Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

映画 『昼顔』&『太陽がいっぱい』を観る

今日のキネ旬シアターは2本続けて観てしまいました。1日2本観るのは久しぶりです。2本観たと言っても2本立てとは違います。料金は2本分です。なんとも世知辛い。昔はよく2本立て、3本立て、オールナイトは5本立てとかをよく見ていましたが、今そんな映画館はないのでしょうね。

 

【華麗なるフランス映画特集】です。

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まず1本めは『昼顔』です。

 

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監督:ルイス・ブニュエル

原作:ジョセフ・ケッセル

主演:カトリーヌ・ドヌーヴジャン・ソレル

撮影:サッシャ・ヴィエルニ

制作:1967年 フランス、イタリア

 

またしてもブニュエルとドヌーヴのコンビです。といってもこちらの方が先日の『哀しみのトリスターナ』より前の作品です。

この映画は当然後追いで観ました。高校生の頃でした。私がリアルタイムで初めてカトリーヌ・ドヌーヴを観たのは多分『暗くなるまでこの恋を』だったと思います。その次に『哀しみのトリスターナ』が続き、あとは後追いでシェルブールの雨傘』『反撥』『ロシュフォールの恋人たち、そしてこの『昼顔』へと続いたのだと記憶しています。

ルイス・ブニュエルについては先日の『哀しみのトリスターナ』の記事で書いていますのでご参考までに。

lynyrdburitto.hatenablog.com

好きな監督のブニュエルとドヌーヴの映画が市の名画座で上映されるというので意気揚々と観に行った記憶があります。ベネチア国際映画祭のグランプリを受賞しました。

映画の方はなかなか高校生には理解しがたい内容だったように記憶しています。

 

幼少の頃の体験で妄想癖で不感症になったセヴリーヌ。夫ピエールとは性的関係以外は仲の良い普通の夫婦でしたが、何か不満、不安でした。そんな時に友人から高級売春宿の話を聞き、興味を持ってしまいます。さらに夫の友人からも娼館の名前を聞いてしまいます。我慢できずに娼館を訪ねます。そしてセヴリーヌは売春婦となります。名前は昼に咲く花「昼顔」昼は売春婦、夜は貞淑な妻の二重生活です。意外にもセヴリーヌの精神は安定したのです。

 

しかし、その生活も壊れる時が来ました。野卑な客に惚れられてしまい、自分の女になれと強要されます。さらに娼館の名前を教えてくれた友人が久しぶりにその娼館に現れて鉢合わせをしてしまいます。夫には内緒にしてくれと頼みます。

 

そのようなことが重なり、セヴリーヌは娼婦を辞めます。ところがその野卑なチンピラが家を突き止め訪ねてきます。そして夫に話をつけると言い出します。断ると男は逆上し、待ち伏せし夫を銃撃してしまいます。男は警官に銃殺されます。幸いなことに夫は命は助かったものの、車椅子状態で口もきけなくになってしまいました。

 

それでもセヴリーヌはその夫の面倒を見ていこうと決心します。すると前にも増して穏やかな生活を送ることが出来るようになりました。そして忌まわしい妄想もいつの間にか消えたのです。

そこに夫の友人が、妻の真相を話すと訪ねてきます。セヴリーヌは断りますが、友人は聞きません。とうとうセヴリーヌの不貞を話してしまいました(想像)。恐る恐る夫の様子を伺うセヴリーヌ。見ると夫はサングラスの下から涙を流していました。

 

すると突然、夫が車椅子から立ち上がり、何事もなかったようにふるまい始めます(妄想)。そして窓の下を覗くと、突然森の道を馬車が通ります。しかし馬車には誰も乗っていませんでした(これも妄想)。これで「FIN」です。

この馬車の登場はオープニングのシーンで、森の道を遠くから馬車がやってきて、近づくとセヴリーヌ夫妻が仲良く乗っているという伏線があったのです。

 

不感症を治すために売春婦になって、快感を覚えるようになるというお話です。とんでもない倒錯の世界に徐々に目覚めていくセヴリーヌ。妄想と現実の連鎖。ブニュエルの世界です。

 

それにしてもドヌーブの顔を泥だらけにするなんて、ブニュエルもやりますね。 

 

 


「昼顔」Belle de jour(1967年仏・伊)

 

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次の映画は太陽がいっぱいです。

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監督:ルネ・クレマン

原作:パトリシア・ハイスミス

主演:アラン・ドロンモーリス・ロネ、マリー・ラフォレ

音楽:ニーノ・ロータ

撮影:アンリ・ドカエ

制作:1960年 フランス、イタリア

 

この映画も当然ながら後追いで観ました。これも高校生の頃だったと記憶しています。

あまりにも有名で、説明もいらないくらいです。アラン・ドロン出世作になりました。

 

監督は禁じられた遊び』『居酒屋』などの社会派ドラマのルネ・クレマンです。この映画でサスペンス物を撮って、その後『危険がいっぱい』雨の訪問者などのサスペンスの傑作を撮りました。

この後もルネ・クレマンアラン・ドロンのコンビは『生きる歓び』『危険がいっぱい』『パリは燃えているかと続きます。しかし、作品数は多くはありませんでした。

 

