1968年、それまでは『荒野の七人』や『大脱走』での脇役はあったものの、主役にはなれなかったブ男俳優のチャールズ・ブロンソンが、フランス映画の『さらば友よ』でアラン・ドロンと共演しました。大方の予想はアラン・ドロンの引き立て役だろうと思われていました。ところがふたを開けてみたら、すっかりアラン・ドロンを喰ってしまいました。その何とも言えない飄々とした演技と肉体美が観客を魅了しました。とくにラストシーンは語り継がれることになりました。
この後、美人女優のクラウディア・カルディナーレとの共演で『ウェスタン』を撮った後、1970年にやはりフランス映画でルネ・クレマン監督の『雨の訪問者』で主演しました。共演はマルレーヌ・ジョベールでした。殺人を犯してしまうメリーを執拗に追い詰めるアメリカの軍人、ハリー・ドブス役でした。この映画がフランシス・レイの映画音楽と共に大ヒットし、ブロンソンは一躍世界的大スターにのし上がりました。共演した女優のジル・アイアランドとの結婚もありました。
雨の訪問者のワルツ/フランシス・レイ La Valse Du Mariage/Francis Lai
これに目を付けた、商魂たくましい日本企業は早速彼をコマーシャルに起用することにしました。その会社は当時『丹頂』と名乗っていた男性用化粧品会社です。そして化粧品の名は『マンダム(MANDOM)』でした。そしてCMソングに使われたのがジェリー・ウォレス(Jerry Wallace)の『男の世界(Lovers Of The World)』でした。ジェリー・ウォレスはアメリカでも人気のカントリーシンガーでした。この曲は日本で大ヒットし、1970年のオリコンで12週連続1位を記録しました。レコード売上も130万枚を記録しました。
『丹頂』は老舗の化粧品会社でしたが、資生堂などに押されて低迷していましたが、このCMで一気にその知名度を上げ、売り上げにも大きく貢献しました。『丹頂』はこのあと社名も『マンダム』に変更しました。ちなみに私も整髪料はそれまで資生堂の「MG5」でしたが「マンダム」に変えました。
1本の映画出演がその人の人生を大きく変えた典型的な例でした。ブロンソンは15人兄弟の5番目で、リトアニア系の移民の子でした。小さい頃から炭鉱で働き、苦労しました。映画『大脱走』での穴を掘る捕虜の役は炭鉱夫の経験が生きたのでしょう。第2次世界大戦では徴兵され、東京大空襲にも参加したようです。
戦後は美術学校に入り、舞台の裏方やエキストラを経験し役者に目覚めていったようです。しかし、なかなか芽が出ず、ようやく1960年の『荒野の七』で役者として認められました。この時40歳。遅咲きのスターでした。
『雨の訪問者』の後は主役が続々と舞い込みました。『狼の挽歌』『夜の訪問者』『扉の影に誰かいる』、そしてアラン・ドロン、三船敏郎との夢の競演『レッドサン』と続きましたが、私個人の見解では『さらば友よ』『雨の訪問者』以上の作品にはめぐり逢わなかったような気がします。ブロンソンの映画はさして必要性もないのに上半身裸になるシーンが多く、おっ、また来たな、という感じで笑えました。
この「マンダム」のCMは大林 宣彦の演出だということを後から知り驚きました。砂漠を駆け下りるブロンソンの姿は今でも思い出せます。そして、あのセリフ「う~ん、マンダム」、です。
マンダム CM (1970年) チャールズ・ブロンソン 男の世界
Lovers Of The World (マンダム~男の世界) / JERRY WALLACE
それでは今日はこの辺で。