Flying Skynyrdのブログ

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ロウエル・ジョージと『リトル・フィート(Little Feat)/デキシ―・チキン(Dexie Chicken)』

ロサンゼルス出身のロウエル・ジョージが作ったバンドリトル・フィート(Little Feat)』です。L.A出身ですが『リトル・フィート』の作り出す音楽はサザンロックに近いです。それは後から触れるメンバー構成にも多分に影響されています。

ロウエル・ジョージ(Lowell Thomas George,vo,g)は1965年頃からバンドを結成したりして音楽活動を開始しましたが、1968年にフランク・ザッパのマザーズ・オブ・インベンションにギタリストとヴォーカルで参加しました。さらにフランク・ザッパのソロアルバムにも参加しました。しかし、ドラッグ嫌いのザッパはロウエル・ジョージが歌う「Willin'」が気に入らず、馘になる前に自分のバンドを作ったらとアドバイスされ、ちょうどオーディションに来ていたビル・ペイン(Bill Payne,key,vo)と意気投合し「リトル・フィート」を結成することになりました。

同じくマザーズにいたロイ・エストラダ(Roy Estrada,b)フラタニティ―・オブ・マンにいたリッチー・ヘイワード(Richie Hayward,ds)を加え正式にスタートしました。1970年のことでした。

1971年にファーストアルバムLittle Featを発表します。ついで1972年にはセカンドアルバムSailin' Shoesを発表します。しかし、一部では騒がれたものの、一般的な成功までとはいきませんでした。ここで、ロイ・エストラーダが脱退します。代わりにデラニー&ボニーにいたケニー・グラッドニー(Kenny Gladney,b)が加わり、さらに彼の紹介でサム・クレイトン(Sam Clayton,perc,vo)、それにポール・バリアー(Paul Barrere,g,vo)も加わり、新生「リトル・フィート」がスタートします。新メンバー3人のうちケニーとサムはアメリカ南部ルイジアナ出身で、これが前述したリトル・フィートがサザンロックに近い音楽性を持ったバンドになる要因でした。

そして1973年にサードアルバムDexie Chickenが発表されます。

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Side A

1.Dixie Chicken

2.Two Trains

3.Roll Um Easy

4.On Your Way Down

5.Kiss It Off

 

Side B

1.Fool Yourself

2.Walkin' All Night

3.Fat Man in the Bathtub

4.Juliette

5.Lafayette Railroad

 

プロデュースはロウエル・ジョージです。バックグラウンド・ヴォーカルにボニー・ブラムレットやボニー・レイットが参加しています。

 

リトルフィートのレコードが日本で発売されたのは、実はこの次の作品Feats Don't Fail Me Now(アメイジング!)からでした。それだけ注目されていなかったということでしょう。ところがこの『Dixie Chicken(デキシ―・チキン)』がアメリカでも注目を集め、急遽日の目を見ることになったのです。ちょうどサザンロックが注目されている時でしたので、渡りに船だったのでしょう。

オープニングから南部臭さプンプンです。ロウエル・ジョージのヴォーカルもそれによく合っています。ニューオリンズR&B、ファンク色の強いリズムに加え、ロウエル・ジョージのスライド・ギターが冴えわたります。

 

この後、バンドは1974年に4作目Feats Don't Fail Me Now(アメイジング!)、1975年には5作目The Last Record Albumと続けて良質なアルバムを発表します。この頃になると70年代後半の「ドゥービー・ブラザース」にも似たAORの雰囲気も交えるようになっていきます。

1977年の6作目Time Loves a Heroになると、ロウエル・ジョージのドラッグ漬けの影響で曲も2曲どまりで、バンドのメンバーとの意見の食い違いも顕著になってきます。その間発売された2枚組ライブアルバムWaiting for Columbusはロウエル・ジョージも元気で素晴らしい内容になっています。

1979年にロウエル・ジョージはソロアルバムThanks I'll Eat It Hereを発表してバンドの解散を宣言します。

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しかし、この直後、ロウエル・ジョージは心臓発作で34歳の若さで亡くなります。ドラッグの影響でしょう。

1978年の中野サンプラザでの日本公演で観たロウエル・ジョージの姿が最後となりました。

 

残されたメンバーはロウエル・ジョージが取り残していた録音と追加のレコーディングを行い、アルバムDown on the Farmとしてリリースします。

ここでロウエル・ジョージの「リトル・フィート」は事実上終焉となります。その後1988年に残ったメンバーにクレイグ・フラーが加わり再結成されました。現在もメンバーを入れ替えながら活動しています。

 

ロウエル・ジョージの楽曲はリンダ・ロンシュタットグラム・パーソンズ、サンディ―・デニーをはじめ数多くのミュージシャンに取り上げられ、またグレイトフル・デッドのプロデュースやギタリストとしてニルソン他数多くのレコーディングにも参加しています。ロック界における影響力は多大なものが有りました。

 

