Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

ブルースロックの後継者たち 80年代以降 ① スティーヴィー・レイ・ヴォーン

スティヴィー・レイ・ヴォーン(Stevie Ray Vaughan)

 

「ブルースロックの名手たち 60年~70年代編」というシリーズを今のところ5回程やっていますが、ちょっとお休みして今回は「その後継者たち」ということで80年代以降を取り上げてみたいと思います。1回目はスティヴィー・レイ・ヴォーン(Stevie Ray Vaughan)で行きたいと思います。

スティーヴィー・レイ・ヴォーン(以下SRV)は1970年代の中ごろから(20歳ごろ)活動しており、ジョニー・ウィンターなどとも親交がありました。

1982年のモントルー・ジャズ・フェスティバル出演が大きな転機となりました。このときデヴィッド・ボウイジャクソン・ブラウンと知り合い、ボウイのアルバムに参加することになりました。翌年には初のアルバム『テキサス・フラッド~ブルースの洪水(Texas Flood)/スティーヴィー・レイ・ヴォーン&ダブル・トラブル(Stevie Ray Vaugha & Double Trouble)』です。

このレコードを初めて聴いたときはまさに度肝を抜かされました。こんなブルースマンがいるんだって、これでブルースロックは安泰だなと正直思いました。それほど衝撃的なデビューでした。オリジナルとブルースのカバーを織り交ぜながらの最高のブルースアルバムになっています。ちなみにこの時のダブル・トラブルのメンバーはジョニー・ウィンターのところから来たトミー・シャノン(Tommy Shannon,b)とクリス・レイトン(Chris Layton,ds)です。このアルバムはアメリカで大ヒットしゴールド・ディスクを獲得しました。1983年です。

続いて翌年『テキサス・ハリケーン(Couldn't Stand The Weather)』を発表します。

このアルバムには兄のジミー・ヴォーン(Jimmie Vaughan)も参加しています。ジミ・ヘンドリックスヴードゥー・チャイルを取り上げています。これがいいんですね。というか何をやってもいいんですね。幾分ロック色が強くなったかな、という感じです。このアルバムもゴールド・ディスクを獲得しました。

続いてまた翌年、『ソウル・トゥ・ソウル(Soul To Soul)』が発表されました。

 このアルバムからダブル・トラブルにリース・ワイナンス(Reese Wynans,key)が加わりました。またサックスも加わりました(Joe Sublett)。レコードには入っていませんがCDにはボーナストラックとしてジミヘンのリトル・ウィングが入ってます。お得です。

次がライブアルバムです。『ライブ・アライブ(Live Alive)』です。

レコードでは2枚組です。なにせSRVのライブですから、悪いわけがありません。スティーヴィーワンダーの「迷信」なんかも取り上げています。

このあと御多分に漏れず薬物中毒、療養となります。

復活後、1989年『イン・ステップ(In Step)』発表。

久々のSRV、最高です。文句なし。ファンキーな曲がやや多いかもしれません。このアルバムでグラミー賞を獲得します。

しかし、このアルバムがSRVの遺作となってしまいます。1990年、ウィスコンシン州イースト・トロイで行われたブルース・フェスティバルに参加した後、乗ったシカゴ行きヘリコプターが墜落、乗客乗員全員死亡となってしまいました。35歳でした。ショックでした。レーナード・スキナードの時もそうでしたが、しばらく言葉が出ませんでした。

翌年にSRVの未発表曲を集めた追悼盤が出ました。『スカイ・イズ・クライング(The Sky Is Crying)』です。

実は、この前に兄のジミーとの共演盤出ていました。『ファミリー・スタイル(Family Style)/ヴォーン・ブラザース(Vaughan Brothers)』です。

これが正真正銘のSRVの遺作となりました。二人の競演は聴いているだけで泣けてきました。このジャケットがいいですね。これを見ているとSRVがもういないなんて思えません。なんだか感傷的になってしまいました。

彼の死後、たくさんのコンピレーション、ライブ音源、映像、トリビュートが発表されました。私はたぶんそれらのほとんどを買っているのではないでしょうか。貢献してますね。

