Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

『フィリップ・セイス(Philip Sayce)』を聴く

今日はフィリップ・セイス(Philip Sayce)の『Silver Weels Of Stars』を紹介します。

フィリップ・セイスを聴くのは初めてです。名前は以前から知っていたのですが、買うチャンスがありませんでした。ところが最近安価で見つけたので購入することに。

先日紹介したメリッサ・エスリッジのバックでギターを弾いていた人です。ブルース・ギタリストという触れ込みでだったので、なんとなく記憶していたのですが、このアルバムはブルース色は薄く、どちらかというとハードロックにバラードを交えたオーソドックスなロックアルバムに仕上がっています。インストナンバーなどはジミヘンを感じさせたりします。全体的にいろいろなアーティストの影響を感じさせます(ツエッペリンだったりパープルだったりと)。

彼はクラプトンやジミヘン、スティーヴィ・レイヴォーンなどに影響を受けたといいますからやはりブルースの影響が強いのでしょう。年齢的には40歳を超えて、決して若くはありませんが、メリッサと出会うことで道が開けたという感じなのでしょうか。このアルバムでもメリッサが1曲デュエットしています。

この後のアルバムを聴いていないのでその後どのようになっているのかは今のところ不明です。このアルバムの前に2枚、この後に5枚ほど出しているようです。安価で見つけたら買ってみることにします。

 

高校時代の読書について

昔のことを書いていると、いろいろと思い出されることが多く、回顧録のようになってしまいますが、それはそれでまあいいかと思い、頭に蘇るまま書き綴ることにします。

今日は高校時代にどんな本を読んでいたかを思い出してみます。まず頭に浮かぶのは、大学に通っていた兄から薦められて読んだカミュ『異邦人』です。高校入学間もない頃だったと思います。不条理だの実存主義弁証法唯物論などなど当時はこういう言葉が飛び交っていたように思います。

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『異邦人』の書き出し、「きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない。養老院から電報をもらった。『ハハウエノシヲイタム、マイソウアス』これでは何もわからない、おそらく昨日だったのだろう。」。これは衝撃的でした。主人公ムルソーは葬儀の翌日、女と情事にふけり、映画を観て笑い転げ、母親の死んだ悲しみなどかけらもなく、普段どうりの生活をし、最後には殺人まで犯してしまいます。第2部の殺人事件の裁判で、ムルソーはその動機について聞かれ、「太陽がまぶしかったから」と答え、聴衆の憎悪を煽ります。判決は死刑。ムルソーは満足します。そして最後に「自分が幸福だったし、今なお幸福であることを悟った。一切がはたされ、私がより孤独でないことを感じるために、この私に残された望といっては、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけだった。」で終わります。

私はそれまでこういった小説を読んだことがなかったので面喰いました。が、引き込まれました。訳もわからずにというか、何かが自分の中で動いたような気がしたのです。

元々私はそれほど読書が好きなわけではありませんでした。小学校の時は『世界名作全集』なるものを半強制的に読まされましたので、一応有名な小説は一通り読んではいましたが、夢中になるというほどでもありませんでした。中学校では部活が忙しく、夜も遅く、休みの日も部活で読書どころではありませんでした。ということで本格的に読書に目覚めたのはやはり高校生になってからでした。

『異邦人』に続いて『ペスト』カフカの『変身』『』などを読み漁り、しまいにサルトルの『嘔吐』まで行って訳が分からなくなりました。木の根っこを見て嘔吐するってなんだよ、ってな感じでした。その他に弁証法などの哲学本などにも触手を広げていきました。が、結局理解には程遠かったのでしょう。そういうものを読んでること自体に自己満足していたのかもしれません。

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学校では高校1年で隣の席の友人が、マルクス=エンゲルスの『共産党宣言』や毛沢東の『実践論・矛盾論』などなどを読めと、重要な部分に赤線を引き熱心に薦めてきます。

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私は薦められるまま、様々なその類いの本を読み続けました。時代がそういうものを要求していたのでしょう。卒業後その友人は活動家になって関西方面に行き、その後行方知れずになりました。そういうことも当時の社会風潮でした。