なお、2作目からアルバムジャケットのイラストを担当していたのがネオン・パークで、このデザインが実に面白くて、ジャケ買いした人も結構いるのではないでしょうか。

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Little Feat - Dixie Chicken

 


Little Feat ~ On Your Way Down


Little Feat / Rock and Roll Doctor - リトル・フィート / ロックンロール・ドクター( 『ラスト・レコード・アルバム』ツアー 1976))

 

それでは今日はこの辺で。

『ラヴィン・スプーンフル(Lovin' Spoonful)』で癒されましょう。

今日は1960年代半ばに彗星のごとく現れ、心温まる音楽を提供し、あっという間に去っていったニューヨークの都会的バンド、ラヴィン・スプーンフル(Lovin' Spoonful)』です。

ラヴィン・スプーンフル』はハーピストジョン・セバスチャン(John Sebastian)とギタリストのザル・ヤノフスキ―(Zal Yanovsky)が当時二人が所属していたマグワンプスというグループを離れて作ったバンドです。マグワンプスにはママキャス・エリオットとデニー・ドハーティなどもいて、残ったメンバーがママス&パパスを結成します。

ジョンとザルはドラムスのジョー・バトラー(Joe Butler)とベースのスティーヴ・ブーン(Steve Boone)を加えて1965年に「ラヴィン・スプーンフル」を結成します。

彼らの音楽性は多様で、中でもフォークミュージックの色彩が強く、またブルースの影響も相当にありました。そしてジャグバンド風なのが魅力の大きな要因になっているのかもしれません。

1965年にシングル「魔法を信じるかい(Do You Believe In Magic」でいきなりの大ヒットを飛ばします。ちょうどこのころのアメリカはボブ・ディランがフォークからロックへ、そしてバーズのデビューとフォークロックが花開いた時期でした。

そして同年ファーストアルバムDo You Believe In Magic(魔法を信じるかい)がリリースされ一躍スターダムにのし上がりました。

タイトル曲は軽快なタッチでいかにもヒットしそうなポップスにんっています。しかしながら単純にフォークロックだけで終わらないのがこのグループの面白さで、ブルースを何曲も取り入れているのです。しかもそのブルースもちょっと垢抜けた?ブルースに仕上げているところが都会的です。この辺がバーズとは違うところでしょう。

 

翌年、セカンドアルバムDaydreamをリリースします。

 セカンドになると、オリジナルが一気に増えます。前作の半分ほどがトラディショナルだったのに比べ大きな変化です。タイトル曲は全米1位の大ヒットなりました。ほんわかして本当に癒されます。このアルバムでもまたブルースは忘れていません。

 

同年、サードアルバムHums of the Lovin' Spoonfulがリリースされます。

このアルバムからは4枚のシングルが発売されますが何といっても「Summer In The City」でしょう。もちろん全米1位で、スプーンフル最大のヒットになりました。この曲で日本でも人気になりました。また多くの人にカバーされました。とにかく、フォークブルース、ジャグ・バンド・ミュージック、ロックンロール、R&B、そしてカントリーと、これらを見事に融合させました。

 

ここでザル・ヤノフスキ―が麻薬で逮捕され脱退してしまいます。代わりにモダン・フォーク・カルテットのジェリ―・イエスター(Jerry Yester,g)が参加して4枚目のアルバムEverything Playingをリリースします。1967年です。

 このアルバムからもシングルが4曲発売されますがそれまでの勢いはなくなりました。それでも「Six O'Clock」や「Younger Generation」などは名曲です。ジョン・セバスチャンウッドストック・フェスティバルでこの「Younger Generation」を弾き語りで歌いました。ラストの「Close Your Eyes(瞳をとじて)」は解散を予期していたような、切なく寂しい曲です。

 

この後、ジョン・セバスチャンが脱退すると、バンドは立ちいかなくなり実質上の解散となります。1968年にはジョー・バトラーの実質上のソロアルバムが「ラヴィン・スプーンフル」名義で発表されました。

その他にフランシス・コッポラの映画大人になれば(You're a Big Boy Now)のサウンドトラックが出ています。

 

これほどの洗練された音楽を提供しながらもわずか3年で解散となりました。

その後ジョン・セバスチャンは70年代に5枚のソロアルバムを発表しています。

       

 

 

なお、昔購入したラヴィン・スプーンフル カーマストラ・BOX』という4枚組のCDボックスがあって、カーマストラ時代の音源がすべて収録されています。ジョン・セバスチャンのシングルや映画のサントラまで入っています。今では廃盤のようです。これは今では貴重ですね。

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The Lovin' Spoonful - Do You Believe In Magic (HQ)

 


Lovin' Spoonful - Daydream


The Lovin' Spoonful - Summer In The City (1966)


The Lovin' Spoonful - Younger Generation (HQ)

 

