Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

この人の、この1枚 『大滝 詠一/A Long Vacation』

大滝詠一がこの世を去って間もなく5年です。今日はその大滝詠一を偲んで彼の足跡を大ヒットアルバム『ロング・バケーション』を聴きながら振り返ってみたいと思います。

2013年の年末のニュースは驚きでした。彼は1948年の生まれですから、まだ65歳でした。

 

大滝詠一(本名:大瀧 榮一)は岩手県の生まれ。1968年に早稲田大学の第二文学部に入学。

大学時代に細野晴臣と知り合い意気投合します。細野が松本隆小坂忠と組んでいたバンドエイプリル・フールに誘われ加入を決断しますが、エイプリル・フールは既に解散状態で、新たに『バレンタイン・ブルー』を結成し大滝と鈴木茂が加入し、松本、細野のメンバーで、バンド名をはっぴいえんどに変えて活動開始します。

1970年には遠藤賢司のアルバム『Niyago』のレコーディングに参加。その後岡林信康『見るまえに跳べ』に参加、以後岡林のロック転向によりそのバックバンドを務めます。

8月にはアルバムはっぴいえんどURCレコードからリリース。通称「ゆでめん」です。1971年には風街ろまんをリリースします。

 

大滝ははっぴいえんど在籍中の1972年に初のソロアルバム大瀧詠一を発表します。

バックにはもちろんはっぴいえんどのメンバー松任谷正隆林立夫などが参加しました。

この頃にはすでにはっぴいえんどの解散が決まっていました。そしてラストアルバムをアメリカでレコーディングすることに決めました。そしてアメリカでの録音スタジオが彼らの憧れだったビーチボーイズ(The Beach Boys)『ペット・サウンズ(Pet Sounds)』バッファーロー・スプリングフィールド(Buffalo Springfield)『アゲイン(Again)』の録音スタジオと同じと聞いて4人は感激しました。さらになんとリトル・フィート(Little Feat)ローエル・ジョージ(Lowell George)ビル・ペイン(Bill Payne)がレコーディングに参加、さらにはヴァン・ダイク・パークス(Van Dyke Parks)まで飛び入り参加しました。

こうして録音が終わり、この年の12月にはっぴえんどは解散しました。

翌年このレコード『HAPPY END』が発売されました。

 

はっぴいえんど解散後、細野晴臣はソロ活動と共に、鈴木茂林立夫松任谷正隆キャラメル・ママ~ティンパン・アレー、そして坂本龍一高橋幸宏イエロー・マジック・オーケストラで活躍。

 

鈴木茂は細野とのキャラメル・ママ~ティンパン・アレー、と並行してソロ活動。さらにセッションミュージシャンとして多くのレコーディングに参加。またレコーディングプロデュースも多数。しかし、2009年に大麻取締法で逮捕、懲役6カ月、執行猶予3年の判決を受けてしまいます。アルバム参加数は500枚を超えます。

 

松本隆は音楽プロデューサーとして岡林信康の『金色のライオン』その他をプロデュースしますが、プロデュース業は辞めて作詞に専念し、今では大作詞家になりました。「ルビーの指環」でレコード大賞。その他受賞も多数。

 

そして大滝詠一は自身のレーベル「ナイアガラ・レーベル」を立ち上げ、1975年にソロアルバム『NAIAGARA MOON』を発表します。

ここでも鈴木茂松任谷正隆林立夫などが顔を揃えます。

以後、NIAGARA TRIANGLE Vol.1』『GO GO NIAGARANIAGARA CALENDARなど「ナイアガラ」シリーズを立て続けにリリースしますが、徐々に売り上げは低下、ナイアガラ・レコードも休業状態になってしまします。

1980年代に入ると、大滝はCBSレコードに移籍し、松本隆と組んでナイアガラサウンドの集大成のレコーディングを開始します。その中で「さらばシベリア鉄道を女性向きだと考え太田裕美に提供します。これがヒットしました。

