Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

聴き比べ『この胸のときめきを』

この胸のときめきを(You Don't Have to Say You Love Me)』という曲を始めて聴いたのは以前にも書いたように、ラジオから流れてきたエルヴィス・プレスリーでの歌声でした。そして上映された映画『エルヴィス・オン・ステージ』でもこの曲は使われました。エルヴィスの中でも大好きな曲です。

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この胸のときめきを/エルヴィス・プレスリー


この胸のときめきを [日本語訳付き]  エルビス・プレスリー 

 

以来、プレスリーのファンになりました。当時はてっきり、この曲はプレスリーのオリジナルかと思っていました。

ところが、これがイギリスの女性歌手ダスティ・スプリングフィールドという人が最初に大ヒットさせた曲だということを後から知りました。お恥ずかしい話です。

 

この曲は元々がイタリアの曲で1965年のサンレモ音楽祭 Pino Donaggioという歌手によって歌われた曲でした。タイトルは『Io che non vivo (senza te)』です。そしてこの曲はその年に制作されたルキノ・ヴィスコンティ監督でクラウディア・カルディナーレ主演の映画熊座の淡き星影でも使われました。この映画の日本公開は随分と遅れて1982年でした。


PINO DONAGGIO - Io Che Non Vivo Senza Te. TESTO

 

その後、1966年に先ほどのダスティ・スプリングフィールドが歌って大ヒットしました。イギリスではナンバー1ヒット。アメリカでも第4位になりました。プレスリーが歌う「この胸のときめきを」とはテンポもまるで違って、静かな歌い方で驚きました。しかし、これはこれで聴けば聴くほど心に沁みるような歌い方で大好きになりました。

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ダスティ・スプリングフィールド - この胸のときめきを

この胸のときめきを?ベスト・オブ・ダスティ・スプリングフィールド

この胸のときめきを?ベスト・オブ・ダスティ・スプリングフィールド

 

 

そして、以前にも紹介した、ダスティを敬愛するシェルビー・リン(Shelby Lynne)がダスティに捧げたアルバム『Just A lIttle Lovin'』の中でこの曲を歌っています。暗い過去を乗り越えて、ここまで来たよ、という声にしみじみします。


You Don't Have to Say You Love Me - Shelby Lynne 

Just A Little Lovin' (Bonus Track)

Just A Little Lovin' (Bonus Track)

 

  

日本では何と先日も紹介した前野曜子在籍時のペドロ&カプリシャスがセカンドアルバム『さようならの紅いバラ』の中でカバーしました。

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前野曜子 (Yoko Maeno) この胸のときめきを_ 

さようならの紅いバラ

さようならの紅いバラ

 

 

 

以上、5種類を聴き比べましたが、それぞれにいい味を出しており、やはり不朽の名作であることには変わりがありません。いいものはいいのです。

 

それでは今日はこの辺で。

デビー・デイヴィーズ(Debbie Davies)『Holdin' Court』入手

久しぶりにAmazonでCDを10枚ほどまとめ買いをしました。1枚を除いて全て輸入盤なので、到着までに2~3週間かかります。その1枚が中古盤なのですが、早速届きました。それを紹介します。その他は到着次第順次紹介します。

 

以前にも何回か紹介したデビー・デイヴィーズ(Debbie Davies)の単独アルバムとしては12枚目のアルバム『Holdin' Court』です。2009年のリリースです。

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『Holdin' Court』

 

01.Fishnet

02.Down at the Honky Shack

03.Tryin' to Keep It Real

04.Okie Dokie Stomp

05.Percolatin'

06.So What

07.Atras de Tus Ojos

08.Holdin' Court

09.I Wonder Why (Blues in D Natural)

10.If You Love Me Like You Say

11.Zoom-in'

 

パーソナルは

Guiter:Debbie Davies,Paul Opalach(on track 11,second)

Bass:Casandra Faulconer,Paul Opalach(on track 03)

Drums:Don Castagno

Organ:Paul Opalach

 

プロデュースはDebbie Davies & Paul Opalach

 

