Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

映画『ビル・エヴァンス タイム・リメンバード』を観る

昨日のキネ旬シアターはビル・エヴァンス タイム・リメンバード』でした。

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監督:ブルース・スピーゲル

出演:トニー・ベネットジャック・デジョネットジム・ホール他多数

制作:2015年 アメリカ 2019年 日本公開

 

ジャズ・ピアニストの巨匠と呼ばれた、ビル・エヴァンスの生涯を追ったドキュメンタリー映画です。

ビルとトリオを組んだ今は亡きドラマーのポール・モチアンや、ジム・ホールジョン・ヘンドリックス、それにトニー・ベネットジャック・デジョネットなどのインタビューを織り交ぜながらビル・エヴァンスの素顔に迫ります。

 

若い頃のビル・エヴァンスの写真はインテリ然として、まるで銀行員のようです。しかし、その行動はハチャメチャだったようです。

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1958年には短い間でしたがマイルス・デイヴィスのバンドに加わり、歴史的名演と言われた『カインド・オブ・ブルー』のレコーディングに参加します。

その後、ポール・モチアンスコット・ラファロと共にトリオを結成、あの『ワルツ・フォー・デヴィ』を録音します。しかし、そのすぐ後にスコット・ラファロは交通事故で亡くなってしまいます。ビル・エヴァンスのショックは大きなものがありました。

さらに10年以上も支えてくれた元恋人エレインと最も敬愛する兄のハリーの自殺。これらがビルの薬物使用に拍車をかけ、最後はそれが原因で51歳の若さで亡くなります。薬物との戦いが彼の一生だったと言っても過言ではないかもしれません。

関係者の証言では「彼は死にたがっていた。」と薬物摂取を止めなかったのは結局は自殺したようなものだと言っています。一時は息子のために生きると言っていましたが、結局は死を選んだようなものでした。

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私がまだ高校生の頃、学校近くのジャズ喫茶で初めてジャズというものに触れ、友人の勧めで生涯で2番目に買ったジャズのレコードがビル・エヴァンスでした。ニルヴァーナというハービー・マンとビル・エヴァンス・トリオの競演盤でした。ジャズとはなんと難しい音楽だろうというのが第1印象でした。静かな静かなジャズでした。

そんなことが懐かしく思い出されました。

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ビル・エヴァンスは数々の名演と呼ばれるリーダーアルバムを世に残しました。

Portrait in Jazz

『Explorations』

Waltz for Debby

Sunday at the Village Vanguard

『Undercurrent』

等々。

 

ビルがピアノに覆い被さるように背中を丸めてピアノを弾く姿はまるでなにかにとりつかれた者のようです。静かで研ぎ澄まされたようなピアノの音色は芸術品です。

「ビル・エヴァンス」の画像検索結果

 

ジヤズ・ヴォーカリストのトニー・べネットに対し「美と真実だけを追求しろ。他はどうでもいい」という言葉を残しています。この言葉はトニー・べネットの座右の銘になっているそうです。

関連画像

 

ビル・エヴァンスのドキュメント映画が制作されるなんて思ってもいませんでしたが、さすがにアメリカです。貴重なドキュメンタリーを観ることが出来ました。大満足です。難を言えば丸ごと一曲をノーカットで聴いてみたかったですね。大音量で。

 

 


映画『ビル・エヴァンス タイム・リメンバード』4/27GWロードショー

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

アル・クーパーの実験 BPからBS&Tへ

アル・クーパー(Al Kooper)ボブ・ディランのアルバム『Highway 61 Revisited』にオルガンで飛び入り参加し、認められて、ブルース・プロジェクト(The Blues Project)に招かれたのが1966年でした。

ブルース・プロジェクトはダニー・カルブ(Danny Kalb,g)が1965年に結成したバンドです。

当初のメンバーはアーティ・トラウム(Artie Traum,g)アンディ・カルバーグ(Andy Kulberg,b)ロイ・ブラメンフェルド(Roy Blumenfeld,ds)でスタートしますが、すぐにアーティの代わりにティーヴ・カッツ(Steve Katz,g)が加入しました。さらにトミー・フランダース(Tommy Flanders,vo)が加わって、ブルース・プロジェクトがスタートしました。

