監督:深田晃司
この映画、第69回カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門の審査員賞だそうです。そのような賞があるとは知りませんでしたが。
私の場合、映画はほとんどの場合予備知識なしで観ますので、この『淵』とはなんぞやと思いながら観ました。
ストーリーは町工場を営む夫婦(古舘寛治、筒井真理子)と小学生の一人娘との平凡な3人家族のもとに利雄(古舘寛治)の古い友人・八坂(浅野忠信)が訪ねてくるところから始まる。章江も娘も当初は嫌がるが八坂のまじめな生活ぶりや振る舞いに次第に好感を持つようになる。実は八坂は殺人を犯し刑期を終えて出所したばかりだったのである。利雄はそのことを章江に内緒にしておいたが、ある日八坂はそのことを章江に告白する。プロテスタントの章江は八坂の罪を犯してしまった後悔ぶりに共感し、次第に好感以上の感情を持つようになる。利雄は八坂に殺人について、章江に対しどのような話をしたのかを訪ねる。利雄は殺人の共犯者だったのである。八坂はそのことを一切しゃべらずに刑に服したのである。そのことを聞かれ八坂は利雄に対し「お前は本当に小さいやつだな。おれが臭い飯を食って時に、結婚して子供まで作って、何でこの生活が俺じゃねえのかって思うよ」となじる。しかしその後「冗談だよ。俺は静かに暮らせればそれでいいんだよ」と笑う。
ある日、八坂は強引に章江に迫る。章江の方もすでにその気になっていたが、あまりに暴力的だったため拒否する。拒絶された八坂はそのはけ口を娘に対する暴力で補う。それっきり八坂は姿を消す。
8年の歳月が流れる。娘は八坂の暴力によって正気を失い、体も動かず車いす生活である。八坂は依然として行方不明。利雄はなぜ八坂が娘に暴力をふるったのか知りたくて、興信所に依頼して行方を追い続けているが見つからない。章江は娘の介護で付きっ切り、潔癖症になって夫婦間も溝が出来てしまっていた。利雄は章江が八坂に対して恋愛感情を持っていたのを知っていたのである。そして自分が殺人の共犯者であることを告白する。そして俺とお前の罪が娘をああいう姿にしたのだと言う。夫婦間の溝は決定的となる。そんな時、新しく雇った青年が八坂の息子(太賀)であることが判明する。息子は父親にはあったことがないが、母親への手紙で、あるじきこの工場にいたことを知り、やってきたのだという。彼もまた八坂の居場所を知らない。ある時、興信所が八坂らしき人物を発見したと報告に来る。その報告を頼りに夫婦は娘と八坂の息子を連れて八坂を探しに出る。が、結局人違いであった。すでに絶望した章江は橋の上から娘とともに川に飛び降り自殺を図る。二人とも利雄と息子それぞれに助けられるが、意識があるのは利雄のみ。彼は必死に3人の蘇生を図るが・・・・。
と、まあこんな感じの内容です。救われません。『淵』とはいったい何だったのでしょう。それは心の奥の闇の淵なのでしょうか。絶望の絶壁の淵なのでしょうか。夫婦間の深い溝の淵なのでしょうか。
浅野忠信という俳優、以前『私の男』で観ましたが(その前にも多分見ていると思いますが)、上手いのか下手なのかよくわからない役者ですが、『私の男』にしてもこの『淵に立つ』でも、こういうちょっと虚無的な役をやらせると実に味があります。
それと筒井真理子はいいですね。8年間の年の取り方が実に自然です(特に腰回りが太くなっている気がします)。多分、相当体重を増やしたのでしょうね。役者のプロ根性には頭が下がります。