Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

サンディ・デニーとフェアポート・コンヴェンション

今日はサンディ・デニー(Sandy Denny)について書いてみようと思います。4月21日が彼女の命日です。つまり明日です。亡くなってから39年、来年で40年です。31歳の若さでした。訃報を聞いたのは確か今頃の季節だったなとふと思い出したのです。

私が初めて彼女の存在を知ったのは、何気なく買ったフェアポート・コンヴェンション(Fairport Convention)の3rdアルバム『Unhalfbricking(アンハーフブリッキング)』でした。

特に期待もせずに買ったのですが、彼女のちょっとハスキーで透き通るような歌声に参りました。なかでも「Who Knows Where The Time Goes?(時の流れを誰が知る)」やボブ・ディランBob Dylan)の「Percy's Song」「Million Dollar Bash」「Si Tu Dois Partir」などもカバーしており素晴らしいアルバムでした。

サンディはフェアポート・コンヴェンションに2枚目のアルバムから参加しています。もとはザ・ストローブス(The Strawbs)のメンバーでしたがフェアポートの初代ボーカルのジュディ・ダイブル(Judy Dyble)(彼女もいいです)が脱退したため、その後任として参加します。

フェアポート・コンベンションはメンバーの入れ替わりが激しく、この当時はアシュリー・ハッチングス(Ashrey Huchings)、リチャード・トンプソン(Richard Thompson)、イアン・マシューズ(Ian Mattews)、デイヴ・マタックス(Dave Mattacks)、デイヴ・スウォーヴリック(Dave Swarbrick)あたりだっか。

サンディの参加アルバムはスタジオアルバムでは2nd『What We Did On Our Holidays(ホワット・ウィ・ディド・オン・アワ・ホリデイズ)』から4th『Leige And Lief(リージ・アンド・リーフ)』までで、ここで一度脱退します。

  

そしてのちにフェアポートのメンバーとなる連中らとフォザリンゲイ(Fotheringay)を結成するが結局1枚のアルバムを出し解散する。ちなみにこの時のメンバーのジェリー・ドナヒュー(Jerry Donahue)がのちに夫になる人です。

グループ解散後、サンディはソロアルバムを3枚発表します。いずれも素晴らしい出来です。

 

そして再びフェアポート・コンヴェンションの世界ツアーに参加したことからメンバーに復帰し、グループのスタジオアルバムとしては11枚目となる『Rising For The Moon(ライジング・フォー・ザ・ムーン)』を発表します。この中の「One More Chance」は私の中では名曲中の名曲です。

<

しかしこの後、再び彼女は脱退します。そしてソロアルバム『Rendezvous(ランデヴー)』を1枚発表します。

結局、これが遺作となってしまいました。知人宅で階段を踏み外して転落し亡くなりました。実に早すぎた死です。

サンディの死後、沢山のライブ音源、未発表音源(フェアポート時代も含めて)が発表されました。私もかなり追いかけました。それぞれのアルバムのデラックス・エディション、ボックスセットと次から次へと形を変えて出るので、当然ダブリも多いのですが、それでもついつい買ってしまうのですが、さすがに息切れがして最近は(今でも出続けています)なるべく手を出さないようにしています(ほとんど出きってしまったと思いますので)。コレクターにはなれません。

これだけ発売され続けるということはそれだけの価値があるミュージシャンだったということなのでしょう。

フェアポート・コンベンションはカテゴリーでいえばフォーク・ロックになるのでしょうがトラディショナル・フォーク、ケルティックなどメンバーの変遷によっていろいろな面が出ており、興味が尽きないグループです。一時活動を休止しましたが現在も元気に活動中です。

私個人としてはやはりサンディがいないフェアポートはちょっと物足りなく感じます。

かつてメンバーだったリチャード・トンプソン(Richard Thompson)

は脱退後ソロとして今でも活躍していますが彼のソロアルバムは好きです。

 

今日は「One More Chance」を聴いてサンディの冥福を祈ることにします。

 

 

 

 

 

閑話休題、桜のこと

今年の桜、開花から満開までが長かったですね。

2016年4月5日撮影           2017年4月13日撮影       

f:id:lynyrdburitto:20170418151223j:plain      f:id:lynyrdburitto:20170418151031j:plain

共に満開。今年は去年より1週間ほど遅いです。

 

