Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

この人の、この1枚 『レーサーX(Racer X)/Second Heat』

今日の「懐かしのヘヴィメタ・シリーズ(懐メタ)」はレーサーX(Racer X)です。

超速弾きギターのポール・ギルバート(Paul Gilbert,g)が最初に創ったバンドです。

ポールは1966年、イリノイ州の生まれです。5歳の頃からギターを弾き始め、高校卒業後はロサンゼルスの音楽学校のGIT科(Guitar Institute of Techonology)に進学。あまりにもギターが上手過ぎたために、1年で卒業。講師に就任します。

シュラプネル・レコードのマイク・バーニーはポールのギターに惚れ込み、バンドの結成を促します。そして集めたメンバーが

ジェフ・マーティン(Jeff Martin,vo)

ジョン・アルデレッティ(Juan Alderete,b)

ハリー・ショエッサー(Harry Gschoesser,ds)

でした。

 

そして、1986年にファーストアルバム『Street Lethal』をリリースします。

このアルバムは名義が「Racer x With Paul Gilbertとなっているように、ポールのためのアルバムでした。

 

この後、メンバーチェンジが起こります。もう一人のギタリストとしてブルース・ブイエ((Bruce Bouillet,g)が加入します。彼はポールの教え子でした。さらに、ドラムスを後のジューダス・プリーストスコット・トラヴィス(Scott Travis,ds)に代えました。

そして発表されたのが『Second Heat』です。

 

01.Sacrifice

02.Gone Too Far

03.Scarified

04.Sunlit Nights

05.Hammer Away

06.Heart Of A Lion

07.Motor Man

08.Moonage Daydream

09.Living The Hard Way

10.Lady Killer

 

プロデュースはティーヴ・フォンタノ(Steve Fontano)マイク・バーニーです。

06はジューダス・プリースト、08はデヴィッド・ボウイのそれぞれカバーです。

のっけからポールとブルースのツインギターでぶっ飛びます。このセカンドアルバムの売りは何といってもこの二人のギタープレイに尽きるでしょう。もちろん楽曲もメロディックで申し分ありません。

 

1989年にはライブアルバム『Live Extreme Volume I』をリリースします。

 

しかし、この後ジェフ・マーティンが脱退を表明。さらに、肝心なポールがビリー・シーンに誘われミスター・ビッグの結成へと向かいます。そしてスコット・トラヴィスジューダス・プリーストに参加するために脱退します。これでレーサーXは事実上消滅しました。

 

その後、1999年にポールがミスター・ビッグを脱退し、レーサーXを再結成することを表明します。ジェフ・マーティン、スコット・トラヴィス、ジョン・アルデレッティも戻りました。ブルース・ブイエは腱鞘炎のため参加できませんでした。

そしてアルバム『Technical Difficulties』がリリースされました。

 

レーサーXが戻ってきた!やっぱり、ポールは凄いです。

 

そして2000年に『Superheroes』、2003年には『Getting Heavier』をリリースします。

 

 

今のところ、この次は出ていないようです。

 

ポール・ギルバートのソロアルバムについては、いずれまたやりたいと思います。

 


Racer X - Sacrifice (Official Audio)


Scarified - Racer X


Racer X - Motor Man


Racer X - Heart Of A Lion (HQ)

 

それでは今日はこの辺で。

ケニー・ウェイン・シェパード(Kenny Wayne Shepherd)『How I Go』入手

中古漁りで買ったもう1枚のケニー・ウェイン・シェパード(Kenny Wayne Shepherd)は2011年リリースの『How I Go』です。

先日紹介した『Live in Chicago』の翌年にリリースされたアルバムです。これも買いそびれていたアルバムでラッキーでした。デラックス・エディションでボーナストラックが3曲付いています。

 

01. Never Lookin' Back

02. Come on Over

03.Yer Blues

04. Show Me the Way Back Home

05.Cold

06.Oh, Pretty Woman

07.Anywhere the Wind Blows

08.Dark Side of Love

09.Heat of the Sun

10.Round and Round

11. The Wire,

12.Who's Gonna Catch You Now

13.Backwater Blues

14.Strut

15.Butterfly*

16.Cryin' Shame*

17.Baby the Rain Must Fall*

*ボーナストラック

 

