Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

この人の、この1枚 『デラニ―&ボニー(Delaney & Bonnie)/オリジナル・デラニ―&ボニー(Accept No Substitute )』

アメリカ南部音楽の発展に大きく寄与したデラニ―・ブラムレットとボニー・ブラムレット夫妻のデュオ・グループ、デラニー&ボニ-(通称デラボニ)。

ラニーはロスアンゼルスでバンド活動、ボニーはアイク&ティナ・ターナーのバックヴォーカルグループなどを務めていました。二人は1967年にロスアンゼルスで出会い、結婚。そしてデラニー&ボニーを結成します。

1968年にスタックス・レコードと契約し『Home(ホーム)』というアルバムをレコーディングしますが、お蔵入りになります。

その後二人は、のちにデレク&ドミノスに参加するボビー・ウィットロックと知り合い、一緒にロスアンゼルスに戻り、エレクトラと契約し『オリジナル・デラニー・アンド・ボニー』でメジャーデビューします。1969年のことです。

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Side A

1.Get Ourselves Together

2.Someday

3.Ghetto

4.When the Battle Is Over

5.Dirty Old Man

 

Side B

1.Love Me a Little Longer

2.I Can't Take It Much Longer

3.Do Right Woman, Do Right Man

4.Soldiers of the Cross

5.Gift of Love

 

参加ミュージシャンは

ボビー・ウィットロック、レオン・ラッセル、リタ・クーリッジ、ジム・ケルトナー、カール・レイドル、ジェリー・マギー、ジム・プライス、ボブ・キースという錚々たるメンバーが顔を揃えました。

 

A-1,2,3,B-1がボニーの手によるもの、A-5、B-2、5がデラニ―の手によるものです。A-4はドクター・ジョンことマック・レべナックの曲。B-3はアレサ・フランクリンで有名、フライング・バリットもカバーした名曲です。すべて南部音楽の要素がぎっしり詰まった名盤でしょう。

 

このあとデラボニはクラプトンたちのスーパーグループ『ブラインド・フェイス』のアメリカツアーのオープニング・アクトを担当、ここでクラプトンと知り合い、意気投合します。デラボニのギタリスト、ジェリー・マギーが辞めたため、クラプトンがギタリストとして参加するようになり、デラボニのイギリスッツアーには元トラフィックのデイブ・メイソンなども加わり大々的なツアーになりました。この模様はレコード化されました。『On Tour with Eric Clapton』です。

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その後二人は『To Bonnie from Delaney』『 Motel Shot』『D&B Together』とアルバムを出しますが、1972年に二人は離婚し、デュオは解散します。

 

 

 

ボニーはこの後ソロ活動の後、女優に転身。デラニーはソロ活動を続けますが、2008年に胆嚢手術後の合併症で亡くなります。59歳でした。

 

デラボニはスワンプミュージック、レイドバックミュージック、サザンロックなどアメリカ南部の音楽を広く知らしめた、偉大なミュージシャンでした。一般のリスナーはもとより、多くのミュージシャンに好まれたアーティストでした。

 


Delaney & Bonnie and Friends - Do Right Woman, Do Right Man


When The Battle Is Over by Delaney & Bonnie Studio

それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『ジェシ・エド・デイヴィス(Jesse Ed Davis)/ジェシ・デイヴィスの世界(Jesse Davis !)』

1970年頃、クラプトンがデラニ―&ボニーのツアーへ参加したり、デレク&ドミノスを結成したり、またジョー・コッカーレオン・ラッセルの活躍などなどでアメリカ南部の音楽が俄然注目を浴び、スワンプミュージックなどと呼ばれるようになってきました。

そんな中、ジェシエド・デイヴィスもオクラホマ州出身のインディアンで、両親ともに音楽に熱心だという環境の中、早くから音楽活動を始めていました。16歳の時にはコンウェイ・トゥイッティのバンドのギタリストに抜擢され活動していました。その後、レオン・ラッセルやカール・レイドル、後にザ・バンドのメンバーになるレヴォン・ヘルムなどとバンドを組みますが、上手くいかず、その後はタジ・マハールに認められ、3年間演奏し腕を上げました。

