Flying Skynyrdのブログ

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サザン・ロックの台頭 1970年代 ② レナード・スキナード

レナード・スキナード(Lynyrd Skynyrd) 登場!

 

サザンロックの2回目、当然ながらレナード・スキナード(以下、レナード)でしょう。

レナードは60年代中ごろから既に別のグループ名で活動していましたが、1970年にグループ名をレナード・スキナードに変更します。これは高校時代の変わった名前の体育教師をもじってつけたらしいです。地元ではローリング・ストーンズより人気があると評判のバンドでした。

そのころ南部の音楽に興味を抱いていたアル・クーパーが彼らのステージを観て一遍に気に入り、彼が設立したレーベル、「サウンズ・オブ・サウス」に彼らを誘い、契約が成立しました。アルが南部に興味を抱いたのは、その4年ほど前にアトランタの公演の際に南部の音楽に触れ、4年後自身のアルバム『赤心の歌(Naked Song)』のレコーディングを"アトランタ・リズム・セクション(Atlanta Rhythm Section)"と行ったことです。

レコーディングの合間を縫い、地元のクラブに通い、そこでモーズ・ジョンーズやレナードのステージを観て、自身のレーベルの設立をMCAレコードに持ち掛け、すべてのプロデュースを任されました。レーベルの契約第1弾はモーズジョーンズでレナードが第2弾でした。

アル・クーパーはこうしてみると大変な才能の持ち主でした。ボブ・ディランのレコーディングの参加、マイク・ブルームフィールドとのセッション、ブルース・プロジェクト、BS&T(ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ)の結成、ソロ活動、プロデュース、レーベル経営とまさに八面六臂の活躍です。

ということで、レナードは1973年にファーストアルバムを発表します。『レナード・スキナード(Pronounced'Leh-'nerd'Skin-'nerd)』です。

メンバーはロニー・ヴァン・ザント(Ronnie Van Zant,vo)、ゲイリー・ロッシントン(Gary Rossington,g)、アレン・コリンズ(Allen Collins,g)、エド・キング(Ed King,g)、ビリー・パウエル(Billy Powell,key)、ロバート・バーンズ(Robert Burns,ds)、レオン・ウィルクソン(Leon Wilkeson,b)の7人編成のトリプルギターです。もう定番の「Free Bird」それと「Tuesday's Gone」「Simple Man」、ライブではおなじみ「Gimme Three Step」など名曲ぞろいです。オールマン・ブラザースとはまた違った南部の泥臭さと洗練された音がうまく組み合わさった、新しい南部の音楽が出現したという感じでした。ブルース・プロジェクトのスティーヴ・カッツやアトランタ・リズム・セクションのメンバーも参加しています。

次に翌年、『セカンド・ヘルピング(Second Helping)』を発表します。

この中の「Sweet Home Alabama」が大ヒットを記録し、レナードは全米でも名の知れたバンドへと成長します。ちなみにこの歌はニール・ヤングアラバマ州を批判した「Southern Man」や「Alabama」へのアンサー・ソングと言われています。それでもニールとレナードの仲は良好です。この時からドラムがアーティマス・パイルに代わりました。

どうやらこの頃から、ウェストコースト、イーストコーストに対応して”サザン”という言葉が使われ始めたようです。

つづいて第3弾『ナッシン・ファンシー(Nuthin' Fancy)』が翌年の1975年に発表されます。ここでは完全にサザン・ロックという言葉が使われています。

ここでも「Saturday Night Special」が大ヒットし「Whiskey Rock-A-Roller」などの名曲が揃います。

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これはポスターです。

つづいて翌年『不屈の魂(Gimme Back My Bullets)』をリリースします。1年1作を守っています。

ジャケットを見ればわかりますように、メンバーが1人少なくなっています。エド・キングです。突然の脱退でした。エドが辞めたことでトリプルギターは聴けなくなりました。本当に残念でした。プロデュースもアル・クーパーからオールマン・ブラザースやデレク・アンド・ドミノスでおなじみのトム・ダウドに代わりました。タイトル曲や「Double Trouble」「Searching」「Cry For The Bad Man」など相変わらずレナード節を聴かせてくれます。

続いてはライブアルバムです。『レナード・スキナード・ライブ(One More From The Road)』。せっかくですから見開きジャケットでどうぞ。

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1976年の7月7日から3日間、本拠地アトランタのフォックスシアターでのライブの模様を収めたライブです。このライブでは、エド・キングに代わりスティーヴ・ゲインズ(Steve Gains,g)が加わり再びトリプルギターになりました。選曲もよくとにかくカッコいい。個人的には「Simple Man」も入れて欲しかったなという感じです。が、文句なし。

そしていよいよ来ました!日本公演です。

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中野サンプラザです。興奮しました。アレン・コリンズのフライングV、カッコよかった。ロニー、渋い。ゲイリー、寡黙で渋い。スティーブカッコいい。エドがいればなあなんて思ったりしていました。

 

しかしこの後悲劇が起こります。この年の10月からのツアーを開始して、移動のために乗っていた飛行機が墜落。ロニーとスティーヴ、さらにスティーヴの姉でバックコーラスを担当していたキャシー・ゲインズの3人が亡くなりました。その時はレオンも重体という事でしたが助かりました。このニュースはちょうど友人たちと夜、麻雀をやっていてラジオからこの知らせが入ってきたのです。あっけにとられ、しばらく言葉が出ませんでした。あの中野サンプラザの光景がまざまざと蘇りました。

バンドは解散します。ツアーの開始から間もなくしてニューアルバムが発表されましたが、まさにバンドの遺作となりました。『ストリート・サーバイバーズ(Street Survivors)』です。これもせっかくですから見開きジャケットで。

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帯が取れなくてすみません。このジャケット発売からしばらくして、あまりにも残酷だということで差し替えられた時期がありました。それがこれです。

Street Survivors

何とも切ないジャケットです。

このアルバムはスティーヴのスタジオでの最初で最後の録音となってしまいました。

彼はこの中で8曲中4曲も提供(共作も含む)してこれからの中心的な存在になると期待されていました。本当に残念です。それとこの中で1曲「One More Time」はエドを含む昔のメンバーによる録音になっています。なんとも意味深でした。

事故から1年後、未発表曲を集めた『ファースト&ラスト(Skynyrd's First & ......Last)』が発表されました。これも見開きで。

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その後はアレン・コリンズとゲイリー・ロッシントンは”ゲイリー・ロッシントン・バンド”を結成し2枚のアルバムを発表します。

 

 アレンはその後交通事故に遭い、下半身不随になり、1990年に亡くなりました。

アーティマスは自身のバンド"アーティマス・パイル・バンドを結成します。

1987年にビリー、エド、レオン、ゲイリーはロニーの弟、ジョニー・ヴァン・ザントをヴォーカルに迎え、レナード・スキナードとして再結成しました。現在も活動中です。

70年代のコンピレーション、未発表ライブ音源、トリビュートなど数多く発表されています。ほとんど入手しましたが、参考までに一部を掲載します。

                            

 CDにはボーナストラックがたくさんついているものもあり、お得かもしれません。それでもオリジナルレコードで聴くのもやっぱりいいのです。

 

それでは今日はこの辺で。