       

これらはほんの一部です。

偉大なるブルースマンを亡くしました。ブルースロックもこれで終わりかと思いきや、このあとまだまだ後継者が出てきます。ブルースロックは脈々と続きます。私の命よりは間違いなく続きます。嬉しいことです。次回は誰にしましょうか、考えます。

なお、60~70年代についてもまだ続きますのでよろしくお願いします。

それではこの辺で。

レコードジャケット、お気に入り 第5弾

久々に気に入っているレコードジャケットの紹介、はや5回目です。あれこれ思い出しながら探しています。                

まずは Bedlam。この1枚で終わりましたが。初めて見たときは衝撃的でした。

f:id:lynyrdburitto:20170527095310p:plain

 

次はディランですが、あまりディランらしくないジャケットです。

f:id:lynyrdburitto:20170527095223p:plain f:id:lynyrdburitto:20170527095436p:plain   f:id:lynyrdburitto:20170527095536p:plain

 

続いて Climax Blues Band です。面白い。

f:id:lynyrdburitto:20170527095848p:plain f:id:lynyrdburitto:20170527095825p:plain

 

Country Joe & The Fish です。サイケですね。

Electric Music for the Mind and Body  CJ Fish

 

Cowboy と Fugsです。両方とも今じゃ見かけませんね。

f:id:lynyrdburitto:20170527101051j:plain f:id:lynyrdburitto:20170527101454p:plain

 

 

続いて John Fahey これは名盤です。

f:id:lynyrdburitto:20170527102544p:plain

 

おなじみ ツェッペリン

f:id:lynyrdburitto:20170527102954p:plain f:id:lynyrdburitto:20170527103046p:plain

 

Little Featは中身もいいがジャケットはもっといいです。

f:id:lynyrdburitto:20170527103224p:plain  f:id:lynyrdburitto:20170527103312p:plain  f:id:lynyrdburitto:20170527103357p:plain

 

 

Mott The Hooplemもいいです。中身ももちろんいいです。

f:id:lynyrdburitto:20170527103728p:plain f:id:lynyrdburitto:20170527103800p:plain

 

Mountain 懐かしい。

 f:id:lynyrdburitto:20170527104055p:plain

 

Quiet Riot ちょっと気味悪い。

f:id:lynyrdburitto:20170527104411p:plain   f:id:lynyrdburitto:20170527104432p:plain

 

Roxy Music 神秘的です。

f:id:lynyrdburitto:20170527104751p:plain  f:id:lynyrdburitto:20170527104810p:plain

 

Silver Mountain いかにもへヴィメタ。

f:id:lynyrdburitto:20170527105144p:plain

 

Styx これまたしかり。

f:id:lynyrdburitto:20170527105704p:plain  f:id:lynyrdburitto:20170527105731p:plain

 

J.Geils Bandです。 フルハウスになっていませんよ。

f:id:lynyrdburitto:20170527101722p:plain

 

Love Stinks  HAPPY END

これなんか似ています。かたや はっぴいえんど

ついでにはっぴいえんどの有名なジャケット・ゆでめんです。

f:id:lynyrdburitto:20170527130242p:plain

日本が出てきたついでに。

あがた森魚です。大正ロマンです。

商品の詳細 商品の詳細 商品の詳細

高田渡高田渡五つの赤い風船のカップリング。珍しい。それとフォークル。

商品の詳細 商品の詳細 商品の詳細

陽水、泉谷、浅川マキ。

商品の詳細  商品の詳細

 