ちなみに八重桜。

2015年4月16日撮影           2017年4月18日撮影     

f:id:lynyrdburitto:20170418151824j:plain  f:id:lynyrdburitto:20170418151856j:plain

ちょっと見にくいですが、共に満開。先週の木曜日には全然開花していなかったのですが、今日行ってみたら見事に満開。早いですね。あっという間の満開でした。例年はソメイヨシノの満開からしばらく期間があるのですが今年はソメイヨシノの満開からほどなく満開になりました。

今朝の嵐で少し散り始めています。           

フォークソング、岡林信康のことなど

私が初めて日本のフォークソングなるものに出会ったのは、確か中学生の頃に流行ったザ・フォーク・クルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」と高石友也の「受験生ブルース」だったと思います。当時は両方とも面白い曲だなあと感心しましたが、その程度の感想でした。その後TBSのテレビ番組『ヤング720』という番組に高石友也岡林信康なる人物を連れて出演しました。そして確か「チューリップのアップリケ」を唄ったと思います。なんて暗い歌なんだろうと思いました。当時それが被差別部落の歌などとは知らず、ただ貧乏な女の子の歌なんだというふうにしか思えませんでした(被差別部落の女の子の作文が元になっていた)。

やがて高校に進学して、誘われるままいろいろな集会などに参加すると、最後は大概は合唱で締めくくられるのですが、その時の歌が「友よ」だったり「We Shall Over Come」だったり「遠い世界に」だったりでした。それで「友よ」という歌は岡林信康が作った歌なのだということが分かったのです。ラジオの深夜放送などを聴いていると岡林の歌が数多くかかるようになってきました。そして岡林や高石、五つの赤い風船高田渡遠藤賢司、ジャックスなどの関西フォークと呼ばれる連中の歌を夢中で聴くようになりました。中でも岡林の歌にはどんどん引き込まれました。「くそくらえ節」「がいこつの歌」「山谷ブルース」「手紙」等々、当時の全共闘運動、学園闘争、ベトナム反戦運動、反差別運動などの社会情勢とマッチングしながら若者の間で多くの支持を得ました。新宿西口フォークゲリラなどもこの頃でした。岡林は「フォークの神様」と祭り上げられ絶大な人気を誇りました。しかし彼はその人気のプレッシャーやプロテストソングの欺瞞性や弾き語りフォークの限界などから蒸発してしまいます。

彼のデビューアルバム『わたしを断罪せよ』はフォークアルバムの大傑作ではないでしょうか。

わたしを断罪せよ

わたしを断罪せよ

  • アーティスト:岡林信康
  • ユニバーサル ミュージック (e)
Amazon

 

『手紙』

わたしの好きなみつるさんは

おじいさんからお店をもらい

二人に一緒に暮らすんだと

嬉しそうに話してたけど

わたしと一緒になるのだったら

お店を譲らないと言われたの

お店を譲らないと言われたの

 

わたしは彼の幸せのため

身を引こうと思っています

わたしと一緒になれないのなら

死のうとまで彼は言った

だからすべてをあげたこと

悔やんではいない別れても

悔やんではいない別れても

 

もしも差別がなかったら

好きな人とお店が持てた

部落に生まれたその事の

どこが悪い 何が違う

暗い手紙になりました

だけどわたしは書きたかった

だけどもわたしは書きたかった

 

これは差別を苦にして自殺した女性の遺書を元にして岡林が作詞作曲したものです。

 

そして今度ははっぴいえんど大滝詠一細野晴臣鈴木茂松本隆)をバックに従えボブ・ディランのようにロックでカムバックします。アルバム『見るまえに跳べ』です・「私たちの望むものは」「それで自由になったのかい」「今日をこえて」「おまわりさんに捧げる歌」「性と文化の革命」などのメッセージソングを大音量のロックで演奏しました。一部の昔からのファンからは非難されましたが、私はしびれました。ますます岡林の大ファンになりました。

 

このアルバムはジャックスの早川義夫がプロデュースしはっぴいえんどがバックを務めたこれまた日本のロックアルバムの大傑作です。「自由への長い旅」という名曲も含まれています。ジャックスの曲も何曲がカバーしています。

『私たちの望むものは』

私たちの望むものは 生きる苦しみではなく

私たちの望むものは 生きる喜びなのだ

私たちの望むものは 社会のための私ではなく

私たちの望むものは 私たちのための社会なのだ

私たちの望むものは 与えられることではなく

私たちの望むものは 奪い取ることなのだ

私たちの望むものは あなたを殺すことではなく

私たちの望むものは あなたと生きることなのだ

 