音楽のニーノ・ロータフェデリコ・フェリーニ『道(ジェルソミーナ)』など、フェリーニ監督の専属音楽家のような人でしたが、この『太陽がいっぱい』の音楽で世界中に名が知れ渡りました。その後もオリビア・ハッセイ主演のロミオとジュリエットゴッドファーザーなどの名曲を送り出しました。

 

撮影のアンリ・ドカエはフランス・ヌーヴェルヴァーグの撮影監督で、死刑台のエレベーター』『いとこ同志』『大人は判ってくれないなど多くのヌーベルバーグ作品を撮りました。『生きる歓び』『危険がいっぱい』などルネ・クレマンの作品も何作か手掛けており、また『サムライ』『仁義』などアラン・ドロンの出演作品も多く手掛けています。

 

原作のパトリシア・ハイスミスアメリカの女流作家で、初の長編小説『見知らぬ乗客』ヒッチコックによって映画化されヒットし、続く太陽がいっぱいもヒットし人気作家になりました。途中からはヨーロッパに住むようになりました。この人の作品は一時期読み漁りました。長編では『ふくろうの叫び』『プードルの身代金』『スモールgの夜』『愛しすぎた男』など、また『11の物語』など短編集に面白い作品が多いです。

 

映画の方はというと、貧乏学生のトムがが父親に頼まれ放蕩息子のフィリップを連れ戻しにイタリアまでやってきます。そして何とか友人をアメリカに連れ戻そうとします。連れ戻せば5000ドルの報酬がもらえるのです。ところがフィリップは言うことを聞きません。それどころかトムに対し理不尽な扱いをします。トムには次第にフィリップに対する殺意が芽生えてきます。

 

フィリップにはマルジュという恋人がいます。ある時3人でヨットの旅に出ます。船内でフィリップとマルジェが喧嘩になり、マルジェはヨットを降りてしまいます。ヨットで二人きりになった機会にトムはフィリップを殺害し、海に沈めます。

 

そしてフィリップになりすまし、彼の財産と恋人までをも手に入れようと目論見ます。途中でフィリップの友人に見破られそうになり、その彼も殺害してしまいます。トムはその犯人をフィリップに仕立て上げ、フィリップは自殺したことにして、マルジュに全財産を譲ると書き残します。そしてトムはマルジュを慰め、とうとう自分のものにします。これで計画通り財産も女も手に入れることが出来ました。

しかし、ひょんなことから完全犯罪が崩れ、有名なラストシーンへと向かいます。

 

完全犯罪を達成し、満足感に浸るアラン・ドロン。「太陽がいっぱいだ!」とつぶやくシーンが印象的です。殺害した友人に成りきるために、サインの練習や声色のまねなど、面白いシーンがいっぱいです。最後も逮捕されるシーンまで描かないというのもフランス映画の洒落た終わり方といったところでしょうか。

 

60年近く経っているというのに、全く色褪せない極上のサスペンスドラマです。ただし、冒頭で盲人をからかい、盲人の真似をしてふざけるシーンなどは今では許されないでしょうね。

 


映画『太陽がいっぱい』予告編パート2

 

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今日は2本とも懐かしくて涙が出そうになりました。イヤですねえ、年より臭くて(笑)

今日も、太陽がいっぱい、でした。

 

さすがに2品まとめて書くと訳が分からなくなってきます。

 

それでは今日はこの辺で

 

ニルソン(Harry Nilsson)からランディ・ニューマン(Randy Newman)へ

私がランディ・ニューマン(Randy Newman)を知ったのは、先日のフレッド・ニールと同じくハリー・ニルソン『ハリー・ニルソンの肖像(Harry)』というアルバムでした。この中に「サイモン・セッズと踊る熊」という変わった歌があって、その作者がランディ・ニューマンでした。その後、ニルソンが『ランディ・ニューマンを歌う(Nilsson Sings Newman)』というアルバムをリリースしました。1970年でした。

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当時はニルソンにぞっこんでしたので、少ない小遣いを叩いて頑張って買いました。

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ランディ・ニューマンのピアノをバックに切々と歌うニルソンの抜群の歌唱力で、まるで映画館でミュージカル映画を観ているような感覚にとらわれたのを憶えています。

しかし歌詞の中身は切なくなるようなラブソングもあれば、貧しい州を憂う歌、親子間の歌、さらには東洋人を小ばかにしたような歌もあって、これは一筋縄ではいかない男だなと直感しました。

 

ニルソンについては先の記事を参考にして頂き、ここではランディ・ニューマンについて若干ながら書いてみたいと思います。

ランディ・ニューマンは1943年、ロサンゼルスで生まれました。父は医師。伯父、叔父にはアルフレッド、エミール、ライオネルという映画音楽の巨匠たちがいます。カリフォルニア大学で音楽を専攻し、その頃からソングライティングを始めました。友人のレニー・ワロンカーと共にリプリーズ・レコードで音楽活動をするようになり、楽曲も提供するようになりました。そして1968年にソロデビューを果たすのです。

 

先のニルソンのアルバムが出た後、1972年にランディ・ニューマンの4枚目のアルバム『Sail Away』が発表されました。記憶が定かではありませんが、ランディ・ニューマンのアルバムはこの前の『Live』が日本でのデビューではなかったかと思います。

ファーストの『Randy Newman』とセカンドの『12 Songs』はこの時はまだ未発売だったように記憶しています。ひょっとして記憶違いかもしれませんが。とにかく貧乏高校生ですから、他に買いたいレコードが山のようにあり、ランディ・ニューマンのレコードまでは手が回らなかったというのが実情です。