そして1970年にソロデビューします。『Jesse Davis !』です。

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Side A

1.Reno Street Incident

2.Tulsa County

3.Washita Love Child

4.Every Night Is Saturday Night

 

Side B

1.You Belladonna You

2.Rock N Roll Gypsies

3.Golden Sun Goddess

4.Crazy Love

 

参加ミュージシャンが凄いです。

ギター・・・・・エリック・クラプトン、ジョエル・スコット・ヒル

キーボード・・・ラリー・ネクテル、レオン・ラッセル、ベン・シドラン、ジョン・サイモン

ベース・・・・・ビリー・リッチ、スティーヴ・トンプソン

ドラムス・・・・チャック・ブラックウェル、ブルース・ローランド、アラン・ホワイト

ヴォーカルズ・・ニッキー・バークレイ、メリー・クレイトン、クラウディ・キング

そしてなんとグラム・パーソンズです。

その他にも豪華メンバーが顔を揃えています。

 

A-1 ジェシの作品。ブルースっぽい曲。ちょっと物悲しさを感じさせます。

A-2 パメラ・ポランドの作品。南部の雰囲気充分。

A-3 ジェシの作品。ジェシのヴォーカルは決して上手くはないが味があります。バックの女性コーラスが合っています。

A-4 ジェシの作品。7分に及ぶ軽快なナンバーです。

B-1 ブルースフィーリングたっぷりに歌い上げます。ジェシの作品。

B-2 シンガー・ソングライターのロジャー・ティリソンの作品。

B-3 女性コーラスを取り入れたゴスペル風ナンバー。ジェシの作品。

B-4 ヴァン・モリソンの作品。ヴァン・モリソンもアメリカ南部の音楽に惹かれ、アルバムを制作した時期があります。いい出来に仕上がっています。

 

1972年にはソロ第2弾、『Ululu』をリリースします。

このアルバムではドクター・ジョンも参加しており、ジョージ・ハリソンザ・バンドレオン・ラッセルの曲などもカヴァーしています。

 

彼は、1971年にはジョージ・ハリソンの「バングラディッシュ救済コンサート」にも参加しており、その雄姿は映画で観ることが出来ました。

 

その他セッションミュージシャンとして数え切れないくらい多くのレコーディングに参加しています。

主なところでも、ゼム、タジ・マハール、ジーン・クラーク、ジョージ・ハリソン、マーク・ベノ、アルバート・キングレオン・ラッセルジョン・リー・フッカー、ベン・シドラン、スティーヴ・ミラー、B.B.キングジャクソン・ブラウンジョン・レノンリンゴ・スター、ハリー・ニルソン、アロー・ガスリー、キース・ムーンロッド・スチュワートエリック・クラプトン、変わったところでは井上陽水等々、書ききれません。

 

以前、ジーン・クラークの記事でも若干触れています。

lynyrdburitto.hatenablog.com

 

そんな彼ですが1988年、43歳の若さで亡くなりました。

 

多くの功績を残しました。早すぎる死が悔やまれます。

 


you belladonna you

 


Jesse Davis - Crazy Love.(Van Morrison)

それでは今日はこの辺で。

映画『人生はシネマティック!』を観る

昨日のキネ旬シアターは『人生はシネマティック!』でした。

ポスター画像

 

監督:ロネ・シェルフィグ

主演:ジェマ・アータートン、サム・クラフリン、ビル・ナイ

制作:イギリス 2017年公開

監督はデンマーク出身の女性監督です。

 

舞台は1940年のイギリス・ロンドン。第2次世界大戦の真只中。ロンドンにも空襲が始まりました。コピーライターの秘書として働いているカトリン・コールは負傷兵で売れない画家のエリスと正式に結婚はしていませんが事実上の夫婦生活を送っています。ある日、人手不足で代役として書いたコピーが情報省映画局の特別顧問バックリーの目に留まり、戦意高揚のためのプロパガンダ映画の脚本の手伝いを命じられます。

 

