本日の朝日新聞の訃報欄に小さく「加川良さん亡くなる」の記事が載りました。69歳でした。急性骨髄性白血病だそうです。早すぎる死に驚愕、言葉がありませんでした。
60年代後半、関西フォークのブームに乗って登場してきました。1970年の第2回中津川フォークジャンボリーに飛び入り出演して大喝采を浴びたそうです。当時、高石友也や岡林信康に心酔していた私はその流れで高田渡、遠藤賢司などもよく聴いていたのですが、ある時友人の家で『岡林信康コンサート』というライブアルバムを聴かせてもらいました。その中で加川良が高田渡、岩井宏とともに出演して『教訓1』という曲を歌いました。当時はまだまだプロテストソング、いわゆる反体制的なフォークが主流を占めていた中で彼の歌はそれをちょっと揶揄するような、メッセージも直截的なものから一歩引いたような歌詞で、曲調もカントリーやアメリカンフォーク的なものでほのぼのとしていました。そのごソロアルバムが発売され人気も急上昇で吉田拓郎が出るまではフォーク界のアイドル的な存在でした。
教訓1の歌詞
命は一つ、人生は1回
だから命を捨てないようにね。
あわてるとついフラフラと
お国のためなのといわれるとね
*青くなって尻込みなさい、逃げなさい、隠れなさい*
お国は俺たち死んだとてずっと後まで残りますよね
失礼しましたで終わるだけ
命のスペアはありませんよ
*繰り返し
命を捨てて男になれと
言われた時には震えましょうよね
そうよあたしゃ女で結構
女の腐ったのでかまいませんよ
*繰り返し
死んで神様といわれるよりも
生きて馬鹿だといわれましょうよね
きれいごと並べられた時も
この命を捨てないようにね
*繰り返し
昨今、なにやらキナ臭い世の中になって、それに対する抵抗感も薄らいでいる時代にもう一度この歌を聴き直してみるのもいいかもしれませんね。
このファーストアルバムの次に発表されたのが『親愛なるQに捧ぐ』にというアルバムでした。
このアルバムの中に『下宿屋』という曲があるのですが、当時深夜放送でよくかかっていました。これは高田渡のことを唄っているといわれているのですが、歌ではなく朗読ですが、実にしみじみしていいんです。高田渡の生活が目に浮かんでくるようで、素晴らしい詩です。この歌など聴くと彼はミュージシャンであると同時に素晴らしい詩人だったなと思います。
1973年12月31日夜から元旦にかけての晴海でのコンサート(当時はライブをコンサートと呼んでいた)『大晦日』を友人のK.K君とS.S君と一緒に観に行きました。出演は岡林信康、泉谷しげる、遠藤賢司、三上寛、加川良、海援隊、他に佐渡山豊、バックに細野晴臣、松本隆、伊藤銀次、鈴木慶一ら。今考えるとすごいメンバーですよね。徹夜で観て元旦の朝、電車で初日の出を見ながら帰ったのを覚えています。なつかしいなー。
でも、これだけのメンバーで入場料が1300円なんて信じられませんよね。
何年か前にNHKBSで加川良のライブを放送したことがあって暫くぶりにかれの動いている姿と歌声を聴き懐かしく思いました。幸いDVDに録画しておいたのでこれを機にまた彼の生前の姿を見ることにしましょう。
心よりご冥福を祈ります。合掌