Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

この人の、この1枚 『キール(Keel)/The Right to Rock』

今日の「懐かしのヘヴィメタ・シリーズ(懐メタ)」は先日紹介したティーラー(Steeler)のヴォーカリストロン・キール(Ron Keel,vo,g)がスティーラーを脱退して結成したバンド、キール(Keel)です。

 

1984年、ロサンゼルスで結成。結成当初のメンバーは

ロン・キール(Ron Keel,vo,g)

マーク・フェラーリ(Mark Ferrari,g)

デヴィッド・マイケル・フィリップス(David Michael-Philips,g)

ケニー・チャイソン(Kenny Chaisson,b)

ボビー・マークス(Bobby Marks,ds)

でした。

 

すぐにデヴィッド・マイケル・フィリップスがキング・コブラに参加するため退団、代わりにブライアン・ジェイ(Brian Jay,g)が参加します。

 

1984年にShrapnel レコードからデビューアルバム『Lay Down The Law』をリリースします。

 

リリース直後、ボビー・マークスが退団、代わりにティーヴン・ライリー(Steven Riley,ds)が加入しますが、彼もW.A.S.P加入のためすぐに退団します。次にドゥエイン・ミラー(Dwain Miller,ds)が加入して、ようやく落ち着きます。

 

そして19985年にA&Mからセカンドアルバム『The Right to Rock』がリリースされます。

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The Right to Rock

The Right to Rock

 

 

Side A

1.The Right to Rock

2.Back to the City

3.Let's Spend the Night Together

4.Easier Said than Done

5.So Many Girls, So Little Time

 

Side B

1.Electric Love

2.Speed Demon

3.Get Down

4.You're the Victim (I'm the Crime)

 

プロデュースはキッスのジーン・シモンズ(Gene Simmons)です。

A-3はストーンズの「夜をぶっとばせ」のカバーです。

 

このアルバムはビルボードの99位とチャートインを果たしました。

 

これぞLAメタルという感じです。リフでグイグイ押し切ります。今聴くとさすがに古臭い感じもしますが、当時はこれが人気だったのです。

 

翌年、再びジーン・シモンズのプロデュースでサードアルバム『The Final Frontier』をリリースします。

このアルバムはビルボード53位と大健闘、また雑誌Metal Edgeで読者が選ぶ年間ベストバンド賞を獲得し、絶頂期を迎えました。

 

1987年には4枚目のアルバム『Keel』を発表します。プロデュースはマイケル・ワグナー(Michael Wagener)に替わりました。

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このアルバムはビルボード79位と、そこそこ健闘しました。

しかしここでマーク・フェラーリとブライアン・ジェイが脱退してしまいます。

メンバーを補充してアルバムを発表しますがスタジオとライブを組み合わせた変則的なアルバムでした。この年、解散を発表します。

 

その後、ロン・キールはなんとカントリー歌手に転向します。

 

こうしてみるとLAメタルの寿命は短かったのです。

 


Keel-The right to rock


Keel-Let´s spend the night together


Keel- Electric love

 

 

それでは今日はこの辺で。

E.クラプトンとJ.J.ケイル

エリック・クラプトン(Eric Clapton)J.J.ケイル(J.J.Cale)の繋がりは、遡ること約50年前の1970年です。クラプトンはクリーム、ブラインド・フェイスを辞めて、ブラインド・フェイスのツアーで前座を務めたデラニー&ボニーのツアーに参加した後、ソロアルバムのレコーディングに、おそらくレオン・ラッセルか後にデレク&ドミノスのメンバーになるカール・レイドルの勧めで、当時は全く無名でしたが、デラニー&ボニーやカール・レイドルと同郷のJ.J.ケイルというミュージシャンの「アフター・ミッドナイト」という曲をレコーディングしたのが始まりでした。この曲は全米で18位のヒットになりました。

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そして2人が初めて顔を合わせたのが1976年のJ.J.ケイルの4作目『トルバドール』発表後にイギリスを訪れた際の彼のステージにクラプトンが参加した時です。以後、クラプトンは彼の楽曲を何曲も取り上げています。その後も交流を深め、2004年には、クラプトン主催の「クロスロード・ギター・フェスティバル」にもJ.J.ケイルは参加しています。J.J.ケイルはクラプトンよりも7つ年上です。しかしお互いに尊敬しあっています。

 

そして2006年に2人の競演盤が実現したのです。タイトルは『The Road to Escondido』です。

 

01.Danger

02.Heads in Georgia

03.Missing Person

04.When This War Is Over

05.Sporting Life Blues

06.Dead End Road

07.It's Easy

08.Hard to Thrill

09.Anyway the Wind Blows

10.Three Little Girls

11.Don't Cry Sister

12.Last Will and Testament

13.Who Am I Telling You?

