Flying Skynyrdのブログ

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ザ・バーズ解散後の『クラレンス・ホワイト(Clarence White)』は・・・

先日、カントリーロックの『カントリーロックの軌跡』と名をうってコンピレーション・アルバムを紹介していたところ、クラレンス・ホワイト(Clarence White)の名が出て来ました。そう言えば、と思いバーズが解散して、彼が亡くなるまでの間に残したアルバムをレコード棚から引っ張り出して久しぶりに聴いてみました。それをちょっと紹介したいと思います。

 

1971年にバーズの通算11枚目、リード・ギタリストのクラレンス・ホワイトが正式に加入してから5枚目のアルバムとなるアルバム『Farther Along』が発表され、その後もツアーは続けましたが、リーダーのロジャー・マッギンとメンバー間の対立で、1972年にクラレンスは解雇されます。翌年にはスキップ・バッティンも解雇されバーズは解散しました。ロジャー・マッギンはオリジナル・メンバーを集め1973年にバーズを再結成しますが、アルバム1枚限りでした。

バーズ在籍時からクラレンスは多くのミュージシャンのレコーディングに参加していました。バーズが解散するとクラレンスはピーター・ローワン(Peter Rowan,g,vo)デヴィッド・グリスマン(David Grisman,mandlin)リチャード・グリーン(Richard Green,fiddle)ビル・キース(Bill Keith,banjo)らと合流し、ブルーグラスのスーパーグループ『ミュールスキナー(Muleskinner)』を結成します。

元々はビル・モンロー(Bill Monroe)のテレビ出演時に一緒に出演するために結成されたようなスーパーグループでした。ところがビル・モンロー側のバスのアクシデントで、出演できなくなり、代わりに彼らが演奏しました。これが好評でワーナー・ブラザースとアルバム1枚の契約が出来ました。そして録音されたのがアルバムMuleskinner』です。

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しかし、このアルバムがリリースされた1974年には彼は既に亡くなっています。ジャケットの裏は『クラレンス・ホワイトに捧ぐ』となっています。

ここにはその他のミュージシャンとしてジョン・カーン(John Kahn,b)ジョン・ゲリン(John Guerin,ds)が参加しています。

このアルバムはドラムを使用したブルーグラスの最初のアルバムといわれています。そういうことも含めて、プログレッシヴ・ブルーグラスなどと呼ばれています。

ここではクラレンスの類まれなるギターテクニックがたっぷりと味わえます。

またミュールスキナーの出演時の録音が1994年になって発売されています。

 

この後もクラレンスは様々なレコーディングに参加しています。その中にバーズでの仲間だったスキップ・バッティン(Skip Battin,b)のソロアルバム『Skip』ジーン・パーソンズ(Gene Parsons,ds)のソロアルバム『Kindling』も含まれています。

Skip    「skip battin」の画像検索結果

 

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ミュールスキナーのアルバムが完成後、クラレンスはローランド・ホワイト(Roland White,mandlin,vo)エリック・ホワイト(Eric White,b)の兄弟とラン・マンデ(Alan Munde,banjo,vo)ホワイト・ブラザース(The White Brothers)(別名The New Kentucky Colonels)を結成します。

ホワイト・ブラザースはカリフォルニアや1973年の5月にはヨーロッパでツアーを行いました。バーズの『ロデオの恋人』以来親しくしていたグラム・パーソンズとも競演したりしました。この時のスウェーデンでのライブの模様がThe White Brothers』として1976年に発売されました。

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これが生前のクラレンスのプレイを記した最後のアルバムになりました。

 

その後6月にはソロアルバムの作成作業を開始しました。6曲の録音を終え、このうち4曲は1980年に『Silver Meteor: A Progressive Country Anthology』に収録されました。

 

 

1973年7月15日。悲劇は起こりました。機材を詰め込んでいる時に、酔っ払い運転の車に撥ねられ死亡しました。29歳でした。

葬儀の際、悲痛にくれたグラム・パーソンズは彼のためにバーズのラストアルバムでクラレンスが歌った「Farther Along」を歌いました。また、グラムは彼のソロアルバムのなかで「In My Our Of Darkness」という歌をクラレンス・ホワイトに捧げました。しかし、そのグラム・パーソンズも9月19日、薬物の過剰摂取で死亡しました。

 

ケンタッキー・カーネルズからバーズへ、グラム・パーソンズと共にカントリーロックの礎を築いた偉大な男でした。早逝が何とも悔やまれました。

 


The Byrds / Farther Along

 


Muleskinner w/Clarence White - Dark Hollow


Clarence White playing Soldier's Joy on Muleskinners' album -

 

それでは今日はこの辺で。