 

バンドはコロムビアのオーディションを受けますが不合格。プロデューサーのトム・ウィルソンはボブ・ディランのレコーディングに連れて行って成功したアル・クーパーをピアノ・オルガンで起用するためにバンドに誘いました。バンドはVerveレコードと契約しました。そしていきなりライヴ・レコーディングを始めました。1966年、彼らのファーストアルバムは『Live at the Café Au Go Go』です。

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ブルースナンバーの他に、ドノヴァンやエリック・アンダーソンのフォークやチャック・ベリーの曲なども取り上げています。この中にはアル・クーパーのオリジナルはありません。ほぼカバー曲です。

ここで、トミー・フランダースは脱退します。

 

そして同年、セカンドアルバムがリリースされますが、初めてのスタジオアルバムになります。『Projection』です。

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ここにきてようやくアル・クーパーのオリジナル曲が4曲生まれました。中でも「泣かずにいられない」や「フルート・シング」などの名曲が収録されています。またスティーヴ・カッツも「スティーヴズ・ソング」で存在感を示しました。

 

ブルース・プロジェクトはバンド名にブルースが付いていますが決して純粋なブルースバンドではありませんでした。この頃のアメリカのブルースバンドといえばキャンド・ヒートやポール・バターフィールド・ブルース・バンドなどが有名ですが、ブルース・プロジェクトは彼らとは明らかに一線を画します。ブルースの他にフォーク、R&B、ポップス、ジャズ、サイケデリックなど幅広いジャンルをこなす、いわゆる実験的なプロジェクトのようなバンドでした。

 

アル・クーパーはさらに、バンドにホーンを加えたいと提案します。しかし、これはダニー・カルブに反対されます。アル・クーパーはそれなら辞めると、あっさり退団します。この後、バンドはバラバラになり、ライブアルバム、といっても拍手を後からつけた様なアルバム『Live at Town Hall』をリリースして解散してしまいます。

やはりアル・クーパーの存在は大きかったのでしょう。それでもこのバンドの果たした役割は大きかったと思います。1960年代中頃、いわゆる新しいロックの黎明期にブルースのみならず、幅広いジャンルの音楽を取り込んだバンドとしてある意味ではバッファロー・スプリングフィールドと双璧をなすような存在だったのかもしれません。

 

そして1967年、アル・クーパーは新たにメンバーを集め、念願のホーンを導入したバンドブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ (Blood, Sweat & Tears、BS&Tを結成しました。メンバーにはアルを追ってブルース・プロジェクトを退団したティーヴ・カッツも加入しました。

その他のメンバーは

ランディ・ブレッカー(Randy Brecker,tp,flugelhorn,)

ジェリー・ワイス(Jerry Weiss,tp,flugelhorn)

フレッド・リプシウス(Fred Lipsius.as,key)

ディック・ハリガン(Dick Halligan,tb,flute)

ジム・フィルダー(Jim Filder,b)

ボビー・コロンビー(Bobby Clomby,ds)

 

そして1968年にファーストアルバム『Child Is Father to the Man(子供は人類の父である)』を発表します。

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ジョン・サイモンをプロデュースに迎え、ここではアル・クーパーのオリジナルの他にティム・バックリー、ハリー・ニルソン、ランディ・ニューマンキャロル・キングなどをカバーしています。

ホーンが入ったジャズロック、ブルース、さらにポップスと万華鏡のようなアルバムです。売上の方もビルボードの47位と健闘しました。しかし、レコード会社コロムビアが期待したシングルヒットは生まれませんでした。この原因はアル・クーパーのヴォーカルが弱いという判断をされました。バンドは新しいヴォーカルを探し始めました。アル・クーパーは追い出されるようにバンドを去りました。

 

代わりのヴォーカルはデヴィッド・クレイトン・トーマス(David Clayton-Thomas)です。1968年、バンドはセカンドアルバムBlood、Sweat&Tearsをリリースします。このアルバムからベスト5に入るシングルヒットが4曲も生まれ、アルバムも全米1位、グラミー賞まで獲得しました。しかし、この後デヴィッド・クレイトンのワンマンぶりに嫌気がさし、多くのメンバーが去り、売り上げもサードアルバム以降は徐々に下降気味になりました。