このあとは、芥川、太宰、三島、坂口、漱石、鴎外、藤村、北杜夫などなど純文学と呼ばれる作家、そして司馬遼太郎子母澤寛など歴史小説や歴史関連本にも興味が広がっていきます。さらにはサスペンス、ミステリーまで幅広い分野にわたることになりました。この間、三島由紀夫の自決事件という衝撃的な出来事もあり、知的欲求は高まっていきました(頭のレベルは置いといて)。

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高校時代の3年間だけでもこのように読書の範囲は多岐にわたりましたが、それでもやはり読書のきっかけは未知の世界へと導いてくれたカミュカフカだったのは確かでした。

大学生になると様々な出会いから、いろいろな人の影響を受けるようになります。そのころ学生の間で人気のあった大江健三郎吉本隆明高橋和巳安部公房なども読むようになりましたが、これは少し先の話になります。

これらの本は多分に私の映画や音楽の好みに影響を与えていたと思います。こうして私の思春期から青年期にかけての人格みたいなものが形成されていったのかもしれません。人間の運命とは面白いものです。人との出会いで大半が決するのではないでしょうか。

今日はこの辺で、またの機会にそれからの読書生活について書いてみたいと思います。

余談ですが、昔の本の活字の小ささといった驚きです。こんな細かい字を読んでいたのかと思うと、今の本の字は本当に大きいです。昔の老人は偉かった。

『去年マリエンバートで』回想

今日は映画漬けの大学生生活の中から、今から約40数年前に観た、当時得意になって観ていた難解映画の極致とも思える作品の一つ、『去年マリエンバートで』について書いてみたいと思います。なぜかふと思い出しましたので。

監督:アラン・レネ

脚本:アラン・ロブ=グリエ

アラン・レネはフランスの映画監督で、『ゲルニカ』やアウシュヴィッツを描いた『夜と霧』といった短編のドキュメンタリー作品が多く、最初の長編映画が広島原爆を扱った『二十四時間の情事』で第2作目がこの『去年マリエンバートで』でした。

 

日本公開は1964年ということで当然私はその当時に観ることはできませんでしたし、映画に興味をもって盛んに洋画を観るようになってからも、この監督と映画の存在は知っていましたが、残念ながら観る機会はありませんでした。東京へ出てからも、当時どこの名画座でも上映していませんでした。東京へ出て1年程経ったある時、ある会館の特別上映会(昔はよく特別上映会というのを映画館以外で上映していました)で初めて観ることが出来ました。その時は内容などさっぱり理解できませんでしたが、待望の観られたということだけで充分満足でした。

内容はアラン・ロブ=グリエ芥川龍之介の「藪の中」にヒントを得たと言っています。「藪の中」と言えば、黒澤明の『羅生門』も同じ小説を題材にしています。

舞台はあるおおきな宮殿のようなホテルとその庭園です。

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ある男がある女に「私は去年あなたに合った」と言うが女は「知らない」という。この類の会話が延々と続き、時間は止まったり流れたり、画面も止まったりまた動き出したりと、そして同じナレーション(男の)が繰り返され、こちらの頭も混乱してきます。どうやら男の記憶では去年その女と恋仲になるが、女には夫がおり、その夫から一緒に逃げようということになったらしいが、女はそんなことは知らないという。しかしやがて女もその記憶の中に入り込み、夫も妻が男と付き合っている事実を知っているという。そして女は夫を捨て男とホテルから逃げ出すというような話です。