14.Ride the River

 

ミュージシャンは

J.J.ケイル(J.J.Cale,vo,g,p)

エリック・クラプトン(Eric Clapton,g,vo)

デレク・トラックス(Derek Trucks,g)

ジョン・メイヤー(John Mayer,g)

アルバート・リー(Albert Lee,g)

ドイル・ブラムホール(Doyle Bramhall II,g)

クリスティーヌ・レイクランド(Christine Lakeland,g,vo)

ネーサン・イースト(Nathan East,b)

ゲイリー・ギルモア(Gary Gilmore,b)

ウィリー・ウィークス(Willie Weeks,b)

ピノ・パラディノ(Pino Palladino,b)

ジム・カーステイン(Jim Karstein,ds)

ジェイムス・クルース(James Cruce,ds)

ティーヴ・ジョーダン(Steve Jordan,ds)

アブラハム・ラボリーJr.(Abraham Laboriel Jr.)

ビリー・プレストン(Billy Preston,organ)

ウォルト・リッチモンド(Walt Richmond,p)

タジ・マハール(Taji Mahal,harmonica)

デニス・カプリンガー(Dennis Caplinger,fiddle)

ブルース・ファウラー(Bruce Fowler,horns)

マーティ・グレブ(Marty Grebb,horns)

ティーヴ・マデイオ(Steve Madaio,horns)

ジェリー・プレストン(Jerry Peterson,horns)

 

いずれも名うてのミュージシャンが揃いました。中でもデレク・トラックスジョン・メイヤーアルバート・リー、タジ・マハールなどは特筆ものです。それとビリー・プレストンの参加も欠かせません。彼はこのアルバムが最後のレコーディングになりました。この年に亡くなったのです。アルバムジャケットにも「In Memory of Billy Preston」と刻まれています。「バングラディッシュのコンサート」での雄姿が忘れられません。

 

プロデュースはJ.J.ケイルエリック・クラプトンです。

 

楽曲は05がブラウニー・マギーのブルースナンバー。08がクラプトンとジョン・メイヤーの共作。10がクラプトン。その他はJ.J.ケイルのオリジナルです。

 

 この二人の競演となれば音は想像出来ます。ゆるゆるのブルースです。J.J.ケールは少しも変わらずいぶし銀のヴォーカルとギター。クラプトンはレイドバック以降のスタイル。なんとも言えぬゆったりとした時間が流れます。

 

このアルバムは2008年のグラミー賞ベスト・ブルースアルバムに選ばれました。ビルボードでは23位になりました。

 

2013年、残念ながらJ.J.ケイルは亡くなっています。74歳でした。渋すぎるぐらい渋いギターとヴォーカルを聴かせてくれました。

 


J.J. Cale & Eric Clapton - Danger


J.J. Cale & Eric Clapton - Heads in Georgia


J.J. Cale & Eric Clapton - Hard To Thrill


J.J. Cale & Eric Clapton - Last Will And Testament

 

それでは今日はこの辺で。

『クイックシルバー(Quicksilver Messenger Service) 』4枚組CD入手

またしてもクイックシルバーメッセンジャー・サーヴィス(Quicksilver Messenger Service) のボックス・セットに手を出してしまいました。

 

一昨年も5枚組ボックス・セット『Live Across America 1967-1977』を購入して後悔したばかりなのに、懲りずに買ってしまいました。クイックシルバーのプライベート盤はほぼ買っているので、大体が被ってしまいます。それに音質の良いものはあまりありません。判っちゃいるけどやめられません。

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今回のボックスは『WINTERLAND 1967 - 1975』です。