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BS&Tでのアル・クーパーは見逃されがちですが、このファーストアルバムの存在はその後のロック界にとって大きかったと思います。

 

一方、追い出されたアル・クーパーのその後は以前の記事で何度か書いていますので参考にご覧ください。

ボブ・ディランのレコーディングで知り合ったマイク・ブルームフィールドとのセッションアルバムやライヴアルバム、そしてソロアルバムの制作、レーナード・スキナードのプロデュースなど60年代から70年代にかけて果たした役割は大きいものが有りました。特にシカゴ(Chicago)に先駆けて日本ではブラス・ロックと呼ばれたジャンルを作り上げた功績は大でした。

 

特に、まだロック界においてセッションアルバムなどと呼ばれるものがまだなかった時代に『スーパーセッション』なるアルバムを制作、さらにファーストソロアルバム『I Stand Aloneでは大胆なるオーケストラの導入など、実験好きなアル・クーパーでした。

 

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こうしてみてくると、アル・クーパーという人間はどうやら一つ所では落ち着かない性格のようです。それだけ好奇心というか向上心が強いのでしょう。

 


THE BLUES PROJECT - I CAN'T KEEP FROM CRYING SOMETIMES


"I Love You More Than You'll Ever Know" Blood, Sweat & Tears


Blood, Sweat & Tears "Just One Smile"

 

それでは今日はこの辺で。

 

この人の、この1枚 『トゥイステッド・シスター(Twisted Sister)/Stay Hungry』

今日の「懐かしのヘヴィメタ(懐メタ)・シリーズ」は“お下品バンド”の代表選手、トゥイステッド・シスター(Twisted Sister)です。

 

トゥイステッド・シスターの結成は古く、1972年に遡ります。元々はジェイ・ジェイ・フレンチ(Jay Jay French,g)らによってニューヨークで結成されました。1975年にエディ・オヘダ(Eddie "Fingers" Ojeda,g)が参加します。しかしその他のメンバーは定まらず、知名度もありませんでした。

1976年にヴォーカリストディー・スナイダー(Dee Snider,vo)が加入します。そして1978年にはマーク・メンドーサ(Mark "The Animal" Mendoza,b)が加わり、ようやくメンバーもドラムを除き固まりました。

 

バンドはディーの加入で徐々に人気が高まってきました。1979年、80年にそれぞれシングルをリリース、そして1982年にシークレットレコードからデビューアルバム『Under the Blade』がリリースされます。

 

チャートインは逃すもののデビューアルバムにしては健闘しました。

 

翌年にはアトランティック・レコードに移籍し、セカンドアルバム『You Can't Stop Rock 'n' Roll』をリリースします。

 

このアルバムはイギリスで14位と大健闘します。残念ながらアメリカではチャートインを逃しますがゴールド・ディスクに輝きました。

 

そして1984年にサードアルバム『Stay Hungry』をリリースし、一気に爆発します。

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Side A

1.Stay Hungry

2.We're Not Gonna Take It

3.Burn in Hell

4.Horror-Teria (The Beginning):
   a) Captain Howdy
   b) Street Justice

 

Side B

1.I Wanna Rock

2.The Price

3.Don't Let Me Down

4.The Beast

5.S.M.F.

 

プロデュースはトム・ワーマン(Tom Werman)です。

 

このアルバムは全米で15位と大健闘し、トリプルプラチナに認定されました。カナダでは6位になりました。シングルも3枚カットされ、A-2とB-1がチャートインを果たしゴールド・ディスクになりました。カナダではトリプルとダブルのプラチナ・ディスクに認定されました。

 

トゥイステッド・シスターは何といってもヴォーカルのディーの存在です。女装したけばけばしいファッションが何とも言えません。アルバムはオーソドックスなロックンロールと美しいバラードが混じり合い、彼らの最高傑作になったと思います。ディーの強烈なメッセージは当時のキッズに大人気でした。

 

しかし、80年代も後半になると、グラムメタルも下火になり、同時にバンドも下降線をたどります。

1985年に4枚目のアルバム『Come Out and Play』をリリースします。そして1987年には5枚目『Love Is for Suckers』をリリースします。