今ある不幸せにとどまってならない

まだ見ぬ幸せに今飛び立つのだ

 

私たちの望むものは 繰り返すことではなく

私たちの望むものは 絶えず変わっていくことなのだ

私たちの望むものは 決して私たちではなく

私たちの望むものは 私であり続けることなのだ

 

今ある不幸せにとどまってならない

まだ見ぬ幸せに今飛び立つのだ

 

私たちの望むものは 生きる喜びではなく

私たちの望むものは 生きる苦しみなのだ

私たちの望むものは あなたと生きることではなく

私たちの望むものは あなたを殺すことなのだ

 

今ある幸せにとどまってならない

まだ見ぬ不幸せに今飛び立つのだ

 

私たちの望むものは

私たちの望むものは

私たちの望むものは

・・・・・・

 はっぴいえんどのロックに乗って最後は絶叫、大合唱、感動でした。

 

 

これらは当時のライブの雰囲気がよくわかります。『狂い咲きコンサートは』伝説の日比谷野音でのライブです。レコードで3枚組です。

正直、私は彼の歌がきっかけとなって貧富の差や部落差別など社会の矛盾や社会主義共産主義革命を勉強したような気がします。そして行動することが大事なのだということを学んだような気がします。

しかし、その後70年安保の敗北によって全共闘運動などの反体制運動は下火になっていきます。フォークの世界も反体制的な歌よりも個人の内面を表現する歌へとシフトしていきます。社会から個へ、『私達』から『私』への変化です。よしだたくろう井上陽水かぐや姫などが人気を博して来ます。そのような中で岡林は『俺らいちぬけた』というアルバムを発表して再び姿を消します。

 

このアルバムは個人的には好きなアルバムです。「申し訳ないが気分がいい」「つばめ」「俺らいちぬけた」など名曲がそろってます。佐藤信黒テントの演劇に提供した曲も2曲入っています。劇に出演もしていたはずです。

『申し訳ないが気分がいい』

抜けるような空が痛い

風が髭に遊んでゆく

申し訳ないが気分がいい

すべてはここにつきるはず

どうしてこんなに当たり前のことに

今まで気づかなかったのか

 

緑が瞳をえぐりだし

谷川と鳥たちの歌

申し訳ないが気分がいい

すべてはここにつきるはず

どうしてこんなに当たり前のことに

今まで気づかなかったのか

 

土と緑と動くものと

水と光とそして私

今初めて彼らを知り

今初めて私を知る

今この時 私は私を

人と、人と名付けるのだ

 

これは彼が都会を離れ、田舎で暮らし、自然の豊かさに触れた様子を歌ったもので、人間性を取り戻していく様子が歌われています。

姿を消した後、彼は京都の山奥で農業生活に入り、たまにライブ活動をしていました。

そんな折、私がちょうど大学入学が決まって東京へ上京することになった4月に、岡林のコンサートがあるとわかりました。早速チケットを購入して友人のS.S君と出かけました。

f:id:lynyrdburitto:20170509083838j:plain

このライブは『4人の会』といって加藤和彦、西岡たかし(赤い風船)、はしだのりひことの共演でした。それでも初めて生で見る彼の姿に興奮しました。どんな曲をやったのかはさすがに憶えていませんが、ディランの「I Sall Be Releast」と「俺らいちぬけた」「申し訳ないが気分がいい」「ホビット」あたりはやったというかすかな記憶があります。

私も高校生の頃、従姉からもらったクラシックギターでギターを少し覚え、大学に入って少ない小遣いでフォークギターを買い岡林のコピーを始め、やがて自分で曲を作ったりしていました。恥ずかしい!

