大滝詠一がこの世を去って間もなく5年です。今日はその大滝詠一を偲んで彼の足跡を大ヒットアルバム『ロング・バケーション』を聴きながら振り返ってみたいと思います。
2013年の年末のニュースは驚きでした。彼は1948年の生まれですから、まだ65歳でした。
大滝詠一(本名:大瀧 榮一)は岩手県の生まれ。1968年に早稲田大学の第二文学部に入学。
大学時代に細野晴臣と知り合い意気投合します。細野が松本隆や小坂忠と組んでいたバンド『エイプリル・フール』に誘われ加入を決断しますが、エイプリル・フールは既に解散状態で、新たに『バレンタイン・ブルー』を結成し大滝と鈴木茂が加入し、松本、細野のメンバーで、バンド名を『はっぴいえんど』に変えて活動開始します。
1970年には遠藤賢司のアルバム『Niyago』のレコーディングに参加。その後岡林信康の『見るまえに跳べ』に参加、以後岡林のロック転向によりそのバックバンドを務めます。
8月にはアルバム『はっぴいえんど』をURCレコードからリリース。通称「ゆでめん」です。1971年には『風街ろまん』をリリースします。
大滝ははっぴいえんど在籍中の1972年に初のソロアルバム『大瀧詠一』を発表します。
バックにはもちろんはっぴいえんどのメンバー、松任谷正隆、林立夫などが参加しました。
この頃にはすでにはっぴいえんどの解散が決まっていました。そしてラストアルバムをアメリカでレコーディングすることに決めました。そしてアメリカでの録音スタジオが彼らの憧れだったビーチボーイズ(The Beach Boys)の『ペット・サウンズ(Pet Sounds)』、バッファーロー・スプリングフィールド(Buffalo Springfield)の『アゲイン(Again)』の録音スタジオと同じと聞いて4人は感激しました。さらになんとリトル・フィート(Little Feat)のローエル・ジョージ(Lowell George)とビル・ペイン(Bill Payne)がレコーディングに参加、さらにはヴァン・ダイク・パークス(Van Dyke Parks)まで飛び入り参加しました。
こうして録音が終わり、この年の12月にはっぴえんどは解散しました。
翌年このレコード『HAPPY END』が発売されました。
はっぴいえんど解散後、細野晴臣はソロ活動と共に、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆とキャラメル・ママ~ティンパン・アレー、そして坂本龍一、高橋幸宏とイエロー・マジック・オーケストラで活躍。
鈴木茂は細野とのキャラメル・ママ~ティンパン・アレー、と並行してソロ活動。さらにセッションミュージシャンとして多くのレコーディングに参加。またレコーディングプロデュースも多数。しかし、2009年に大麻取締法で逮捕、懲役6カ月、執行猶予3年の判決を受けてしまいます。アルバム参加数は500枚を超えます。
松本隆は音楽プロデューサーとして岡林信康の『金色のライオン』その他をプロデュースしますが、プロデュース業は辞めて作詞に専念し、今では大作詞家になりました。「ルビーの指環」でレコード大賞。その他受賞も多数。
そして大滝詠一は自身のレーベル「ナイアガラ・レーベル」を立ち上げ、1975年にソロアルバム『NAIAGARA MOON』を発表します。
以後、『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』『GO GO NIAGARA』『NIAGARA CALENDAR』など「ナイアガラ」シリーズを立て続けにリリースしますが、徐々に売り上げは低下、ナイアガラ・レコードも休業状態になってしまします。
1980年代に入ると、大滝はCBSレコードに移籍し、松本隆と組んでナイアガラサウンドの集大成のレコーディングを開始します。その中で「さらばシベリア鉄道」を女性向きだと考え太田裕美に提供します。これがヒットしました。
そして1981年にアルバム『A Long Vacation』を発表します。
Side A
1.君は天然色
2.Velvet Motel
3.カナリア諸島にて
4.Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語
5.我が心のピンボール
Side B
1.雨のウェンズデイ
2.スピーチ・バルーン
3.恋するカレン
4.FUN×4
5.さらばシベリア鉄道
作詞はA-4を除いてすべて松本隆です。ギターに山崎ハコさんの旦那さんの安田裕美さんが参加しています(後で知ったのですが)。細野さんもいます。鈴木茂さんもいます。林さんもいます。松任谷さんもいます。意外なところではコーラスで伊集加代子が参加しています。
A-1はCMソングにもなった有名曲。いいです。
A-3もCMソングで有名になりました。
A-4は大滝の作詞。
B-2はしっとりした名曲。大好きです。
B-3もCMで有名になった曲。
B-4もCMに使われた曲。
B-5は名曲です。やっぱり太田裕美よりいいです。
こうしてみると4曲もCMで使われました。これは凄いことです。ただ何のCMだったか思い出せないのが情けないです。
とにかく今聴いても全然古くさく感じないし、逆に新しさを感じます。素晴らしいアルバムです。レコード大賞のベストアルバム賞に選ばれました。
この後は作曲能力が全開になります。松田聖子の「風立ちぬ」、森進一の「冬のリヴィエラ」、小林旭の「熱き心に」などそのジャンルの広さに驚かされます。
そして1984年に松本とのコンビでアルバム『EACH TIME』を発表します。
これはオリコン3週連続1位という大ヒットになりました。大滝にとっては初めての1位でした。
しかしこの後、歌手活動休止宣言。プロデュース・作曲に専念します。
1997年に歌手として復活。「幸せな結末」がテレビドラマ「ラブ・ジェネレーション」の主題歌になりミリオンセラーに。2003年には同じくテレビドラマ「東京ラブ・シネマ」の主題歌「恋する二人」がヒット。同年、竹内まりやとのデュエット「恋のひとこと」が最後の作品発表となりました。
2013年、12月30日、「林檎を食べていてのどに詰まらせた」として救急搬送も既に心肺停止でした。65歳。早すぎる死でした。
独特の唱法で記憶に残る歌手であり、幅広い楽曲で日本のポップス史にも歌謡史にも残る名曲をたくさん残してくれました。
それでは今日はこの辺で。