今朝、イーグルス(Eagles)の創設メンバー、ランディ・マイズナー(Randy Meisner)の訃報が届きました。77歳。慢性閉塞性肺疾患(COPD)でした。元イーグルスのメンバーで亡くなったのは2016年のグレン・フライ(Glenn Frey)に続き二人目となりました。
ランディは1946年、ネブラスカ州の生まれ。幼い頃にエルヴィス・プレスリーを見てギターを習い、その後ベースを覚えました。17歳で結婚し子供もできて、家族を養うために苦労しました。そんな彼に転機が訪れたのは、1968年、当時バッファロー・スプリングフィールドを解散したリッチー・フューレイ(Richie Furay)とジム・メッシーナ(Jim Messina)は新しいバンドを作るためにメンバーを募集していました。そのオーディションにランディが応募して合格し、新バンドポコ(Poco)を結成しました。ランディはベースとヴォーカルの担当でした。
しかし、ファースト・アルバムのリリース直前にメンバーとの対立で脱退してしまいます。その後、リッキー・ネルソン(Ricky Nelson)のストーン・キャニオン・バンド(Rick Nelson & The Stone Canyon Band)に加入します。ここには後のニュー・ライダース(New Riders Of The Purple Sage)のアレン・ケンプ(Allen Kemp)なども在籍していました。しかし、1971年のアルバム『Rudy The Fifth』を最後にバンドを去ります。
その後、今度はリンダ・ロンシュタッド(Linda Ronstadt)のバックバンドのメンバーに抜擢されます。ここにはグレン・フライ(Glenn Frey)、ドン・ヘンリー(Don Henley)、バーニー・リードン(Bernie Leadon)も参加していたのです。
そしてこの年、1971年に彼ら4人はイーグルスを結成するのです。その後の活躍はご存じのとおりです。在籍中に彼が作った「Take it to the limit」はイーグルス初のミリオン・セラーになりました。
その後、イーグルス内の内紛と音楽の方向性の違いにより、まずバーニーが1975年に脱退。そして1977年、ランディも脱退します。
イーグルス脱退後、ランディはソロ活動を始め、5枚のソロアルバムをリリースしました。その他、セッション・ミュージシャンとして多くのレコーディングやライヴにも参加しました。
その後、2003年ごろから心臓疾患を患い音楽活動は縮小しました。2016年には二人目の妻が銃の暴発で死去。自身もアルコール依存症を患うなどして、2023年7月26日、慢性閉塞性肺疾患(COPD)の合併症で亡くなったとのことです。
1976年、イーグルスの初来日を日本武道館で観ました。その時のランディが歌った「Take it to the limit」が今でも思い出されます。
改めてランディ・マイズナーのご冥福をお祈りいたします。合掌
それでは今日はこの辺で。