その後、彼は松本隆のプロデュースで名盤『金色のライオン』を発表。

 

 

そして演歌へと目まぐるしく変わります。このころ美空ひばりにも楽曲を提供しています。

f:id:lynyrdburitto:20170509083856j:plain

中野サンプラザでのコンサートでは美空ひばりが飛び入りゲストで参加しました。その存在感の大きさにびっくりしました。このコンサートもS.S君と観に行きました。

現在も彼はアルバム、ライブ活動と積極的に音楽活動を行っています。私はプロテストフォークの終焉とともに日本のフォークミュージックからは遠ざかりますが、もちろんたくろうや陽水などは聴いていましたが、そこまで夢中にはなれませんでした。代わりにボブ・ディランザ・バーズなどのフォーク・ロックそしてカントリー・ロックへと興味は広がっていきますが、この辺の話は長くなりますので続きはまたの機会ということで。

しかし岡林信康だけは楽曲が好きだということもあって随分長く聴き続けました。特にお勧めは『ラブソングス』と『街はステキなカーニバル』ですね。ナイーブさとアナーキーさとが絶妙に入り混じって最高です。

特に後者の「君に捧げるラブソング」、これを聴いて泣いてください。

 

この他にも彼には素晴らしい曲がいっぱいです。

数年前には60年代から70年代初頭にかけての彼のライブ音源がCD化されました。すべて購入し懐かしく聴いています。 

商品の詳細 岡林信康 ライブ中津川フォーク・ジャンボリー (紙ジャケット仕様) 商品の詳細 商品の詳細

商品の詳細  商品の詳細   商品の詳細 商品の詳細 

こうして振り返ってみると、私の高校時代は映画と音楽によって社会に目を向けることが出来るようになったのだとつくづく感じます。映画や音楽、本が人に与える影響の大きさを改めて気づかされます。感謝、感謝です。

 

それでは今日はこの辺で。

『淵に立つ』を観て

今日のキネ旬シアターは『淵に立つ』でした。

監督:深田晃司

主演:浅野忠信筒井真理子古舘寛治、太賀

この映画、第69回カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門の審査員賞だそうです。そのような賞があるとは知りませんでしたが。

私の場合、映画はほとんどの場合予備知識なしで観ますので、この『淵』とはなんぞやと思いながら観ました。

ストーリーは町工場を営む夫婦(古舘寛治筒井真理子)と小学生の一人娘との平凡な3人家族のもとに利雄(古舘寛治)の古い友人・八坂(浅野忠信)が訪ねてくるところから始まる。章江も娘も当初は嫌がるが八坂のまじめな生活ぶりや振る舞いに次第に好感を持つようになる。実は八坂は殺人を犯し刑期を終えて出所したばかりだったのである。利雄はそのことを章江に内緒にしておいたが、ある日八坂はそのことを章江に告白する。プロテスタントの章江は八坂の罪を犯してしまった後悔ぶりに共感し、次第に好感以上の感情を持つようになる。利雄は八坂に殺人について、章江に対しどのような話をしたのかを訪ねる。利雄は殺人の共犯者だったのである。八坂はそのことを一切しゃべらずに刑に服したのである。そのことを聞かれ八坂は利雄に対し「お前は本当に小さいやつだな。おれが臭い飯を食って時に、結婚して子供まで作って、何でこの生活が俺じゃねえのかって思うよ」となじる。しかしその後「冗談だよ。俺は静かに暮らせればそれでいいんだよ」と笑う。

ある日、八坂は強引に章江に迫る。章江の方もすでにその気になっていたが、あまりに暴力的だったため拒否する。拒絶された八坂はそのはけ口を娘に対する暴力で補う。それっきり八坂は姿を消す。

8年の歳月が流れる。娘は八坂の暴力によって正気を失い、体も動かず車いす生活である。八坂は依然として行方不明。利雄はなぜ八坂が娘に暴力をふるったのか知りたくて、興信所に依頼して行方を追い続けているが見つからない。章江は娘の介護で付きっ切り、潔癖症になって夫婦間も溝が出来てしまっていた。利雄は章江が八坂に対して恋愛感情を持っていたのを知っていたのである。そして自分が殺人の共犯者であることを告白する。そして俺とお前の罪が娘をああいう姿にしたのだと言う。夫婦間の溝は決定的となる。そんな時、新しく雇った青年が八坂の息子(太賀)であることが判明する。息子は父親にはあったことがないが、母親への手紙で、あるじきこの工場にいたことを知り、やってきたのだという。彼もまた八坂の居場所を知らない。ある時、興信所が八坂らしき人物を発見したと報告に来る。その報告を頼りに夫婦は娘と八坂の息子を連れて八坂を探しに出る。が、結局人違いであった。すでに絶望した章江は橋の上から娘とともに川に飛び降り自殺を図る。二人とも利雄と息子それぞれに助けられるが、意識があるのは利雄のみ。彼は必死に3人の蘇生を図るが・・・・。