   

ファーストにはニルソンのアルバムに載っていた曲の中から5曲も入っています。Love Story」「Living Without You」「So Long Dad」「Cowboy」「The Beehive State」の5曲です。また「I Think It's Going To Rain Today」はジュディ・コリンズでひっとしました。このアルバムはニルソンのアルバムのようにランディ・ニューマンのピアノとストリングスです。プロデュースはレニー・ワロンカーヴァン・ダイク・パークスです。

セカンドには同様に1曲「Yellow Man」が入っています。さらに何といってもスリー・ドッグ・ナイトで1位になったMama Told Me Not To Come」が入っています。ギターにライ・クーダークラレンス・ホワイト(バーズ)、ロン・エリオット(ボー・ブラメルズ)、ベースにアル・マッキボン,ライル・リッツ、ドラムスにジーン・パーソンズ(バーズ)、ジム・ゴードンパーカッションにミルト・ホランド、ロイ・ハートなどジャズ界からも参加しています。プロデュースはレニー・ワロンカーです。このアルバムはややロック色が出てきています。

 

そして1971年にピアノによるライブ盤をリリースします。

ここでも「ランディ・ニューマンを歌う」から5曲セレクトされ、「Mama Told Me Not To Come」も入っています。

 

そして1972年に『Sail Away』が発売になりました。このアルバムもしばらくしてから買ったように記憶しています。

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世間では名盤と騒がれているこのアルバムにはギターでライ・クーダー、ベースにクリス・エスリッジ(元FBBジミー・ボンド、ウィルトン・フェルダー、ドラムスにジーン・パーソンズ(バーズ)、ジム・ケルトナー、アール・パーマー、パーカッションにミルト・ホランド、プロデュースはレニー・ワロンカーです。

ここでは『ハリー・ニルソンの肖像』でカバーされていた「サイモン・セッズと踊る熊」が歌われています。また『ランディ・ニューマンを歌う』からDayton, Ohio - 1903も入っています。この歌は1903年のオハイオ州デイトンは静かできれいでよかったと昔を懐かしむ歌のようで、現状に対する風刺が込められているような気がします。

 

1974年には『Good Old Boys』をリリ-スします。

このアルバムではギターにライ・クーダー、ジョン・プラタニア、ラス・タイトルマン、ベースにレッド・カレンダー、ウィリー・ウィークス、ドラムスにジム・ケルトナー、アンディ・ニューマーク、パーカッションにミルト・ホランド、ペダル・スティールにアル・パーキンス、バッキングヴォーカルにドン・ヘンリー、グレン・フレイなど豪華メンバーを揃えました。プロデュースはレニー・ワロンカーラス・タイトルマンです。

この約2年ぶりのアルバムで、ランディは徹底的にアメリカを歌っています。特に南部人、貧困労働者に対する愛情が鋭い風刺と共に浮かび上がるようです。私の貧しい英語読解力では、理解不能ですが訳詞を読むとかなりきわどいことを歌っているようです。

 

それからまた3年後、第6作目、問題の『小さな犯罪者(Little Criminals)』がリリースされます。

ここでも「ランディ・ニューマンを歌う」から1曲「I'll Be Home」が入っています。

ギターにワディ・ワクテル、ジョー・ウォルシュ(イーグルス)、グレン・フレイ(イーグルス)、ベースにクラウス・ヴォアマン、ウィリー・ウィークス、ドラムスにジム・ケルトナー、アンディ・ニューマーク、リック・マロッタ、パーカッションにミルト・ホランド、マンドラにライ・クーダー、ピアノにラルフ・グリーソン、バッキングヴォーカルにJ.Dサウザープロデュースはレニー・ワロンカーラス・タイトルマンです。

このアルバムの1曲目「Short People」放送禁止歌になりました。身長の低い人間を差別・侮辱する歌だという理由でした。「ショート・ピープルには生きる理由がない」という歌詞で始まります。ショート・ピープルが身長の低い人間なのか、気持ちが小さいちっぽけ人間なのか、あるいはアジア人なのかはわかりません。ファーストでは「イエローマン」で東洋人をバカにしていましたから。それでもラストの「Old Man On The Farm」はやさしい。

 

2年後に『Born Again』をリリースします。

ここではギターにワディ・ワクテル、ベースにウィリー・ウィークス、ドラムスにアンディ・ニューマーク、バッキングヴォーカルにスティーヴン・ビショップヴァレリー・カーターが参加しています。プロデュースはレニー・ワロンカーラス・タイトルマンです。

1曲目に「この世は金次第」を持ってきて、アルバムジャケットの目玉に$マークを付けて遊んでいます。シニカルなランディの真骨頂でしょうか。

 

これで1970年代のランディ・ニューマンは終わります。

 

この後、1980年代からは血筋柄か映画音楽の方に力を入れるようになっていきます。

 

そんな中、1983年に久しぶりに発表されたのが『Trouble in Paradise』です。

 ここではギターにディーン・パークス、ワディ・ワクテルスティーヴ・ルカサー、ベースにネーサン・イース、ドラムスにジェフ・ポルカ、キーボードにデヴィッド・ペイチ、パーカッションにレニー・カストロ、ピアノにニール・ラーセン、ラルフ・グリーソン、バッキングヴォーカルにポール・サイモンリンジー・バッキンガムフリートウッド・マック)、クリスティン・マクヴィーフリートウッド・マック)、ボブ・シーガー、リンダ・ロンシュタッド、ウェンディ・ウォルドマン、ドン・ヘンリー(イーグルス)、リッキー・リー・ジョーンズ、ジェニファー・ウォーンズ他豪華メンバーが参加しました。プロデュースはレニー・ワロンカーラス・タイトルマンです。