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タイトルからしていかにも既発でありそうですが、年月日を確認すると被っていないような気がして、それに値段も2300円でしたので、騙されたと思って買ってしまいました。音質は期待していませんでした。

なお、発売元は先に紹介した『Byrds 8枚組』、『CSN&Y 6枚組』と同じく「Sound Stage」という会社です。

 

Disc 1

01 Instrumental

02 Pride Of Men

03 Who Do You Love

04 If You Live

05 It's Been Too Long

06 Smokestack Lightning

07 Babe, I'm Gonna Leave You

08 Gold And Silver

09 Dino's Song

10 Back Door Man

11 Mona > Maiden Of The Cancer Moon

Disc 1はサンフランシスコのWinterland Ballroomでの1967年12月31日の録音。

メンバーはおそらくゲイリー・ダンカン(Gary Duncan,g,vo)ジョン・シポリナ(John Cipollina,g)デヴィッド・フライバーグ(David Freiberg,b,vo)グレッグ・エルモア(Gregg Elmore,ds)でしょう。

当時の緊迫感は伝わってきますが、如何せん音が悪い。惜しいです。予想通りの音の悪さでした。60年代のクイックシルバーのプライベート盤は大体こんなもんです。

クイックシルバーはディノ・ヴァレンティが入る前と後で好き嫌いが分かれますが、ディノが加入前はどちらかというとサイケデリックジャム・バンドの要素が強く、演奏に重きが置かれていました。その頃の様子がよく伝わってきます。収録時間69分。

 

Disc 2

1 Subway

2 Warm Red Wine

3 The Truth

4 Mona

5 Long Haired Lady

6 Mojo

7 Pride Of Man

8 Edward, The Mad Shirt Grinder*

9 Who Do You Love? * Piano Solo By Nicky Hopkins

 

Disk 2は同場所での1970年4月15日の録音。メンバーは先のメンバーにディノ・ヴァレンティ(Dino Valenti,vo,g)ニッキー・ホプキンス(Nicky Hopkins,key)が加わって、最強のメンバー構成になっています。

アルバム『Just For Love』リリースの直前のライヴですが、アルバムからの曲はありません。その後の『What About Me』Quicksilver』『Comin' Thru』からの曲があります。これも音は悪いです。ディノ・ヴァレンティが入るとガラッとバンドのイメージが変わります。ニッキー・ホプキンスの「Edward」はたまりません。もう少し音がよければ、と同じことを何度も言っています。収録時間78分。

 

Disk 3

1 Fresh Air

2 Mona

3 Baby, Baby

4 Gypsy Lights

5 Heebie Jeebies

6 Cowboy On The Run

7 Bittersweet Love

8 They Don't Know

 

Disc 4

1 Worryin' Shoes

2 What About Me

3 Freeway Flyer

4 Subway

5 Who Do You Love?

 

Disk 3と4は1975年12月28日の録音。ディノ・ヴァレンティを加えたオリジナルメンバーでの再結成後のツアーと思われます。ニッキー・ホプキンスはいません。再結成後のアルバム『Solid Silver』から6曲取り上げています。ただお気に入りの「The Letter」「Wiches' Moon」が抜けているのがちょっと残念です。名曲「What About Me」が聴けますが、ちょっと中途半端です。

ただこのDisc 3と4は前の2枚に比べると少しはましな音質です。ちょっと救われます。収録時間はDisc 3が42分、Disc 4は53分です。

 

大方の想像通りのCDボックスでした。クイックシルバーの音質の良いライヴ盤を期待します。

 

以下はプライベート盤の数々。中にはオフィシャル盤もあります。もっとあるのですが、何処かに埋もれてしまっています。

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アンソロジー4枚組(1枚はDVD)ボックス。ハンカチとバッジ付きです。

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WINTERLAND 1967-1975

WINTERLAND 1967-1975

 

 

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Quicksilver Messenger Service - Fresh Air - 12/28/1975 - Winterland (Official)


Quicksilver Messenger Service - What About Me - 12/28/1975 - Winterland (Official)


Quicksilver Messenger Service - Gypsy Lights - 12/28/1975 - Winterland (Official)


Quicksilver Messenger Service - Cowboy On The Run - 12/28/1975 - Winterland (Official)

 

それでは今日はこの辺で。

ドクター・ジョン 逝く!

