ボブ・ディランからザ・バーズを知ったことは以前書きましたが、そのバーズも1968年に5枚目の『The Notorious Byrd Brothers(名うてのバード兄弟)』を出すころには、既にジーン・クラークは抜けており、デヴィッド・クロスビーも製作途中で脱退することになり、さらにマイケル・クラークも解雇したとかでメンバーはアルバム発表後には遂に2人になってしまいました。しかしながらアルバムそのものは高評価でバーズの最高傑作ではと騒がれました。
バーズはそれまでもフォークロックの幕開けである『ミスタータンブリンマン』以降
『Tirn! Turn! Turn!(ターン、ターン、ターン)』『Fifth Dimension(霧の5次元)』『Younger Than Yesterday(昨日より若く)』と次々にアルバムを発表し、それぞれヒットを飛ばし、内容はシタールを使用したり、テープの逆回転をしてみたりと実験的な試みを施し、「サイケデリック・ロック」「ラガ・ロック」「スペース・ロック」などと呼ばれたりもしていました。
6枚目の製作にあたりリーダーのロジャー・マッギンはインターナショナル・サブマリン・バンド(The International Submarine Band)のグラム・パーソンズ(Gram Parsons)を招聘します。ドラムもマイケルからケヴィン・ケリー(Kevin Kelley)に変わります。これはおそらく元々カントリーやブルーグラス出身のクリス・ヒルマンの提案かと思われます。そしてカントリーロックの最高傑作の1枚であるばかりでなくロック界のまさに金字塔と呼べるアルバム『Sweethert Of Rodeo(ロデオの恋人)』が生まれます。
この中でグラム・パーソンズはロジャーとヴォーカルを分け合い、その存在感を示します。彼のヴォーカルは繊細で悲しげで決して上手くはありませんが、一度聴いたらその魅力に引き付けられてしまします。ボブ・ディランの曲も2曲取り上げられています。
まさにカントリー色が強いこのアルバムは、当時古いファンからは反発があったようですが音楽界は大絶賛でした。その1番の功績者であるグラム・パーソンズはこのアルバムが発表される前に突然脱退します。
そしてクリス・ヒルマンとともにFlying Burrito Brothers(フライング・バッリト・ブラザーズ)を結成します。余談ですがこのグループの日本での呼び名は確か4枚目あたりまではレコードの帯にもフライング・バッリト・ブラザーズと書かれていたし、解説などもそう呼んでいたのですが、いつの頃からかフライング・ブリトー・ブラザーズと変わって来ました。ここでは私が慣れ親しんだバリットで行くことにします。略するときはブリトースでいきます。
ブリトーズのメンバーはグラムとクリスの他にスヌーキー・ピート(Sneaky Pete Kleinow (pedal steel))とクリス・エスリッジ(Chris Ethridge (b,key))の4人です。
1969年のファーストアルバム『The Gilded Palace Of Sin(黄金の城)』は上の『ロデオの恋人』と並び称される最高傑作です。この2枚は私の持っているレコードの中でもベスト20には間違いなく入るでしょう。
なにしろ全曲がいいんです。捨て曲は全くなしです。特にジェームス・カーやリンダ・ロンシュタットも歌った「The Dark End Of Street」はグラムの哀愁漂う、頼りなげなボーカルが心をそそります。彼のバージョンはほとんど知られていないと思いますが。
そして1970年のセカンド・アルバムは『Buritto Deluxe(バッリト・デラックス)』です。
この頃からグラムはローリング・ストーンズのメンバー特にキース・リチャードと親交を深めます。このアルバムの中でもストーンズの「Wild Horses」を取り上げています。そしてグループの南アフリカツアー遠征のまえに飛行機が嫌だという(真実かどうかは不明)理由でグループを脱退してしまいます。そして彼はソロ活動に入ります。このアルバムから後にEagles(イーグルス)の創立メンバーであるバーニー・リードン(レドンBernie Leadon)とドラムスにバーズを首になったマイケル・クラークが参加します。
ブリトーズのほうは後に"Fairefall(ファイアーフォール)"を結成するリック・ロバーツが加わり、1971年に3枚目のアルバム『Flying Burrito Brothers(フライング・バッリト・ブラザース)』を発表します。
ここではリック・ロバーツの「コロラド」という名曲もありましたが、やはりグラム・パーソンズ抜きではいかんともしがたく、やがてバーニーが抜け1972年のライブアルバム『The Last Of The Red Hot Burittos(ザ・ラスト・オブ・ザ・レッド・ホット・ブリトウズ)』を発表して一旦解散となります。