 

ポール・サイモンとのデュエット「The Blues」も聴けます。私の中ではこのアルバムがランディ・ニューマンのベストかもしれません。

 

この後はほぼ映画音楽の世界に入っていてしまいます。映画音楽の世界でも次々と傑作を送り出します。トイ・ストーリーシリーズや「モンスター・インク」など数多くの作品を手掛けており、アカデミー歌曲賞も獲得しています。

 

ランディ・ニューマンを振り返ってきましたが、彼の場合はなんといってもそのアイロニカルな歌詞に魅力があるのでしょうが、私のような英語読解力劣等生には難しいのです。訳詞で我慢しています。ただし、歌詞だけがいいのなら詩を読めばいいわけで、やはり音楽が面白くなければいけないのです。ランディ・ニューマンは歌詞が騒がれますが、曲もそれ以上に素晴らしいのです。だからたくさんのミュージシャンがカバーするのだと思います。

書き逃しがいっぱいありそうですが、頭の中がまとまりません。

ランディ・ニューマン、まだ74歳。まだまだ毒舌を頼みます。

 


Randy Newman - Mama Told Me Not To Come


Sail Away

 


Randy Newman - Short People


Randy Newman - Rednecks

 

それでは今日はこの辺で。

 

 

うわさの男 『フレッド・ニール(Fred Neil)/Evrybody's Talkin'』

私がフレッド・ニール(Fred Neil)の名を初めて知ったのは、高校生の時に映画『真夜中のカウボーイ』の中で歌われていた「うわさの男」がひどく気に入って、歌っていたハリー・ニルソンのLP『ハリー・ニルソンの肖像』を買った時でした。当然ニルソンが作った歌だと思っていたのですが、作者を見るとフレッド・ニールという人でした。

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それからロックやフォークのレコードを買ううちにこの人の名前が割と頻繁に出てくるのに気が付きました。リンダ・ロンシュタッド、ジョニ・ミッチェル、ジェファソン・エアプレイン、イッツ・ア・ビューティフル・デイラヴィン・スプーンフル、ヤングブラッズ、アニマルズ、ティム・バックリィ等々多数の人が彼の曲を取り上げていました(グラム・パーソンズも後の未発表曲集の中に彼の曲が入っていました)。

 

これは1枚位買わないとまずいな、と思い中古盤を捜し歩きました。当時はネットもありませんのでひたすら足で歩き回らないといけません。しかしなかなか見つかりません。ようやく見つけたのが『Evrybody's Talkin'』でした。運よく「うわさの男」が収録されている盤でした。

 

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Side A

1.The Dolphins

2.I've Got A Secret (Didn't We Shake Sugaree)

3.That's The Bag I'm In

4.Badi-da

5.Faretheewell (Fred's Tune)

 

Side B

1.Everybody's Talkin'

2.Everything Happens

3.Sweet Cocaine

4.Green Rocky Road

5.Cynicrustpetefredjohn Raga

 

パーソナルは

Fred Neil-guitar,vocal

James E-bass

John Forsha-guitar

Pete Childs-guitar

Al Wilson-harp

Billy Mundi-drums

Cyrus Faryar-guitar

 

プロデュースはニック・ヴェネット(Nick Venet)です。

 

アル・ウィルソン(Al Willson)はキャンド・ヒートのアランです。

 

このアルバムはフレッド・ニールのソロアルバムとしては2枚目になります。ファーストにはラヴィン・スプーンフルジョン・セバスチャンクリームフェリックス・パパラルディも参加しています。

 

ソロをリリースする前にはヴィンス・マーティンとのデュエットアルバムを発表しています。

 

この『Evrybody's Talkin'』は1969年に『真夜中のカウボーイ』が公開され後、リプレイス盤として発売されたものです。原盤は『Fred Neil』というタイトルで1966年にリリースされています。

 

A-1はティム・バックリィ、リンダ・ロンシュタッド、ビリー・ブラッグ、アレックス・ハーヴェイ、イッツ・ア・ビューティフル・デイ、ディオンなど数多くの人がカバーしています。

A-3はグラム・パーソンズがカバーしています。

B-1はご存じ「うわさの男」

 

彼の朴訥とした野太い声で淡々と歌う姿は、1960年代の多くのミュージシャンに多大な影響を与えたといいます。ボブ・ディランでさえ憧れたと聞きます。それだけ彼の歌には魅力があったのでしょう。

 

その他にもロイ・オービソンなどがカバーした「Candy Man」ジュディ・コリンズがカバーした「Tear Down the Walls」ジェファーソン・エアプレイン、PPM、ヤングブラッズ、ラヴィン・スプーンフル、アニマルズ、エリック・アンダーソン、グラム・パーソンズなどがカバーした「The Other Side of This Lifeなど他人にカバーされた曲は多数です。

 

フレッド・ニールはその後、1967年と、1971年にアルバムをリリースしますが、60年代後半からはイルカの保護活動に積極的にかかわるようになり、音楽活動からは遠ざかりました。