Lead Guitar, Vocals - Kenny Wayne Shepherd

Lead Vocals - Noah Hunt

Bass - Tommy Shannon,Nathan East,Scott Nelson

Drums - Chris Layton

Keyboards, Organ [B-3] - Riley Osbourn

Horns - Fil Lorenz,Marc Baum,Rich Armstrong

Backing Vocals - Pat Hodges,Stephanie Spruill

 

プロデュースはKenny Wayne ShepherdJerry Harrisonです。

リズム・セクションはスティーヴィー・レイ・ヴォーンダブル・トラブル(Double Trouble)の二人です。この頃は正式にケニー・ウェイン・シェパード・バンドのメンバーだったのでしょうか。前作でも参加していました。

 

03はビートルズ・ナンバー、06はA.C.ウィリアムス、08はダニー・テイト、13はベッシー・スミスです。

カバー曲のブルース・アレンジがカッコいい。全17曲、74分、ブルース・ロックてんこ盛り。お腹いっぱいになること請け合いです。やっぱりノア・ハントのヴォーカルがいいです。ケニーはギターに専念したほうがいいです。

 

これでケニーは最新作を除いて全て揃ったはずです。この最新作も購入する予定なのですが、なかなか手が回りません。

 


Kenny Wayne Shepherd Yer blues

 


Kenny Wayne Shepherd - Show me the way back home


Kenny Wayne Shepherd Oh, Pretty Woman


Dark side of love-The Kenny Wayne Shepherd Band


Kenny Wayne Shepherd Heat Of The Sun

 

それでは今日はこの辺で。

映画『エンテベ空港の7日間』を観る

昨日のキネ旬シアターはエンテベ空港の7日間』でした。

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監督:ジョゼ・パジーリ

主演:ダニエル・ブリュールロザムンド・パイク

製作:2018年 イギリス・アメリカ 2019年 日本公開

 

この映画は1976年にウガンダエンテベ国際空港で起きたハイジャック事件での救出作戦、通称「サンダーボルト作戦」の模様を、事件発生から救出までの7日間について描いたものです。

このサンダーボルト作戦についてはこれまでにも何度か映画化されていますが、今回の映画は珍しく犯人側の心理描写なども描いた作品になっています。

 

1976年6月27日、ギリシャアテネ国際空港を離陸したパリ行きのエールフランス139便は4名のテロリストにハイジャックされました。犯人はパレスチナ解放人民戦線・外部司令部」(通称PFLP-EO、パレスチナ解放機構(PLO)傘下の組織)のメンバー2名と西ドイツのテログループ「革命細胞(RZ)」の2名でした。主役はこの二人です。

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乗客・乗務員約240名は途中リビアで燃料を補給し、妊婦(実は嘘)を解放し、ウガンダエンテベ空港に向かい強行着陸しました。ウガンダの大統領アミンは反イスラエルだったのです。アミンは犯人を歓迎します。

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テロリストとの交渉はしない立場のイスラエル政府でしたが、ラビン首相はアミン大統領との交渉を始めました。乗客はイスラエル人とユダヤ人を残し解放されました。犯人側の要求は服役中のテロリストの釈放でした。その裏でイスラエル政府の救出作戦は着々と進めれていました。

そして遂に事件発生7日目、作戦が実行されました。イスラエルの特殊部隊がエンテベ空港へ出動しました。そして襲撃開始。犯人を全員射殺し、人質は全員解放されました。このニュースは全世界を駆け巡りました。

 

この事件を取り扱ったこれまでの映画のような派手な救出劇ではなく、あくまでも政治劇としてイスラエル政府とテロリストたちそれぞれの「正義とは何か」を問うた映画になっています。

これまでクローズアップされてきた「サンダーボルト作戦」についてはごく控えめに描き、ハイジャックに至った経緯を描いていましたが、中途半端感は拭えず、し物足りなさを感じました。もう少し詳しく当時の状況を描いて欲しかったです。

映画では西ドイツの過激派メンバーがなぜテロに参加したかなども若干描かれていますが、動機が希薄な感じです。またドイツ人がユダヤ人を殺すことにホロコーストの再現ではないかと躊躇いを感じる場面もあります。

 