その後、オリジナルメンバーのクリス・エスリッジ、スヌーキー・ピートに加え元"Swampwater(スワンプウォーター)"のGib Guilbeau(ギブ・ギルボー)、元キャンドヒートのJoel Scott Hill(ジョエル・スコット・ヒル)、元ザ・バーズのGene Parsons(ジーン・パーソンズ)らが加わり再結成されました。その最初のアルバムが『Flying Again(フライング・アゲイン)』です。
その後アルバム『Airborne(エアボーン)』を発表して、遂に来日しました。1978年です。場所は九段会館でしたが、はっきりとは憶えていません。残念ながらチケットの半券も残っていません。スヌーキー・ピートとスキップ・バッティン(元バーズ)を観られたのが嬉しかったことはよく憶えています。あとギブ・ギルボーもいました。
右がその時のライブアルバム『Close Encounters To The West Coast(フライング・ブッリト・ブラザーズ・ライブ)』です。この2枚とも単独ではCD化されていないようです。この後も活動は続けていますが、さすがに興味は薄れました。昔の未発表音源やコンピレーションものが数多く出され、今でも珍しいものが出れば購入しています。
一方、グラム・パーソンズはソロに入って2枚のアルバムをリリースします。
『GP』(1973年)『Grievous Angel(グリーヴァス・エンジェル)』(1974年)
いずれも素晴らしいことは言うまでもありません。しかしこの2作目の発表前に麻薬の過剰摂取で亡くなります。26歳でした。『Grievous Angel』は遺作として発表されました。彼のロック界における功績の偉大さはその後のコンピレーションアルバムやトリビュートアルバムの多さに現れているでしょう。これは先に取り上げたサンディ・デニーと通ずるものがあるかもしれません。
もう一つ忘れてならないのは、素晴らしい女性シンガー"Emmylou Harrisを見出し世に送り出したことです。彼女はグラムに見いだされ彼のソロアルバムに参加し、以後一躍一流シンガーの仲間入りを果たしました。元々がカントリー系のシンガーで1975年のアルバム発表以来、現在も第1線で活躍しています。
ついでにバーズのその後を簡単に書きます。
『ロデオの恋人』以後、ロジャー・マッギンを残しすべてのメンバーが姿を消し、新たにクラレンス・ホワイト(Clarence White(g))、ジーン・パーソンズ(Gene Parsons(ds))、ジョン・ヨーク(John York(b))の4人になって『Dr.
Byrds & Mr.Hyde(バーズ博士とハイド氏)』『Ballad Of Easy Ryder(イージーライダーのバラード)』を発表しますが前者は不評、後者は映画の主題歌も入っているということで若干名誉回復というところでしょうか。もちろん悪くはありません。ただ前作までの出来には大分及びませんでした。
次にジョン・ヨークが抜け代わりにSkip Battinが加入します。ここでバーズは演奏能力としては最強のメンバーになりました。そこで発表されたのがバーズ最初のライブアルバム、それも2枚組でした。1970年です。『Untitled(名前のないアルバム)』
これは私も大好きなアルバムです。やはり演奏力があがって、特に1面(レコードの第2面)をつぶして演奏される「Eight Miles High(霧の8マイル)」は圧巻です。
その後1971年に『Byrdmaniax(バードマニア)』『Farther Along(ファーザー・アロング)』と続けて発表しますが鳴かず飛ばずで結局解散します。
後年のバーズはロジャー・マッギンのワンマン色が強く、グループとしての機能が果たせていないような印象でした。それでもバーズを1人で引っ張てきた功績は大きいと思います。このあと1973年にオリジナルメンバーで再結成しますが、何か同窓会のような雰囲気でした。タイトルはそのまま『Byrds』でした。もちろん嬉しかったですしすぐに購入しました。それぞれが均等にヴォーカルをとってほほえましかったです。
その後、クリス・ヒルマンがサウザー・ヒルマン・ヒューレイ・バンドを解散した後、ロジャー・マッギンとジーン・クラークと共に”Mcguinn,Clark & Hillman(マッギン、クラーク、ヒルマン)"を結成します。そしてこの3人が日本にやってきたのです。
内容はともかくこの3人を観られただけで私は大満足でした。
途中から疲労のため駆け足になってしまいました。まだまだ書き足りませんが今日のところはこの辺にしておきます。
フォークロックという切り口でいくとこのザ・バーズともう一つ"Buffulo Springfield(バッファロー・スプリングフィールド)の系譜を忘れることはできません。
この両グループから数々のフォークロック、カントリーロックのミュージシャンが生まれてきます。これらについてはまた次の機会にしましょう。
それでは今日はこの辺で。