 

2001年に皮膚がんのため亡くなりました。65歳でした。

 


Fred Neil - Everybody`s Talkin [Original] [1966]


Fred Neil - The Dolphins


Fred Neil - Ba De Da- Do You Ever Think Of Me

 

ニルソンバージョン


Everybody's Talkin' - Nilsson (With lyrics on screen)

 

それでは今日はこの辺で。

アウトローじゃない! 『アウトローズ(Outlaws)/戦慄のアウトローズ(Outlaws)』

南部のバンドらしからぬ南部のバンドアウトローズ(Outlaws)』です。

アウトローズの結成は古く、遡れば1964年にフランク・ギドリー(Frank Guidry)によって結成されました。その時のメンバーにはヒューイ・トーマソン(Hughie Thomasson,g,vo)フランク・オキーフ(Frank O'Keefe,b)もいました。

しかしその後はメンバーチェンジが激しく、創設者のフランク・ギドリーはバンドを去り、ビリー・ジョーンズ(Billy Jones,g,vo)が加わり、さらにモンテ・ヨーホー(Monte Yoho)、最後にヘンリー・ポール(Henry Paul,g,vo)が加わって、デビュー時のメンバーが揃いました。これが1972年のことでした。

彼等はレナード・スキナードやマーシャル・タッカー・バンドと演奏活動を共にして、地元では人気バンドになっていたらしい。当時のバンド名は『Los Hombress Malo』と名乗っていたようです。

アリスタレコードのクライヴ・デイヴィスが彼らを気に入り、契約を結ぶことになりました。ここでレナード・スキナードのロニー・ヴァン・ザントがバンド名を『Outlaws』にしてみてはと提案があり、正式にアウトローズが誕生したのです。

サザンロックというと当時は何といってもキャプリコーン・レコードが多かったのですが、アリスタレコードでは珍しかったのではないでしょうか。

そして1975年にデビューアルバム『戦慄のアウトローズ(Outlaws)』がリリースされました。

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Side A

1.There Goes Another Love Song

2.Song For You

3.Song In The Breeze

4.If Follows From Your Heart

5.Cry No More

 

Side B

1.Waterhole

2.Stay With Me

3.Keep Prayin'

4.Knoxville Girl

5.Green Grass & High Tides

 

プロデュースはドアーズやジャニス・ジョプリンなどでおなじみのポール・ロスチャイルド(Paul  Rothchild)です。

スペシャル・サンクスでレナード・スキナードとなっています。 

このアルバム、先入観というか予備知識なしで聴いたら、おそらくサザンロックとは思えないでしょう。どちらかといったらウェストコースト、それもロサンゼルスサウンドに近いものが有ります。イーグルス、ドゥービー・ブラザース、ポコあたりを感じさせます。サザンロックで言えばデュアン・オールマン亡き後のオールマン・ブラザースあたりでしょうか。

さわやかなハーモーニーとカントリータッチの曲。初めて聴いた時にはちょっと戸惑いました。南部の泥臭さを想像していたものですから。それでもレナード・スキナードを思わせるトリプルギターも聴けますし、ラストの曲などは10分近い曲で、レナードの「フリーバード」を彷彿とさせます。A-2などもまさにレナードばりのギターです。

A-4にはジョン・デヴィッド・サウザーがバッキングヴォーカルで参加しており、ますますウェストコーストの香りがプンプンです。

ただ、私にとっての欠点は3人がヴォーカルを執っていますが、いずれもちょっと弱い。ロサンゼルス風といえばそうかもしれませんが、ダン・フォーゲルバーグのようです。ロニー・ヴァン・ザントを望んでも酷でしょうが、もう少し迫力あるヴォーカルが欲しいところでした。

 

その後も彼らはメンバーチェンジを繰り返しながら1996年まで活動します。1996年にヒューイ・トーマソンがレナード・スキナードの加入することになり、解散。その間、ビリー・ジョーンズとフランク・オキーフは1995年に亡くなりました。フランクは薬物、ビリーは自殺でした。

2005年にアウトローズは再結成しますが、2007年にヒューイ・トマソンが心臓発作で亡くなります。

その後もヘンリー・ポールとモンテ・ヨーホーが中心となって活動を続けているようです。

 

1978年に発売されたライブ盤『Bring It Back Alive』は聴きものです。先ほどの「フリーバード」風の曲「Green Grass & High Tides」を1面潰して20分も演奏しています。レナードの弟分の面目躍如です。

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アウトローズ、今聴くと非常に新鮮に聴けました。決して無法者ではありません。

 


Outlaws - There Goes Another Love Song


Outlaws - Song for You


The Outlaws "Outlaws", 1975. Track A4: "It Follows from Your Heart"


The Outlaws - Green Grass and High Tides

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

ヒット・チャートの常連客 『スリー・ドッグ・ナイト(Three Dog Night)』

ローラ・ニーロの記事を書いていたら、久しぶりにスリー・ドッグ・ナイト(Three Dog Night)の名前を思い出しました。

 

スリー・ドッグ・ナイトはダニー・ハットン(Danny Hutton,vo)チャック・ネグロン(Chuck Negron,vo)、コリー・ウェルズ(Corry Wells,vo)という3人のボーカルを擁した変わった編成のバンドで、1967年にこの3人にマイク・アルサップ(Mike Allsup,g)ジョージ・シェルミー(Joerge Schermie,b)フロイド・スニード(Floyd Sneed,ds)ジム・グリーンスプーン(Jim Greenspoon,key)の4人が加わって、ロサンゼルスで結成されました。