このように書いている自分もこんなストーリーが正しいのか間違っているのかはっきりわかりません。なにしろ40年以上前のことですから定かではありません、悪しからず。ただ記憶と現実、過去と現在、主観と客観、を時間という軸から場面場面を切り取ってつなぎ合わせていくというようなイメージを受けた記憶があります。これも記憶ですからすでに確かなものではないと思いますが。記憶とは何なのでしょうか、とふと考えてしまいます。当時の映画にはこのように現実と虚構、主観と客観など哲学的なテーマを取り扱ったものがおおかったような気がします。果たして自分の解釈が的を射たものなのかどうかは未だにわかりませんし、これからもわからないでしょう。また、正解などあるのかどうかもわかりません。文学でも映画でもその解釈は10人いたら10通りあると今では思えます。ただ当時はなんとしても正解にたどり着きたいという思いが強く、自分の理解力の低さを嘆くばかりでした。作者の意図したものは確かにあるはずなのですから、それを理解出来ないのは観る側の能力が低いのだと思い込んでいたのです。それでも難解な映画を観る醍醐味はやっぱりその映画を観て考え抜くということの楽しさだったのでしょう。歳を重ねるごとに、映画や小説などというものは自分なりに理解し、楽しめばいいのだという境地に至りました。これを成長というのか諦めというのかはわかりませんが、それでいいのだと今は納得しています。

この映画はまた白黒映画ですが映像の美しさと、構図の見事さに圧倒されます。上の写真の庭園も凄いですが、ホテル(宮殿)のなかの壁や天井の装飾、階段や廊下などシンメトリーの美しさというか幾何学的な美しさというか、圧倒的な迫力を感じた記憶があります(これも記憶ですが)。

ちなみにこの庭園はミュンヘンにあるニンフェンベルク城の裏庭で宮殿はアマーリエンブルク城ということらしいです。

そういえば『二十四時間の情事』の冒頭部分で日本人の男が外人の女に対し「君はヒロシマを見ていない」といい女は「私はヒロシマを見た」という会話が繰り広げられます。客観と主観の問題はこの映画にも取り上げられていました。

アラン・レネはこの後も『ミュリエル』『戦争は終わった』などの作品を発表していき、多くの映画賞を獲得します。

 

 

それと余談ですが映画の中でマッチ棒でゲームをする場面があるのですが、実際にそのゲームで友人たちと随分遊んだことがありました。これが実に面白いゲームなのです。

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マッチ棒を上の写真のように並べ、交互にマッチ棒を取っていき、最後の1本を取ったほうが負けです(逆に言えば最後に1本を残したほうが勝ち)。ルールは一度に何本のマッチ棒を取ってもいいのですが、列をまたがって取ってはいけません。これには必勝法が存在するそうです。映画の中で、女の夫はこのゲームで絶対に負けませんでした。

 たいして中身のない記事になってしまいましたが、書いている間、当時の風景がよみがえって来るようで楽しめました。

薄れていく記憶の中で、また何か思い出したら当時の映画の話を書こうかと思います。

 

カントリーロックの目覚め~『ロデオの恋人』バーズからフライング・バリット・ブラザーズへ

ボブ・ディランからザ・バーズを知ったことは以前書きましたが、そのバーズも1968年に5枚目の『The Notorious Byrd Brothers(名うてのバード兄弟)』を出すころには、既にジーン・クラークは抜けており、デヴィッド・クロスビーも製作途中で脱退することになり、さらにマイケル・クラークも解雇したとかでメンバーはアルバム発表後には遂に2人になってしまいました。しかしながらアルバムそのものは高評価でバーズの最高傑作ではと騒がれました。

バーズはそれまでもフォークロックの幕開けである『ミスタータンブリンマン』以降

『Tirn! Turn! Turn!(ターン、ターン、ターン)』『Fifth Dimension(霧の5次元)』『Younger Than Yesterday(昨日より若く)』と次々にアルバムを発表し、それぞれヒットを飛ばし、内容はシタールを使用したり、テープの逆回転をしてみたりと実験的な試みを施し、「サイケデリック・ロック」「ラガ・ロック」「スペース・ロック」などと呼ばれたりもしていました。

  