曲は01はDuke Robillard

02はBill Doggett,Billy Butler,Clifford Scott,Shep Shepherd

03~08と11はDebbie Davies

09はJohn Lee Hooker

10はLittle Johnny Taylor

です。

このアルバムは、なんと全曲インストです。彼女のヴォーカルも魅力ですが、このアルバムではそれを封印してギター1本で勝負しています。カバーは全曲ブルースナンバーです。次作の08などはちょっとムーディな曲もあったりします。

 

これはこれでいいのです。が、やはりヴォーカルも聴きたいのです。全曲インストとなるとちょっと飽きが来ます。デビー・デイヴィーズをもう1枚買っていますのでそちらも楽しみに待つことにしましょう。

 


Debbie Davies - Down at the Honky Shack - 2009 Holdin' Court


Debbie Davies - Holdin' Court - 2009 Holdin' Court


Debbie Davies - If You Love Me Like You Say - 2009 Holdin' Court

 

それでは今日はこの辺で。

う~ん、マンダム 『男の世界』

1968年、それまでは『荒野の七人』大脱走での脇役はあったものの、主役にはなれなかったブ男俳優のチャールズ・ブロンソンが、フランス映画の『さらば友よ』アラン・ドロンと共演しました。大方の予想はアラン・ドロンの引き立て役だろうと思われていました。ところがふたを開けてみたら、すっかりアラン・ドロンを喰ってしまいました。その何とも言えない飄々とした演技と肉体美が観客を魅了しました。とくにラストシーンは語り継がれることになりました。

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この後、美人女優のクラウディア・カルディナーレとの共演でウェスタン』を撮った後、1970年にやはりフランス映画でルネ・クレマン監督の雨の訪問者で主演しました。共演はマルレーヌ・ジョベールでした。殺人を犯してしまうメリーを執拗に追い詰めるアメリカの軍人、ハリー・ドブス役でした。この映画がフランシス・レイの映画音楽と共に大ヒットし、ブロンソンは一躍世界的大スターにのし上がりました。共演した女優のジル・アイアランドとの結婚もありました。


雨の訪問者のワルツ/フランシス・レイ La Valse Du Mariage/Francis Lai

 

これに目を付けた、商魂たくましい日本企業は早速彼をコマーシャルに起用することにしました。その会社は当時『丹頂』と名乗っていた男性用化粧品会社です。そして化粧品の名は『マンダム(MANDOM)』でした。そしてCMソングに使われたのがジェリー・ウォレス(Jerry Wallace)『男の世界(Lovers Of The World)』でした。ジェリー・ウォレスはアメリカでも人気のカントリーシンガーでした。この曲は日本で大ヒットし、1970年のオリコンで12週連続1位を記録しました。レコード売上も130万枚を記録しました。

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『丹頂』は老舗の化粧品会社でしたが、資生堂などに押されて低迷していましたが、このCMで一気にその知名度を上げ、売り上げにも大きく貢献しました。『丹頂』はこのあと社名も『マンダム』に変更しました。ちなみに私も整髪料はそれまで資生堂「MG5」でしたが「マンダム」に変えました。

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1本の映画出演がその人の人生を大きく変えた典型的な例でした。ブロンソンは15人兄弟の5番目で、リトアニア系の移民の子でした。小さい頃から炭鉱で働き、苦労しました。映画『大脱走』での穴を掘る捕虜の役は炭鉱夫の経験が生きたのでしょう。第2次世界大戦では徴兵され、東京大空襲にも参加したようです。

 

戦後は美術学校に入り、舞台の裏方やエキストラを経験し役者に目覚めていったようです。しかし、なかなか芽が出ず、ようやく1960年の『荒野の七』で役者として認められました。この時40歳。遅咲きのスターでした。

雨の訪問者』の後は主役が続々と舞い込みました。『狼の挽歌』『夜の訪問者』『扉の影に誰かいる』、そしてアラン・ドロン三船敏郎との夢の競演『レッドサン』と続きましたが、私個人の見解では『さらば友よ』『雨の訪問者』以上の作品にはめぐり逢わなかったような気がします。ブロンソンの映画はさして必要性もないのに上半身裸になるシーンが多く、おっ、また来たな、という感じで笑えました。

 