 

1968年にファーストアルバム『Three Dog Night』がリリースされます。

ここからハリー・ニルソン「One」が全米5位の大ヒットになりました。その他にトラフィックビートルズ、ダニー・ウィットン、ランディー・ニューマン、ニール・ヤング、ティム・ハーディンなどをカバーしています。彼等には自作曲というものはあまりありません。カバー曲をどう選ぶかが命綱です。逆に言うとまだまだ無名のソングライターの曲をいち早く取り上げてヒットさせるのが上手でした。それだけ選球眼があったという事でしょう。ニルソンやランディ・ニューマンその恩恵に預かっています。そういう意味からもこのファーストは大成功でした。これで彼らの知名度は一気に上がりました。

 

1969年、セカンドアルバム『Suitable for Framing』をリリースします。

ここではデイヴ・メイソンエルトン・ジョンサム・クックローラ・ニーロなどをカバーしています。ここでもいち早くローラ・ニーロ「イーライズ・カミング」を取り上げています。

 

3作目はライブ盤です。『Captured Live at the Forum』です。1969年発売。

ザ・バンドの曲もカバーしています。これは思い出深いライブ盤です。

 

1970年には『It Ain't Easy』『Naturally』の2枚をリリースします。

    

前者からはランディー・ニューマン「ママ・トールド・ミー」がヒットします。

後者からはラス・バラードの「ライアー」ホイト・アクストン「喜びの世界(Joy To The World)」がヒットします。

またフリーエルトン・ジョントラフィックなどもカバーしています。

 

1971年には『Harmony』、1972年には『Seven Separate Fools』をそれぞれリリースします。

   

前者からはポール・ウィリアムス「An Old Fashioned Love Songが大ヒット。その他にもスティーヴィー・ワンダージョニ・ミッチェルなどをカバーしています。ホイト・アクストンの「Never Been To Spain」もヒットします。

後者からは「Black And White」が全米1位のヒットとなります。

 

つづいてライブ盤を挟んで1973年に『Cyan』、1974年に『Hard Rabor』をリリースします。

   

この前にベーシストのジョージ・シェルミーが退団、代わりにジャック・ライランド(Jack Ryland,b)が加入します。

 

前者からは「Shambara」が全米3位の大ヒット。「Let Me Serenade You」もヒットします。

後者からはジョン・ハイアット「Sure as I'm Sittin' Here」アラン・トゥーサン「Play Something Sweet (Brickyard Blues) 」レオ・セイヤ―「The Show Must Go On」がヒットします。スキップ・プロコップの曲もカバーしてます。

 

ここまで破竹の勢いで売れまくってきたスリー・ドッグ・ナイトですが、さすがに陰りが見え始めました。

1975年にリリースしたライブを含めた通算11枚目のアルバム『Coming Down Your Way』ではバックに多くのスタジオミュージシャンを起用しました。

このことが原因したのか、人間関係の悪化なのかアルバム発表後にマイク・アルサップ、フロイド・スニード、ジャック・ライランドが次々とバンドを去り、その後もチャック・ネグロンがコカインの不法所持で逮捕、ダニー・ハットンも退団し、残ったのはジム・グリーンスプーン一人になってしまいました。

何とかメンバーを補強して1976年にアルバム『American Pastime』を発表します。

しかしこれはもはやスリー・ドッグ・ナイトではありませんでした。そして当然ながら解散となりました。

 

1960年代末から70年代前半にかけてビルボードのトップ40に21曲もチャートインさせた驚異のバンドでした。

3人のヴォーカルによるハーモニーの美しさと歯切れのよいバンド演奏は当然の如くヒットチャートを賑わしました。ロックとポップスの中間という位置づけだったと思いますが、中学・高校生の興味を洋楽に向けさせた功績は偉大だったと思います。

 

チャートインした21曲です。

1969年

One 5位

Try a Little Tenderness 29位

Easy to Be Hard 4位

Eli's Coming 10位

1970年

Celebrate 15位

Mama Told Me Not to Come 1位

Out in the Country 15位

One Man Band 19位

1971年

Joy to the World 1位

Liar 7位

An Old Fashioned Love Song 4位

Never Been to Spain 5位

1972年

The Family of Man 12位

Black and White 1位

Pieces of April 19位

1973年

Shambala 3位

Let Me Serenade You 17位

1974年

The Show Must Go On 4位

Sure As I'm Sittin' Here 16位

Play Something Sweet (Brickyard Blues) 33位

1975年

Till the World Ends 32位

 

 


喜びの世界  スリー・ドッグ・ナイト


An Old Fashioned Love Song/Three Dog Night


THREE DOG NIGHT One (1969) HQ


Three Dog Night - The Show Must Go On

 

それでは今日はこの辺で。

映画『哀しみのトリスターナ』を観る

今日のキネ旬シアターは『哀しみのトリスターナ』でした。

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監督:ルイス・ブニュエル

主演:カトリーヌ・ドヌーブフランコ・ネロフェルナンド・レイ

制作:フランス、イタリア、スペイン 1970年

 

キネマ旬シアター【華麗なるフランス映画特集】の中の一本です。

 