 

 

2枚ともそこそこ売れましたが、かつての勢いはありませんでした。そして翌年に解散を発表しました。

 

2003年に再結成し、翌年には6枚目のアルバム『Still Hungry』をリリースしました。

 

 

しかし、2016年に再び解散しました。

LAメタルの隆盛と共に現れ、衰退と共に去って行きました。

 


Twisted Sister - Stay Hungry


Twisted Sister - We're Not Gonna Take It (Official Video)


Twisted Sister - I Wanna Rock (Official Video)

 


Twisted Sister - The Price (Official Video)

 

それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『ワイ・アンド・ティ(Y&T)/In Rock We Trust』

今日の「懐かしのヘヴィメタ(懐メタ)・シリーズ」はワイ・アンド・ティ(Y & T)です。

Y&Tの歴史は古く、1972年頃にオークランドで結成されました。当時はバンド名を『Yesterday&Today』と名乗っていました。これはビートルズのアルバム名から取りました。

メンバーは

デイヴ・メニケッティ(Dave Meniketti,vo,g)

ジョーイ・アルヴィス(Joey Alves,g)

フィル・ケネモア(Phil Kennemore,b,vo)

レオナード・ヘイズ(Leonard Haze,ds)

でした。

1976年、ファーストアルバム『Yesterday & Today』でデビューします。

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1978年にはセカンドアルバム『Struck Down』をリリース。

 

ここでレコード会社をLondonからA&Mに変え、バンド名もY&Tに変更しました。

 

そして1981年のサードアルバムEarthshakerで一気に花開きました。

 

そして1982年、83年と続けざまにアルバムをリリースします。Black Tiger『Mean Streak』です。

 

両アルバムともアメリカではチャートインを果たせませんでしたが、イギリスでは高い評価を得、共にチャートインを果たしました。後者のアルバムからシングル「Mean Streak」は全米でも25位に入る健闘でした。

そして1984年に6枚目のアルバム『In Rock We Trust』がリリースされます。

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イン・ロック・ウィ・トラスト+1

イン・ロック・ウィ・トラスト+1

 

 

Side A

1.Rock & Roll's Gonna Save the World

2.Life, Life, Life

3.Masters and Slaves

4.I'll Keep on Believin' (Do You Know)

5.Break Out Tonight!

 

Side B

1.Lipstick and Leather

2.Don't Stop Runnin

3.(Your Love Is) Drivin' Me Crazy

4.She's a Liar

5.This Time

 

プロデュースはクロークスやラフ・カットの記事でも登場した、ジューダス・プリーストでおなじみのトム・アロム(Tom Allom)に代わっています。アルバム毎にプロデューサーが変わって来ましたが、今回はトム・アロムでした。

 

このアルバムは全米でも46位と自己最高を記録し、全英でも最高の33位になりました。

またこのアルバムでは作詞・作曲にシンガー・ソングライタージェフリー・リーブ(Geoffrey Leib,Jeff Paris)が起用されました。

実に素晴らしいアルバムが出来上がりました。デイヴ・メニケッティの哀愁漂うギターとヴォーカルには酔わせられます。このバンドはこの哀愁路線がいいのです。

 

しかし、ここまでが彼らの絶頂期でした。この後、レオナオード・ヘイズが解雇され、さらにジョーイ・アルヴィスが脱退し、バンドは1990年に解散します。その間3枚のアルバムを発表しました。『Down For The Count』『Contagious』『Ten』です。

       

メンバーはジミー・デグラッソ(Jimmy DeGrasso,ds)ステフ・バーンズ(Stef Burns,g)が加入しています。

いずれも、メロディアス路線で聴きごたえがあります。アルバム『Down For The Count』には彼らの最高ヒット作「Summertime Girls」を含んでいます。が、かつての勢いはありませんでした。

 

1995年には最後のラインナップで再結成します。その後も解散、再結成を繰り返し現在に至っています。

 

オリジナルメンバーのフィル・ケネモアは2011年肺癌のため死去。57才でした。またレオナード・ヘイズも肺疾患で2016年、61歳で死去。2017年にはジョーイ・アルヴィスが潰瘍性結腸炎の合併症で死去、63歳でした。

