高校生の頃、当時流行っていた政治集会なるものに参加すると、必ず歌われた歌があります。今でも憶えているのは「We Shall Overcome」、「友よ」、そして「遠い世界に」でした。その「遠い世界に」を歌っていたのが、西岡たかし率いる「五つの赤い風船」(以下、「風船」)です。
「風船」の結成は1967年ですから、関西フォークの奔りです。
結成時のメンバーは
西岡たかし
藤原秀子
喜田年亮
でした。
有山じゅんじはすぐに脱退します。その後に長野隆が加入します。その後中川イサトが脱退し、東祥高が加入します。
そして1972年に解散します。その後再結成したりすていますが、実質は1972年で終わったとみるべきでしょう。
『五つの赤い風船フォークアルバム第1集』
Side A
1.恋は風に乗って
2.遠い空の彼方から
3.血まみれの鳩
4.もしも僕の背中に羽根が生えてたら
5.一つの言葉
6.遠い世界に
Side B
1.まぼろしのつばさと共に
2.時計
3.母の生まれた街
4.一滴の水
5.おとぎ話を聞きたいの
B-4を除き全曲西岡たかしの曲です。B-4は中川イサトの曲です。
「風船」の中では「遠い世界に」ももちろん好きですが、なんといっても「まぼろしのつばさと共に」が一番のお気に入りです。高校生時代に聴いたので、こんな歌詞が歌になるんだ、と純粋に感心しました。まだまだ純真でしたから(ほんとか)。
「風船」にはいわゆるフォークソングも多いのですが、私はこのようなプロテストソングを好んで聴いて、そして歌っていました。
この「まぼろしのつばさと共に」は学生だった青年が徴兵で戦争に連れていかれる朝に、青年は恋人に別れを告げ戦地へ向かいます。そして戦火にまみれ命を落とします。彼が死んだ翌日に、その恋人は命を絶ちます。作者はこのような世界は二度と見たくないと訴えます。
徴兵制など二度とあるはずが無いと言っていた戦後の政治家たちの言動もここにきて怪しくなってきたのではないでしょうか。この歌のようなことが二度と起こらないことを願うのみです。
このアルバムをどのようにして入手したのか記憶がありません。少ない小遣いを叩いて買ったのか、それとも誰かに借りたものがそのままになってしまったか。それでも相当古いものであることは確かでしょう。調べてもこのアルバム自体の存在が確認出来ません。「風船」はURCに所属していましたから、URC設立以降はレコードはURCから出ています。現に「風船」のURCからのデビュー盤は高田渡とのカップリングでした。
レコードは発売が日本ビクターとなっています。ということはビクター音楽産業の前身ということで、1972年以前のレコードということになります。つまりURC所属前のレコードということになり1969年以前という事でしょうか。どうでもいいことですが、この時代の契約関係というのがどのようになっていたのか興味深いです。
ジャケットの背景は新宿西口でしょう。何故、新宿西口なのか。西口フォークゲリラを意識してか。
中ジャケットと歌詞カードがまた古めかしくて、郷愁を誘います。
「風船」は1972年、2回にわたる解散コンサートの3枚組ライブアルバム『ゲームは終わり』を発表して解散します。
このアルバムには岡林信康、山本コータロー、加藤和彦などのゲストの音源が入っています。実際はもっとたくさんのアーティストが参加していたのですが。
この前年、1971年には岡林信康が日比谷野音のコンサートと全日本フォークジャンボリーへの出演を最後に田舎に引っ込み、高石友也はすでに田舎での隠遁生活、そして「風船」の解散。関西フォーク、プロテストソングの旗手としてフォーク界を牽引してきたリーダーたちが次々と社会情勢の変化と共にその現場をリタイヤすることで、一つの時代の終焉が来たことを痛切に感じさせられました。本人たちは、社会変革の旗手として祭り上げられることに疲弊してしまったのでしょう。
Amazonで調べたら、最近この『ゲームは終わり』の完全盤がCDで発売されています。
『風船ゲームは終わり(解散記念実況盤)[完全版]』です。
なんとCD6枚組です。とても高くて買えません。
「遠い世界に」オリジナル音源がありません。当時をしのばせる実況録音で。
オリジナルバージョンの映像がありません。
岡林バージョン
3日続けてフォークアルバムになってしまいました。次々と思い浮かんできてしまいます。明日はどうなることやら。
それでは今日はこの辺で。