Flying Skynyrdのブログ

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フリー(Free)~コゾフ(Kossoff)とロジャース(Rodgers)の運命は

今日は「フリー」です。ブルースロック・シリーズで取り上げようか迷いましたが、彼等はやはりハードロックの旗手として捉えたほうがしっくりする様な気がしましたので、単独で取り上げてみたいと思います(どうでもいいことですが)。

フリーはポール・ロジャース(Paul Rodgers ,vo,g)、ポール・コゾフ(Paul Kossoff ,g)、アンディ・フレイザー(Andy Fraser ,b)、サイモン・カーク(Simon Kirke,ds)の4人でイギリスで結成され、1969年にデビューします。

デビューアルバムは『Tons Of Sobs(トンズ・オブ・ソブス)』です。

これは濃厚なブルースロックアルバムです。このアルバムのために初めに書いたようにブルースロック・シリーズに載せようか迷ってしまったのです。実はこのアルバムは私にとってはフリーのアルバムの中では最も好きなアルバムの1枚です。ロジャースのヴォーカルは声の質といいロックを歌うために生まれてきたような、まさに天才ヴォーカリストです。コゾフのギターは泣きのギターで有名ですが、ギターが震えているようです。

次は『Free(フリー)』です。このアルバムではフレーザーの曲(ロジャースとの共作ですが)が全曲を占めるようになります。前作では2人の共作は2曲だけで、あとはロジャース単独の曲が多かったのですが、フレーザーのソングライティング能力が上がってきたのです。(1969年)

そして、いよいよ『Fire And Water(ファイアー・アンド・ウォーター)』の登場です。この中の「オール・ライト・ナウ」が大ヒットしフリーは完全にハードロック界のスターにのし上がりました。このアルバムには他にもタイトル曲や「ミスター・ビッグ」「ヘヴィー・ロード」なども収録されています。(1970年)

次は『Highway(ハイウェイ)』です。このアルバム発表後にアンディ・フレイザーバンドを去ります。私個人的には前作よりこちらのほうが好きでした。「ビー・マイ・フレンド」「サニー・デイ」「スティーラー」「ハイウェイ・ソング」など名曲ぞろいですが、静かな曲が多いので賛否が分かれたのでしょう。最後の曲が「スーン・アイル・ビー・ゴーン」というアンディの曲が意味深です。(1970年)

翌年、『Free Live!(フリー ライヴ!)』が発表されます。これは文句なしのライヴアルバムです。いい曲ばかり揃えたという感じです。最初にこのアルバムを聴けば好きになること間違いなしです(大袈裟か)

この後、バンドは解散状態になりましたが、サイモンとコゾフが日本人ベーシスト山内テツとキーボードのジョン・バンドリック(ラビット)を誘い、”Kossoff ,Kirke,Tetsu,Rabbit"というユニットを発足させレコーディングしました(『Kossoff ,Kirke,Tetsu,Rabbit』)。

これがうまくいきサイモンの呼びかけでフリーは再結成されることになりました。

 そして発表されたのが『Free At Last(フリー・アット・ラスト)』です。オリジナルメンバーによる最後のアルバムとなりました。(1972年)

この後、アンディが抜け、テツとラビットが加わり、本当に最後のアルバム『Heartbreaker(ハートブレイカー)』が発表されました。このアルバムではコゾフの参加は数曲だけでした。ロジャースが代わりにギターを弾いています。コゾフはドラッグまみれで、メンバーが何とか彼を立ち直らせようといろいろ努力したようですが、結局はこれで解散ということになりました。

このアルバムは1曲目の「ウィッシング・ウェル」から4曲目の「ハートブレイカー」までの流れが素晴らしく(レコードのA面)、なかでも2曲目の「カムトゲザー・イン・ザ・モーニング」はロジャースの声とコゾフのギターが思い切り泣いて、震えます。アルバムジャケットもカッコいいです。私にとってこのアルバムはひときわ思い入れが激しく、特にタイトルナンバーの「ハートブレイカー」は一生涯忘れることができない曲になりました。理由は言えません。

フリーのアルバムがCD化されたとき面白いものを発見しました。

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背表紙を並べるとそれぞれコゾフとロジャースの顔になります。やってくれましたよ。

フリー解散のあとは、ポール・ロジャースはサイモン・カークと"Bad Company(バッド・カンパニー)"を、ポール・コゾフは1973年にソロ・アルバム『Back Street Crawler(バック・ストリート・クローラー)』を発表します。これにはフリーのメンバーも参加し、私も嬉しくなりました。

そして、このアルバムのタイトル名と同じグループ名で活動を始めます。そして2枚アルバムを制作しますが、1976年、2枚目の制作途中で飛行機の中で亡くなります。ドラッグ中毒です。アルバムは『Band Plays On(バンド・プレイズ・オン)』と『2nd Street(セカンド・ストリート)』でした。わずか25歳でした。ショックでした。後者が遺作となってしまいました。

 

このバンドはその後、Crawlerと名前を変え、2枚ほどアルバムを出して解散します。

 

一方ポール・ロジャースのバッド・カンパニーはサイモン・カークの他にモット・ザ・フープルのギタリスト ミック・ラルフス、キング・クリムゾンのベーシスト ボズ・バレルでスタートします。

デビューアルバムから大ヒットで不動の人気を獲得します。『Bad Company(バッド・カンパニー)』とにかくこのアルバムは凄い。全曲文句なし。ミック・ラルフスのモット・ザ・フープル時代の「レディ・フォー・ラブ」もロジャースのヴォーカルだとまたひと味違って名曲として生まれ変わります。(1974年)

続いては『Straight Shooter(ストレイト・シューター)』です。この発表の年(1975年)に来日します。もちろん観に行きました。日本武道館です。確か1日だけの公演であまりいい席が獲れなかったように記憶していますが、それでもポール・ロジャースを聴けたことで満足でした。

さらに1976年、77年と続けて『Run With The Pack(ラン・ウィズ・ザ・パック)』、『Burnin' Sky(バーニング・スカイ)』と続けてアルバムを発表します。

  

しかし、このあとしばらく休養に入り、1979年、久々に出されたアルバム『Desolation Angels(ディゾレイション・エンジェルス)』も高評価でしたが、再び長期休養に入ります。

そして、1982年に『Rough Diamonds(ラフ・ダイアモンド)』を発表しますが、かつてのような輝きはみられませんでした。ここでポール・ロジャースはグループを脱退します。

 

脱退後はソロアルバム(『Cut Loose』)を発表したり、ツェッペリンジミー・ペイジとグループを組んだり(The Firm)し、1993年にはマディ・ウォーターズへのトリビュート・アルバム(『Muddy Water Blues』)を制作したりします。そして、1998年にはオリジナルメンバーにより、バッド・カンパニーを再結成します。こうしてポール・ロジャースは今でも活躍しています。

 

 

このように見てくると、同じ志を持った二人の若者が同じように脚光を浴びながら、その後の人生の明暗はどう理解すればよいのでしょうか。片や人知れずぼろぼろになって亡くなり、片や常に音楽界の第一線でいまだに活躍中。この対称的な人生を歩んだ二人ですが、音楽にかける情熱は同じように激しかったのでしょう。どちらが勝ち、負けということはありませんが、この違いはどこから来るのでしょう。改めて人生の不可思議さを思い知らされる二人の生き方でした。あっ、ロジャースはまだ終わっていませんね。失礼しました。ポール・ロジャースの今後の活躍を祈ります。

なお、フリーの全貌は5枚組CD『Songs Of Yesterday』で聴くことが出来ます。

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