6枚目の製作にあたりリーダーのロジャー・マッギンはインターナショナル・サブマリン・バンド(The International Submarine Band)のグラム・パーソンズ(Gram Parsons)を招聘します。ドラムもマイケルからケヴィン・ケリー(Kevin Kelley)に変わります。これはおそらく元々カントリーやブルーグラス出身のクリス・ヒルマンの提案かと思われます。そしてカントリーロックの最高傑作の1枚であるばかりでなくロック界のまさに金字塔と呼べるアルバム『Sweethert Of Rodeo(ロデオの恋人)』が生まれます。

 この中でグラム・パーソンズはロジャーとヴォーカルを分け合い、その存在感を示します。彼のヴォーカルは繊細で悲しげで決して上手くはありませんが、一度聴いたらその魅力に引き付けられてしまします。ボブ・ディランの曲も2曲取り上げられています。

まさにカントリー色が強いこのアルバムは、当時古いファンからは反発があったようですが音楽界は大絶賛でした。その1番の功績者であるグラム・パーソンズはこのアルバムが発表される前に突然脱退します。

そしてクリス・ヒルマンとともにFlying Burrito Brothers(フライング・バッリト・ブラザーズ)を結成します。余談ですがこのグループの日本での呼び名は確か4枚目あたりまではレコードの帯にもフライング・バッリト・ブラザーズと書かれていたし、解説などもそう呼んでいたのですが、いつの頃からかフライング・ブリトー・ブラザーズと変わって来ました。ここでは私が慣れ親しんだバリットで行くことにします。略するときはブリトースでいきます。

ブリトーズのメンバーはグラムとクリスの他にスヌーキー・ピート(Sneaky Pete Kleinow (pedal steel))とクリス・エスリッジ(Chris Ethridge (b,key))の4人です。

1969年のファーストアルバム『The Gilded Palace Of Sin(黄金の城)』は上の『ロデオの恋人』と並び称される最高傑作です。この2枚は私の持っているレコードの中でもベスト20には間違いなく入るでしょう。

なにしろ全曲がいいんです。捨て曲は全くなしです。特にジェームス・カーやリンダ・ロンシュタットも歌った「The Dark End Of Street」はグラムの哀愁漂う、頼りなげなボーカルが心をそそります。彼のバージョンはほとんど知られていないと思いますが。

そして1970年のセカンド・アルバムは『Buritto Deluxe(バッリト・デラックス)』です。

この頃からグラムはローリング・ストーンズのメンバー特にキース・リチャードと親交を深めます。このアルバムの中でもストーンズの「Wild Horses」を取り上げています。そしてグループの南アフリカツアー遠征のまえに飛行機が嫌だという(真実かどうかは不明)理由でグループを脱退してしまいます。そして彼はソロ活動に入ります。このアルバムから後にEagles(イーグルス)の創立メンバーであるバーニー・リードン(レドンBernie Leadon)とドラムスにバーズを首になったマイケル・クラークが参加します。

ブリトーズのほうは後に"Fairefall(ファイアーフォール)"を結成するリック・ロバーツが加わり、1971年に3枚目のアルバム『Flying Burrito Brothers(フライング・バッリト・ブラザース)』を発表します。

ここではリック・ロバーツの「コロラド」という名曲もありましたが、やはりグラム・パーソンズ抜きではいかんともしがたく、やがてバーニーが抜け1972年のライブアルバム『The Last Of The Red Hot Burittos(ザ・ラスト・オブ・ザ・レッド・ホット・ブリトウズ)』を発表して一旦解散となります。

その後、オリジナルメンバーのクリス・エスリッジ、スヌーキー・ピートに加え元"Swampwater(スワンプウォーター)"のGib Guilbeau(ギブ・ギルボー)、元キャンドヒートのJoel Scott Hill(ジョエル・スコット・ヒル)、元ザ・バーズのGene Parsons(ジーン・パーソンズ)らが加わり再結成されました。その最初のアルバムが『Flying Again(フライング・アゲイン)』です。

その後アルバム『Airborne(エアボーン)』を発表して、遂に来日しました。1978年です。場所は九段会館でしたが、はっきりとは憶えていません。残念ながらチケットの半券も残っていません。スヌーキー・ピートとスキップ・バッティン(元バーズ)を観られたのが嬉しかったことはよく憶えています。あとギブ・ギルボーもいました。