それでは今日はこの辺で。

アーサー・リー(Authur Lee)と『ラヴ(Love)/フォーエヴァー・チェインジズ(Forever Changes)』

今日取り上げるのは、ビートルズ『サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』ビーチ・ボーイズ『ペット・サウンズ』ローリング・ストーンズ『べガーズ・バンケットと並び称されるほどの傑作アルバム、『ラヴ』『フォーエヴァー・チェンジズ』です。

『ラヴ』は1965年にロサンゼルスで黒人アーサー・リー(Authur Lee)によって結成されました。当初のバンド名はグラス・ルーツというものでしたが、同名のバンドが既に存在することが判明し、止む無く『ラヴ』に変更しました(グラス・ルーツはその後日本でもヒット曲を出しました)。『ラヴ』はサイケデリック時代の寵児でした。音楽性やルックスも際立って異色でした。音楽はフォーク、ロック、ジャズ、ブルース、クラシック、ポップスなどなどを取り入れ、様々な実験的アプローチを試みました。

また数々のアーティストに影響を与えました。レッド・ツェッペリンロバート・プラントは『ラヴ』の音楽が彼らに与えた影響は大きいと述べています。さらに数多くのミュージシャンが『ラヴ』の楽曲をカバーしています。例えばフーターズ、UFO、ダムド、ムーヴ、アリス・クーパービリー・ブラッグなどなど。ローリング・ストーンズも彼らのライヴを観て感動し、アルバム『アフターマス』の「ゴーイング・ホーム」を作ったようです。セカンドアルバムでプロデュースをしているポール・ロスチャイルド(ドアーズのプロデューサー)は「ドアーズは間違いなくラヴの影響を受けている」と話しています。

 

当初のメンバーは

アーサー・リー(Arthur Lee,vo,g,p,harp,ds,perc)

ブライアン・マクリーン(Bryan Maclean,g,vo)

ジョン・エコールス(John Echols,g)

アルバン・”スヌーピー”・プフィステラ―(Alban "Snoopy" Pfisterer,ds)

ケン・フォーシィ(Ken Forssi,b)

セカンドから

マイケル・スチュアート(Michael Stuart,ds)

セカンドのみ

ティジェイ・キャントレリィ(Tjay Cantrlli,sax,flute)

という構成でサードアルバムまで続きます。

 

1966年にファーストアルバム『Love』でデビューします。この中から「My Little Red Book」がヒットし、アルバムも15万枚を売り上げ最高52位を記録しました。また、バーズのレパートリーだった「Hey Joe」も取り上げており、この後ジミ・ヘンドリックスも取り上げています。ジミヘンも彼らに大きな影響を受けています。

 

翌1967年にはセカンドアルバム『Da Capo』をリリースします。ここではロック史上初のLPの片面を費やす20分の大作「Revelation」や彼らの一番のヒット曲「7And 7Is」が含まれています。この曲はアリス・クーパービリー・ブラッグにカバーされています。また「She Comes In Colors」はストーンズの「She's A Rainbow」のヒントになっています。

 

そして同年、問題のForever Changesがリリースされます。

Side A

1.Alone Again Or 

2.A House Is Not a Motel

3.Andmoreagain

4.The Daily Planet

5.Old Man

6.The Red Telephone

 

Side B

1.Maybe the People Would Be the Times or Between Clark and Hilldale

2.Live and Let Live

3.The Good Humor Man He Sees Everything Like This

4.Bummer in the Summer

5.You Set the Scene

このアルバム、当初はニール・ヤングが共同プロデュースで名前を連ねていましたが、途中で降板し、A-4のアレンジのみで参加しています。プロデュースはこれもドアーズのプロデュースを手掛けるブルース・ボトニックです。

 

A-1はスパニッシュギターで始まり、ストリングスが被ってきます。当時ロックにストリングスなどは珍しい試みでした。まさに音の宝石箱です。

A-2はサイケデリックロックです。ベトナム戦争の退役軍人の話を題材にしています。

A-3はきれいなバラード調の曲。

A-4はバッファロースプリングフィールドにも通じるフォークロック。

A-5はストリングスとホーンを入れた曲で、マクリーンの優しいヴォーカルが聴ける。

A-6はサイケ調の不思議な曲。

B-1はブラスを取り入れたロック。これも当時としては珍しいブラスロックです。

B-2はハーモニーのきれいなフォークロック。

B-3はゆったりとしたムーディーな曲。ここでもストリングスがふんだんに取り入れられています。

B-4はボブ・ディランのような字余りヴォーカル。単調なリズムが逆に心地よい。

B-5は「ラヴ」らしい7分に及ぶ大作。

 

このアルバムは全体的にアコースティカルな音作りになっています。メロディーは多彩で、まさに万華鏡のようです。

イギリスではチャート25位になりましたがアメリカでは154位どまりでさっぱりでした。

このあとアーサー・リーはバンドを解散してしまいます。リーを除く全員が麻薬中毒でどうにもならなくなっていたのです。バンドが活動中から、周りではメンバーが悪いからいずれはダメになるだろうとの噂が立っていました。