もっともっと面白いのがあるはずなんですけど探しつかれました。またその内、気が向いたらやりましょう。

最後はこれで。リンダを見てからはや40年。

f:id:lynyrdburitto:20170527133957p:plain

カントリーロックの後継者たち 80年代以降 ① サン・ヴォルトとウィルコ

以前に『カントリーロックの目覚め』という記事を書きました。1960~70年代にはバーズ、フライング・バリット・ブラザース、グラム・パーソンズ、ジーン・クラーク、バッファロー・スプリングフィールドCSN&Yニール・ヤング、ポコ、リンダ・ロンシュタットイーグルス、ニッティ・グリッティ・ダート・バンド、ピュア・プレイリー・リーグ、ニューライダース・パープル・セイジ等々、数え切れないほどのカントリーロックのアーティストが出現し、ロック界の1ジャンルとしてその勢いを保っていましたが、80年代になるとすっかりその影を潜めてしまいました。もちろん完全に消えたわけではなく引き続きカントリーロックをやり続けているアーティストはいましたが、カントリーロック自体が時代遅れのような雰囲気がありました。ニューウェイヴ、パンク、メタルといったジャンルがもてはやされた80年代という時代には朴訥としたカントリーロックは合わなかったのでしょう。

ところが90年に入ると、パンキッシュなバンドがカントリーの要素を取り入れるようになりました。再びカントリーロックというものが見直されてきたのです。パンクロック、オルタナティヴ・ロックとカントリーの融合ということでオルタナティヴ・カントリーと呼ばれるようになりました。その最初のバンドが「アンクル・テュペロ(Uncle Tupelo)」だというのは今や定説になっています。

アンクル・テュペロは1990年から94まで活動し4枚のアルバムを残し解散しました。

     

中心メンバーだったジェイ・ファーラー(Jay Farrar)とジェフ・トゥイーディ(Jeff Tweedy)はそれぞれ「サン・ヴォルト(Son Volt)」「ウィルコ(Wilco)」を結成します。アンクル・テュペロの解散の原因は二人の不仲だったらしいですが、これらの4枚のアルバムを聴けばわかりますが、後になるほどカントリー色が強くなっていきます。ジェイ・ファーラーのほうがよりカントリーミュージックに接近したかったようです。そのあたりの音楽性の違いが現れてきて、意見の対立があったのでしょう。想像ですが。実際にアンクル・テュペロから抜けたのはジェイ・ファーラー一人で残ったメンバーがウィルコと名前を変えたのですから。

この両グループがその後のカントリー・ロック界(オルタナ・カントリー)を引っ張っていくことになります。しかしながら彼らはカントリーロックという範疇には収まり切れない、R.E.Mなどにも通じる幅広い、多様な音楽性を併せ持っています。

彼等の代表的アルバムを紹介します。

まず、「ウィルコ」です。

     

順に1st、2nd、4thです。90年代ばかりになってしまいました、2000年代にもいいアルバムがいっぱいあります。特に1stはカントリー色が強いです。

次に「サン・ヴォルト」です。

    

順に1st、2nd、3rdです。これも90年代ばかりです。じつはこの3枚目を出した後しばらく活動を停止します。そして2005年に活動を再開します。残念ながら再開後のアルバムは持っていません。ですからここには載せられませんでした。

 

この両巨頭に続き、続々とカントリーロック系(オルタナ)のバンドが出てきます。その中でお気に入りのバンドを次回から少しずつ紹介したいと思います。ということで今日はこの辺で。

ブルースロックの名手たち 60年~70年代編 ⑤ ジョニー・ウィンター他

久しぶりにブルースロック・シリーズをやります。今回はジョニー・ウィンター(Johnny Winter)とクライマックス・シカゴ・ブルース・バンド(Climax Chicago Blues Band)でいこうと思います。

 

ジョニー・ウィンター(Johnny Winter)

ご存じ、100万ドルのギタリストです。子供のころから黒人ブルースにどっぷりと漬かり育ちました。14~5歳ごろから弟のエドガーと共に活動していたようです。

レコードデビューは1968年、マイナーレーベルから『ザ・プログレッシヴ・ブルース・エクスペリメント(The Progressive Blues Experiment)』を発表します。このアルバムには後にスティーヴィー・レイ・ヴォーン(Stevie Ray Vaughan)のバンドに加わるトミー・シャーノン(Tommy Shannon,b)やアンクル・ジョン・ターナー("Uncle"John Turner,ds)も参加していました。