制作する映画の内容は「ダンケルクの戦い」で負傷兵を助けた双子姉妹を描く感動秘話です。早速双子姉妹の取材を任されたカトリンですが、実際に双子に会ってみると、聞かされていたような勇敢な話ではありませんでした。しかし、カトリンは仕事を失う訳にはいかず、上手く脚色をして報告し、それをもとにバックリーらとともに脚本の執筆に取り掛かります。実話として描きプロパガンダ映画としての効果を狙えるようストーリーが組み立てられていきます。

 

カトリンはエリスから絵が売れないので、君を養えないからウェールズに帰れと言われます。カトリンは脚本でのわずかな給料でエリスの絵を買いあげ、ロンドンに残ると言い頑張ります。

 

脚本の方は、政府や軍部から色々と横槍が入りますが、その都度カトリンがアイデアを出し、脚本を書き換え何とか映画化に漕ぎつけます。しかし今度は配役の面で注文が付きます。若手の俳優が出征して不在。やむなくわがままなベテラン俳優やアメリカ人の容姿はいいが大根役者などを押し付けられます。それでもなんとかカトリンとバックリーは協力して乗り越えていきます。とくにベテラン俳優のヒリアードはカトリンに刺激され俳優の指導まで引き受けるほどになります。

 

ロケでの撮影も終わりに近づくころ、エリスのロンドンでの個展が最終日を迎えます。カトリンは何としても個展には顔を出したいと、バックリーやスタッフたちに頼み、ロケを抜けだしロンドンに向かいます。バックリーはカトリンが居なくなったときに自分の気持ちに気が付きます。カトリンを愛してしまったということに。

 

ロンドンの自宅に戻ったカトリンはそこでエリスの浮気の現場を目撃してしまいます。追いかけてくるエリスにきっぱりと別れを告げ、ロケ現場に戻ります。

 

予定より早く戻ったカトリンの様子に気が付いたバックリーは事情を聞きだします。そして「金が無いから実家へ帰れなんていうようなクソ野郎とは別れろ」と言います。そしてプロポーズします。驚いたカトリンは「あんまりひどいことを言わないで」と怒って行ってしまいます。

 

ロケが終わり、スタジオ撮影に入り、カトリンは撮影現場で、バックリーは事務所で脚本書きと職場が離れます。バックリーの脚本が上がってきません。周りは間に合わないと騒ぎだします。心配したカトリンは事務所を訪ねます。バックリーが沈んだ顔をしていました。脚本は出来ていたのです。カトリンが読ませて、と言いますが、読めるような代物ではないと、出て行ってしまいます。脚本を読んだカトリンは徹夜でそれらを書き直します。そして最後にこの前のプロポーズに対し、自分も恋していると書置きします。事務所の外に出ると、外は空襲あとで瓦礫の山となっていました。それにも気づかずに脚本を書いていたのです。

 

スタジオに戻ったカトリンにバックリーが会いに来ました。そして手紙を読んだと。2人の心は結ばれました。そしてバックリーが撮影現場に戻ろうとしたときに、大きな撮影機材が倒れてきました。バックリーはその下敷きになり即死でした。

 

映画は完成しました。しかし、カトリンはショックから立ち直れずに映画・脚本の世界から去り、ひとりでアパート暮らしを始めました。そこにベテラン俳優のヒリアードがやってきます。こんど別な映画に出演し、演技指導もすることになった。ついては脚本を書いてくれないかと持ち掛けてきました。カトリンはもうその気はないと断ります。ヒリアードは「自分にこんな役が回ってくるのは若い役者が居ないからだ。でもこれはチャンスだ。チャンスを逃すのは”死に生が支配されているからだ”」といって帰っていきます。

 

後日、カトリンは出来上がった映画を観に行きます。そこでは多くの観客が涙を流し、大喝采を送っていました。その観客たちを見ていたカトリンはもう一度脚本家としてやっていこうと決意します。そして前のスタッフたちと脚本づくりを始めるのでした。

 

この映画は戦時中のプロパガンダ映画製作の苦労話かと思って観ていましたが、全く違い女性の自立と社会進出を描いた映画でした。

 

