私は子供の頃から本好きだったわけではありません。むしろ小学校の頃は遊ぶのに忙しく、本を読まされるのも煩わしかったほうです。『世界少年少女文学全集』などと言うものを買い与えられたものの、さっぱり読まなかったと思います。感動したのは『フランダースの犬』ぐらいだったのではないでしょうか。『三銃士』や『ああ無情』などを読んでもさっぱり記憶に残りませんでした。後年になってから読んだ『レ・ミゼラブル』には感動しましたが、小学校の低学年では無理があったのでしょう。
中学校に入ると読書量もやや増えましたが、部活の練習で疲れ果て、それほど熱心に読んでいたわけでもありませんし、もちろん読書少年でもありませんでした。読んでいたのはおそらく漱石や芥川龍之介などのいわゆる教科書に載っているような文学者の作品と探偵小説が多かったと思います。
それが高校生になるとガラリと変わりました。このあたりのことは以前の記事でも書きました。
そして何といっても、本を読むこと自体に熱心になったきっかけはやはり北杜夫だったのではないでしょうか。
当時、北杜夫という作家は若者に絶大なる人気がありました。私の周りにも北杜夫ファンがおりました。そうした連中の勧めで読んだのが『どくとるマンボウ青春期』です。
これには参りました。これは作者の旧姓松本高校時代から東北大学医学部時代のことを自身の日記を基に書かれたエッセイですが、夢中になって読みました。面白くて、しかも考えさせられる内容でした。自分と同じくらいの男がこんなにも物事を深く考えているのかと、驚かされると同時に自分の未熟さを思い知りました。旧制高校というものに対する憧れのようなものも生まれました。
それ以後、『どくとるマンボウシリーズ』の『航海記』や『途中下車』『昆虫記』などを読み漁りました。
その他、純文学系では『幽霊』『夜と霧の隅で』『天井裏の子供たち』など、またお笑い・ユーモア系では『高みの見物』『奇病連盟』、またファンタジー系の『怪盗ジバゴ』『さびしい王様』『さびしい姫』などを読み漁りました。特に『高みの見物』はゴキブリ版の「吾輩は猫である」で傑作でした。
そして、何といっても極め付きは『楡家の人々』です。
これは大正・昭和にかける一大叙事詩です。北杜夫こと斎藤宗吉の祖父・紀一、父・斎藤茂吉に至る、斎藤家にまつわる人たちの物語を、大正から戦前・戦後にかけての日本の社会情勢を重ね合わせながら描いていきます。ここに登場してくる人物は皆魅力的です。東京で広大な精神病院を開業している祖父の楡基一郎、長女の龍子と婿養子の徹吉、次女の聖子、三女の桃子、息子の欧州、米国、書生の熊五郎、入院患者のビリケンさんなどどれも皆興味深い連中ばかりです。そこへ忍び寄る戦争の影、一時は大隆盛を迎えた一家ですが、やがて時代の波に翻弄され没落の道をたどります。
この小説はとにかく面白くて、何度も読み返し文庫本まで購入してしまいました。昭和の大傑作だと思っています。
北杜夫は昭和35年に『夜と霧の隅で』で芥川賞を受賞しています。東北大医学部卒の精神科医です。船医時代のことを書いたのが『どくとるマンボウ航海記』です。また小さい頃は昆虫採集に夢中になったのも有名な話で『どくとるマンボウ昆虫記』はその頃の話です。
兄はやはり精神科医で有名なモタさんこと斎藤茂太です。父は精神科医兼歌人の斎藤茂吉。「楡家の人々」では精神科医としてだけ描かれており、文学者の姿はありません。小説では寡黙な研究者のように描かれていますが、実際は大変な癇癪持ちで食いしん坊だったようです。母親の斎藤輝子はテレビでも有名になりました。「楡家の人々」では長女の龍子ですが実際は次女だったようです。それこそ物凄くきつい女性として描かれていました。北杜夫の娘の由香はエッセイストで、その祖母のことを猛女と表現しています。
また、北杜夫は躁うつ病で、それを当然のように公にしていました。その話がまた面白おかしく表現するので暗さはありません。それが小説にもよく表れていて、純文学系の小説と、お笑い・ユーモア系の小説、さらにはファンタジー風な作品、そして童話とその作風は多様です。
一番影響を受けた作家はトーマス・マンだということは有名な話ですが、この『楡家の人々』もトーマス・マンの『ブッテンブローク家の人々』に影響されて書いたものでした。私も影響されて『ブッテンブローク家の人々』や『魔の山』も読みました。後にドストエフスキーなどに感動したのも北杜夫の影響だったと思います。仲良しの遠藤周作や佐藤愛子との対談も面白かったです。
2011年10月24日、84歳で亡くなりました。昭和を代表する作家であることは疑いないと思っています。我が青春の1ページを彩った作家でした。
話は変わりますが、本を引っ張り出して驚いたのですが『どくとるマンボウ青春期』の値段が360円だったのです。単行本がこんな値段で売られていたんだな、と思うと感慨深いものがあります。確か岩波新書が100円か150円だったと記憶しています。50年前のことです。長い年月が経ちました。
それでは今日はこの辺で。