ブルースのカバーとオリジナルを半々ぐらいで、ブルース色の濃いアルバムです。これが評判になり続いてメジャーデビューとなります。

ジョニー・ウィンター(Johnny Winter)』です。

 このアルバムもブルース満載でご機嫌です。

次に『セカンド・ウィンター(Second Winter)』です。このアルバムではオリジナルが増え、カバーもボブ・ディランの曲などを取り上げだいぶロック色が強くなってきました。

次にグループからエドガー・ウィンターが抜け、ジョニーウィンター・アンド(Johnny Winter And)というグループを結成します。ここにリック・デリンジャー(Rick Derringer,g)が加わります。そして1970年に『ジョニーウィンター・アンド(Johnny Winter And)』を発表します。

このアルバムではジョニーとリックが双璧でリックも随分曲を提供しています。ロックアルバムです。リックデリンジャーもソロアルバムをたくさん出します。若い頃はロックンロールが多いのですが、90年代以降には濃厚なブルースアルバムを出しています。

 

翌年このグループのライブアルバムが発表されると日本でも大評判になりました。完全なロック、ロックンロールアルバムとなっています。『ライブ ジョニー・ウィンター・アンド(Live Johnny Winter And)』です。ライブの名盤にもよく選ばれます。

ちなみにこのグループのドラマーはボビー・コルドウェル(Bobby Caldwell)ですが、あのボビー・コルドウェルではありません。

その後ジョニーは御多分に漏れず薬物中毒になりその治療のためしばらく休養します。そして1973年に『スティル・アライブ・アンド・ウェル(Still Alive And Well)』で復活します。

ここではブルースが復活し、ストーンズの曲も2曲、ディランの曲も1曲取り上げて

好アルバムとなっています。「俺はまだ生きてたよ」ってとこですか。

その後ライブアルバムを含め3枚ほどアルバムを発表しました。

  

 そして1977年に『ナッシング・バット・ザ・ブルース(Nothing But The Blues)』を発表します。ここではマディー・ウォーターズやジェイムス・コットンなどブルースマンを招き、楽しくブルースを演っています。いいです。

翌年『ホワイト、ホット&ブルー(White Hot & Blue)』を出して70年代は終わります。このアルバムは前作と同じくブルース路線です。

80年代に入るとブルース色が再び強まり、90年代初めごろまではアルバムを出し続けていましたが、2000年代に入ると体調悪化で2011年に遺作となった『ルーツ(Roots)』を発表し2014年に亡くなりました。偉大なるブルースマンであったことに間違いはありませんでした。彼のコンピレーションや未発表音源は数多く出されました。私もだいぶ貢献しました。

 

クライマックス・シカゴ・ブルース・バンド(Climax Chicago Blues Band)

このバンドはブルースバンドと言ってもブルースを演っていたのはごく初期の頃ですので、その頃までを取り上げたいと思います。

このバンド名を名乗っていたのはおそらく3枚目ぐらいまでだと思います。アメリカのバンド”シカゴ”からクレームが付き、シカゴを外しクライマックス・ブルース・バンドに変更します。メンバーはコリン・クーパー(Colin Cooper,g,vo,sax)とピート・ヘイコック(Peter Haycock,vo,g)が中心でベースのデレク・ボルト、ドラムのジョージ・ニューサムが初期のラインナップでした。その後は中心メンバーの二人を除いて入れ替わりが激しくなっていました。一時期ニッキー・ホプキンスなども在籍していたこともあります。

ファーストアルバムは1969年『The Climax Chicago Blues Band

 これはまさにブルースたっぷりのアルバムです。これを初めて聴いたのは、吉祥寺のロック喫茶「赤毛とソバカス」でした。この中の「And Lonely」というスローブルースに一発で参ってしまい、早速レコードを買いに行きましたが見つからず、しばらく経ってから買えたという記憶があります。

