的存在になりました。バンドの代表作として有名な『フィルモア・イースト・ライブ』はまだデュアンが生きている頃のライブでしたが、次作の『イート・ア・ピーチ』は製作途中でデュアンが亡くなったため、ディッキーが中心となって完成させました。このアルバムの中の「Les Brers In A Minor」や「Blue Sky」はディッキー作の名曲です。この辺りからディッキーのカントリー志向が顔を出してきました。
そして1973年の『ブラザーズ&シスターズ(Brothers And Sisters)』が全米ナンバーワンの大ヒットアルバムとなりました。中でもディッキーの「ランブリンマン」が大ヒットしました。まさにカントリーソングでした。この頃にはグレッグとディッキーの棲み分けがはっきりとしていました。
そしてこの二人の仲が怪しくなり、1976年にバンドは最初の解散をします。ディッキーは自らのバンドDickey Betts & Great Southern を結成し、2枚のアルバムをリリースします。
1978年にはグレッグとの和解が成立し、オールマン・ブラザーズは再結成し、1981年までに3枚のアルバムをリリースします。
ところが再びバンドは解散。ディッキーはソロアルバムや自身の新しいバンドDickey Betts Bandを結成し活動します。そして1989年に2度目の再結成が実現します。この時はディッキーのバンドに在籍していたウォーレン・ヘインズ(Warren Hynes)とアレン・ウッディ(Allen Woody)が一緒に参加し、最強のメンバーが揃いました。
しかし、2000年にディッキーはメンバー間のトラブルでバンドを追われることになりました。スタジオ作としては1994年の『Where It All Begins』が最後となりました。
その後はライブ中心の活動を続けていました。ライブアルバムは何枚かリリースされています。オールマンブラザーズ時代のライブ音源も数えきれないくらい発表されています。
今、彼らのファースト・アルバムから聴き直しています。
ロックが輝いていたた1960年代、70年代を彩ったミュージシャンたちが次々と亡くなっていきます。なんとも寂しいかぎりです。これ以上訃報記事は書きたくないものですね。
改めてディッキー•ベッツの冥福をお祈りいたします。合掌。
それでは今日はこの辺で。