このパレスチナ解放人民戦線には元共産主義者同盟赤軍派重信房子らが結成した日本赤軍も積極的に参加しました。1972年にはテレアビブ空港乱射事件(奥平剛士・安田安之死亡、岡本公三は逮捕)、1973年にはドバイ日航機ハイジャック事件、1974年にはハーグ事件、1975年にはクアラルンプール事件、1977年にはダッカ日航機ハイジャック事件などその他にも多くの事件でテロを起こしました。当初はPFLPの指導の下に関与していましたが、途中からは独自のテロを起こすようになりました。2001年には解散宣言を出しましたが、一部のメンバーは未だに活動を継続しており、捕らえられていません。岡本公三や「超法規的措置」で釈放された奥平純三、同じく元連合赤軍坂東国男東アジア反日武装戦線佐々木則夫大道寺あや子などは未だに国外逃亡中です。最高幹部の重信房子は服役中です。

 

ハイジャック事件と言うと日本ではよど号」ハイジャック事件が真っ先に思い出されます。この事件も政府側と犯人側、双方の立場に立ったドラマやノンフィクションが多く放映されたり出版されたりしました。その見方によって事件の様相も大きく変わる場合があります。この事件などはその典型かもしれません。現在も犯行グループの4人が北朝鮮に残っています。リーダーの田宮高麿は死亡したとされています。

 

連合赤軍による「あさま山荘事件」なども佐々 淳行原作の映画『突入せよ!あさま山荘若松孝二監督の実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』では、同じ事件を取り扱っても全く違う映画になっています。もちろん若松孝二監督の力作に軍配が上がるのは言うまでもありません。

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話が逸れました。

このようにイスラエルパレスチナの中東問題は第2次世界大戦後から今まで止むことなく続いています。英米の独断がこのような結果を招いたと言ってもいいでしょう。今では中東全土に広がり、収拾がつかない状態になっています。アメリカによる武力介入は何の成果も挙げられなかったことは明白です。現在のイランに対する敵視政策も功を奏するとは思えません。今後、いかなる政策で中東問題の鎮静化を図るのでしょうか。

 

映画のオープニングと途中に挿入されるダンス劇と意味不明なエンディングはいらなかったような気がします。

 


10/4(金)公開『エンテベ空港の7日間』予告

 

それでは今日はこの辺で。

 

 

聴き比べ ズー・ニー・ヴーと尾崎『また逢う日まで』

今日の「聴き比べ」はまた逢う日までです。

また逢う日まで』と言えば、尾崎紀世彦の歌唱で有名です。1971年のレコード大賞の受賞曲です。爆発的なヒットをしました。

高校生の時の修学旅行で京都に行った時に、歌声喫茶なるものに入ったら、この曲をみんなで合唱していました。私は聴いたことがなかったので、京都ではこんな歌が流行っているんだな、などと思いました。それから暫くしたらこの曲がテレビで何度も歌われるようになり、驚きました。歌っている人の迫力ある歌いかたにも驚いたものです。

 

しかし、後になって知ったのですが、この曲の原曲はグループサウンズズー・ニー・ヴーが1970年に発売し歌った曲でした。タイトルはひとりの悲しみです。作詞は阿久悠、作曲は筒美京平でした。詩が『また逢う日まで』とは全く違っています。

この曲は阿久悠が「安保闘争に挫折した青年の孤独」をテーマに作詞したものでした。しかし、売れませんでした。ズー・ニー・ヴーはその前年に『白いサンゴ礁でヒットを飛ばしていました。グループサウンズも末期の頃で、どちらかというとフォークっぽい曲でした。この『ひとりの悲しみ』もその路線を狙ったのでしょうが不発でした。

 

ひとりの悲しみ

作詞:阿久 悠

作曲:筒美 京平

 

明日が見える 今日の終りに

背のびをしてみても 何も見えない

なぜか さみしいだけ なぜか むなしいだけ

こうして はじまる ひとりの悲しみ

 

こころを寄せておいで あたためあっておいで

その時二人は何かを見るだろう

 

一人がだまって いたい時には

一人はなぜかしら 話したくなる

なぜに 二人だけが なぜに 話せないの

こうして はじまる ひとりの悲しみ

 

こころを寄せておいで あたためあっておいで

その時二人は何かを見るだろう…

 

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ズー・ニー・ヴーZoo Nee Voo/ひとりの悲しみHitori No Kanashimi (1970年)

 