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右がその時のライブアルバム『Close Encounters To The West Coast(フライング・ブッリト・ブラザーズ・ライブ)』です。この2枚とも単独ではCD化されていないようです。この後も活動は続けていますが、さすがに興味は薄れました。昔の未発表音源やコンピレーションものが数多く出され、今でも珍しいものが出れば購入しています。

一方、グラム・パーソンズはソロに入って2枚のアルバムをリリースします。

『GP』(1973年)『Grievous Angel(グリーヴァス・エンジェル)』(1974年)

  

いずれも素晴らしいことは言うまでもありません。しかしこの2作目の発表前に麻薬の過剰摂取で亡くなります。26歳でした。『Grievous Angel』は遺作として発表されました。彼のロック界における功績の偉大さはその後のコンピレーションアルバムやトリビュートアルバムの多さに現れているでしょう。これは先に取り上げたサンディ・デニーと通ずるものがあるかもしれません。

  

  

もう一つ忘れてならないのは、素晴らしい女性シンガー"Emmylou Harrisを見出し世に送り出したことです。彼女はグラムに見いだされ彼のソロアルバムに参加し、以後一躍一流シンガーの仲間入りを果たしました。元々がカントリー系のシンガーで1975年のアルバム発表以来、現在も第1線で活躍しています。

  

ついでにバーズのその後を簡単に書きます。

『ロデオの恋人』以後、ロジャー・マッギンを残しすべてのメンバーが姿を消し、新たにクラレンス・ホワイト(Clarence White(g))、ジーン・パーソンズ(Gene Parsons(ds))、ジョン・ヨーク(John York(b))の4人になって『Dr.

Byrds & Mr.Hyde(バーズ博士とハイド氏)』『Ballad Of Easy Ryder(イージーライダーのバラード)』を発表しますが前者は不評、後者は映画の主題歌も入っているということで若干名誉回復というところでしょうか。もちろん悪くはありません。ただ前作までの出来には大分及びませんでした。

 

次にジョン・ヨークが抜け代わりにSkip Battinが加入します。ここでバーズは演奏能力としては最強のメンバーになりました。そこで発表されたのがバーズ最初のライブアルバム、それも2枚組でした。1970年です。『Untitled(名前のないアルバム)』

これは私も大好きなアルバムです。やはり演奏力があがって、特に1面(レコードの第2面)をつぶして演奏される「Eight Miles High(霧の8マイル)」は圧巻です。

その後1971年に『Byrdmaniax(バードマニア)』『Farther Along(ファーザー・アロング)』と続けて発表しますが鳴かず飛ばずで結局解散します。

 

後年のバーズはロジャー・マッギンのワンマン色が強く、グループとしての機能が果たせていないような印象でした。それでもバーズを1人で引っ張てきた功績は大きいと思います。このあと1973年にオリジナルメンバーで再結成しますが、何か同窓会のような雰囲気でした。タイトルはそのまま『Byrds』でした。もちろん嬉しかったですしすぐに購入しました。それぞれが均等にヴォーカルをとってほほえましかったです。

その後、クリス・ヒルマンがサウザーヒルマン・ヒューレイ・バンドを解散した後、ロジャー・マッギンとジーン・クラークと共に”Mcguinn,Clark & Hillman(マッギン、クラーク、ヒルマン)"を結成します。そしてこの3人が日本にやってきたのです。

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内容はともかくこの3人を観られただけで私は大満足でした。

 

途中から疲労のため駆け足になってしまいました。まだまだ書き足りませんが今日のところはこの辺にしておきます。

フォークロックという切り口でいくとこのザ・バーズともう一つ"Buffulo Springfield(バッファロー・スプリングフィールド)の系譜を忘れることはできません。

この両グループから数々のフォークロック、カントリーロックのミュージシャンが生まれてきます。これらについてはまた次の機会にしましょう。

 