セカンドは『Plays On』です。

これはブルース色を残しながらジャズやラテンといったジャンルにも食指を伸ばし、早くもブルースバンドを脱却する傾向が出てきています。

続いては『A Lot Of Bottle』です。1970年発表。

 これも前作の延長線上にあります。まだブルース色は残っています。

続いて4作目は『Tightly Knit』です。このアルバムではグループ名を"Climax Chicago"としています。1971年発表。

このアルバムは逆にブルース色が前作より強くなったような印象がありました。

続いては1972年の『Rich Man』です。これもグループ名はクライマックス・シカゴです。

これはほとんどオリジナルでブルース色もほとんどなくなりロック、ポップ色が強まった感じです。

続いて『FM/Live』で2枚組のライブです。これがおそらくブルースバンドらしい最後のアルバムではないでしょうか。ここで再びグループ名をクラマックス・ブルース・バンドにします。

ということで、この後このバンドはアメリカで大成功をおさめビッグ・グループの仲間入りをします。音楽性は当時流行りのファンクやソウル、ポップなど、ちょうどフリートウッド・マックがアメリカで大成功したのと似ています。

私もしつこく追いかけましたがそれでも80年代の半ばごろまででしょうか。

バンドは今でもメンバーチェンジを繰り返し活動していますが、ピート・ヘイコックもコリン・クーパーもすでに亡くなっています。二人とも60歳代でした。みんな早いなあ。

 

以上、ブルースロックの名手たち、第5弾でした。それでは今日はこの辺で。

『ソロモンの偽証・後篇』を観る

先日の前篇に引き続き『ソロモンの偽証・後篇』を観ました。もちろんキネ旬シアターです。

原作:宮部みゆき

監督:成島 出

主演:藤野涼子 板垣瑞生

前回も書きましたがテレビで1度観ていて、原作も読んでいながら、前篇はほとんど憶えていませんでした。後篇も予想どうり、ほとんど記憶にありませんでした。逆に言えばそれだからこそ楽しめました。危なかったのは前篇も、わずか2週間ほど前だとというのに怪しい状態で心配したのですが、冒頭で前篇のダイジェストをやってくれたのでいろいろ思い出し助かりました。

後篇は中学生転落事件の真相を突き止めるための中学校での裁判の様子です。前篇同様涙が止まりませんでした。悲しいとか感動したとかではないんです。これが不思議なんです。前回書いた、中学生の純粋さに心打たれたとか忘れてしまった青春期の気持ちを思い出したとかでもないような気がしてきました。たぶん映画館の中で泣いていたのは私1人じゃないでしょうか。自分のことながら理解できません。

宮部みゆき原作の映画は以前にも「クロスファイアー」「事件」「模倣犯」、あとテレビドラマでも何本か観た記憶がありますが、原作を先に読んだ作品では原作を越える感動を得た覚えがあまりありません。あくまで私見ですが、ミステリーに限るとやはり原作を読んでから映画を観ると、何か足りないという感じを持ってしまいます。原作を読んだときに頭のなかに自分なりの映画が出来上がってしまうのかもしれません。その映画を越えるものであれば満足するのでしょうが、なかなかそういう映画はには出会えません。ミステリー映画は原作を読まないで観るのが正解かもしれません。逆に映画を観て良かったら原作を読んでみるというのもいいのかもしれません。もっとも全く原作どうりというのでも能がないし、脚本家や監督も悩むところでしょう。ミステリーやサスペンスというところが悩ましいですね。原作のストーリーを大きく逸脱することはできないでしょうから。ただ、原作にヒントは得ているが、脚本は大きく変えるという手法はよくあります。特に文芸作品などに見られます。

 テレビの2時間ドラマで(最近はほとんど観ませんが)原作より面白かったという作品にはほとんどお目にかかったことがありません。特に松本清張などはその典型です(時代背景が合わなくなっているというのもありますが)。振り返ってみると、私の場合、話題になった小説を読んで、それが映画化されたからといってそれを観ようという気にはあまりなりませんでした。その逆はありましたが。やはり映画と原作は別物と考えなければいけないというのが正解なのでしょう。そうでないと監督や脚本家に失礼になりますから。

ところでこの映画に出演している中学生は全員がこの映画のためのオーディションで選ばれた子供達だそうです。皆初めての映画だというのに演技が上手なのには感心させられました。