と、まあこんな感じの内容です。救われません。『淵』とはいったい何だったのでしょう。それは心の奥の闇の淵なのでしょうか。絶望の絶壁の淵なのでしょうか。夫婦間の深い溝の淵なのでしょうか。

浅野忠信という俳優、以前『私の男』で観ましたが(その前にも多分見ていると思いますが)、上手いのか下手なのかよくわからない役者ですが、『私の男』にしてもこの『淵に立つ』でも、こういうちょっと虚無的な役をやらせると実に味があります。

それと筒井真理子はいいですね。8年間の年の取り方が実に自然です(特に腰回りが太くなっている気がします)。多分、相当体重を増やしたのでしょうね。役者のプロ根性には頭が下がります。

 

大学時代の映画生活

晴れて?東京へ出てきました。練馬区にアパートを借りて、大学入学手続きを終え、早速学園生活が始まりました。初めて大学に登校して驚いたのは、正門からずっとサークルの勧誘が並んでいたことです。こんなにいろいろなサークルがあるのかと感心しました。私はすでに入りたいサークルを決めていましたので別に勧誘に負けることはなかったのですが、私の希望するサークルは勧誘をしていませんでした。不思議に思い聞いてみると、「部室があるから行ってみな」、と言われその部室に行ってみました。確かに『映画研究会』と看板がかかっていました。ノックして中に入ると一人の男性がいました。入部したい旨を伝えると、「別に入ってもいいけど活動はしていないよ、それでもよければ」と言われました。がっかりしました。それでも今後の計画とかないのかと食い下がりましたが、全くやる気がありませんでした。しょうがなくあきらめることにしました。別にサークルに入らずとも映画は見られると思い一人で動くことにしました。

暫くして大学の友人から『映画史研究会』なるものがあると聞き、早速訪ねました。しかしここもやる気なく名前だけでした。でもまあ何かの役には立つかもと入部の手続きをしましたがそれっきりでした。大学生なんてこんなもんかとがっかりするやら、あきれるやらでした。学園闘争もやや下火になりかけて退廃ムードが漂い始めていたのかも知れません。ただ、私は希望に満ちていました。

当時は映画上映に関する情報はほとんどなく(ぴあが創刊されたかされなかったか)自分で映画館を歩き回ってスケジュールを確認しました。池袋の文芸座、文芸地下、高田馬場のパール座、早稲田松竹飯田橋の佳作座、ギンレイホール、新宿のATG、蠍座、京橋の国立フィルムセンター等々、とにかく安くみられる名画座で上映される映画を手当たり次第観ました。その他にいろいろな会館で特別上映があって、映画監督などが出演してその映画に関する解説や質疑応答などもあって、その上映の情報をなんとか入手しては観に行ったものです。

f:id:lynyrdburitto:20170509083957j:plain

f:id:lynyrdburitto:20170509084013j:plain

こんな珍しいものが残っていました。上は大島渚の4本立てで大島渚監督もこられて対話形式の講演がありました。ここで憶えているのは、ある観客が監督が講演の中で使った「範疇」という意味の解釈についてしつこく質問し、しまいには監督を怒らせてしまったなどということがありました。ほかの観客はいい加減にしろみたいな雰囲気でせっかくの上映会なのに気分を削がれたという記憶がかすかにあります。

下は吉田喜重の2本立てで、難解な映画をゲストの人が解説してくれたのだと思います。

このようにして年に100本以上の映画を観ていました。さすがに4年生の後半は就職活動が入ってきたのでそこまでは観れなかったと思いますが、4年間で400本以上は観たと思います。観た映画の記録や感想でも書いておけばいいものを何も残っていません。いい加減な性格が表れています。

さらに途中から演劇も見始めました。演劇といってもテント劇(赤テント、黒テント天井桟敷などのアングラ演劇です。

f:id:lynyrdburitto:20170509084048j:plain

f:id:lynyrdburitto:20170509084104j:plain

これらは多分、佐藤信黒テントの入場券だと思われます。全く記憶がありませんが。

この他にもたくさん観たはずなのですが記録は残っていませんし、記憶にも残っていません。桃井かおりがまだ駆け出しのころ出演していた演劇を観た記憶はありますが、タイトルは忘れました。いい女だったことは鮮明に覚えています。

