Flying Skynyrdのブログ

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この人の、この1枚 『ジョー・コッカー(Joe Cocker)/ウィズ・ア・リトル・ヘルプ(With A Little Help From My Friends)』

ジョー・コッカーと言えば、1970年公開の映画『ウッドストック』での今でいう、派手なエアギターのパフォーマンスで、ビートルズの「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ」を汗を噴き出しながら、声を絞り上げるように熱唱する姿が頭にこびり付いています。

ウッドストック・フェスティバルの前年、シングル「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ」で全英1位を獲得した、ジョー・コッカーはアルバム『With A Little Help From My Friends(ウィズ・ア・リトル・ヘルプ)』をリリースします。

ジョーは16歳でセントラル技術学校を辞め、ガス工夫として働きながら、プロのミュージシャンを目指します。友人のクリス・ステイントンらとともに「グリース・バンド」を結成し、ライブ活動を行います。やがてジョーの歌いぶりが評判になり、ステイントンと共作した「マージョリーヌ」がトップ50に入るヒットになります。

そして1969年にアルバム『With A Little Help From My Friends』のリリースにこぎつけます。そしてウッド・ストック・フェスティバルへの出演が決まります。

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参加メンバーが凄いです。

ジミー・ペイジレッド・ツェッペリン)  ギター

スティーヴ・ウィンウッドトラフィック)  オルガン

マシュー・フィッシャー(プロコル・ハルム)  オルガン

B.J ウィルソン(プロコル・ハルム)  ドラムス

ヘンリー・マックロー(グリース・バンド)  ギター

クリス・ステイントン(グリース・バンド)  ベース、ピアノ、オルガン

マイク・ケリー(グリース・バンド)  ドラムス

プロデュース デニー・コーデル

豪華版です。

 

Side A

1.With A Little Help From My Friends
2.Sandpaper Cadillac
3. Don't Let Me Be Misunderstood 
4. Do I Still Figure in Your Life? 
5. I Shall Be Released 
 
B Side
1.Feeling Alright 
2. Bye Bye Blackbird 
3. Change in Louise
4. Marjorine
5. Just Like a Woman
 
A-1 タイトル曲。もちろんビートルズナンバー。全英ナンバーワンヒットです。ジミー・ペイジのギターが最高。
A-2 ジョーとクリス・ステイントンの共作。これもジミー・ペイジのギター。ピアノはステイントン。バラードの名曲。
A-3 「アニマルズ」でゆうめいな「悲しき願い」。ギターはヘンリー・マックロー。
A-4 「ハニーバス」のシングル・ヒット。オルガンにスティーヴ・ウィンウッド、ギターにヘンリー・マックロー。バラードナンバー。
A-5 これはご存じボブ・ディランの曲。ザ・バンドもカヴァーしています。ジョー・コッカーは「最も好きなシンガーはレイ・チャールズ、最も好きな作曲家はボブ・ディラン」と言っています。彼のアルバムにはディランの曲が数多く登場します。オルガンにスティーヴ・ウィンウッド、ギターにヘンリー・マックロー。
B-1 「トラフィック」の名曲。デイブ・メイソンの作品。ジョー・コッカーはなにより選曲がいいです。
B-2 ジャズのスタンダードナンバー。ジミーペイジがギターソロを執っています。ピアノはクリス・ステイントン。
B-3 ジョーとクリス・ステイントンの共作。ギターはヘンリー・マックロー。ピアノはクリス・ステイントン
B-4 最初のシングルヒット曲。ここにはギターでジミー・ペイジと共にアルバート・リーが参加しています。
B-5 再びディランの曲。ドラムにB.J ウィルソン、オルガンにマシュー・フィッシャー、ギターにジミー・ペイジ。不思議なもので、ジョー・コッカーがディランの曲を歌っても全く違う曲に聞こえます。独特のしわがれた声で、絞り出すように歌う唱法がオリジナリティを感じさせるのでしょう。
 
ここに紹介しましたアルバムは当時日本で発売されたレコードです。CDを見てみると曲順がだいぶ違っています。CDの方が原盤どうりだとすると、日本発売は編集し直したものかもしれません。ご注意をお願いします。多分ウッドストック・フェスティバルでのジョー・コッカーの活躍を観て、急遽発売を検討したのかもしれません。発売が1971年になっています。本国での発売が1969年ですから、かなり遅れています。
 
このあと、本国ではセカンドアルバムが同じ年に発売されるのですが、これもかなり遅れて発売されたと記憶しています。

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 なにせタイトルは『joe cocker !』なのに、日本盤は『ジョー・コッカーレオン・ラッセル』なのです。これはおそらく、1970年のレオン・ラッセルなどを帯同した大掛かりなツアー「マッドドグス&イングリッシュメン」の成功を見て、このようなタイトルをつけたのではないかと思います。

このセカンドも豪華な顔ぶれです。レオン・ラッセルの他に「グリース・バンド」としてクリス・ステイントン、ヘンリー・マックロー、アラン・スペンサー、ブルース・ローランド、それにザ・バーズクラレンス・ホワイト、フライング・バリットのスヌーキー・ピートなどです。

なお、イギリスのジョー・コッカーとアメリカのレオン・ラッセルを引き合わせたのはプロデューサーのデニー・コーデルのようです。

この成功でデニス・コーデルとレオン・ラッセルはシェルター・レコードを設立することになります。

 

そしてこのあと、あの歴史的名盤『Mad Dogs & Englishmen』がリリースされます。1970年です。

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しかし、ジョー・コッカーの絶頂期はこの頃までで、レオン・ラッセルと離れ、グリース・バンドとも別れ、麻薬に溺れます。

1974年に発表した『I Can Stand a Little Rain 』からヒット曲「ユー・アー・ソー・ビューティフル」が生まれ立ち直ります。続く、『Jamaica Say You Will 』でも健在ぶりを示しました。

1982年には映画『愛と青春の旅だち』の主題歌『Up Where We Belong』が全米1位となる大ヒットとなりました。これはジェニファー・ウォーンズとのデュエットソングです。これ以降、ジョー・コッカーAORの歌手として第一線で活躍することになります。

2014年肺がんのため、70歳で亡くなりました。

元祖、エアギターでした。セカンドのジャケットの顔写真は若い頃の三国連太郎そっくりではないでしょうか。


With A Little Help Of My Friends Joe Cocker

 

アニマルズ、ニーナ・シモンのカバー


JOE COCKER - Don't Let Me Be Misunderstood★♥

 

 

それでは今日はこの辺で。