ブラック・カントリー(Black Country Communion)とチキンフット(Chickenfoot)

今日は2010年前後の2つのスーパーグループです。

Black Country Communion

 

ブラック・カントリーは

グレン・ヒューズ(Glenn Hughes,vo,b 元Deep Purple)

ジョー・ボナマッサ(Joe Bonamassa,g ブルース・ギタリスト)

デレク・シェリニアン(Derek Sherinian,key 元ドリーム・シアターその他)

ジェイソン・ボーナム(Jason Bonham,ds ジョン・ボーナムツェッペリン)の息子)

以上のメンバーからしてスーパーグループです。

ファーストアルバムは『Black Country Communion』です。

レッド・ツェッペリンやディープ・パープルのような70年代のハードロックを思わせます。ジョー・ボナマッサも昔のようにゴリゴリのブルースではなく最近ではすっかりハードロック志向になっており、グレンとの相性もいいようです。

私個人としてはもう少しブルース寄りのアルバムにして欲しかったというところでしょうか。グレンもブルースアルバムを出していることですし。

続いて2枚目、3枚目と出しているようですが、まだ買えていません。見つけたら即買います。

』『Afterglow』その他にライブ盤『Live Over Europe

  

 

Chickenfoot

 

次にチキンフットです。こちらは

サミー・ヘイガー(Sammy Hagar,vo 元ヴァン・ヘイレン)

ジョー・サトリアーニ(Joe Satriani,g スーパー・ギタリスト ディープ・パープルなど)

マイケル・アンソニー(Michael Anthony,b 元ヴァン・ヘイレン

チャド・スミス(Chad Smith,ds 元レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)

こちらも負けず劣らずメンバーだけでもスーパーグループです。

ファーストアルバムは『Chickenfoot』です。

 こちらも予想された通りのハードロックでした。ツェッペリンヴァン・ヘイレンが混じったような感じです。骨太ハードロックの王道です。

その後『ChickenfootⅢ』と『LV』と出していますが買えていません。見つけたら即買いです。

 

 

それにしても、このような現象は彼らもある程度の年齢になってきたということで、70年代の音楽に回帰してきたのでしょうか。ハードロックからNWOBHM、そしてヘヴィ・メタル、スラッシュ、デス、ブラック・メタル、メロハー、メロデス、ニューメタルなどなどと様々に進化してきたハードロックがこのようにかつて一世を風靡した連中によって再びその原点に連れ戻されたととらえてもよいのでしょうか。それとも、ハードロックは廃れることなく脈々と続いてきたという事でしょうか。そんな理屈はどうでもいいことなのですが、私などはやはりブルースに根付いたハードロックは落ち着きます。おじさんロッカー達がブルースやハードロックに戻ってきてくれるのは嬉しいことです。

 

もう一つ、ゼム・クルックド・ヴァルチャーズ (Them Crooked Vultures) というグループがあってこれもツェッペリンジョン・ポール・ジョーンズニルヴァーナやフーファイターズにいるデイヴ・グロールなどが結成したグループがあります。これも音はまだ聴いていませんがハードロックをやっているようです。ニルヴァーナフー・ファイターズツェッペリンが混ざるとどうなるのでしょう。見つけたら買ってみようと思っていますが。

 それでは今日はこのへんで。

 

『インタビュー・イン・セル:殺人鬼フジコの真実』を読んで

 

 

『殺人鬼フジコの衝動』の続編である『インタビュー・イン・セル:殺人鬼フジコの真実』を読了しました。本編は殺人鬼フジコの二女・美也子が藤子の育ての親である叔母(母親の実妹)下田茂子とその友人小坂初代に藤子についての真相を聞きに行くところで終わっていました。この続編でわかった事実は実に衝撃的です。ネタバレで申し訳ありませんが事実は次の通りです。