1968年にアーサー・リーは全く新しいメンバーを集めて再結成し1969年に4枚目のアルバムFour SailOut Hereを、1970年にはジミ・ヘンドリックスをゲストに迎えてFalse Startをそれぞれ発表します。それでもかつてのような音楽には及びませんでした。

その後、リーはソロアルバムを出したりしていましたが、2006年に白血病により60歳で亡くなりました。

「ラヴ」とアーサー・リーは多くのミュージシャンからは支持されましたが、バンドとしてはアンダーグラウンドの域を脱することはできませんでした。それでも2作目とこの『Forever Changes』は今でも傑作として語り継がれています。

初期の3枚のアルバムです。順に『Love』『Da Capo』『Four Sail』

       

 

コンピレーションはBOX CDセット『ラヴ・ストーリー』が素晴らしい。 『Foreever Changes』の曲は全曲収録されています。


Love - Alone Again Or (Original Version)


Love - Andmoreagain


Love - She Comes In Colours


Love - Seven and Seven Is

 

 

 それでは今日はこの辺で。

 

 

スモールが消えた『フェイセズ(Faces)』は

昨日の記事で書きましたように小さな巨人こと、スティーヴ・マリオットハンブル・パイ結成のため、スモール・フェイセイズを脱退したため、残されたロニー・レーン(Ronnie lane,b,g,vo)、イアン・マクレガン(Ian MacLagan,key)、ケニー・ジョーンズ(Kenny Jones,ds)ジェフ・ベック・グループを脱退したロッド・スチュアート(Rod Stewart,vo)ロン・ウッド(Ron Wood,g)を呼んで再スタートを切りました。1969年のことです。

 

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1970年に再スタート後第1弾を発表します。タイトル名もそれにふさわしくFirst Step』です。まだバンド名もスモール・フェイセズのままでした。

これは不思議なアルバムです。これまでのスモール・フェイセズとも違い、またこの後のフェイセズとも違う。ちょうどその過渡期にあたるアルバムです。いきなりボブ・ディランのカヴァーから始まり、ロニー・レーンの泥臭いカントリー・ブルースやジェフ・ベック・グループではベースを弾いていたロン・ウッドがスライドギターを弾くまくり、そしてなんといってもロッド・スチュワートのしゃがれヴォーカルでのロックンロールとバラードが聴きごたえがあります。全体的には中途半端感がまだありました。

 

翌1971年にはバンド名もフェイセズになって新バンドとしてのセカンドアルバム『Long Player』をリリースします。

   

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ライブ2曲を含むアルバムです。前作同様泥臭さを残しながらもポール・マッカートニーの曲をカバーするなどポップな面ものぞかせます。ここでもロン・ウッドのスライドが炸裂します。ジェフ・ベック時代によほどストレスがたまっていたのでしょうか。ロッドのロックンロールとバラードが凄い。やっぱりうまい。なお、このアルバム、レコードジャケットは違っていました、というか色々な種類があったように記憶しています。

 

同年、傑作アルバムA Nod Is as Good as a Wink...to a Blind Horse(馬の耳に念仏)をリリースします。

ここにきてフェイセズがはじけます。大ヒット曲「Stay With Me」を含んだロックンロールアルバムです。中に挟まるロッドのバラードもまたいい。しかし、このあたりからロニー・レーンの音楽性のロッド、ロンとの違いが目立ってきます。

この頃には既にロッドはソロアルバムを何枚か出しており、フェイセズの活動とソロ活動は一体になっているようでした。ライブでもソロアルバムからの曲が多く取り上げられています。

 

少し間隔が空いて1973年にアルバムOoh La La (ウー・ラ・ラ)がリリースされます。

フェイセズとしての最後のスタジオアルバムとなってしまいました。ここに来るとロニー・レーンとロッド、ロンの方向性の違いが明確になってきます。ロニー・レーンのカントリー志向とロッド、ロンのロックンロール志向です。それとこの頃は既にフェイセズはロッドのバックバンドの様子を呈してきます、それにも嫌気がさしたのかロニー・レーンはこの後脱退して『スリム・チャンス』を結成します。『スリム・チャンス』を通してやりたかった音楽がここに現れています。またその後ザ・フーピート・タウンゼントと傑作アルバム『Rough Mix』をリリースしています。しかし、このアルバム制作後多発性硬化症を発症し1997年に亡くなりました。51歳でした。

なおこのアルバム、レコードでは顔が動きました(目と口)。

 

ロニー・レーンの後釜に日本人ベーシストで「フリー」にも在籍した山内テツが加入しライブアルバムCoast to Coast: Overture and Beginnersを発表します。1974年です。

このアルバムではバンド名が『ロッド・スチュワート/フェイセズ』となっていました。ロッドのソロアルバムからのナンバーが多く、バンド名のとおりにロッドのバックバンドのようになっています。ジミヘンやジョン・レノン、ジュディ・コリンズなどの曲をカバーしています。このアルバムは評判は悪いですが、結構楽しめます。