その頃、筒美京平の楽曲を管理していた日音の村上司は、カントリーバンド上がりの尾崎紀世彦にこの歌を歌わせたところ、尾崎も気に入り、村上は阿久悠に歌詞を変えて欲しいと頼みました。阿久悠は渋々了解し、「別れ」をテーマにした詩に書き替えました。そして生まれたのが『また逢う日まで』でした。

 

また逢う日まで  

作詞:阿久 悠

作曲:筒美 京平

 

また逢う日まで逢える時まで

別れのそのわけは話したくない

なぜかさみしいだけ なぜかむなしいだけ

たがいに傷つきすべてをなくすから

 

ふたりでドアをしめて ふたりで名前消して

その時心は何かを話すだろう

 

また逢う日まで逢える時まで

あなたは何処にいて何をしてるの

それは知りたくない それはききたくない

たがいに気づかい昨日にもどるから

 

ふたりでドアをしめて ふたりで名前消して

その時心は何かを話すだろう

ふたりでドアをしめて ふたりで名前消して

その時心は何かを話すだろう

 

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また逢う日まで 尾崎紀世彦

 

尾崎紀世彦にとってはこの曲との出会いは人生を変えたと言っても過言ではないでしょう。テレビに出演したときは最後の最後まで必ずこの歌を歌っていました。尾崎紀世彦は2012年、肝臓がんのため亡くなりました。69歳でした。

 

それでは今日はこの辺で。

聴き比べ『ハートに火をつけて(Light My Fire)』

今日の「聴き比べ」は『ハートに火をつけて(Light My Fire)』です。

「ハートに火をつけて」と言えば、もうザ・ドアーズ(The Doors)で決まりですが、意外な人がカバーしています。

 

Light My Fire

by Jim Morrison,Ray Manzarek,Robby Krieger,John Densmore

 

You know that it would be untrue

You know that I would be a liar

If I was to say to you

Girl, we couldn't get much higher

Come on baby, light my fire

Come on baby, light my fire

Try to set the night on fire

 

The time to hesitate is through

No time to wallow in the mire

Try now we can only lose

And our love become a funeral pyre

Come on baby, light my fire

Come on baby, light my fire

Try to set the night on fire, yeah

 

The time to hesitate is through

No time to wallow in the mire

Try now we can only lose

And our love become a funeral pyre

Come on baby, light my fire

Come on baby, light my fire

Try to set the night on fire, yeah

 

You know that it would be untrue

You know that I would be a liar

If I was to say to you

Girl, we couldn't get much higher

Come on baby, light my fire

Come on baby, light my fire

 

Try to set the night on fire

Try to set the night on fire

Try to set the night on fire

Try to set the night on fire

 

1967年の彼らのデビューアルバムThe Doorsに収録され大ヒットしました。ドアーズの記念すべき最初のヒットでした。アルバムバージョンは7分と長いですが、シングルバージョンは3分ほどです。インスト部分がカットされています。


Light My Fire

 

この曲はその翌年にさっそくカバーされてヒットしました。それはスパニッシュ・ギターを奏でるプエルトリコの盲目の歌手ホセ・フェリシアーノ(José Feliciano)です。

日本でも「雨のささやき」で大ヒットしました。1968年のアルバム『Feliciano!』に収録されました。全米で3位にまでなりました。彼の出世作となりました。同じ曲とは思えないくらいのアレンジです。


José Feliciano - Light My Fire

 

面白いところでは、シャーリー・バッシー(Shirley Bassey)です。シャーリー・バッシーといえば「007シリーズ」の主題歌で有名です。その彼女が1970年のアルバム『Something』のなかでカバーしました。なかなかの迫力です。


Light My Fire (1994 Remaster)

 

この曲は意外なことに、当時ロックというよりはポピュラー歌手と言われていた人達によくカバーされたのです。

 

ドアーズとは全く趣が違って、これもまた面白いのです。

 

それでは今日はこの辺で。

 

聴き比べ『サマータイム・ブルース(Summertime Blues)』

今日の「聴き比べ」はサマータイム・ブルース(Summertime Blues)』です。

サマータイム・ブルース」と言えば、私などより上の年代の方はエディ・コクラン(Eddie Cochran)でしょう。この人が本家本元で、1958年のヒット曲です。作者はエディ・コクランジェリー・ケープハート(Jerry Capehart)です。全米8位になるヒットでした。当初はシングルのB面として発売されました。

