小学校、中学校の頃に観た懐かしい映画を思い出してみたいと思います。
昭和30年代から40年代前半に掛けてに観た映画です。昭和20年代から40年代は日本映画の全盛期でしょう。
当時、私の住んでいた田舎町には東宝、日活、大映、東映、松竹の各映画館、洋画専門館が3館、成人映画専門館が1館、それに再上映専門館が1館の合計10館ありました。田舎町でもこれだけの映画館があったのですから今では考えられませんね。そのうちに、1館、また1館と閉館していきました。完全にテレビ時代に突入し、映画人口の減少の影響で映画館も閉館せざるを得なくなってきたのです。
小学校低学年の頃はさすがに親同伴でしたが、小学校の高学年にもなると一人または友人と行っていました。
一人で行くとなると小遣いの範囲内で行かざるを得ないので、当然、主に入場料が安い再上映館が多かったと思います。三本立てで確か10円位だったと思います。封切り映画を観る時は親にねだっていたと思います。
いい時代でした。
今回取り上げるのはあくまでも中学校までに観た映画です。高校生になると本数が激増して、趣向も変わってきて書ききれませんので。
リアルタイムで観たのか、再上映なのかは不明です。
それでは各映画会社ごとに思い出してみましょう。
【日活編】
まずは何といっても大好きな、憧れの的、吉永小百合ちゃんの映画から。小百合ちゃんの映画はほとんど観ているはずです。選びきれないので少しだけにします。
泣けました。大島みち子(ミコ)さんのベストセラーの映画化。実話です。顔に軟骨肉腫ができる病気との戦い。河野実(マコ)との純愛物語。顔の半分を削り取るなんてどうしても考えられませんでした。みち子さんの日記も夢中で読みました。実さんがその後結婚した時には複雑でした。
1962年の作品。たぶんもっと後に再上映で観たはずです。
キューポラとは鉄の溶解炉。鋳物の町、川口が舞台。貧困・人種差別問題を扱った映画
まだ16か17歳の頃の吉永小百合、かわいかった。
1965年公開。監督:西河克己、共演:芦川いずみ、十朱幸代、和泉雅子
四姉妹の物語。豪華絢爛のキャストです。和泉雅子がきれいだった。
愛と死の記録
1966年公開。監督:蔵原惟繕、共演:渡哲也
原爆症の青年とそれを見守る女性の悲恋。当初は浜田光夫が共演するはずでしたが、浜田光夫の怪我で急遽ピンチヒッターで渡哲也に代わったと記憶しています。
『斜陽の面影』
1967年公開、監督:斎藤光正、共演:新珠三千代
太宰治の愛人との間の娘、太田治子の原作。この頃の小百合ちゃんはすっかり大人びてきました。
『あゝひめゆりの塔』
沖縄戦を描いた映画です。日活スターが多く出演しました。
この翌年に吉永小百合は日活を退社します。
他にもいっぱいあるのですが、きりが無いので止めておきます。
次は当然石原裕次郎でしょう。彼の映画もほとんど観ていますが、日活時代に限ると、意外とリアルタイムで観たのは少ないです。日活時代の有名作品はほとんど1950年代から60年代初頭ですから致し方ありません。その後の再々上映などで観たものが多かったと思います。
『赤いハンカチ』
日活ムード・アクションの傑作。ギターをポロンと鳴らし歌う「赤いハンカチ」は最高でした。「アカシアの花の下で~」
『夕陽の丘』
浅丘ルリ子が二役でした。ラストの夕陽の海岸を歩いて遠ざかる裕次郎がカッコよかった。歌もよかった。「夕陽の丘の麓ゆく~」
『二人の世界』
『赤いハンカチ』と同じメンバー。歌が良かった。この歌で裕次郎ファンになりました。「君の横顔、素敵だね~」
『夜霧よ今夜も有難う』
この映画だったと思いますが、挿入歌の「こぼれ花」が良かった。もしかして『二人の世界』の方だったかも。「赤い野バラがただひとつ、荒れ野の隅に咲いている~」
『銀座の恋の物語』
1962年公開、監督:蔵原惟繕、共演:浅丘ルリ子、ジェリー藤尾
これは完全に再々上映あたりでしょう。アクション以外の裕次郎もいいです。和泉雅子がちょい役で出ていました。「東京で一つ、銀座で一つ」ってか。
『赤い谷間の決闘』
1965年公開、監督:舛田利雄、共演:渡哲也
渡哲也との共演をこの映画で初めて観た記憶があります。
裕ちゃんは文芸作品にもたくさん出演していました。とにかく数が多すぎます。
ここまで小百合ちゃんと裕ちゃんだけでこんなに長くなってしまいました。しかも絞りに絞ってのことです。この先どうなるのでしょう。一人一記事にしたほうが良かったのかもしれません。失敗だったかも。でもやり直すのも大変なのでとりあえず先に進みます。
石原裕次郎の歌謡映画を除く歌謡映画です。
「北国の街」
1965年公開、監督:柳瀬観、主演:舟木一夫、和泉雅子、山内賢
舟木一夫最後の学園ものではなかったでしょうか。歌が良かった。和泉雅子との共演は2本目だったと思います。「名残が燃える、心が残る~」
『高原のお嬢さん』
1965年公開、監督:柳瀬観、主演:舟木一夫、和泉雅子、山内賢
前作と同じ監督・キャスト。大体において舟木一夫と和泉雅子は結ばれません。「リーフ、リーフ」ってなんのこっちゃと思っていました。
『哀愁の夜』
これも二人は結ばれません。和泉雅子はかわいかったな。「なんて素敵な夜だろう~」
『絶唱』
何度も映画化された悲恋もの。小林旭・浅丘ルリ子、山口百恵・三浦友和。
歌が大ヒット。「何故死んだ、ああ小雪」だ。西城八十作詞。
『夕笛』
松原智恵子との悲恋物。前作に引き続き昭和初期シリーズです。これも曲がヒット。「故郷の青い月夜に、流れ来る、笛の音聴いて~」これも西城八十でした。
『涙になりたい』
1966年公開、監督:森永健次郎、主演:西郷輝彦、松原智恵子
西郷・松原コンビ。西郷輝彦の同名のヒット曲を映画化。「涙になりたい僕~」涙にはなれません。
『星のフラメンコ』
1966年公開、監督:森永健次郎、主演:西郷輝彦、松原智恵子
前作と同じコンビ。西郷輝彦の最大のヒット曲。舟木は和泉雅子、西郷は松原智恵子とのコンビが多かった。「好きなんだけど、チャチャチャ~」
『二人の銀座』
ベンチャーズナンバーで二人のデュエットでヒット。映画化。「待ち合わせて歩く銀座~」。山内賢は亡くなってしまいました。
この当時の日活は何といっても裕次郎、小林旭たちのアクションものと吉永小百合、和泉雅子、松原智恵子らの清純女優たちの青春ものです。グループサウンズものもありましたね。『ザ・スパイダース』だったと思います。
小・中学生ではちょっと無理があったかもしれませんが、何故か観に行っていました。
この後、日活は経営不振に陥り、同じく経営難にあえぐ大映と提携するも難局は乗り切れず、ついに『八月の濡れた砂』をもって映画製作を打ち切り、ポルノ映画へと舵を切ります。
テレビ時代に入って映画の衰退ぶりが目立ってきました。
これで取り上げた映画も20本です。もうあとからあとから思い出され困りました。きりがないのでこの辺でお終いにします。
次回はどこの映画会社にしましょうか。どこでもいいって? そうですよね。
それでは今日はこの辺で。