物語は下田茂子の息子・健太が男女7人を殺害したとして逮捕・起訴されますが、証拠不十分で一審は無罪判決が出ます。共犯の女性は獄中自殺し、健太は仮釈放されます。そこで健太の母親である茂子にインタビューを行うという企画が持ち込まれ、出版社の男女2名の記者と茂子の指名により選ばれたという女性作家の3人が彼女の住む団地へと向かいます。しかし、実際には茂子は色々と難癖をつけインタビューは行われませんでした。やがて健太の手によって女性記者は殺害され、下田親子は女性作家に殺されるという結末に行き着きます。唐突に結末を書いてしまいましたが、この女性作家のその後の供述と下田茂子の友人の小坂(娘を藤子に殺害されている)の話、さらに藤子の二女の手記によって事件の全貌が明らかになります。

まず、藤子の両親と妹が殺害されたという高津区一家惨殺事件は藤子の仕業で、茂子と小坂がそれを隠蔽工作したこと。藤子は実は茂子の子供だったこと。つまり藤子と健太は兄弟だったこと。健太が7人を殺害していたことは事実だったこと。藤子は健太の初恋の相手だったこと(兄弟であることは不明だった?)。かつての雑誌記者(藤子を追求していた)の殺害も健太だったこと。小坂初代はかつて殺人を犯し服役していた経験があり下田茂子に仕事の世話や茂子が所属する新興宗教にも入団していて、茂子には絶対服従だったこと。さらに、小坂は藤子の父親と不倫関係にあったこと。そのことで藤子の両親が不仲になり、そのとばっちりを藤子が受け、それがもとで藤子が惨殺事件を起こしたこと。監禁殺人は健太が実際にあった北九州監禁殺人事件を参考にして企てた事件であったこと。藤子の二女は彼女達に会いに行って、逆に健太に犯され、DVを続けられ、左の耳と左の指を全部切り取られながらも、共犯の女性に助けられ同じく監禁され殺害された女性の名前を騙って命からがら逃げてきて、テレビ局に匿われることになったこと。そのテレビ局と懇意だった女性作家と知り合い、女性作家は彼女からすべての事実を聞かされたこと。

そして事情を知った女性作家はなんとしても下田健太を有罪にしなければと躍起になって証拠探しをしますが検察は証拠不十分で控訴を諦めてしまいます。女性作家は絶望しますが、それでも監禁されている女性記者の生命を危ぶみ団地に向かいます。部屋に到着すると健太は女性記者を犯しながら左耳を削ぎ落としている最中でした。作家は思わず近くにあった包丁で彼を刺し殺します。そこへ茂子が帰ってきてその光景を見て逆上し作家に襲いかかります。作家は逆に必死に茂子の首を絞め殺害します。以上が事件の全貌です。が、実はこの女性作家をここまで駆り立たせたのは藤子の二女の策略だったのではというところで終わります。また、なにか続きそうな予感もしますが。

私がこの小説を読んで思い浮かべたのは、本のなかにも出てくる北九州監禁殺人事件ともうひとつ数年前にあった尼崎事件です。主犯女性の角田美代子は獄中で自殺していまい、事件の全貌は未解明のままおわってしまいましたが、監禁の中での心理状態が如何様なものなのか、何故逃げ出さないのか、何故被害者同士が殺し合うのかという被害者の行動の疑問には依然として答えが出ません。この小説でもそれは明らかにはなりませんでした。この問題は1972年の連合赤軍事件にも通じるものがあるのでしょうか。

一方で実際にあった二つの監禁殺人事件の主犯達と下田健太は明らかにサイコパスと思われます。サイコパスは良心の欠如、平気で嘘をつく、罪悪感の欠如、表面は好い人、自己中などの特徴があげられますが、この主役達はまさにサイコパスそのものではないでしょうか。しかし、怖いのは私たちのすぐそばにもサイコパスは生活しているということです。この小説を読み終わって私は背筋が寒くなりました。そうか、これがイヤミスか!

 この小説を読む前にこの作家の『弧中症』という小説を読みましたが、この小説も最後のほうでそれまでの小説の語り部が実は別人だったという展開が待ち受けていました。えっ、という驚きの連続です。この作家(真梨幸子)はただ者ではありません。また古本を探して買ってみます。

 なお、タイトルのセルは刑務所の監房のことらしいです。