劇中の映画も普通の姉妹がダンケルクからの避難兵を助けるというストーリーです。映画の主人公も普通のOLがひょんなことから脚本を任せられ、やがて脚本家として自立していく話です。映画館の場面で観客の老婦人が「これは私と同じ普通の女なのよね。私達の映画だわ」とつぶやきます。いかにも女性監督らしい場面です。

 

ヨーロッパにおいても女性に対する差別は激しく、給料も安い。そんな時代の映画です。先日の映画『はじまりの街』も女性の自立という一面がありました。このところこういった映画が多いような気がします。この映画の特徴はその時代背景です。戦時中という、これまでだったら男性が中心となるのが当たり前の特異な時代にあえて女性脚本家を、劇中映画の主人公に女性姉妹を登場させたという意義は何だったのでしょうか。

 

この映画はある意味、見方によってはプロパガンダ映画を美化するという一面もみられます。戦勝国のイギリスだから出来た映画で、日本では作れない映画でしょう。

 

プロパガンダ映画は戦時中各国で制作されました。日本も御多分に漏れず、戦時中の映画はすべて軍の検閲にかかり、不合格になれば上映は出来ません。不合格どころか場合によっては、非国民として投獄されました。書物も音楽もそうでした。時によって芸術は政治に利用されるのです。

 

昨今、共謀罪の成立やら憲法改正の動きで、再び言論・表現の自由が奪われる時代が忍び寄って来ていると思うのは私だけでしょうか。

 


映画『人生はシネマティック!』11.11(土)公開

ブリティッシュ・ハードの伝導者 『ジ・アンサー(The Answer)』

2000年に北アイルランドで結成された『ジ・アンサー』はまさに70年代のブリティッシュハードロックを継承しつつ、ブリティッシュロック界に新たな可能性を見出した気鋭のバンドです。

メンバーは以下の通りです。

コーマック・ニーソン(Cormac Neeson,vo)

ポール・メイハン(Paul Mahon,g)

ミッキー・ウォータース(Micky Waters,b)

ジェイムス・ヒートレー(James Heatrey,ds)

 

彼らは地元でのライブ活動が認められ、2004年に送ったデモテープが大物プロデューサーの目にとまり、アルバート・プロダクションと契約。このプロダクションはAC/DCなども扱っているところです。

そして2005年にシングルデビュー、2006年にファーストアルバム『Rise』でアルバムデビューを飾ります。

ツェッペリンを思わせるオープニング。それでも古臭いかというとそんなことはなく、現代風のアレンジがなされており、これぞブリティッシュハードの神髄です。2曲目、3曲目と続々ハードロックの洪水です。そしてお決まりのように、軽快なロックナンバーが続きます。コーマックのヴォーカルとポール・メイハンのギターが絡み合って、70年代のロックを彷彿とさせます。続いてはブルースナンバー。何故か古臭さは感じません。新しいブルースの解釈でしょうか。9曲目の「Leavin' Today」もツェッペリンを思わせる曲。「Preachin'」はポールのスライドギターによるブルースナンバー。王道です。本編ラストは静に始まるバラードナンバー。次第に盛り上がり、ラストを飾るにふさわしくドラマティック仕立てになっています。日本盤には3曲のボーナストラックが付いています。

このアルバム、今ではBOOK OFFで100円放出品で売られています。悲しい。

 

2009年にはセカンドアルバム『Everyday Demons』をリリースします。

セカンドはさらにバージョンアップ。どうしてもツェッペリンホワイトスネイクAC/DCなどを思い浮かべてしまいますが、それはそれでまた楽しめます。ファースト以上にガンガン攻めてきます。ラストの2曲にバラードとブルースを配しています。

 

2011年にはサードアルバム『Revival』をリリースします。

ジ・アンサーは失速することなく、突き進みます。このアルバム、一部では不評を買っていますが、私にとってはそんなことはありません。愚直にハードロックロールをやっていて気持ちいいくらいです。

この頃はAC/DCのツアーにも帯同して油が乗り切っている感じです。

 