オリジナルメンバーの生き残りはデイヴ・メニケッティだけになってしまいました。

まだまだ若いです。頑張ってもらいましょう。

 


Life, Life, Life


Masters And Slaves


Y&T - I'll Keep On Believin' (Do You Know)


Rock & Roll's Gonna Save The World

 

それでは今日はこの辺で。

スイスの英雄 『クロークス(Krokus)/Headhunter』

今日の「懐かしのヘヴィメタ(懐メタ)・シリーズ」はクロークス(Krokus)です。

クロークスと言えばスイス出身の母国では英雄的な存在のバンドで、アメリカを始めヨーロッパでも人気になったバンドです。

AC/DCのクローン・バンドなどと呼ばれた時期もありました。

結成は古く1974年です。クリス・フォン・ローア(Chris Von Rohr,b,perc,vo)トミー・キーファー(Tommy Kiefer,g)によってスイスで結成されました。

スイスではそこそこの人気を博しました。当初はプログレ風のロックを演奏していましたが、AC/DCのライヴを観て、HM/HRへ路線変更します。そしてヴォーカルもハイトーンヴォイスを採用することにし、マーク・ストラーチェ(Marc Strace,vo)を加入させました。その他のメンバーはフェルナンド・フォン・アーブ(Fernando von Arb,g)、(Jürg Naegeli,b,key)、フレディ・ステディ(Freddy Steady,ds)でした。

 

そして1980年に4枚目のアルバム『Metal Rendez-vous』をリリースします。

これがスイスではもちろん、アメリカでもそこそこヒットし、人気が出て来ました。

 

翌年の『Hardware』アメリカで103位、イギリスでは44位と国際的な人気が出て来ました。トミー・キーファー、Jürg Naegeliはバンドを去ります。マーク・コフラー(Mark Kohler,g)が加入しました。

 

続く1982年の『One Vice at a Time』アメリカで遂にベスト100に入る53位、イギリスでは28位になりました。

ここではゲス・フーの大ヒット曲 アメリカン・ウーマン」をカバーし、

しかし、このあたりまではどうしてもAC/DCのコピー・バンドというレッテルが貼られていました。

 

ここでドラムのフレディ・ステディが脱退します。代わりのドラマーはハイドラ(Hydra)ティーヴ・ペイス(Steve Pace,ds)が加入しました。さらにプロデューサーを変えたことが次のアルバムに大きく影響しました。

1984年、アルバム『Headhunter』をリリースします。

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Headhunter

Headhunter

 

 

Side A

1.Headhunter

2.Eat the Rich

3.Screaming in the Night

4.Ready to Burn

 

Side B

1.Night Wolf

2.Stayed Awake All Night

3.Stand and Be Counted

4.White Din

5.Russian Winter

 

プロデュースはストローブス(Strawbs)ジューダス・プリースト(Judas Priest)でおなじみのトム・アロム(Tom Allom)です。

 

ここではバックマン・ターナー・オーヴァードライヴ(Bachman–Turner Overdrive)「Stayed Awake All Night」をカバーしています。

またA-4の「Ready to Burn」ではロブ・ハルフォードがバッキング・ヴォーカルで参加し、後にサヴァイヴァ―(Survivor)に参加する、ジミー・ジェイミソンもバッキング・ヴォーカルで参加しています。

 

プロデューサーの影響なのか、ジューダス・プリーストの影響が強く出たアルバムになっています。メタルというよりもどちらかというとハードロックです。とくにA-3の「Screaming in the Night」のバラードなどはまさに絶品です。

 

私の感想ではこのアルバムが彼らの頂点だったような気がします。メンバーも入れ替わりが激しくなりました。クリス・フォン・ローアもバンドを去り、初期のメンバーはフェルナンド・フォン・アーブだけになってしまいました。

 

次のアルバム『The Blitz』は全米31位でゴールドアルバムになりましたが、ハードロックからよりポップになっていきました。

 

1986年のアルバム『Change of Address』ではアリス・クーパー「School's Out」をカバーしたりしましたが、商業的には今ひとつでした。

 

アメリカでの人気は堕ちましたが、スイスでの人気は依然として高く、今でもアルバムを出すごとにスイスNo.1を記録しています。まさに国民的バンドの代表です。

 