フェイセズロッド・スチュワートの1970年代の日本公演は両方とも行ったはずなのですが、記憶が混同してどうだったのか思い出せません。

 

この翌年、バンドは解散します。当然のような解散でした。

ロッド・スチュワートはソロ活動で大成功。

ロン・ウッドはミック・テイラー脱退後のローリング・ストーンズへ。

ケニー・ジョーンズはキース・ムーン亡き後のザ・フーに参加。その後はセッションマンとして活躍。

イアン・マクレガンはストーンズをはじめ多くのセッションに参加し、2002年にはビリー・ブラッグのバンドにも参加、さらに2008年からは自身のバンド『Ian McLagan & the Bump Band』も結成しましたが2014年に脳卒中で死去、69歳でした。

 

2009年にロッドとロニーを除くメンバーでチャリティーライブを行い、2010年にはミック・ハックネルとピストルズのグレン・マトロックを加えて正式に再結成しました。現在の活動状況は不明です。

 

ロッド・スチュワートのソロアルバムについては、またいずれかの機会に書きたいと思います。とにかくロッドのステージアクションはカッコいいです。

 


Faces "Stay With Me"

 


Rod Stewart & Faces-Angel #10.*Top Of The Pops 70s*

 


The Faces - (I Know) I'm Losing You live at the BBC

 


The Faces - Maybe I'm Amazed

 

それでは今日はこの辺で。

スティーヴ・マリオットと『ハンブル・パイ(Humble Pie)/スモーキン(Smokin')』

小さな巨人こと、スティーヴ・マリオット(Steve Marriott)は1960年代後半、スモール・フェイセズ(Small Faces)ロニー・レイン(Ronnie Lane)と共に結成。このグループにはケニー・ジョーンズ(Kenney Jones)イアン・マクレガン(Ian McLagan)が参加していました。そうです、フェイセズ(Faces)の前身です。

スモール・フェイセズザ・フーと並んでモッズ族バンドの代表選手になりました。

スティーヴはピーター・フランプトン(Peter Frampton)をグループに加入させようとしましたがメンバーの反対に遭い断念。代わりにフランプトンにグレッグ・リドリー(Greg Ridley)ジェリー・シャーリー(Jerry Shirley)を紹介します。フランプトンもバンドを結成しようとしていたので渡りに船で受け入れ、スティーヴ・マリオットも他のメンバーとの軋轢が強まり、脱退しフランプトンのグループに参加します。

こうして1969年に正式に『ハンブル・パイ(Humble Pie)』としてスタートします。

メンバーは

ピーター・フランプトン(Peter Frampton,g, vo, key)

スティーヴ・マリオット(Steve Marriott,g,vo,key)

グレッグ・リドリー(Greg Ridley,b,g,vo)

ジェリー・シャーリー(Jerry Shirley,ds,key)

でスタートします。

 

1969年にファーストアルバムAs Safe as Yesterday Is 』をリリースします。シングルの「ナチュラル・ボーン・ブギー」は全英5位のヒット曲になりました。アルバムの評判も良好でした。

セカンドアルバムTown And Country』も同年にリリースされました。前作から比べるとアコースティックサウンドが多くなりました。これはピーター・フランプトンの影響力だと思います。

1970年にそれまでのレコード会社イミディエイトが破綻、A&Mに移籍しました。そして3作目Humble Pieを、1971年には4作目Rock On』リリースします。

同年、世紀の2枚組ライブアルアムPerformance Rockin' The Fillmore 』をリリースしますが、既にこの時点でスティーヴとピーターフランプトンの目指す音楽性の違いが明確になってしまいました。スティーヴはブルース、ソウル、R&B路線を、ピーター・フランプトンはもう少しポップでアコースティカルなサウンドを目指すという違いです。ピーター・フランプトンは脱退後、フランプトンズ・キャメルを結成し、実質ソロ活動をし、1976年には『Frampton Comes Alive!』で大ヒットを飛ばし、大成功を収めます。全世界で1000万枚を超える驚異的な大ヒットです。

 

ハンブル・パイの方はフランプトンの後任にコロシアムのクレム・クレムソン(David "Clem" Clempson,g,key.vo)を後任に迎えます。そして発表されたのがSmokin'です。1972年でした。

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Side A

1.Hot 'N' Nasty

2.The Fixer

3.You're So Good To Me

4.C'mon Everybody

5.Old Time Feelin'

Side B

1.30 Days In The Hole

2A.Road Runner

2B.Road Runners 'G' Jam

3.I Wonder

4.Sweet Peace And Time

 

ゲストミュージシャンとして

アレクシス・コーナー(Alexis Korner,mandlin,g,vo)

スティーヴン・スティルス(organ,vo)

マドリーヌ・ベル(Madeleine Bell,vo)