2013年、4枚目のアルバム『New Horizon』をリリースします。

あくまでもハードロック路線を突き進みます。頭が下がります。昨今このようなバンドは珍しいのではないでしょうか。1~3曲目まで突っ走ります。4曲目の「Speak Now」はミドルテンポのヘヴィなハードロックナンバーです。そして、続いてはロックンロール。そしてバラードへと入ります。心憎いです。そして再びヘヴィなロックナンバーで押しまくります。

それにしてもこのジャケットは何なのでしょうか。

 

2015年に最新アルバム『Raise a Little Hell』をリリースしますが、残念ながら未購入です。早く購入したいところですが、他の候補も目白押しでなかなか手が回りません。レコード漁りに行ったときに見つかればいいのですが。

 きっと期待を裏切らない出来になっていることでしょう。

 

このようなバンドがずっと活躍してくれると嬉しいですね。

 


The Answer - Leavin' Today


The Answer - New Horizon

 

それでは今日はこの辺で。

 

 

映画『はじまりの街』を観る

今日のキネ旬シアターは『はじまりの街』でした。

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監督:イバーノ・デ・マッテオ

主演:マルゲリータ・ブイ、アンドレア・ピットリーノ、バレリア・ゴリノ

制作:2016年・フランス・イタリア、日本公開2017年

 

夫ののDVから逃れてローマからトリノにやって来た母子の物語です。

ある日、13歳の息子ヴァレリオが学校から帰ると父が母に激しい暴力を振るっているところを目撃し、失禁してしまいます。

母親アンナはヴァレリオを連れ、家を後にして親友カルラの住むトリノ絵とへとやってきます。カルラは独身で子供もいないため大歓迎してくれます。

しかし、アンナの就職はなかなか決まらず、ヴァレリオも学校で友達もできません。母親の干渉にも嫌気がさしてきます。

ある日、前夫からアンナの父親経由でヴァレリオ宛に手紙が届きます。アンナは無断でそれを読んで隠しておいたのですが、ヴァレリオがそれを見つけて読んでしまい、家を飛び出してしまいます。やっと探しあてたアンナをヴァレリオは激しくなじります。

アンナは思春期のヴァレリオをどのように扱っていいのか悩みます。ようやくアンナの就職が決まりましたが、それはビルの清掃婦で3交代制で、夜勤もあります。ますます母子はすれ違いが多くなります。

そんな中ヴァレリオはいつも公園で客を拾っている町の売春婦ラリッサに淡い恋心を抱きます。売春婦と言ってもおそらく十代でしょう。彼女には相手にされませんが、しつこく付きまとううちに、とうとう会う約束をしてくれました。そして遊園地などへ行って楽しい一日を過ごします。彼女は移民で故郷にいる弟を思い出していたのでしょう。

ある夜、ヴァレリオがいつもの公園に行くと、ラリッサが客引きをして車の中で売春をしている場面を目撃してしまいます。ヴァレリオは判ってはいても激しいショックを受けます。そして車の窓ガラスを割って逃げてきてしまいます。そして母親にも当たり散らし、悶々とした日々を過ごします。

見かねた近所のカフェの主人が事情を聞きます。この主人はヴァレリオが慕っている元サッカー選手で、自動車事故で子供を死なせてしまった過去を持っています。主人は彼女に手紙を書いて謝ったら、とアドバイスします。ヴァレリオは手紙を書いてラリッサに私に行きますが、彼女はいませんでした。やむを得ず、いつも立っている場所に手紙を置いてきました。しかし、その手紙は彼女に渡ることはありませんでした。

手紙を書いたことで、モヤモヤが治まったのか、母親にもこれまでのことを謝り、休日に2人で外出します。母子は新しい人生に向けて歩き出しました。

 

この映画は子供を持った中年女性の自立と思春期の少年の成長を描いた作品です。この女性が救われたのは、受け入れてくれる親友の存在です。この親友がいなければ、逃げ出すという決断が出来たかどうか。専業主婦から一転して仕事を探す難しさ、これは万国共通です。また思春期の男の子とどのように接していいのか迷う姿がなんとも痛々しいです。