昨日、訃報が飛び込んできました。但し、今朝の新聞には載りませんでした。何故でしょう?

ドクター・ジョン(Dr.John)ことマック・レベナック(Mac Rebennack)が6月6日、心臓発作のため亡くなりました。77歳でした。

ロック界にも大きな功績を残した偉大なるミュージシャンの死でした。

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昨年の2月にこのブログでも彼のことを取り上げ、「76歳、まだまだいけるでしょう」なんて書いていたのに、あれから1年ちょっとで逝ってしまうなんて驚きと共にショックでした。

lynyrdburitto.hatenablog.com

 

ジャズ、ブルース、R&Bなどニューオリンズ・ミュージックの普及と数多くのロック・ミュージシャンとの競演、さらには6回にも及ぶグラミー賞の獲得など、彼の功績は数え上げたらきりがありません。

詳しくは以前の記事に譲ります。

ザ・バンドの映画『ラスト・ワルツ』でのドクター・ジョンのちょっと真面目な姿が思い出されます。


Dr John - The Last Waltz - Such A Night - LIVE 1976


Dr. John - Revolution [Official Video]


Dr.John -IKO IKO- (with Sunday Night Band)

 

改めて、心よりご冥福をお祈りいたします。

この人の、この1枚 『タイガース・オブ・パンタン(Tygers of PanTang)/Wild Cat』

今日の「懐かしのヘヴィメタ・シリーズ(懐メタ)」はタイガース・オブ・パンタン(Tygers of Pan Tan)です。

 

タイガース・オブ・パンタンは1970年代末期に一大ムーヴメントを巻き起こしたNWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュヘヴィ・メタル)から頭角を現してきたバンドです。当時はアイアン・メイデンやサクソン、デフ・レパードなどが人気でした。そこに追随するように現れたのがタイガース・オブ・パンタンでした。

 

バンド結成は1978年です。この時のメンバーは

ロブ・ウィアー (Robb Weirg,vo)

リチャード"ロッキー"ロウズ (Richard "Rocky" Laws,,b,vo)

ジェス・コックス (Jess Cox,vo)

ブライアン”ビッグ"ディック (Brian "Big" Dick)

でした。

 

彼らは地元のクラブに出演するようになりますが、ほとんど収入は得られませんでした。ある時、たまたま参加したベネフィット・ギグを見たニート・レコードのデヴィッド・ウッドがシングルの制作を薦めました。そこで3曲をレコーディングし、EP盤として発売しました。これが大きな反響を呼んで、一躍人気バンドになりました。

そしてメジャーのMCAとの契約が成立しました。早速シングルのレコーディングを開始します。その後サクソンの全英ツアーに参加、アルバムの制作へと向かいます。

 

1980年、彼らのファーストアルバムがレコーディングされました。

タイトルは『Wild Cat』 です。

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Wild Cat + 8

Wild Cat + 8

 

 

Side A

1.Euthanasia

2.Slave to Freedom

3.Don't Touch Me There

4.Money

5.Killers

 

Side B

1.Fireclown

2.Wild Catz

3.Suzie Smiled

4.Badger Badger

5.Insanity

 

プロデュースはクリス・タンガリーディス(Christopher Tsangarides)です。

 

このアルバムは発売後1週間で全英18位を記録する大ヒットとなりました。

 

とにかく最初から最後までリフで突っ走ります。バラードなどは無し。いかにもNWOBHM時代をおもわせます。

 

このアルバムのレコーディング後、サクソンのツアーで同じくサポートをしていたストリート・ファイターのギタリスト、ジョン・サイクス(John Sykes,g)をメンバーに迎い入れます。さらにヴォーカルのジェス・コックスジョン・デヴァリル (John Deverill,vo)に代わります。

 

そして1981年にセカンドアルバム『Spellbound』がリリースされます。

さらに同年 、このメンバーでサードアルバム『Crazy Nights』をリリースします。

両アルバム共にそこそこのヒットになりました。

しかし、ジョン・サイクスオジー・オズボーンのバンドのオーディションを受けるために脱退します。ジョンはオジーへの参加は叶わなかったものの、その後シン・リジーホワイトスネイク、ブルー・マーダーへとキャリアを重ねます。

