昨日までメタルが続きましたので、今日はお盆も最終日ということで、ちょっとさわやかななところでイーグルスについて最初の解散までを書いてみたいと思います。イーグルスはウェストコーストを代表する(最終的にはアメリカを代表するバンド)で、元々はザ・バーズ、フライング・バッリト・ブラザース(FBB)、バッファロー・スプリングフィールド、ポコなどの系譜を引き継いだカントリー・ロック系のバンドでした。
そもそものスタートは、1971年にリンダ・ロンシュタットのツアーメンバーとして呼ばれた4人が、彼女の3枚目のソロアルバムの制作にも参加し、その間に新しいバンドを作ろうという話が持ち上がって結成されました。
その4人というのが、
グレン・フレイ(Glenn Frey,vo,g)
ドン・ヘンリー(Don Henley,vo,ds)
バーニー・リードン(Bernie Leadon,g,vanjo,mandlin,steel g,vo) 元FBB
ランディ・マイズナー(Randy Meisner,b,vo) 元ポコ、ストーン・キャニオン・バンド
です。
4人はイーグルスを結成し、リンダが契約していたアサイラムと契約を交わしました。
1972年にファーストアルバム『Eagles』がリリースされます。
当時、グレンが住んでいたアパートに同居していたのがジャクソン・ブラウンです。グレンとジャクソンが作った「Take It Easy」がいきなり大ヒットしました。続いて「魔女のささやき(Witchy Woman)」もヒットし全米に名が知られるところとなりました。ちなみに「魔女のささやき」はバーニーとドン・ヘンリーの共作です。このファーストではバーニーが4曲、ランディ―が3曲、グレンが3曲、ドンは1曲とそれぞれ共作を含めて曲作りに参加しています。ジャクソン・ブラウンの曲が「Take It Easy」を含め2曲、それとジャック・テンプチンのイーグルスの代表曲にもなっているあの「Peaceful Easy Feeling」となっていて、バーニーやランディ―の曲が多いことからもカントリー色が強いのがわかります。
続いて1973年にセカンドアルバム『ならず者(Desperado)』がリリースされます。
ここではバーニーが共作含め3曲、ランディは共作に2曲参加のみです。代わって、グレンとドンの共作が5曲、さらにグレン、ドン、ジャクソン・ブラウン、J.D.サウザーの4人の共作が3曲、デヴィッド・ブルーの曲が1曲となりました。明らかに力関係が変わって来ました。グレンとドンの「Desperado」は永遠の名曲で多くのカバーヒットも生まれています。さらにJ.D.サウザーらの共作「Doolin-Dalton」はオープニングを飾るにふさわしい名曲です。「Out Of Control」のようなロック色が強い曲もありますが、それでもこのセカンドはまだまだカントリー色が強いものでした。「Tequila Sunrise」のようなカントリーロックの名曲もあります。
続いて1974年に3枚目のアルバム『On The Border』が発表されます。
このアルバムではバーニーの紹介でドン・フェルダー(Don Felder)がギター・プレイヤーとして2曲に加わりました。後に正式なメンバーとなります。さらにプロデューサーがグリン・ジョンズが2曲担当した外は、ビル・シムジクに替わりました。そのせいでしょうか「Already Gone」でスタートするこのアルバムはかなりロック色が強くなりました。タイトル曲やジャクソン・ブラウンの「James Dean」などはこれまでのイーグルスのイメージからはだいぶ違ったものになってきました。バーニーは2曲、ランディ―は1曲参加です。J.D.サウザーやジャクソン・ブラウンも相変わらず曲作りに参加しています。それでもトム・ウェイツの「Old' 55」や「The Best Of My Love」などはしっとりと聴かせます。
続いて1975年に大ヒット作『呪われた夜(One Of These Nights)』が発表されます。
このアルバムではバーニーが3曲、ランディーが2曲、ドン・フェルダーが2曲にそれぞれ共作を含め曲作りに参加しています。ドン・ヘンリーとグレン2人のみの共作が4曲にあります。とにかくこのアルバムは名曲ぞろいです。オープニングの「呪われた夜(One Of These Nights)」「Hollywood Waltz」「いつわりの瞳(Lyin' Eyes」ランディーの「Take It To The Limit」「After The Thrill Is Gone」そして、バーニーの「安らぎによせて(I Wish You Peace)」と全曲捨て曲なしです。
このラストナンバーのバーニーの曲「安らぎによせて」を聴いたときに私は嫌な予感を感じました。結果的に予想どうりとなってしみました。バーニーの脱退です。なんとなくグループから浮いているなという感じは前から持っていましたので、とうとうその時がきたのか、という感想でした。この5人のメンバーあってのイーグルスだという思いが強かったのでこのニュースはショックでした。確かこの情報が入ったのが1975年の12月だったと思います。その前にイーグルス来日公演が決まっていて、チケットも既に購入していて、バーニーが見られると喜んでいた最中でしたので、ショックもダブルでした。替わりのギタリストはジェイムス・ギャングのジョー・ウォルシュ(Joe Walsh)です。ジョー・ウォルシュはなじみのアーティストでジェイムス・ギャングやソロアルバムもよく聴いていたので違和感はありませんでしたが、イーグルスにあうのかな、という疑問符はつきました。
1976年2月にイーグルスは来日しました。かすかな望は消えました。バーニーはいませんでした。それでもコンサートは充分楽しめました。ただ席が悪くよく見えませんでした。
その年にあの『Hotel California』がリリースされます。せっかくですから見開きジャケットと付属のポスターを。
これはもう何も言うことが無いくらいの大ヒットアルバムになりました。タイトル曲や「New Kid In Town」「駆け足の人生(Life In The Fast Lane」「時は流れて(Wasted Time)」など名曲が揃います。しかしメンバー間の不協和音は収まりませんでした。バーニーに続きランディーも追い出される格好になりました。後任にはやはりポコのティモシー・シュミット(Timothy B. Schmit)が加わりました。
そして3年のブランクの後,、1979年に発表されたのが『The Long Run』でした。
このアルバムが実質上のラストアルバムになりました。正直かつてのイーグルスの勢いは感じられません。メンバーも何か疲れたような雰囲気さえ感じさせます。これは解散も近いかなと思ったら、案の定、翌年活動休止宣言、そして1982年に遂に解散宣言をしました。その間ライブアルバムが発表されます。
ロック界もHM/HRの全盛期を迎えつつあり、まして西海岸はL.Aメタルで一色になりつつありました。1960年代後半からアメリカを引っ張てきたウェストコースト・ロックの終焉を思わせるイーグルスの引退劇でした。そしてやがてHM/HRも退場しグランジ、オルタナへと。そして彼等もまた・・・
『時代は変わる』ディラン です。それでも変わらずにいいものはいい、のです。
バンドの方は1994年に解散時のメンバーで再結成し、活動していましたが。昨年、グレン・フレイの死去により再び解散しました。グレン・フレイ、67歳でした。早すぎた死でした。合掌。
これは94年、再結成時に出された新曲4曲とライブの組合せという珍しいアルバムです。
渋めの曲を。
Doolin-Dalton (Eagles 2013 Remaster)
Eagles - "After the Thrill is Gone"
それでは今日はこの辺で。また3000字を超えてしまいました。