ドリス・トロイ(Doris Troy,vo)

 

アレクシス・コーナーはご存じブリティッシュ・ロック界の大御所。スティーヴン・スティルスバッファロー・スプリングフィールド、CSN&Y、マナサスでおなじみ。

 

A-1はクレム・クレムソンのオルガンをフィーチャーし女性バックヴォーカルを配しソウルフルなナンバーになっています。スティーヴィのヴォーカルは抜群です。

A-2はヘヴィーなブルース・ロック。スティーヴのギターが冴えます。

A-3はメロディックながらアメリカ南部を思わせるソウルフルなナンバー。

A-4はおなじみエディ・コクランの曲。カッコよくカバーされています。UFOもかばーしていましたね。

A-5はトラディショナルなアコースティック・カントリーブルースナンバー。こういう曲を挟んでくるところが心憎い。

B-1はミスター・ビッグもカバーしたヒット曲。ストーンズを思わせるような曲。

B-2はジュニア・ウォーカーのヒット曲。ブルース風なアレンジが冴えています。

B-3はハンブル・パイらしいヘヴィーでハードなブルースロックナンバー。セシル・グラントとレイモンド・リーヴンの作品。

B-4は前曲と同様ヘヴィーなハードロック。

 

この後ハンブル・パイは1973年に2枚組のEat Itを発表。2枚組レコードの内、3面がスタジオ、1面がライブという変則的なアルバムです。

1974年、1975年にはそれぞれThunderbox』『Street Ratsを発表しますが、『Smokin'』には程遠い出来でした。『Eat It』のライブ面は聴きごたえ十分です。

ここで、スティーヴは一旦解散を決断します。スティーヴはスモール・フェイセスを再結成します。1977年のことです。しかしこれも2枚のアルバムを発表して解散します。

そして1980年にメンバーを一新しハンブル・パイを再結成します。新メンバーはジェフ・ベック・グループのボブ・テンチ(Bob Tench)アンソニージョーンズ(Anthony Jones)です。しかしながら、2枚のアルバムを出してまたもや解散します。

 

その後1990年に入ると、ピーター・フランプトンと再会し、また一緒にやろうと意気投合しましたが、1991年に自宅の火災で焼死してしまいました。44歳でした。

フランプトンを加えてのハンブル・パイの再結成は幻に終わりました。

 

ハンブル・パイの代表的アルバムです。順にファーストから5作目です。

      

 

 ピーター・フランプトンの代表作、『Comes Alive!』です。

フランプトンは67歳、元気です。

 


Humble Pie - C'mon Everybody


Humble Pie - Smokin' - 07 - Road Runner


- Humble Pie - Honky Tonk Women - 1972 -

 

ついでにフランプトンも


Peter Frampton, Show Me the Way

それでは今日はこの辺で。

『Delaney & Bonnie & Friends On Tour With Eric Clapton』 4CD 購入

昨年の暮れ頃に紹介したデラニー&ボニーについて新たにCDを購入したので紹介します。

lynyrdburitto.hatenablog.com

ラニー&ボニーの『Delaney & bonnie & Friends On Tour With Eric Clapton』が発売されたのが1970年で、1969年のラニー&ボニーとその仲間たちにエリック・クラプトンが加わってヨーロパツアーをした時の模様をレコード化したアルバムでした。

ラニー&ボニーは当時スワンプミュージックとして話題になっていたアーティストで、クラプトンなどもちょうどブラインド・フェイスを解散して南部の音楽を求め、彼等と親交を深めていきました。

 

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そのレコードが何年か前にライノ・レコード(RHINO)から『Delaney & bonnie & Friends On Tour With Eric Claptonのデラックスエディションとして発売されました。
「delaney & bonnie & friends on tour with eric clapton」の画像検索結果

この時は、値段もデラックスで1万数千円しました。止む無く断念しました。

 

それがこの度、同じくライノから2千円程で発売されました。

パッケージはコンパクトになってしまいましたが、音源はそのままで4枚組です。これは買わない手はありません。早速購入しました。

 

内容を紹介します。

 

【DISC 1】(Live at Royal Albert Hall on 12/1/1969)

  1. Intro/Tuning
  2. Opening Jam
  3. Gimme some Lovin'
  4. Band Introductions
  5. Only You Know And I Know
  6. Medley: Poor Elijah/Tribute To Johnson
  7. Get Ourselves Together
  8. I Don't Know Why
  9. Where There's A Will, There's A Way
  10. That's What My Man Is For
  11. Medley: Pour Your Love On Me/Just Plain Beautiful
  12. Everybody Loves A Winner
  13. Things Get Better
  14. Coming Home
  15. I Don't Want To Discuss It
  16. Little Richard Medley: Tutti Frutti/The Girl Can't Help It/Long Tall Sally/Jenny Jenny
  17. My Baby Specializes (Live at Royal Albert Hall on 12/1/1969)

 