Krokus - Screaming In The Night

 


Krokus-Headhunter (HD)


Krokus "Eat the Rich"


Krokus- Ready To Burn (HD)

 

それでは今日はこの辺で 。

ザ・バンド(The Band)解散後のロビー・ロバートソン(Robbie Robertson)は

ザ・バンド(The Band)のメンバーのソロアルバムについてはリック・ダンコ(Rick Danko)レヴォン・ヘルム(Levon Helm)も書いてきましたが、肝心なロビー・ロバートソン(Robbie Robertson)についてはまだ書いていませんでした。

lynyrdburitto.hatenablog.com

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1976年のザ・バンドの解散以後、ロビー・ロバートソンはかつてのメンバーのソロアルバムへの参加やニール・ダイアモンド、トム・ペティなどのプロデュースや映画のサウンドトラックのプロデュースは行ったものの、自身のソロアルバムについては制作しませんでした。バンドの再結成にも参加しませんでした。

 

1987年、解散後10年経って、ようやく初のソロアルバムをゲフィン・レコードからリリースしました。

タイトルは『Robbie Robertson』です。

ゲスト陣はバンドのメンバーからリック・ダンコとガース・ハドソン、それからピーター・ガブリエルU2のメンバー、ネイヴィル・ブラザーズ、ローン・ジャスティスのマリア・マッキーなど多彩でした。

このアルバムは世間的には好意的に迎えられました。ビルボードの35位にまで達しました。それでも私個人的にはあまりピンときませんでした。10年経っても、どうしてもザ・バンドのロビー・ロバートソンという印象が拭えず、このニューウェイヴ的なサウンドにしっくりきませんでした。当時の人気者ピーター・ガブリエルU2の参加が多大な影響を与えていたと思います。

 

そしてさらに4年。1991年にセカンドアルバム『Storyville』がリリースされました。

ゲスト陣はバンドからリック・ダンコとガース・ハドソン、それにニール・ヤング、ネイヴィル・ブラザーズ、ブルース・ホーンスビー、ミーターズブルー・ミッチェルジンジャー・ベイカーなど。

ニューオリンズの売春地区、ストリーヴィルを題材にしたコンセプトアルバムになっています。ニューオリンズのミュージシャンが多数参加しました。このアルバムもビルボードで69位、シングル「What About Now」は15位になりました。

 

ロビー・ロバートソンがインディアンの血を引いていることを公表してから、テレビ番組の『The Native Americans』の音楽を担当し、1994年にこれが第3作目のソロアルバム『Music for The Native Americans』として発表されました。

同じくインディアンのチェロキー族出身のリタ・クーリッジも参加しています。

インディアン・ミュージックとエレクトロの融合です。

 

そしてさらに4年。1998年に4枚目のアルバム『Contact from the Underworld of Red Boy』をリリースします。

ここでもリタ・クーリッジが参加しています。

これも前作同様、インディアン・ミュージックの流れをくむアルバムになっています。

 

実をいうと、ここで彼のソロアルバム購入は止めようと思いました。と言ってもこの後また3年空くのですが、もうこれ以上はいいかと、と思ったのです。この頃は、どうしてもこの手の音楽の良さが分からなかったのです。

 

そして3年後の2011年、5枚目のアルバム『How To Become Clairvoyant』がリリースされます。

買わないつもりでいたのに、何故か買ってしまうのです。悲しいサガです。

ここにはエリック・クラプトンスティーヴ・ウィンウッド、トム・モレロ、ジム・ケルトナー等が参加しています。

クラプトンとウィンウッドの参加は嬉しいですが、期待はありませんでした。

例によって静かで重々しく始まるオープニング。ああ同じだな、と思いながら聴き続けていくと、これが不思議。どんどん嵌り込んでいくのでした。おそらく、それまでのアルバムとそんなに変わっていないはずだと思い、これまでのアルバムを聴き返してみました。するとどうでしょう。あれほどつまらなく感じていたアルバム達が生き返ってきました。何度聴いても飽きないアルバム群になりました。

ちなみにこのアルバムはビルボードの13位になり、彼自身の最高記録となりました。

 

