いつの間にかドナルド・フェイゲン(Donald Fagen,key vo)とウォルター・ベッカー(Walter Becker,g,vo)の二人組になってしまったスティーリー・ダン(Steely Dan)です。
この二人はニューヨークのカレッジ時代に知り合い、二人ともジャズ愛好家で気が合い、曲作りなどをするようになりました。そして学校も辞め、ジェイ&アメリカンズのバックで働くようになりました。2年余り在籍しましたがバンドの解散と同時にソングライターチームで活動することにしました。この時代に知り合ったプロデューサーのゲイリー・カッツの誘いでabcレコードのスタッフライターになりました。
しかし、誰も彼らの曲を使ってくれません。仕方がないので自分らでバンドを作ったほうが手っ取り早いということで、メンバーを集めました。アルティメイト・スピナッチに在籍していたジェフ・バクスター(Jeff "Skunk"Baxter,g)、さらにジム・ホダー(Jim Hodder,ds,vo)、デニー・ダイアス(Denny Dias,g)、デヴィッド・パルマ―(David Palmer,vo)を加えてスティーリー・ダンを結成しました。
1972年に早くもファーストシングル「Do It Again」を発表、これがいきなり全米6位になる大ヒットとなりました。続く第2弾「Reelin' In The Years」も11位になるヒットでした。そして満を持してファーストアルバム『Can't Buy A Thrill』を発表します。
このアルバムが全米17位と大健闘しました。アルバムジャケットは客を待つ売春婦の写真をコラージュしたものです。スペインではジャケットが差し替えられました。
翌年にはセカンドアルバム『Countdown To Ecstasy』、1974年には『Pretzel Logic』をそれぞれリリース。
この両アルバムにはデヴィッド・パルマ―はいません。脱退しています。
シングル「Rikki Don't Lose That Number」は全米4位、アルバム『Pretzel Logic』は全米8位になりました。
1975年に『Katy Lied』、1976年に『The Royal Scam』をそれぞれリリースします。
この両アルバムにはジェフ・バクスターとジム・ホダーはいません。メンバーは3人になりました。その代わり、バックミュージシャンは豪華に揃えました。この後、デニー・ダイアスも脱退、遂にドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーの二人になりました。
そして1977年に6作目、最高売り上げを達成したアルバム『彩(Aija)』を発表します。
Side A
1.Black Cow
2.Aja
3.Deacon Blues
Side B
1.Peg
2.Home At Last
3.I Got The News
4.Josie
参加メンバーは数が多くて書ききれませんので主な人だけでもあげます。
スティーヴ・ガッド(Steve Gadd,ds)
ラリー・カールトン(Larry Calton,g
デニー・ダイアス(Denny Dias,g)
マイケル・オマーティン(Michael Omartian,p)
ヴィクター・フェルドマン(Victor Feldman,perc)
ウェイン・ショーター(Wayne Shorter,tenor sax)
ジム・ケルトナー(Jim Keltner,ds)
マイケル・マクドナルド(Michael Mcdnald,vo)
ティモシー・シュミット(Timothy B Schmit,b,vo)
トム・スコット(Tom Scott,sax)
ジム・ホーン(Jim Horn,sax)
スティーヴ・カーン(Steve Khan,g)
クライディー・キング(Clydie King,vo)
リック・マロッタ(Rick Marotta,ds)
プロデュースはゲイリー・カッツ(Gary Katz)です。
全米で3位の彼らの初のゴールドディスクです。
写真は汚くて申し訳ありませんが、移っている女性はモデルの山口小夜子です。撮影は藤井秀樹です。
ジョー・サンプル、ウェイン・ショーター、リー・リトナー、スティーヴ・ガッド、トム・スコットなど名うてのジャズミュージシャンを迎えての、これはもうロックの範疇には収まり切れない、ポップなジャズアルバムです。ゆるゆるとした気分にしてくれます。
ウォルター・ベッカーの交通事故などがあって、暫くのブランクの後、1980年に7枚目のアルバム『Gaucho』を発表します。
このアルバムは全米で9位になります。ここでも豪華なミュージシャンたちがバックを務め、前作に引き続きジャズ・フィーリングたっぷりのアルバムになりました。
しかしこれがスティーリー・ダンとしてのラストアルバムになりました。
この後、ドナルド・フェイゲンはソロアルバムの制作へ。ウォルター・ベッカーはプロデューサーへと。
1993年のドナルド・フェイゲンのソロアルバムをウォルター・ベッカーがプロデュースしたことがきっかけで、二人は2000年にスティーリー・ダンを復活させ、アルバム『Two Against Nature』をリリースしました。
これが全米6位の大ヒットとなり、グラミー賞の最優秀アルバムをはじめ4部門を獲得し、相変わらずの人気を披露しました。
2003年にもアルバム『Everything Must Go』を発表しました。
しかし、2017年、ウォルター・ベッカーが食道癌で亡くなりました。67才でした。
スティーリー・ダンとドゥービー・ブラザーズは因縁深く、オリジナルメンバーのジェフ・バクスターとツアーやレコーディングに参加していたマイケル・マクドナルドは共にドゥービー・ブラザーズに移籍しました。ドゥービー・ブラザーズにとって、二人の加入はそれまでのドゥービー・ブラザーズに大きな影響を与えたように思えます。それはスティーリー・ダンから持ち込んだものだったように思えます。
Steely Dan - Black Cow - (Aja, 1977)
Steely Dan - Peg - HQ Audio -- LYRICS
それでは今日はこの辺で。