【DISC 2】 (Live at Colston Hall on 12/2/1969)

  1. Intro/Tuning
  2. Opening Jam
  3. Gimme Some Lovin'
  4. Things Get Better
  5. Medley: Poor Elijah/Tribute To Johnson
  6. I Don't Know Why
  7. Medley: Pour Your Love On Me/Just Plain Beautiful
  8. Where There's A Will, There's A Way
  9. Coming Home
  10. Little Richard Medley: Tutti Frutti/The Girl Can't Help It/Long Tall Sally/Jenny Jenny
  11. I Don't Want To Discuss It
  12. Crowd/Announcement

 

【DISC 3】 (Live at Fairfield Hall on 12/7/1969 - 1st Show)

  1. Intro/Tuning
  2. Gimme Some Lovin'
  3. Introduction
  4. Things Get Better
  5. Medley: Poor Elijah/Tribute To Johnson
  6. I Don't Know Why
  7. Where There's A Will, There's A Way
  8. That's What My Man Is For
  9. I Don't Want To Discuss It
  10. Coming Home

 

【DISC 4】 (Live at Fairfield Hall on 12/7/1969 - 2nd Show)

  1. Intro/Tuning
  2. Gimme Some Lovin'
  3. Pigmy (Instrumental) [Live at Fairfield Hall on 12/7/1969 - 2nd Show]
  4. Introductions
  5. Things Get Better
  6. Medley: Poor Elijah/Tribute To Johnson
  7. Only You Know And I Know
  8. Will The Circle Be Unbroken
  9. Where There's A Will, There's A Way
  10. I Don't Know Why
  11. That's What My Man Is For
  12. Coming Home
  13. Little Richard Medley: Tutti Frutti/The Girl Can't Help It/Long Tall Sally/Jenny Jenny

ツアーメンバーは

ラニー・ブラムレット(Delaney Bramlett ,vo,g)

ボニー・ブラムレット(Bonnie Bramlett,vo)

エリック・クラプトン(Eric Clapton,g)

デイヴ・メイソン(Dave Mason,g)

カール・レイドル(Carl Radle,b)

ジム・ゴードン(Jim Gordon,ds)

ボビー・ウィットロック(Bobby Whitlock,key)

ジム・ホーン(Jim Price,horn)

ボビー・キース(Bobby Keys,horn)

テックス・ジョンソン(Tex Johnson,perc)

リタ・クーリッジ(Rita Coolidge,vo)

※disk3,4のクロイドンでのショーにおいてはMysterioso(ジョージ・ハリスンの変名)も出演。

 

オリジナルのレコードは【DISC 3】と【DISC 4】からの編集のようです。

 

デラボニのソウルフルなヴォーカルが堪能できます。クラプトンはあくまでも控えめです。大音量で聴くとすっきりします。

ライナーノーツには貴重な話がたくさん書いてあるようですが、なにせ英語に疎い私には荷が重いです。残念です。

 

話はちょっとそれますが、このレコードがリリースされた年に、デイヴ・メイソンのファーストソロアルバム『Alone Together』が発売されますが、そのレコーディングメンバーはほぼこのツアーメンバーと重なります。そのデイブ・メイソンのアルバムのオープニングの曲に「Only You Know And I Know」を持ってきています。

lynyrdburitto.hatenablog.com

 

レコード盤だけで我慢していればいいものを、こういうものが出るとつい買ってしまうという悲しい性(サガ)です。

 


DELANEY & BONNIE AND FRIENDS /// 7. Comin' Home - (On Tour With Eric Clapton) - (1970)

 


Delaney & Bonnie & Friends - "Things Get Better"

 


Delaney & Bonnie with Eric Clapton - Only You Know And I Know 1969

 

それでは今日はこの辺で。

映画『ローズの秘密の頁(ページ)』を観る

今日のキネ旬シアターは『ローズの秘密の頁(ページ)』でした。

画像検索結果

 

監督・脚本:ジム・シェリダン

主演:ヴァネッサ・レッドグレイヴルーニー・マーラエリック・バナ

制作:アイルランド 2018年公開(日本)

 

完全ネタバレ

例によって、事前情報皆無で観に行きました。

ストーリーはというと、ローズ・マクナルティは精神病院に40年以上入院しています。その病院が取り壊されることになり、転院のための診察を任されたグリーン医師はローズが過去に我が子を殺している容疑があることを知らされます。

 

ローズは頑なに転院を拒みます。しかし病院側は強制的に荷物を片付け転院させようとします。ローズは聖書を返してくれと頼みます。グリーン医師が自分の責任で彼女を診察するからと病院側を説得し、荷物を取り返します。

 

その聖書の隙間には彼女の日記が綴られていました。グリーン医師はそれに興味を持ち、ローズを診察し始めます。やがてローズはグリーンと看護師に自分の過去を語り始めます。

 