もう何十年も前のことですが、自分の思春期を思い出してみて、この少年の気持ちが痛いほど理解できました。どうにもならないモヤモヤみたいなものがこの時期にはあります。そんなはけ口を悪いとは思っていても母親にぶつけてしまう。特にこの少年には母親しかいないわけですから猶更です。

しかし少年は近所の主人に父親を見、また友達が出来ることによって変わってゆきます。母親はそれを見守っているだけでいいのだと思います。

 

ラストに懐かしい歌が流れてきます。シャーリー・バッシーの「This Is My Life(私の人生)」です。映画「007シリーズ」でも使われたヒット曲です。なんか昔の映画を観ているような不思議な気分にさせられました。

 

主演のマルゲリータ・ブイは先日自宅で観た『母よ、』で主演した女優です。息子役のアンドレア・ピットリーノはかわいい少年で人気が出ることでしょう。

 

話はそれますが、少年時代や学生時代に洋画を観て感じたのは、日本と比べて、食事の美味しそうなこと、家や街の近代的なことにいつも羨ましい思いで観ていましたが、最近では逆に日本の方がよほど街なども発展しており、そういう面での羨ましさは無くなりましたが、反対に古き良きものが残っているという羨ましさが出て来ました。不思議なものです。

 


映画『はじまりの街』予告

 

シャーリー・バッシー。現在80歳。大歌手でした。


Shirley Bassey This Is My Life Lyrics

 

それでは今日はこの辺で。

 

『スティーヴン・パーシー(Stephen Pearcy)』と『アーケイド(Arcade)』

ラット(Ratt)がすったもんだの末、解散となって、スティーヴン・パーシーが元シンデレラ(Cinderella)のフレッド・コウリーと結成したバンド、それがアーケイドです。1992年のことです。

集まったメンバーは

スティーヴン・パーシー(Stephen Pearcy,vo,g,)

フレッド・コウリー(Fred Coury,ds)

マイケル・アンドリュース(Michael Andrews,b)

フランキー・ウィルセックス(Frankie Wilsex,g)

ドニー・シラキュース(Donny "Ripper"Syracuse,g)

以上の5人です。

そして1993年にファイアー・ハウスやドリーム・シアターを手掛けたプロデューサーのデヴィッド・プレイターのプロデュースの元、ファーストアルバム『Arcade』をリリースします。

アルバム全体はやはりRattの影響大ですが、ところどころスティヴン・パーシーがRatt時代にできなかったことを試しているようなところが見受けられます。

特に4曲目の「Cry No More」などは暗いバラードになっています。9曲目の「So Good...So Bad...」も極上のバラードを演奏しています。ロックンロールもややダークでヘヴィな感じがします。スティーヴンのヴォーカルは音域が若干足りないという点からも恐らく好き嫌いが出ると思われますが、その辺も気遣ってかメロディーに工夫がしてあるように思います。

また、アコースティックナンバーも2曲あります。

 

翌、1994年にはセカンドアルバム『A/2』をリリースします。

オープニングからヘヴィなアレンジで、明らかに当時のオルタナグランジブームを意識したと思われる曲で始まります。アルバム全体を通して重たく、暗く沈んでいます。ハードロック、ヘヴィ・メタルからはやや遠ざかったな、という印象が否めません。それでも5曲目の「When I'm Gone」などは聴きごたえがあります。

このアルバムのプロデュースはロブ・ハルフォードのFightのアルバムを担当したアッティ・バウです。

 

この後バンドはあっさりと解散します。

2000年には、アーケイドのサードアルバムとしてライブ音源とデモ音源をからなるアルバムを発表します。

Ratt時代にもなかったライブ音源が聴けるのは貴重です。

 

その後、スティーヴン・パーシーはRattの再結成に参加し、その後も出たり入ったりを繰り返しているようです。

 

改めて1990年代前半は、ハードロック・ヘヴィメタル受難の時期です。

 


Arcade - Cry No More HD


Arcade - So Good, So Bad

 


Arcade - When I'm Gone

それでは今日はこの辺で。

 

アメリカン・ハードの王道 『テスラ(Tesla)』

1980年代半ば、L.Aメタルの全盛期もやや後退気味の頃登場したのが、『テスラ』です。L.Aメタルの範疇に入れるのもちょっと気が引けるぐらいに、アメリカン・ハードロックの王道を突っ走るグループです。1994年の最初の解散までについて書いてみたいと思います。