この「マンダム」のCMは大林 宣彦の演出だということを後から知り驚きました。砂漠を駆け下りるブロンソンの姿は今でも思い出せます。そして、あのセリフ「う~ん、マンダム」、です。

 


マンダム CM (1970年) チャールズ・ブロンソン 男の世界


Lovers Of The World (マンダム~男の世界) / JERRY WALLACE

 

 

それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『ウィグワム(Wig Wam)/Wig Wamania』

今日の「懐かしのヘヴィメタ・シリーズ(懐メタ)」はウィグワム(Wig Wam)です。

ウィグワムと言ってもあのフィンランドプログレ・バンドとは違います。こちらはノルウェーのヘヴィメタ・バンドでした。

2001年の結成です。ノルウェーの国民的バンドです。ヨーロッパの最大級の音楽イベント「ユーロビジョン・コンテスト」にノルウェー代表として出演、「In My Dreams」を演奏して9位でしたがその人気は国内では決定的でした。

メンバーは

グラム(Glam,vo)

ティーニ(Teeny,g)

フラッシュ(Flash,b)

スポーティ(Sporty,ds)

 

2004年にファーストアルバム『Hard To Be A Rock'n Roller』でデビューします。

 

時代錯誤的なルックスのとおり80年代の伝統的なハードロック、ロックンロールをやってます。気持ちいいぐらいのヘヴィメタです。

 

2006年にセカンドアルバム『Wig Wamania』がリリースされます。

 

01.Wig Wamania

02.Rock My Ride

03.Slave To Your Love

04.Gonna Get You Someday

05.Bygone Zone

06.Dare Devil Heat

07.Kill My Rock 'N Roll

08.The Riddle

09.At The End Of The Day

10.A Rock 'N Roll Girl Like You

11.Can't Get Her (Out Of My Bed)

12.Breaking All The Rules

 

プロデュースはTrond Holterです。

 

日本でのデビューアルバムです。まるで70年代のグラム・ロックを思わせるようなジャケット衣装です。中身は前作同様ハードロック、ロックンロール目白押しです。メロディアスな曲もありと全然飽きが来ません。ボン・ジョヴィやKISSなどとも比較されているようですが、このアルバムはそれらとも引けは取りません。

 

この後活動を一旦停止します。メンバーはそれぞれソロアルバムを出したり、昔のバンドに戻ったり していました。

東京でのライブアルバムを挟んで、2010年にサードアルバム『Non Stop Rock'n'Roll』をリリーします。

基本路線は変わりません。

 

2012年に4枚目のスタジオアルバム『Wall Street』をリリースします。

ジャケットのイメージもガラリと変わって都会風になったというか、中身もこれまでのハード・ロックンロールは影を潜め、ダークなイメージで迫ります。別なバンドに生まれ変わったようです。そろそろやばそうだなという予感がしました。

 

案の定、予感は的中。2014に解散を発表しました。

 

北欧にしては珍しい、ハード・ロックンロール・バンドでした。

 


Rock My Ride Wig Wam


Wig Wam - Slave to your Love (lyrics)


Wig Wam At the End of the Day


WIG WAM - Gonna Get You Someday


In my dreams - Wig Wam (studio version)

 

 

それでは今日はこの辺で。

聴き比べ たくろうとモップス『たどりついたらいつも雨降り』

今日の「聴き比べ」は『たどりついたらいつも雨降り』です。

この曲は当初、日本のロック・バンド、ザ・モップス(The Mops)のヒット曲として知られました。

モップス鈴木ヒロミツ以下5人組のバンドで、グループサウンズ全盛期の頃に結成されましたが、当時のグループサウンズとは一線を画したような、ロックを志向するバンドでした。1969年には朝まで待てないがヒットしました。その後月光仮面のアレンジソングもヒット。

そして1972年にアルバムモップスと16人の仲間』というアルバムの中にこの曲を収録しました。この曲は、すでに人気絶頂だった吉田拓郎が提供した曲でした。このアルバムは泉谷、陽水、遠藤賢司、かまやつ、小室等加藤和彦その他、当時のフォーク界の錚々たるメンバーが楽曲を提供しました。

 

たどりついたらいつも雨ふり

 

