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不思議な2冠馬 カツトップエースと悲運な名馬 サンエイソロン

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1981年の牡馬3冠レースは不思議な結果に終わりました。1冠目の皐月賞はトライアルのスプリングステークスを1番人気で勝ったサンエイソロンが有力視されていましたが、レース前日に繋靱帯炎を発症し出走取り消しになり、大混戦ムードになりました。

案の定、なんと16番人気のカツトップエースが優勝、2着にも11番人気のロングミラーが入り、単勝6920円、枠連6650円の大波乱になりました。

カツトップエースイエローゴッドの子で、短距離はいいがクラシックまではと、期待はされていませんでした。皐月賞大崎昭一に乗り替わり、陣営は密かに期待していたのかもしれません。

ダービートライアルのNHK杯皐月賞を取消したサンエイソロンが1番人気に応え優勝、2着に皐月賞馬ながら5番人気だったカツトップエースが入りました。

日本ダービーは当然サンエイソロンが1番人気、皐月賞2着のロングミラーが2番人気、カツトップエースは3番人気でした。

レースはカツトップエースが終始2番手につけて直線へ。直線で先頭に立つとそのまま逃げ込みを図ります。外からサンエイソロンが急襲して並びそのままゴールイン。写真判定の結果、ハナ差でカツトップエースが優勝しました。これで春の2冠馬に輝きました。大崎昭一はこの時点で史上初のダービー2勝騎手になりました。

カツトップエースはその後夏を休養して秋に備えました。しかし屈腱炎を発症し秋を断念、治療に専念するも回復せず引退となりました。何ともあっけない2冠馬の退場でした。

となると、秋の菊花賞は今度こそサンエイソロンと下馬評は高いものでした。秋初戦のセントライト記念メジロティターンの2着に負けましたがトライアルの京都新聞杯はレコード勝ち、堂々の1番人気で菊花賞に臨みました。

3000メートルの距離に若干の不安はありましたが、能力の高さでカバーしてくれるだろうとの見方から1番人気に押されました。

しかし、レースは伏兵のミナガワマンナに0.7秒差、4馬身をつけられての2着に終わりました。

明けて5歳になったサンエイソロンは初戦の中山記念こそ5着に敗れましたが、続くサンケイ大阪杯は優勝、今度こそ八大レース制覇をと春の天皇賞を目指しますが繋靱帯炎が再発、断念。それでも6月の高松宮杯を2着、秋の毎日王冠を2着して、秋の天皇賞を目指します。1番人気に押されましたが見せ場もなくメジロティターンの12着に大敗しました。足の状態からもはやこれまでと引退を決めました。

追い込み一手の脚質からあと一歩の取りこぼしが多く、悲運の名馬とあだ名されました。

強力な末脚は魅力的でしたが、最後まで脚部不安に悩まされました。ここでもカツトップエースサンエイソロン、両馬の運命の違いが浮き彫りにされました。

 

カツトップエース 戦歴 11戦4勝、2着2回、3着1回 皐月賞日本ダービー

サンエイソロン  戦歴 21戦6勝、2着8回、3着2回 取消1回

 

それでは今日はこの辺で。