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ハイセイコーの無念を晴らす!

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1979年の4歳(今で言う3歳)牡馬クラシック戦線は、前年の朝日杯3歳ステークスを勝ったビンゴガルー、そして明けて4歳クラシック路線で重賞3連勝のリキアイオーの争いと見られていました。リキアイオーは朝日杯3歳ステークスはビンゴガルーの6着、正月の京成杯ファーストアモンの6着と振るいませんでしたが、自走のオープン戦を勝ち、続く東京4歳ステークス、弥生賞皐月賞トライアルのスプリングステークスまで4連勝と勢いが止まりません。すべて逃切り勝ちで、ビンゴガルーには3度先着しています。

本番の皐月賞は当然リキアイオーが1番人気、ビンゴガルーは前走スプリングステークス5着敗戦が嫌われ3番人気でした。レースのほうはリキアイオーが予想通り逃げて、直線に向きますが、ハードなローテーションが響いたのか失速します。場内騒然。そこにビンゴガルーが襲い掛かり、さらにゴール寸前、カツラノハイセイコが差してきましたがビンゴガルーが押し切り優勝、カツラノハイセイコが2着、3着にネーハイジェット、1番人気のリキアイオーは4着に敗れました。

2着に入ったカツラノハイセイコはあのハイセイコーの子供です。ハイセイコなのは馬名が9文字に制限されているため「-」が付けられなかったのです。

カツラノハイセイコ関西馬で3歳時にはなかなか勝てず4戦目の未勝利戦でようやく勝ち上がり、明け4歳になって特別戦を3連勝して、東上しスプリングステークスをリキアイオーの2着になり出走権を得ました。皐月賞の人気は5番人気でした。まだまだ人気はありませんでした。

皐月賞での追い込みがファンの目に留まり、ダービーでは僅差ながら1番人気に押されました。もちろんハイセイコーの子供ということで、「ハイセイコーのダービーでの無念を晴らせ」との応援も入っていたことでしょう。皐月賞馬のビンゴガルーが2番人気になりました。ダービートライアルのNHK杯を勝ったテルテンリュウが3番人気になりました。カツラノハイセイコNHK杯出走も3着でした。

レースの方はリキアイオーが逃げられず押さえ、カシマセイカンの逃げで始まりました。カツラノハイセイコビンゴガルーは中団を進みます。4コーナーでリキアイオーがようやく先頭に立ち、直線に入りますが、そこにカツラノハイセイコが並びかけ、外からテルテンリュウも上がって3頭の叩き合いでしたが、テルテンリュウが内にささり、リキアイオーが進路をふさがれる形になり後退。一緒に上がってきたリンドプルバンもその煽りを喰いました。ビンゴガルーはその後ろ。カツラノハイセイコが先頭に立つと、内からテルテンリュウを交わし、リンドプルバンが態勢を立て直し猛然と追い込んできました。そして並んだところがゴール板でした。写真判定の結果、ハナ差でカツラノハイセイコが優勝しました。ビンゴガルーは4着に敗れました。

ハイセイコーの夢を追った私もカツラノハイセイコと好きなジョッキーの島田功リンドプルバンを勝って的中でした。枠連1560円はダービーにしてはまずまずでした。

この後、カツラノハイセイコは体調を崩し夏場休養、秋初戦の京都新聞杯に出走も10着と惨敗。これは脚部不安の影響で、その後菊花賞も回避し休養に入ります。

約1年の休養の後、5歳の9月、オープン特別のサファイアステークスに出走し2着、続く京都大賞典3着、目黒記念1着ときて、秋の天皇賞に向かいました。当然の1番人気ながら重馬場の東京競馬場プリティキャストの大逃げの前に屈して6着。暮れの有馬記念ホウヨウボーイのハナ差の2着でした。

明けて6歳。3月のマイラーズカップから始動しました。3番人気ながら快勝。続くサンケイ大阪杯を1番人気で6着に敗れ、春の天皇賞に黄色信号が付きます。

1番人気は宿敵リンドプルバン、カツラノハイセイコは2番人気でした。レースはサンシードールの逃げで始まり、一団となって直線へ。カツアールカツラノハイセイコが抜けだし、叩き合いの末、カツラノハイセイコが優勝、2着にカツアール、リンドプルバンは4着でした。

この後、カツラノハイセイコ宝塚記念に出走、天皇賞で下したカツアールに屈して2着。その後再び脚部不安が発生してそのまま引退となりました。

ハイセイコーの悲願だった日本ダービー天皇賞制覇を息子が果たしました。ドラマですね。ハイセイコーは地方上がりの野武士ということで絶大なる人気を博しましたが、日本ダービー天皇賞も宿敵タテホープに阻まれ、悔しい思いをしました。ハイセイコーほどの人気ではありませんでしたが、カツラノハイセイコも十分競馬の面白さを味あわせてくれました。

戦績は23戦8勝、2着7回、3着3回 日本ダービー天皇賞(春)

種牡馬としての成績は中央での重賞勝ち馬1頭を輩出しました。

 

 


1979年 カツラノハイセイコー  日本ダービー.mp4

この頃のダービーは28頭フルゲートでしたので位置取りが大変でした。

 


1981 天皇賞(春) カツラノハイセイコ

 

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それでは今日はこの辺で。