こんな感じで大学生活を送っていたわけですが、もちろん映画だけの生活だったわけではありませんが、その他のことはこの稿に関係ないのでまた別の機会にということで。

 

それでは今日はこの辺で。

 

最近読んでいる本

最近、年のせいか難しい本はさっぱり読まなくなりました。

今読んでいる本は

『思想としての60年代』 桜井哲夫 著

『ゲバルト時代』 中野正夫 著

『祖国と民族を語る』 田宮高麿インタビュー  高沢 皓司 聞き手

思想としての60年代 商品の詳細商品の詳細

これらを並行して読んでいます。ただ単に昔を懐かしんで読んでいるだけです。

『思想としての60年代』には高橋和巳吉本隆明大島渚のことなどが書かれています。

『ゲバルト時代』は著者の学生運動時代のことが書かれていて、著者は私より若干年上であり、当時の東京の様子が手に取るようにわかり面白いです。

『祖国と民族を語る』はご存じよど号乗っ取り犯の首謀者の独占インタビューです。もう本人は死亡しています。

3冊とも10年から20年前の本です。何をいまさらそんな古い本をと思われるかもしれませんが、やはり今振り返っても60年代、70年代は熱い時代だったと改めて感じることが出来て、読んでいるだけで楽しくなるのです。年を取った証拠です。

小説では断然女流作家が多くなりました。特に最近お気に入りなのが桜木紫乃沼田まほかる桜庭一樹村山由佳などです。

商品の詳細商品の詳細商品の詳細商品の詳細

この他にもたくさんの作品がありますが、みんな面白いです。特に彼女たちの描く男性は、男が描くより的を射てるのではと思わせます。

特に沼田まほかるという人は56歳で文壇デビューという遅咲きで、それまで僧侶、会社経営などを経験した変わり種です。ですから寺の話とかがよく出てきます。イヤミス作家として注目を浴びています。

彼女を除いては全員直木賞作家です。沼田まほかるホラーサスペンス大賞、大藪春彦賞を受賞しています。皆文章はうまいです。安心して読めます。

それにしても彼女たちの文章の上手さには感心します。プロの作家ですから当たり前ですが(中にはあまり上手いとは思えない作家もいますが)、その語彙の豊富さと表現力の巧みさには改めて驚かされます。私もブログを始めて、語彙力の無さ、表現力の乏しさを痛感させられました。長年ビジネス文書しか書いてこなかったというのは言い訳にすぎませんが。読書量は少なくはないほうだと思うのですが、その辺の能力は全く身に付きませんでした。特に表現したいと思っても適当な言葉が浮かんで来ないのが困ります。言葉を忘れているというのも多分にあると思いますが、ということで年のせいにして自分を納得させる今日この頃です。

BOOK OFFで安い本を捜し歩いています。

 

Chris Duare(クリス・デュアーテ)について

昨日、disk unionにてChris Duarteの『Blue Velocity』を購入しました。

ブルース・ロックギタリストです。この人のアルバムの購入は5枚目になります。

54歳になります。はじめてCDを買ってから20年ぐらい経ちます。

私は勝手に1990年代以降のブルース・ロックギタリストでお気に入りなのが次の人たちです。

Walter Trout 、Coco Montoya 、Joe Bonamassa 、Kenny Wayne Sepherd 、Jeff Healey 、Colin James 、Warren Haynes 、Corey Stevens 、Jonny Lang 、そしてChris Duarteです。これに最近、この前も書きましたCraig Ericksonを加わりそうです。

本当はもっと、もっとたくさん素晴らしいブルース・ロックのギタリストがいるのでしょうが、情報の不足と金銭の不足で限られてしまします。残念ですが。

昔でいえば  Peter Green 、Kim Simonds 、Stan Webb あたりでしょうか。あっ、今でも頑張っていますね、失礼しました。

ところでこのCD期待を裏切らず、素晴らしい出来栄えです。ブルースしっかりやっています。ボーカルもブルースによく合っていていいです。このアルバムが2007年です。残念ながらこの後のアルバムは持っていません。

商品の詳細 商品の詳細 商品の詳細 商品の詳細

機会がありましたら上に挙げた人たちを紹介していきたいと思います。

Warren HaynesはAllman Brothers BandのメンバーでGov't Muleのリーダーですからこのくくりにはちょっと不似合いかもしれません。個人的には現在のところ最高のギタリストだと思っていますが。