イギリスのR&Bバンドの草分け、プリティ・シングス(The Pretty Things)の歴史はザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)と重なります。
1962年、プリティ・シングスの創始者、ディック・テイラー(Dick Taylor)は友人のキース・リチャーズ(keith Richrds)とミック・ジャガー(Mick Jagger)と共にリトル・ボーイ・ブルー&ザ・ブルー・ボーイズ(Little Boy Blue & The Blue Boys)を結成します。
そこにブライアン・ジョーンズ(Brian Jones)とイアン・スチュワート(Ian Stewart)が加わりました。そして出来上がったのがローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)です。
しかし、このバンドはギタリストが3人になってしまいました。そのためディック・テイラーはベースに回されました。ディック・テイラーはこれを不満としてバンドを辞めてしまいます。
ディック・テイラーは新しくメンバーを募り、バンドを結成します。そして集まったのがデザイン学校の同級生のフィル・メイ(Phil May,vo,harp)、ジョン・スタックス(John Stax,b,harp)、ブライアン・ぺンドルトン(Brian Pendleton,g,b)でした。それと当初はピート・キトリー(Pete Kitley,ds)がドラマーでしたがすぐにヴィヴ・プリンス(Viv Prince,ds)に代わりました。
そしてバンド名をボ・ディドリーの曲からとって『プリティ・シングス』として、フォンタナ・レコードと契約しました。
1964年にシングル「ロサリン」でデビューします。続いて「ドント・ブリング・ミー・ダウン」「ハニー・アイ・ニーズ」をリリース。いずれもイギリスチャートの上位に入りました。
そして1965年にファーストアルバム『Pretty Things』をリリースします。
このアルバムも全英6位と大健闘します。R&B 色の強い彼らの初期の代表作です。しかし、彼らの歌詞の内容やステージでの行いが不道徳極まりないとして、世間的には嫌われるようになりました。特に南半球のツアーではオーストラリア、ニュージーランドでも問題になり、ツアーも中断されるという始末でした。
その年の12月、セカンドアルバム『Get the Picture? 』をリリースします。
ここでその問題の中心人物、ドラムのヴィヴ・プリンスを製作途中で解雇し、新たにスキップ・アラン(SkipAlan,ds)が加わりました。
後にガレージ・パンクの傑作などと呼ばれるようになりましたが、当時は全く売れませんでした。ただし、これは彼らのR&B時代の最期を飾る作品でした。
1966年の暮れにブライアン・ペンドルトンが脱退、67年の1月にはジョン・スタックスが脱退して3人になってしまいました。代わりにジョン・ポーヴェイ(Jon Povey,key,vo)とウォーリー・アレン(Wally Allen,b,vo)が 加わりました。
そしてサードアルバム『Emotions』がリリースされます。
管楽器を取り入れた第3作。R&Bからサイケデリック・ロックへと舵を切った作品です。しかし、評判はよくありませんでした。
これでフォンタナ・レコードとの契約は終了し、EMI・Columbiaへと移りました。
1968年、スキップ・アランが脱退します。代わりに後にピンク・フェアリーズに参加するサイケなドラマー、トゥインク(Twink,ds)が加わります。
そしてこの年、ザ・フーのロック・オペラ『トミー』に先駆けてのロック・オペラ・アルバム『S.F.Sorrow』を発表します。
フーのピート・タウンゼントはアルバム『トミー』を作るにあたって、このアルバムからインスピレーションを得たと言われています。
しかし、このアルバムも売れませんでした。
この後、トゥインクはソロ活動のためバンドを脱退します。さらに、あろうことか創始者であるディック・テイラーまでもが『P.F.Sorrow』の失敗を苦にして脱退してしまいます。
バンドはディックの代わりにエドガー・ブロートン・バンドのヴィクター・ユニット(Victor Unitt,g)を加え、さらにスキップ・アランを呼び戻して、1970年に5枚目のアルバム『Parachute』をハーヴェストからリリースします。
プリティ・シングスのサイケデリック・アルバムでは最高の出来ではないかと思います。ディック・テイラーの脱退の影響もなく、フィル・メイとスキップ・アランの活躍で完成度の高いアルバムが出来上がりました。
しかし商業的には振るわず、ヴィクター・ユニットはエドガー・ブロートン・バンドに戻り、代わりにピーター・トルソン(Pete Tolson,g)が加入するも、1971年解散に至りました。
しかし、すぐさまプリティ・シングスが再評価され、フィル・メイ、スキップ・アラン、ジョン・ポーヴェイ、ピーター・トルソンにゴードン・エドワーズ(Gordon Edwards,key,g,vo)とブラック・キャット・ボーンのスチュアート・ブルックス(Stuart Brooks,b)が加わり再結成されました。
1972年にアルバム『Freeway Madness』をリリースします。さらに1974年にはアルバム『Silk Torpedo』をそれぞれリリースします。
『Silk Torpedo』はレッド・ツェッペリンのレーベル、スワンソングからリリースされました。全米で104位とまずまずの健闘でした。しかし結局は1976年、アルバム『Savage Eye』をリリースして再び解散となりました。
ところがまたまたプリティ・シングスへの評価が高まり、再々結成となりました。1980年にディック・テイラーも加わって、アルバム『Cross Talk』をリリースしました。
プリティ・シングスは世が世であれば、ストーンズのような超ビッググループになる可能性も秘めていましたが、時代性とのズレなのか、ストーンズとは対照的に日陰の道を歩んできました。しかし、根強いファンはいまだに存在しています。
Pretty Things "Midnight To Six Man" 66
Small Faces - Tin Soldier (good quality)
それでは今日はこの辺で。