今日はあのルイス・ブニュエルの『哀しみのトリスターナ』です。

ブニュエルの映画を今時劇場で観られるなんて、それだけで感激です。

ルイス・ブニュエルといえば、何といってもサルバドール・ダリとの共同脚本を映像化した『アンダルシアの犬』です。

たった15分の映画ですが、女性の眼球を切り裂くシーンや手のひらから蟻が湧きだすシーンなど、今でも思い出すと背筋がゾッとします。学生時代に何かの映画祭で観たのですがどこだったかは憶えていません。この映画でブニュエルはシュール・レアリストの仲間入りを果たします。

その後はブニュエル作品は滅多に上映されないので上映されるのを気長に待ちながら何作か観ました。たぶん京橋の国立フィルムセンターでいくつか観たと思いますが。国立フィルムセンターは当時入場料が80円でしたから、貧乏学生には聖地のようなものでした。今のようにビデオなどなかった時代ですから、必ず映画館に足を運ばなければなりませんでした。

『黄金時代』『忘れられ人々』など、日本で公開された映画はそれほど多くはありませんが、思い出に残る映画がありました。『忘れられた人々』のなかで、少年が鶏を叩き殺すシーンなどが目に焼き付いています。

 

この『哀しみのトリスターナ』も『昼顔』に続いてカトリーヌ・ドヌーヴ主演で話題になりました。この作品も40数年ぶりの再会になるでしょうか。

 

映画はカトリーヌ・ドヌーヴ演じる16歳のトリスターナが母親の葬儀の帰りに侍女のサトゥルナの弟サトゥルノが在籍する聾唖学校に立ち寄るシーンから始まります。聾唖者たちがサッカーをしているシーンです。

 

トリスターナは親を亡くし、老貴族のドン・ロペの養女になります。父親であるはずのロペはトリスターナの美しさに心奪われ、ある日強引にキスを迫り、何でもいいなりで逆らえないトリスターナはそれを受け入れ、「父親であり夫婦である」という奇妙な関係が始まります。

 

外出もままならないトリスターナは束縛されることに次第に嫌気がさし、サトゥルナとこっそり散歩に出かけるようになります。そんなある日若い画家のオラーシオと知り合い、恋に落ちます。

 

頻繁な外出にロペは男ができたと直感し、嫉妬に狂いトリスターナを責めます。 とうとうトリスターナはオラーシオと街を出る決心をします。ロペはオラーシオに会って何とか止めようとしますが、逆に殴られてしまいます。

 

トリスターナが去ってから2年後、サトゥルナはトリスターナが町に帰ってきていると告げます。トリスターナは重い病気に罹り、死ぬなら家で死にたいとオラーシオが言っているとのことでした。ロペは早速にトリスターナを引き取ります。トリスターナはオラーシオに捨てられたと思ったのです。

 

医者からはすぐにでも足を切断しなければならないと告げられます。そして片足になったトリスターナは時々見舞いに来るオラーシオにも、人が変わったように優しくなったロペにも冷たく当たります。

 

一生懸命にトリスターナの面倒を見るロペを見ていた神父はトリスターナに結婚を勧めます。鼻で笑ったトリスターナですが後日結婚します。しかし寝室は別々、相変わらず冷たい態度です。ロペの老衰が目立ち始めました。

 

ある日の雪の降る晩、ロペが心臓が痛いと苦しみだしトリスターナに医者を呼ぶように頼みます。トリスターナは医者に電話をするふりをして、実際にはしませんでした。さらに窓を開け、寒さを引き入れます。やがてロペは亡くなります。

 

画面は突然フラッシュバックして、過去の場面が何枚か映し出され、オープニングの場面に戻り、そしてFINのエンドロールであっという間に終わります。

 

ラストシーンも謎めいていますが、謎めいた場面はいくつも出て来ます。教会の鐘の中のロペの生首やトリスターナの履かない義足、松葉杖で廊下を歩く長いシーン、サトゥルノに窓から自分の裸体を見せるシーンなどブニュエルらしいシーンがいくつも出て来ます。

 

それにしてもこのラストシーンは何でしょう。人生などあっという間の出来事だというのではあまりにも短絡的です。すべて幻想、幻覚だったということでしょうか。トリスターナのロペに対する復讐が完了したということなのでしょうか。

 

カトリーヌ・ドヌーヴが16歳の少女から始まって、いつの間にか大人になって、さらに冷酷な悪女のような女に変化していく様子がたまらないです。この時ドヌーヴ26歳。一番キレイな頃かもしれません。美しさに圧倒されます。

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関連画像

 

それからフェルナンド・レイがスケベな親父から年を取って徐々に好々爺になっていく様も見物です。

また、画家役のフランコ・ネロは『続・荒野の用心棒』などのマカロニ・ウェスタンでおなじみの俳優ですが、ここでは全く違うまじめな青年を演じています。

「哀しみのトリスターナ 画像」の画像検索結果

 

 

この映画、場所はスペインのトレド、時代は1920年頃。ドン・ロペは貴族です。貴族といっても財産などなく、家財を売って生活しているような没落貧乏貴族。それでもロペ曰く「労働ほど醜いものは無い、生活のために働くなんて愚かだ」と言わしめます。ブニュエル無神論者でブルジョア嫌いは有名ですが、こういう形で表現しているところがまた面白いです。スペイン革命はもう少し先です。