1940年頃、ローズは空襲が激しくなってきた都会を離れ、アイルランドに住む叔母に引き取られます。アイルランドはローズの故郷でもあります。彼女は叔母が経営するホテルで働き始めます。

そして近所の家の酒屋の息子マイケル・マクナルティと知り合います。お互いに惹かれ合いますが、マクナルティはイギリス空軍のパイロットを志願して、戦地へ赴いてしまいます。

マクナルティ家はイギリス寄りだと近所からも疎んじられていました。

そんな彼女に神父のゴーントが近づきます。初めはローズもゴーントに興味を持ちますが、その執拗さに嫌気がさして避けるようになります。彼女は他の男たちにも人気があり、ゴーントはその男たちに喧嘩を売り、町の噂になってしまいます。叔母は怒ってローズを片田舎のあばら家に一人住まいをさせてしまいます。

そんな時、ローズの家の近くに飛行機が墜落します。パイロットは一命を取り留めますが、そのパイロットがなんとマイケルだったのです。ローズの手厚い看病でマイケルは回復し、軍に戻るという朝、ローズは「行かないで」と縋ります。マイケルも同じ気持ちでいました。そして二人は結ばれ、結婚します。しかし、その後アイルランドの若者たちに見つかり連行されてしまいます。

ゴーントはさらにしつこくローズに纏わりつきます。それでも受け入れないローズを「色情狂」のレッテルを貼り強制的に精神病院に収容させてしまいます。ローズはそこで完全に精神病患者としてひどい扱いを受けることになります。

ゴーントはマイケルは死んだとローズに告げますがローズは信じません。やがて自分の妊娠を知ります。しかしここでは生まれた子供は養子に出されてしまうことを知ります。

臨月になってローズは病院を抜け出します。そして泳いで小島にたどり着きそこで出産します。追ってきた警官やゴーント神父はローズが石で赤ん坊を撲殺するところを目撃したと証言します。ローズに子殺しの容疑がかかります。

しかしローズはそれを憶えていません。電気ショックを受けさせられ、記憶が亡くなってしまったのです。男の子だったいう事だけは憶えており、もちろん殺してなどいないと主張します。そしてローズは息子が迎えに来ることを頑なに信じています。

 

映画の最終局面でローズとグリーン医師とゴーントの関係が明らかになってきます。

ローズの診察をグリーン医師に依頼したのはゴーント神父だったのです。そして日記にあるローズが子供を産んだ日はグリーン医師の誕生日と同じだったのです。グリーン医師が亡くなった父親の書棚を調べると自分あての遺書が見つかりました。

ローズの子供をゴーント神父から養子として育てて欲しいと頼まれたことが書かれてありました。

グリーン医師は売却予定の父親の家の売却を止め、そしてローズを迎えに行きました。ローズはグリーン医師の父親の遺書を見てすべてを悟りました。

 

この映画は2008年のセバスチャン・バリーの人気小説『The Secret Scripture』の映画化です。アイルランドでは酷評されたようですが、なかなか面白い映画でした。

 

第2次世界大戦当時のイギリスとアイルランドの関係性が描かれています。イギリスがアメリカと手を組んだのに対し、アイルランドはあくまでも中立を貫きます。マクナルティは非国民扱いされますが、アイルランドの中にもこのような人間はいたのでしょう。現にアイルランドからもイギリス軍に加わった義勇軍がいましたから。

また、精神病院での患者の扱いの惨たらしさも驚きです。まるで人間扱いされていません。今、このようなことが明るみになったら一斉に叩かれるでしょう。とはいっても、少し前までの日本でも、そういった差別は日常茶飯事でしたし、病人や老人をベッドに縛り付ける施設などはよく耳にしましたし、当たり前に存在していました。今でもそれはあるのです。

プロテスタントカトリックのこともちょっと出て来ました。ローズは聖書命ですからプロテスタントです。ゴーント神父は神父というくらいですからカトリックです。アイルランドカトリック系が大半です。2人が結婚式を挙げた時に、マイケルが教会で神父様と言ったら私は牧師です、形式なんて関係ないんですと言った具合でざっくばらん。この違いがまたおもしろいです。ローズが妊娠しても中絶させられなかったのは宗教の違いだったのでしょう。

 

映画というのはその国の歴史や文化を映像で体現できるという楽しみがあって、やはり面白いのです。

 

ローズを演じた2人の女優。若かりし頃のローズはルーニー・マーラです。この人の映画は最近では『キャロル』を観ました。透明感のある不思議な魅力を持った女優です。この演技には引き込まれます。

老いたローズはなんとあのヴァネッサ・レッドグレイヴです。配役を見て初めて気が付きました。全然わかりませんでした。それもそのはず、私が感動した映画『欲望』を観てから、はや4十数年が経ちます。やっぱり年老いても魅力があります。81歳とのこと。

 

最後に『月光』の調べが哀しかったです。

 


『ローズの秘密の頁(ぺージ)』予告

 

それでは今日はこの辺で。