吉田拓郎 作詞・作曲

 

疲れ果てていることは

誰にもかくせはしないだろう

ところがおいらは何のために

こんなに疲れてしまったのか

今日という日が そんなにも大きな

いちにちとは思わないが

それでもやっぱり 考えてしまう

ああ このけだるさは何だ

 

いつかはどこかへ 落ち着こうと

心の置き場をさがすだけ

たどり着いたら いつも雨降り

そんなことのくり返し

やっとこれでおいらの旅も

終わったのかと思ったら

いつものことではあるけれど

ああ ここもやっぱり どしゃ降りさ

 

心の中に傘をさして

裸足で歩いている自分がみえる

 

人の言葉が 右の耳から

左の耳へと 通りすぎる

それほど 頭の中は

からっぽになっちまってる

今日は何故か おだやかで

知らん顔してる自分がみえる

 


モップスMOPS/たどりついたらいつも雨ふり (1972年)

 

この曲は元々は吉田拓郎がアマチュア時代に作った「好きになったよ女の子」という曲が原曲になっています。モップス・バージョンはシングルカットされるとこれがヒットしました。ラジオの深夜放送からはいつも流れていました。

 

これに気をよくしたのか、拓郎も自身のアルバム『元気です』でセルフカバーしました。こちらもシングルカットされヒットしました。

この映像はちょっとバージョンが違うような気がします。


1973.2.3 たどり着いたらいつも雨降り☆よしだたくろう+柳田ヒロバンド / 浜松市民会館

  

山崎ハコちゃんも歌っています。


山崎ハコさん「たどりついたらいつも雨ふり (Live ver.)」

 

やはり、モップス・バージョンの鈴木ヒロミツさんの黒っぽいヴォーカルが好きです。その鈴木ヒロミツさんも2007年に60歳で亡くなりました。役者としても貴重な存在でした。

 

それでは今日はこの辺で。

 

 

聴き比べ マイケルズと高石『坊や大きくならないで』

今日の「聴き比べ」は『坊や大きくならないで』です。

またしても反戦歌です。この曲を最初に聴いたのは中学生の頃だったと思います。マイケルズ高石友也先生、どちらが先だったか記憶が曖昧です。

まだ中学生でこの詩の意味もよくは理解していなかったと思います。高石先生の「受験生ブルース」が大好きでその流れで聴いたのだと思います。ベトナム戦争たけなわで、まさに戦争反対のメッセージソングです。

マイケルズについてはよくわかりませんが、男性の3人組だったと思います。

マイケルズと高石先生では歌詞が若干違っています。

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坊や大きくならないで

作詞:浅川しげる

作曲:トリン・コン・ソン

歌 :マイケルズ

 

坊や静かにおやすみ

私の坊や

来る日も来る日も

いくさが続く

坊や大きくならないで

そっと眠りなさい

 

お前が大きくなると

いくさに行くの

いつかはきっと

血に染まるだろう

坊や大きくならないで

そっと眠りなさい

 

青空とびかう鳥よ

お前は自由

いつかは坊や

平和が来るわ

坊や大きくならないで

そっと眠りなさい

坊や大きくならないで

そっと眠りなさい

眠りなさい眠りなさい

 


マイケルズ/坊や大きくならないで (1969年)

 

高石バージョンは映像がありませんでした。残念です。

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坊や大きくならないで

 

作詞:浅川しげる高石友也

作曲:トリン・コン・ソン

歌 :高石友也

 

坊や、Ah…おやすみなさい

草も木も緑も 街も村も燃えてゆく

坊や大きくならないで

そっとおやすみ 静かに

昨日も今日も 明日も続くの

Ah…坊やおやすみ

 

坊や、Ah…おやすみなさい

お父さんはもう 戻っては来ないの

坊や大きくならないで

そっとおやすみ 静かに

お前が大きくなると

煙のむこうに 消えてゆくの

Ah…坊やおやすみ

 

カルメン・マキもアルバム『想い出にサヨナラ “カルメン・マキ'70" 』でカバーしています。が、これも映像がありません。

 

聴き比べになっていません。まさか映像がないとは思ってもいませんでした。

失礼しました。

 