 

それにしてもスペインを舞台にフランス人とイタリア人を主人公にして吹き替えでわざわざ撮るというのも、なんか不思議です。

それとこの映画、音楽がありません。ドヌーヴがピアノを弾くシーンでピアノが流れるだけです。その曲がショパンの『革命』です。意味ありげですね。

 

とにかくこの映画もそうですが、映画というものは色々な視点から、色々なことを考えさせられます。それが私にとっての映画の楽しさになっているのですが。この映画も色々な視点からの見方があると思います。書き出したらきりが無いので止めておきます。取り留めのない記事になってしまいました。ご容赦願います。

 

 

 

 


Tristana (1970) Trailer

 

 

それでは今日はこの辺で。

ニューヨークの妖精 『ローラ・ニーロ(Laura Nyro)/Her Greatest Hits』

 ローラ・ニーロ(Laura Nyro)は1947年にニューヨークでジャズ・トランぺッターの父親とクラシック好きの母親の娘として生まれました。幼いころからジャズやゴスペルなど黒人音楽に親しんで育ちました。14歳の時には4人の男子とロックンロールを演奏していたといいます。

その後ボブ・ディランなどのフォークソングにも興味を持ち、高校卒業後は自作曲をレコード会社へ売り込み始めました。

1966年のP.P.M(ピーター、ポール&マリー)「And When I Die」が彼女の最初の仕事になりました。

その年にはシングル「Wedding Bell Blues」をリリースしますがは売れませんでした。1967年のファーストアルバム『More Than a New Discovery』もやはり売れませんでした。

この年にはモンタレーポップフェスティバルにも出演しています。「Wedding Bell Blues」を歌っている姿が映っています。この「Wedding Bell Blues」は皮肉なことに後にフィフス・ディメンション(The Fifth Dimension)がカバーして全米1位になります。また「And When I Die」ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ(Blood, Sweat & Tears、BS&T)がカバーして全米2位になりました。

 

1968年にはセカンドアルバム『イーライと13番目の懺悔(Eli and the Thirteenth Confession)』をリリースします。

ここからやはりフィフス・ディメンションがカバーした曲がヒットし、ローラ・ニーロの名前はますます知られるようになりました。また「Eli's Comin’」スリー・ドッグ・ナイト(Three Dog Night)で全米10位になりました。

 

1969年にはサードアルバム『New York Tendaberry』をリリースします。

ここでもフィフス・ディメンションバーブラ・ストライサンドのカバーでヒット曲が生まれました。

 

1970年に第4作目『Christmas and the Beads of Sweat』がリリースされます。

ここではデュアン・オールマンがギターで参加、またマッスル・ショールズのミュジシャンたちも参加したアルバムになっています。プロデュースはラスカルズフェリックス・キャバリエ(Felix Cabaliere)です。

 

ここまでの4枚のアルバムから選曲されたのがローラ・ニーロ(Laura Nyro)/Her Greatest Hits』です。残念ながらCD化されていません。1972年の発売です。

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Side A

1.Wedding Bell Blues

2.Blowin' Away

3.Flim Flam Man(Hands Off the Man)

4.Stoney End

5.He's A Runner

6.And When I Die

 

Side B

1.Stoned Soul Picnic

2.Eli's Comin'

3.Sweet Blindness

4.Save The Country

5.Time And Love

6.Blackpatch

 

A面はすべてファーストアルバム『More Than A New Discovery』から選曲されています。

B-1、B-2、B-3はセカンドアルバム『イーライと13番目の懺悔(Eli and the Thirteenth Confession)』から

B-4、B-5はサードアルバム『New York Tendaberry』から

B-6は4thアルバム『Christmas and the Beads of Sweat』からのそれぞれ選曲になります。

 

A面をすべてファーストから選曲しているところが特徴です。一般的な評価ではセカンドとサードが彼女のベストといわれていますが(私も同感)、わざわざファーストから選曲しているのは、ファーストアルバムがほとんど知られていなかったにもかかわらず、カバーされてヒットした曲が多く含まれていたからだと推察します。

 

セカンドとサードはそれぞれ独自に聴いた方がいいかもしれません。それほど素晴らしい内容になっています。

 

ローラ・ニーロの曲はフォークともジャズともロックともソウルともゴスペルともいえません。独特のメロディです。また時折叫ぶように、時折語り掛けるように歌う唱法も独特です。どちらかというとリンダ・ロンシュタッドに近いかもしれません。きれいな歌声です。

 

1971年にローラ・ニーロは結婚し、5作目のアルバム『Gonna Take a Miracle』を発表して引退を表明します。

これは全曲R&Bのカバー曲です。

 

僅か24歳での引退表明。どうやら夫の希望だったようです。3年後には離婚、子供も出来ました。

 

そして5年後の1976年に『Smile』で復帰します。

 

ジョニ・ミッチェルがジャズに向かったように、ローラもジャズアルバムでカムバックしました。

 

その後も音楽活動を続けますが、1997年に卵巣がんのため亡くなりました。49歳でした。

 

シンガーソングライターと呼ばれるアーティストの中でもローラ・ニーロはちょっと異質な存在でした。

 


Laura Nyro "Wedding Bell Blues"


Laura Nyro - He's A Runner


Laura Nyro - And When I Die


Laura Nyro - Eli's comin'

 

 

それでは今日はこの辺で。