それでは今日はこの辺で。

『キャロル』を観る

今日のキネ旬シアターは『キャロル』でした。

監督:トッド・ヘインズ

主演:ケイト・ブランシェット(キャロル)

   ルーニー・マーラ(テレーズ)

 

この映画、原作がパトリシア・ハイスミスです。ハイスミスと言えば映画『太陽がいっぱい』『見知らぬ乗客』の原作者として有名です。

 

私も彼女の小説は大好きで日本で出版されているものは大体読んでいたのですが、この原作は読んでいませんでした。私は彼女はミステリーやサスペンスの名手だと思っていたのでこの『キャロル』も当然サスペンスなのだろうと勝手に想像して(なにしろ事前情報なしですから)観たのですが、これが全然違いました。原作を読まなかった理由がわかりました(原作が映画どうりかどうかはわかりませんが)。

   

ストーリーは怪しげな魅力を持つ美人人妻キャロルが4歳の娘のクリスマスプレゼントをデパートに買いに来た際に、応対したコケティッシュな美人でデパートの店員テレーゼと知り合います。テレーズはキャロルが忘れていった手袋を郵送してあげ、キャロルはそのお礼にテレーズを昼食に誘い、さらにも家に招待します。キャロルは離婚調停中で娘の親権について揉めている最中でした。テレーズにも結婚を申し込まれている恋人がいたが本人はいまいち夢中になれないでいました。

そうした中、二人は急速に惹かれあい、親しくなります。実はキャロルはレズビアンなのでした。テレーズも薄々感じていました。離婚もそのことが原因でした。しかし夫はやり直したがっていました。キャロルにその気はありません。怒った夫はレズビアンであることに対し「道徳的条項」なるものを持ち出し、キャロルの親権は一切認めず、永遠に面会も認めないとの離婚条件を出してきました。キャロルは自分を見失い、テレーズに当たり散らしました。キャロルはそれを謝り、しばらく旅行にでるので一緒に行かないかと誘います。テレーズは同意し彼女たちは旅立ちました。途中立ち寄ったホテルで見知らぬ男がそれとなく近づいて来ました。その男は夫が雇った探偵でした。二人の情事の様子を録音し夫に送りました。これで裁判は決定的に不利になります。キャロルは娘との生活をあきらめきれず、テレーズを捨て夫のもとに帰る決心をします。テレーズはキャロルを忘れられず、悲しみに暮れ電話をかけますがキャロルはテレーズを拒否します。

しかしキャロルはどうしても夫の家族との同居には耐えられず、親権を譲る条件として面会だけはさせて欲しいと言い、夫の元を離れます。そしてテレーズに会いに行きます。キャロルは新しい家を買ったので二人で暮らさないかと誘いますが、テレーズはそれは出来ないと拒みます。キャロルはあきらめ、去ります。拒んではみたものの、やはりテレーズはキャロルのことがあきらめきれません。そしてキャロルのもとへと向かいます。

この映画は数々の映画賞を受賞したそうです。ケイト・ブランシェットという女優はなんとも妖艶です。

そういえば昔、パトリシア・ハイスミスレズビアンだったということを聞いたことがありました。この『キャロル』という小説は彼女の自伝らしいです。発売当初はクレア・モーガン名義で「The Price Of Salt」というタイトルだったらしいです。1952年に出版され、1990年にようやくハイスミスの執筆だったことが明かされたようです。

パトリシア・ハイスミスの意外な面を観たような気がします。ちょっと原作を読んでみたくなりました。この機会にもう一度彼女の作品を読み直してみましょうか、ほとんど忘れていますのでね。短編の切れ味はすごかった記憶はあります。

それにしても1950年頃のアメリカの女性があれほどタバコを吸っていたのかと驚かされます。いたるところで吸っています。それがほとんど女性なのです。日本でも昔の映画の喫煙シーンの多さには今さらながらに驚きますが、それは大抵が男です。それが当時の現実でしたので納得ですが、アメリカ映画でこれほどの女性の喫煙シーンは見たことがなかったと思います。余計なことですが。

 

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それでは今日はこの辺で。