1960年代半ば、アメリカのフォークロック、ウエストコースト・ロックの発展に多大なる功績を残した男が、1月19日亡くなりました。
男の名はデヴィッド・クロスビー(David Crosby)。81歳でした。
1964年、バーズ(The Byrds)の結成に参加、翌年いきなり「ミスター・タンブリンマン(Mr. Tambourine Man)」の大ヒットによりフォークロックの台頭をもたらしました。
バーズで4枚のアルバムに参加し、1967年にバーズを脱退。翌年バッファロー・スプリングフィールド(Buffalo Springfield)のスティーヴン・スティルス(Stephen Stills)、ホリーズ(The Hollies)のグラハム・ナッシュ(Graham Nash)と共にクロスビー・スティルス&ナッシュ(Crosby, Stills&Nash,通称CS&N)を結成。1970年には同じくバッファロー・スプリングフィールドのニール・ヤング(Neil Young)が加わってクロスビー・スティルス・ナッシュ & ヤング(Crosby, Stills, Nash & Young,通称CSN&Y)となり、西海岸だけでなく全米で人気を博しました。ウッドストック・コンサートでの彼らの演奏は忘れられません。
CS&Nで1枚、CSN&Yで2枚のアルバムを残しました。1970年にCSN&Yを解散した後も、バーズやCS&N、CSN&Yの再結成に参加し、その存在感を示しました。
またソロアルバムも何枚も出しています。さらにグラハム・ナッシュとのデュオ、クロスビー&ナッシュとしても数多くアルバムを制作しました。
80年代以降も旺盛な音楽活動を行ってきました。2000年代には実の息子ジェイムス・レイモンド(James Raymond)とバンドを組み活動し、アルバムも製作しました。バンド名はクロスビー、ピーヴァー&レイモンド(Crosby, Pever & Raymond (CPR))です。その傍ら、C&N、CS&N、CSN&Yとの活動も続けられましたが、2010年代にその活動は停止しました。メンバー間の不仲のようでした。彼の作る曲は独特の世界があります。メンバー間の調和は厄介な所があったように推察します。一見、気難しそうなオッサンでした。
クロスビーはバーズとCSN&Yで2度のロック殿堂入りを果たしました。
彼のロック界に果たした功績の大きさに敬意を表したいと思います。
改めてデヴィッド・クロスビー氏のご冥福をお祈り申し上げます。合掌。
往年の演奏を聴いてみましょう。
バーズ4枚目のアルバム『Younger Than Yesterday』から。
CSN&Yの『4Way Street』から。クロスビーのヴォーカル・ナンバー。カッコいい!
ファースト・ソロ『If I Could Only Remember My Name』から。
それでは今日はこの辺で。