 

ギターはフレッド・パーサー (Fred Purser,g)が加わって、1983年に4枚目のアルバム『The Cage』をリリースします。

 

このアルバムは全英13位となり、彼らの中では一番のヒット作となりました。

しかし、前作までとは別なバンドになったようです。ハードポップというかメロハーというか、それまでのタイガース・オブ・パンタンとは明らかに違っています。別なバンドとして聴けば十分聴けます。

 

この後、バンドはMCAと路線の違いで揉め、結局解散となってしまいました。この辺に前作のアルバムの不自然さがあったのかもしれません。

 

その後、1985年に一旦再結成しますが、1987年再び解散。

現在もオリジナルメンバーのロブ・ウィアがメンバーを集め活動はしているようです。

 


TYGERS OF PAN TANG - Euthanasia - 1980


Tygers of Pan Tang - Don't Touch Me There


Tygers Of Pan Tang - Wild Catz


Tygers Of Pan Tang - Insanity

 

それでは今日はこの辺で。

 

この人の、この1枚 『ワスプ(W.A.S.P)/The Last Command』

今日の「懐かしのヘヴィメタ・シリーズ(懐メタ)」は、先日書いたトゥイステッド・シスターと並んで「お下品バンド」の両巨頭と並び称されるワスプ(W.A.S.P)です。

 

ワスプは1982年、ロサンゼルスで結成されました。

メンバーは

ブラッキー・ローレス(Blackie Lawless,vo,g,b)

ランディ・パイパー(Randy Piper,g)

リク・フォックス(Rik Fox,b)

トニー・リチャーズ(Tony Richards,ds)

でした。

バンド名の意味は「White Anglo-Saxon Protestants」ということらしいです。

かれらの最初のシングル「Animal(Fuck Like A Beast)」はあまりにも歌詞が過激で本家のアメリカCapitolでは発売されず、イギリスのMusic For Nationsから発売されたほどです。衣装も奇抜で、ライブも派手な演出が施されていて物議を醸していました。

メンバーは定まらず、リク・フォックスはロン・キールとインギーのスティーラーへ移籍し、そしてクリス・ホルムズ(Chris Holmes,g)が加入しました。

 

1984年にデビューアルバム『W.A.S.Pがリリースされました。

当初は問題のシングルは収録されませんでしたが、後にそれを含んで再発されました。

歌詞は過激で下品ですが、曲はストレートなロックやメロディアスな曲もありと、聴きごたえ十分でした。

 

そして1985年、セカンドアルバム『The Last Command』がリリースされました。

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THE LAST COMMAND (DELUXE EDITION) (IMPORT)

THE LAST COMMAND (DELUXE EDITION) (IMPORT)

 

 

Side A

1.Wild Child

2.Ballcrusher

3.Fistful of Diamonds

4.Jack Action

5.Widowmaker

 

Side B

1.Blind in Texas

2.Cries in the Night

3.The Last Command

4.Running Wild in the Streets

5.Sex Drive

 

プロデュースはクワイエット・ライオットでも知られるスペンサー・プロファー(Spencer Proffer)です。

ドラムはティーヴン・ライリー(Steve Riley,ds)に代わっています。バッキングヴォーカルでクワイエット・ライオットのカルロス・カヴァーゾ(Carlos Cavazo)が参加しています。

このアルバムは全米の47位を記録し、ゴールド・ディスクになりました。

前作に引き続きストレートなハードロックを推し通しています。もちろんメロディックな曲もあり、外見とは違って音楽的には正統派です。何といってもこのバンドのウリはブラッキーのヴォーカルです。好き嫌いはあるでしょうが、何とも言えない不気味さがあってよろしいのではないでしょうか。

 

この後、ランディ・パイパーが脱退、代わりにキング・コブラからジョニー・ロッド (Johnny Rod,g,b)が加入します。

 

1989年にサードアルバム『Inside The Electric Circus』をリリースします。

 

そのあと1989年には4枚目のアルバム『The Headless Children』をリリースします。

ここで、クリス・ホルムスが脱退し、オリジナルメンバーはブラッキーのみとなり、バンドとしての存在はなくなったようなものでした。

 

この後はバンド名は残りますがブラッキーのソロアルバムの要素が強くなっていきました。

 