1984年、彼等はCity Kiddのバンド名で結成されました。その後テスラにバンド名を変更します。由来は科学者ニコラス・テスラです。

メンバーは

ジェフ・キース(Jeff Keith,vo)

フランク・ハノン(Frank Hannon,g,key mandlin,bvo)

トミー・スキーオTommy Skeoch(g,bvo)

ブライアン・ウィートBrian Wheat,b,bvo

トロイ・ルケッタTroy Luccketta,ds)

の5人でスタートします。

 

1986年にファーストアルバム『Mechanical Resonance』をゲフィンレコードからリリースします。

まさにアメリカン・ハードロックです。ジェフ・キースのヴォーカルはちょっぴりハスキーで、ロックにはピッタリです。アコースティックを織り交ぜながら、バラードもあり、ブルージーな曲もありと、デビューアルバムにしては文句なしの出来です。ツインギターもいいですね。

 

1989年にセカンドアルバム『The Great Radio Controversy』をリリースします。

傑作の誕生です。アルバムトップから、重みのあるハードロックで、一気に引き込まれます。この辺は欧州風な感じもしますが、文句なしです。何といっても圧巻は11曲目の「LoveSong」でしょう。全米10位まで上り詰めました。アコースティックギターの前奏で始まる、バラードです。ジェフ・キースのハスキーヴォーカルにツインギターが絡み合って見事なバラードに仕上がっています。泣かせます。続く「Paradise」も同じくバラードで、これまた泣かせます。こういう曲を聴いていると、ロックを聴き続けてきてよかったなと、つくづく思います。

 

翌年、1990年にアンプラグドのライブアルバム『Five Man Acoustical Jam』を発表します。

 全曲アコースティックギターによるナンバーです。グレイトフル・デッドの「Truckin'」、ビートルズの「We Can Work It Out」、ローリングストーンズの「Mother's Little Helper」、CCRの「Lodi」、それとジェフ・キースのあこがれのバンド、『Five Man Electrical Band』の「Signs」をそれぞれカバーしています。この曲が全米8位を記録します。アルバムのタイトルもこの『Five Man Electrical Band』から命名したようです。アコースティックのみという事でも物足りなさはありませんでした。名曲「LoveSong」「Paradise」も含まれています。スタジオアルバムの間隔を埋める形で発表された本アルバムですが、売れ行きは素晴らしく3枚目のプラチナアルバムに輝きました。このアルバムがきっかけとなって、アンプラグドブームが起こります。

 

翌1991年には4枚目のアルバム『Psychotic Supper』をリリースします。

スタジオアルバムとしては3枚目のアルバムになります。相変わらずハードロック路線で安心します。グイグイ押してきます。ドラマティックな「Song & Emotion」「Freedom Slaves」、泣きのバラードの「What You Give」など曲も多彩で飽きることがありません。日本盤のボーナストラックではジョ・ジョ・ガンやモントローズのカバーも含まれています。またブルースナンバーの「I Ain't Superstitious」もカバーしています。

 

3年のブランクの後、『Bust a Nut』をリリースします。

 このアルバムもハードロック路線を踏襲して、安心させてくれます。相変わらずバラードは美しく、ハスキーヴォイスは健在。しかし、時代はオルタナグランジ時代に突入し真っ盛りに。ゲフィンレコードはハードロック路線を嫌って契約を解除します。さらに、ギタリストのトミーが薬物中毒でリタイア。ライブ活動を続けるも結局、1996年に解散します。

 

実にもったいない感じですが、今まで何度も書いてきたように、時代の波には敵わないのでしょう。

 

それでも2000年に再結成します。新しいギタリスト、デイヴ・ルード(Dave Rude)も加入します。

  

この他にカバー集やライブアルバムも発表しています。

 

絶大な人気を博した、というほどでもありませんが、実にいいバンドでした。

 


Tesla - Love Song


Tesla - Song and Emotion

 

 

それでは今日はこの辺で。