多くのミュージシャンに愛されながらも、1997年、45歳の若さで亡くなったニコレット・ラーソン(Nicolette Larson)。誰もが彼女の死を悼みました。
ニコレットは1952年、モンタナ州ヘレナで生まれ、カンザスシティで育ちました。1975年頃から歌手活動を始め、コマンダー・コディのレコーディングに参加しました。その後、ガイ・クラーク、ホイト・アクストン、ゲイリー・スチュワート、ジェシ・ウィンチェスター、ジェシ・コリン・ヤング、エミル―・ハリス、ニール・ヤングなどのレコーディングにバックヴォーカルとして参加しました。
1978年にドゥービー・ブラザースのアルバム『Minute by Minute』に参加して、プロデューサーのテッド・テンプルマンと知り合い、これがきっかけでワーナー・ブラザースとの契約が成立しました。
そして1979年みファーストソロアルバム『Nicolette(愛しのニコレット)』をリリースします。
この中のニール・ヤングのカバー、「Lotta Love(溢れる愛)」が全米8位となる大ヒットになります。このアルバムにはリトル・フィートやドゥービー・ブラザースのメンバー、さらにリンダ・ロンシュタッドなど豪華なメンバーがバックを務めました。プロデュースはもちろんテッド・テンプルマンでした。
翌年にはセカンドアルバム『In the Nick of Time(愛の季節)』をリリースします。
この中ではドゥービーのマイケル・マクドナルドとのデュエット「Let Me Go, Love(愛にさよならを)」が全米35位とヒットしますが、前作ほどのヒットにはなりませんでした。
その後1980年に『Radioland』を発表、1982年には『All Dressed Up & No Place to Go(天使のように)』をそれぞれ発表しますが、全米62位、75位とデビュー当時の勢いはなくなりました。
『All Dressed Up & No Place to Go(天使のように)』ではアンドリュー・ゴールドをプロデューサーに起用しますがヒットには至りませんでした。
その後、ニコレットはワーナー・ブラザースを去り、MCAレコードに移籍し、カントリーに転身します。そして1985年にアルバム『...Say When』をリリースします。
このアルバムはビルボードのカントリー・チャートの40位になりました。
その後アルバムを2枚リリースし、セッションドラマーとして有名なラス・カンケル(Russ Kunkel)と結婚し、ソロ活動は休止し、ニール・ヤングのレコーディングなどに参加していました。
1994年には子供向けの子守唄アルバム『Sleep, Baby, Sleep』を発表しました。
このアルバムはかつての恋人、アンドリュー・ゴールドがプロデュースしデヴィッド・クロスビーやグラハム・ナッシュ、リンダ・ロンシュタッドも参加しました。ここではニコレットも曲を書いています。
しかし、1997年、脳浮腫により亡くなりました。享年45歳でした。
彼女の死を悼み、1998年に追悼コンサートが開かれました。ここには生前親交があった多くのミュージシャンが駆け付けました。
キャロル・キング、ダン・フォーゲルバーグ、エミルー・ハリス、リンダ・ロンシュタッド、デヴィッド・クロスビー、グラハム・ナッシュ、スティヴン・スティルス、ジョー・ウォルシュ、ジャクソン・ブラウン、ボニー・レイット、リトル・フィートの面々、ジミー・バフェット、クレイグ・ダージ、マイク・フィニガン、リッチー・ヘイワード、ジェラルド・ジョンソン、リランド・スクラ―、ワディ・ワクテル、その他大勢、そしてラス・カンケル。
この模様は後にCD化されました。『Tribute to Nicolette Larson: Lotta Love Concert』です。
これを聴いていると、彼女がいかに愛されていたかが伝わってきます。
NICOLETTE LARSON - Lotta Love (1978) (HD)
Nicolette Larson & Michael McDonald - Let me go love
Nicolette Larson - French Waltz
それでは今日はこの辺で。