 


W.A.S.P. - Wild Child (H.Q. Long vrs)


The Last Command


Running Wild In The Streets


Blind In Texas

 

それでは今日はこの辺で。

C.J フィッシュ後のバリー・メルトン(Barry Melton)

カントリー・ジョー&ザ・フィッシュ(Country Joe & The Fish)が1970年に解散した後、カントリー・ジョー・マクドナルドはソロ活動を始めました。一方リードギタリストのバリー・メルトン(Barry Melton)もソロアルバムを発表するなど音楽活動を続けました。

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1970年には早速ソロアルバム『Bright Sun Is Shining』を発表します。

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ここではブルースナンバーやソウルナンバーを数多く取り上げています。

 

続いて1972年には自身のバンド『Melton, Levy & the Dey Bros.』を結成します。

メンバーはジェイ・レヴィ(Jay Revy,vo,key)リック・デイ(Rick Dey,b,vo)トニー・デイ(Tonny Dey,ds,vo)です。

そしてアルバム『Melton, Levy & the Dey Bros.を発表します。

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ここにはマイク・ブルームフィールド(Mike Bloomfield,g)がギターとプロデュースで参加しています。オリジナル作品が増えました。

 

次に1976年には『The Fish』なるアルバムを発表します。

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ここではグレイトフル・デッドミッキー・ハートとの共作が多くなっており、またデッドの作詞家ロバート・ハンターとの共作もあります。

 

そして1978年には2枚のアルバムを発表します。『We Are Like The Ocean』『Level With Me』です。

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そして1980年代に入って、1981年『Songs Of The Next Great Depression』を発表します。

全曲バリー・メルトンの曲です。ミュージシャンはスコット・ローレンス(Scott Lawrence,key)、メイン・スミス(Mayne Smith,dobro)、ピーター・ウォルシュ(Peter Walsh,b,slide)、グレゴリー・デューイ(Gregory Dewey,ds)です。

このアルバムはこの年に亡くなったマイク・ブルームフィールと前年に亡くなったプロデューサーのブルース・ウォルフォードの「思い出」にとなっています。

 

その後しばらく間隔が空いて、以前にジョン・シポリナの記事で紹介したダイナソー(Dinosaurs)に参加します。

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ここでアルバム『Dinosaurs』をリリースします。

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後に編集盤や海賊版が出回ります。

 

この頃のバリー・メルトンのライヴアルバムが1997年に発表されます。

『The Barry "The Fish" Melton Band』と名付けられたバンドです。

メンバーはダイナソーとダブリます。

タイトルは『The Saloon Years』です。

 

バリー・メルトン(Barry Melton,g,vo)

ジョン・シポリナ(John Cipollina,g,vo)

ピーター・アルビン(Peter Albin.b.vo)

スペンサー・ドライデン(Spencer Dryden,ds)

ボブ・フルリー(Bob Flurie,g,vo)

ピーター・ウォルシュ(Peter Walsh,g,vo)

デヴィッド・ゲッツ(David Getz,guest ds)

 

1989年、1991年、1994年、1997年のライヴです。場所はサンフランシスコ、ノースビーチの「ザ・サルーン」です。

このメンバーを見ればわかるようにサンフランシスコのスーパー・グループです。

ジョン・シポリナクイックシルバーメッセンジャー・サーヴィスピーター・アルビンイッツ・ア・ビューティフル・デイスペンサー・ドライデンジェファーソン・エアプレインデヴィッド・ゲッツビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー、そしてバリー・メルトンカントリー・ジョー&ザ・フィッシュです。夢のような組み合わせです。

 

1960年代のサンフランシスコの匂いがプンプンします。タイムスリップしたような感覚に捉われます。心が踊ります。1990年代にこのような音楽を聴けるというのも嬉しいものです。

 

バリー・メルトンはこうした音楽活動以外にも1982年には弁護士資格を取得し、刑事弁護士として活動しました。

 

バリー・メルトンの特異なギター・サウンドは今でも耳に残っています。

 

 


I've Been In Darkness - Barry Melton 1970


Barry Melton - Babylon


Barry Melton - The Time to Spend Together


Thing Called Love

 

それでは今日はこの辺で。