 

さすがにロビー・ロバートソン、しっかり聴いてくれよ、ということだったのでしょう。それ以来、飽きずに何度も繰り返し聴くようになりました。やはり彼は只者ではありませんでした。

 

こういうこともあるから人間の感性は面白い。時によって趣向が変わります。

 

今のところ新譜は発表されていないようです。

 


Robbie Robertson - When The Night Was Young


03 He Don't Like Here No More


The Right Mistake

 

それでは今日はこの辺で。

クリスチャン・メタル? 『ストライパー(Stryper)/In God We Trust』

今日の「懐かしのヘヴィメタ(懐メタ)・シリーズ」はストライパー(Stryper)です。

彼らはクリスチャン・メタルというジャンルに分類されています。が、中身の音楽面は私自身はメロハーだと思っています。アメリカはカリフォルニアの出身です。

 

ストライパーは当初Roxx Regimeというバンド名で活動していました。

メンバーは

マイケル・スウィート(Michael Sweet,vo,g)

ロバート・スウィート(Robert Swee,ds)

オズ・フォックス(Oz Fox,g,vo)

でスタートし

ティム・ゲインズ(Tim Gaines,b,key)

が加わったところで、バンド名をストライパーに変えました。1983年のことでした。

このバンド名はイザヤ書53章5の文中のSTRYPEという単語に由来しているそうです。この数字は彼らのアルバムジャケットにも多く使われています。

 

1984年にデビューEP『The Yellow And Black Attack』をリリースします。

たいした評判にもなりませんでした。

 

翌1985年には初のフルレングス・アルバム『Soldiers Under Command』をリリースします。

 

これがいきなりゴールドディスクに輝き、前作も再発されました。

 

翌年のサードアルバム『To Hell With The Devil』はプラチナアルバムになり、シングルの「Calling On You」「Honestly」も大ヒットしました。

 

そして、1988年に4枚目のアルバムとして『In God We Trust』がリリースされました。

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In God We Trust 永遠の誓い

In God We Trust 永遠の誓い

 

 

Side A

1.In God We Trust

2.Always There for You

3.Keep the Fire Burning

4.I Believe in You

5.The Writings on the Wall

 

Side B

1.It's Up 2 U

2.The World of You and I

3.Come to the Everlife

4.Lonely

5.The Reign

 

プロデュースはマイケル・ロイド(Michael Lloyd) ストライパーです。

 

楽曲はオズ・フォックスのB-3,5を除いてマイケル・スウィートです。

このアルバムのレコーディングには前作同様ティム・ゲインズは参加していません。ジャケットにはちゃっかり写真が載っています。代わりのベースは Brad Cobbです。

 

これもゴールドディスクを獲得し、シングルの「Always There For You」はヒットしました。

ここにきてクリスチャン・メタルの第1人者の呼び声が高くなりました。

ただ、楽曲はよりポップになり、メロディアス・ハードの様相を呈してきました。そのため批判的な批評が多かったように記憶しています。個人的にはとても好きです。アメリカンロックとは思えないところがあります。

 

1990年に5枚目のアルバム『Against The Law』をリリースします。

 

前作の批判をかわす為なのか、このアルバムでは重々しいヘヴィメタルに回帰しました。

 

その後レコード会社のENIGMAの倒産があり、HOLLYWOODレコードと契約するも、マイケル・スウィートがバンドを脱退、結局解散に至りました。

 

オズ・フォックスとティム・ゲインズはSin Dizzyを結成し、2000年にアルバム『He's Not Dead』を発表しました。

 

 マイケル・スウィートはソロになりアルバムもリリースしました。ロバート・スウィートはセッションドラマーとして活動し、ソロアルバムもリリースしました。

 

2000年にバンドは再結成しました。ティム・ゲインズは途中で脱退、代わりにトレイシー・フェリエ(Tracy Ferrie,b)が加入し、一旦ティムがカムバックしますが再び退団し、現在はペリー・リチャードソン(Perry Richardson,b)が加入して活動中です。

 


Stryper- "In God We Trust"

 


Always There for You - Stryper


Stryper - 06. It's up 2 you.


Stryper - Lonely

 

それでは今日はこの辺で。