Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

映画 『天使の涙』 を観る

今日のキネ旬シアターは『天使の涙』でした。

 

監督:ウォン・カーウァイ

主演:レオン・ライミシェール・リー、金城武

制作:香港 1996年公開(日本)

 

3週連続でウォン・カーウァイ監督の映画です。先週の『恋する惑星』に引き続き金城武が出演しています。

この映画、元々その『恋する惑星』のストーリーの一部として考えられてたそうですが、独立した1本の映画としたようです。

恋する惑星』や『花様年華』と同様この映画も、その斬新なカメラワークとアングルが際立っていますが、この作品はそのカメラワークやアングルやカットが暴力的にさえ感じられます。白黒、スローモーションなども多用しています。前作はある明るさがありましたが、今作は退廃的、刹那的、暴力的です。

ストーリーらしいストーリーはありません。ただ今作も、人と人との出会い、すれ違いを中心に物語は進みます。全く別な二つのストーリが最後に結びつきます。

殺し屋(レオン・ライ)とそのエージェントの女(ミシェール・リー)。二人は仕事のパートナーですがほとんど会うことはありません。会わないほうが感情移入が無くて良しとしています。しかし、二人は確かに惹かれあってきています。

そしてそのアジトのアパートに父親と住んでいるのがモウ(金城武)です。彼は口がきけません。

殺し屋は命令が下ると、殺す相手の情報を女から受け取り、殺しに向かいます。2丁拳銃で派手に7~8人を一遍に殺します。しかしその殺し屋も次第に心境の変化で、足を洗いたくなり、女を呼び出しますが、結局行きません。

殺し屋は街で金髪女と偶然知り合い、一夜を過ごします。金髪女は殺し屋に一目ぼれしますが、殺し屋にはそのような気持はありません。あくまでもその一時の感情です。金髪女がエージェントの女と街ですれ違った時にその香水で、殺し屋とその女が知り合いであると気づき二人を引き合わせます。エージェントの女は殺し屋が足を洗いたがっているのを察知し、最後の仕事を依頼します。殺し屋は金髪女に別れを告げます。

一方モウは失恋中の女に初めて恋をしますが、彼女は失恋した相手のことで頭がいっぱいで全く相手にされません。そしてあえなく失恋します。そして父親も亡くし、働いていた日本居酒屋も店主が日本に帰ってしまい、結局以前働いていた飲食店(これは『恋する惑星』の舞台になった飲食店だとおもいます)で働きます。そこに初恋の女がスチュワーデスの制服を着て現れます。モウは近づきますが彼女は全く気が付きません。モウはがっかりしてへたり込みます。

殺し屋の方は最後の仕事に失敗し、逆に殺されてしまいます。大事なパートナーを失った失意のエージェントの女とモウは街の食堂で偶然一緒になります。モウはそれまで何度も彼女を見かけてはいましたが、口はきいたこともありません。しかし、彼女に家まで送ってほしいと頼まれバイクの後ろに乗せて彼女の自宅へと向かいます。女はこんなに身近に人に接するのは久しぶりと、すぐに着いてしまうのは分かってはいるが、永遠に続いてほしいと願うのです。

青春の刹那的、退廃的、倦怠感が映画全体を覆ています。『恋する惑星』では見えた未来に対する希望が、この映画にはありません。まさに『明』と『暗』、『陰』と『陽』のように対照的な作品となっています。それと、この作品では会話らしい会話はあまりありません。登場人物のモノローグが物語ります。この監督はやはり映像作家ですね。

 

lynyrdburitto.hatenablog.com

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話は変わりますが、昨日NHKのドキュメンタリー番組『戦慄の証言 インパール』を観ました。去年の8月にキネマ旬報の年間パスポートを購入して、最初に観たのが大岡昇平原作の『野火』でした。市川崑監督版ではなく、塚本晋也監督版です。舞台はインパールとフィリピンとで違っていますが、昨日のインパールでは人肉を食べたという証言がいくつも出てきて、小説『野火』での人肉への欲求を裏付けるもので衝撃的でした。兵隊は単なる『数』でしかないという、露骨な証言も紹介されました。3万人を超える死者の数が、戦闘による死ではなく、餓死と病死が半数以上を占めるという、悲惨な結果を招きました。作戦に対する反対意見は悉く無視され、反対者は即左遷でした。そして結果責任は誰もとりません。今でも日本の組織に根深く残る体質ではないでしょうか。

ちょうど終戦記念日でした。

 

それでは今日はこの辺で。