 

Summertime Blues

By Eddie Cochran and Jerry Capehart

 

Well, I’m gonna raise a fuss

I’m gonna raise a holler

About a working all summer

Just to try to earn a dollar

Well, time I called my baby

Try to get a date

My boss says, no dice son

You gotta work late

Sometimes I wonder

What I’m a gonna do

But there ain’t no cure

For the summertime blues

 

Oh, well my Mom and Poppa told me, son

You gotta make some money

If you want to use the car

To go ridin’ next Sunday

Well I didn’t go to work

Told the boss I was sick

Well you can’t use the car

Cause you didn’t work a lick

Sometimes I wonder

What I’m a gonna do

But there ain’t no cure

For the summertime blues

 

I’m gonna take two weeks

Gonna have a fine vacation

I’m gonna take my problem

To the United Nations

Well I called my congressman

And he said, whoa

I’d like to help you son

But you’re too young to vote

Sometimes I wonder

What I’m a gonna do

But there ain’t no cure

For the summertime blues

 

www.youtube.com

 

私などが真っ先に浮かぶのがザ・フー(The Who)です。モンタレー・ポップの映像だったか、ウッドストックだったか忘れましたが、ロジャー・ダルトリーがマイクを振り回し、ピート・タウンゼントが飛び回り、アンプを壊し、ギターを壊す。これがロックだ、などと感激したものでした。

アルバムでは『Live at Leeds』に収められました。


Who - Summertime Blues (live,1969) 0815007

 

それから忘れてならないのは、以前にも書いたブルー・チアー(Blue Cheer)です。彼らの1968年のファーストアルバム『Vincebus Eruptum』に収録されました。サイケデリックサウンド全盛期の頃です。いかにもそれらしいです。


Blue Cheer - Summertime Blues

 

そしてT.Rexです。シングルのB面として発売され、後にコンピレーション・アルバム『Bolan Boogie』に収められました。

 


T.Rex - Summertime Blues

 

この他にも多くの人がカバーしています。

私にとっては、ザ・フーの映像と共に忘れられない曲でした。そういう意味でやはりザ・フーの楽曲が一番印象に残ります。

 

それでは今日はこの辺で。

映画『ゴッホとヘレーネの森』を観る

昨日のキネ旬シアターはゴッホとヘレーネの森』でした。

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監督:ジョバンニ・ピスカーリオ

主演:ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ

制作:2018年 イタリア 2019年日本公開

 

この映画は美術史の中でも最も偉大な画家の一人とされるフィンセント・ファン・ゴッホと彼の作品の最大の個人コレクターとして知られるヘレーネ・クレラー=ミュラーの人生のドキュメンタリーです。

 

ゴッホはご存じの通り1890年、37歳でピストル自殺によってこの世を去ります。当時は無名の画家でした。そして死後もやはり無名でした。

この無名の画家ゴッホの絵に惹かれたのがヘレーネでした。ヘレーネはオランダ有数の資産家で4人の子持ちでした。娘が通う絵画教室で評論家のヘンク・ブレマーと出会い絵画のコレクションを始めます。その時にゴッホの作品とも出会います。ここから彼女のゴッホ作品の収集が始まります。そしてその数は300点にも上ります。

 

そしてヘレーネは美術館を造ることを決めますが、金銭的に無理があり一時は断念します。しかし諦めきれないヘレーネは別荘とコレクションをオランダ国に寄贈する代わりに美術館を建設することを取り付けます。そして1938年、森の中にオランダ国立『クレラー=ミュラー』美術館が完成し、ヘレーネは初代館長に就任します。しかし、その5か月後に彼女は亡くなります。

 

生涯出合うことのなかった二人でした。皮肉なことに共に死後に高い評価を得ました。

 

案内役は女優で映画監督のヴァレリア・ブルーニ・テデスキです。

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ゴッホが画家を目指したきっかけや作風の変化、精神を病んでいく経緯などを膨大な手紙類から紐解いていきます。

私自身それほどゴッホに対する知識があるわけでは無かったので、今まで知らなかったゴッホの絵の秘密めいた謎が解けたようで興味深く観れました。あの独特なタッチが生まれた経緯なども理解できました。

 

 

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映画『ゴッホとヘレーネの森 クレラー・ミュラー美術館の至宝』予告編

 

それでは今日はこの辺で。