それでは今日はこの辺で。

聴き比べ フォークルとC.マキ『戦争は知らない』

今日の聴き比べは『戦争は知らない』です。

この曲の作詞者はあの寺山修司です。幼い頃、戦争で父親を亡くした経験を詩にした、寺山の最初の作品です。作曲はグループサウンズのリンド&リンダースの加藤ヒロシです。リンド&リンダースはそこそこ売れたバンドでした。この曲を最初に歌ったのは坂本スミ子でした。しかしこれはさっぱり売れませんでした。

 

この曲を「帰って来たヨッパライ」が大ヒットしたザ・フォーク・クルセダーズが歌いました。ザ・フォーククルセダーズ(以下、フォークル)はご存じの通り、1967年に「帰って来たヨッパライ」でレコードデビューした3人組(加藤和彦北山修はしだのりひこ)です。レコードデビュー前は5人組で加藤と北山がオリジナルメンバーでした。レコードデビューする際に加藤は反対したのですが北山が説得し1年だけという約束でデビューしました。その時にはしだのりひこが加わって3人組になりました。

デビューアルバムは自主制作盤『ハレンチ』でした。そして「帰って来たヨッパライ」が爆発的なヒットとなり、東芝と契約し正式アルバム『紀元弐阡年』をリリースしました。

 

そして1年後、約束通り、解散しました。

 

この「戦争は知らない」は「帰って来たヨッパライ」のヒットを受けて出された「さすらいのヨッパライ」のB面に収録されました。

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戦争は知らない

 

作詞:寺山修司

作曲:加藤ヒロシ

 

野に咲く花の名前は知らない

だけども野に咲く花が好き

ぼうしにいっぱいつみゆけば

なぜか涙が 涙が出るの

 

戦争の日を何も知らない

だけど私に父はいない

父を想えば あヽ荒野に

赤い夕陽が夕陽が沈む

 

いくさで死んだ悲しい父さん

私はあなたの娘です

二十年後のこの故郷で

明日お嫁にお嫁に行くの

 

見ていて下さいはるかな父さん

いわし雲とぶ空の下

いくさ知らずに二十才になって

嫁いで母に母になるの


ザ・フォーク・クルセダーズ 『戦争は知らない』 (LIVE音源) 1968年

 

当時はコミックソングを歌うグループのように世間では思われていた彼らですが、関西ではアングラ・フォークが流行り出し、フォークルはその先駆者的存在でした。この後関西フォークは全盛期を迎えます。

この「戦争は知らない」以外にも「何のために」や発売中止になったイムジン河など反戦歌も歌っていました。

またザ・ズートルビーの名で「水虫の唄」をヒットさせました。


ザ・フォーク・クルセダーズ/何のために (1968年)


イムジン河 フォーク・クルセイダーズ

 

解散後は北山と加藤はデュエットでの「あの素晴らしい愛をもう一度」で大ヒットを飛ばしました。

その後北山先生は精神科医になり、加藤先生はサディスティック・ミカ・バンドを結成、ロックに転向しました。その後も音楽界の第一線で活躍しました。しかし、残念ながら2009年に62歳で亡くなりました。まさに天才という言葉がふさわしいミュージシャンでした。

一方、はしだのりひこ先生は杉田二郎「シューベルツ」を結成。「風」が大ヒットします。その後も「クライマックス」「花嫁」、そしてエンドレス」結成。その後はソロ活動と妻の看病のため主夫専念。そして2017年にパーキンソン病で亡くなりました。72歳でした。

フォークルも北山修先生だけになりました。時折テレビで見かけます。元気なようです。

 

 そして、この曲を寺山修司の劇団『天井桟敷』に入団していたカルメン・マキが彼女のファーストアルバムでカバーしました。カルメン・マキは同じく寺山修司の作詞した『時には母のない子のように』でデビューしていました。この曲がヒットしてアルバム『真夜中詩集 - ろうそくの消えるまで - 』もリリースすることになりました。

オリジナル音源ではありませんが。


カルメン・マキ 戦争は知らない

 

反戦歌が世に受け入れられていた時代です。

 

それでは今日はこの辺で。