そして1981年にアルバム『A Long Vacationを発表します。

 「大滝 詠一A LONG VACATION 画像」の画像検索結果

 Side A

1.君は天然色

2.Velvet Motel

3.カナリア諸島にて

4.Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba物語

5.我が心のピンボール 

 

Side B

1.雨のウェンズデイ

2.スピーチ・バルーン

3.恋するカレン

4.FUN×4

5.さらばシベリア鉄道

 

作詞はA-4を除いてすべて松本隆です。ギターに山崎ハコさんの旦那さんの安田裕美さんが参加しています(後で知ったのですが)。細野さんもいます。鈴木茂さんもいます。林さんもいます。松任谷さんもいます。意外なところではコーラスで伊集加代子が参加しています。

 

A-1はCMソングにもなった有名曲。いいです。

A-3もCMソングで有名になりました。

A-4は大滝の作詞。

B-2はしっとりした名曲。大好きです。

B-3もCMで有名になった曲。

B-4もCMに使われた曲。

B-5は名曲です。やっぱり太田裕美よりいいです。

 

こうしてみると4曲もCMで使われました。これは凄いことです。ただ何のCMだったか思い出せないのが情けないです。

とにかく今聴いても全然古くさく感じないし、逆に新しさを感じます。素晴らしいアルバムです。レコード大賞のベストアルバム賞に選ばれました。

この後は作曲能力が全開になります。松田聖子風立ちぬ、森進一の冬のリヴィエラ小林旭熱き心になどそのジャンルの広さに驚かされます。

 

そして1984年に松本とのコンビでアルバム『EACH TIME』を発表します。

これはオリコン3週連続1位という大ヒットになりました。大滝にとっては初めての1位でした。

しかしこの後、歌手活動休止宣言。プロデュース・作曲に専念します。

 

1997年に歌手として復活。「幸せな結末」がテレビドラマ「ラブ・ジェネレーション」の主題歌になりミリオンセラーに。2003年には同じくテレビドラマ「東京ラブ・シネマ」の主題歌「恋する二人」がヒット。同年、竹内まりやとのデュエット「恋のひとこと」が最後の作品発表となりました。

 

2013年、12月30日、「林檎を食べていてのどに詰まらせた」として救急搬送も既に心肺停止でした。65歳。早すぎる死でした。

独特の唱法で記憶に残る歌手であり、幅広い楽曲で日本のポップス史にも歌謡史にも残る名曲をたくさん残してくれました。

 

 

A LONG VACATION 30th Edition

A LONG VACATION 30th Edition

 

 

 

 それでは今日はこの辺で。

 

 

’60年代・夜明け前『Sixties Transition』

このCDはまさにカントリーロック、フォークロックが盛り上がる直前の時期にレコーディングされた曲を集めたものです。

ジム・ディクソン(Jim Dickson)というプロデューサーが発掘した様々なミュージシャンの初期のレコーディング集です。もちろんプロデュースはジム・ディクソン自身です。レコーディン時期はすべて1963年~65年の間です。

 

ジム・ディクソンによって世に送り出されたウェストコーストのミュージシャンは数多くいます。代表的な人物はザ・バーズやその周辺の人たちです。順を追って紹介します。

『Sixties Transition』2007年の発売です。

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01. Get Together - Dino Valenti

02. Black Betty - Dino Valenti

03. Life Is Like That - Dino Valenti

04. Willie Jean - David Crosby

05. Come Back Baby - David Crosby

06. Charisma - Bud Shank, David Crosby

07. Jamaica Farewell - Leon Russell

08. Stewball - Leon Russell

09. He Was A Friend Of Mine - Dian & The Greenbriar Boy

10. When the Ship Comes In -The Hillmen

11. Faretheewell - The Hillmen

12. You Showed Me - The Byrds

13. The Airport Song - The Byrds

14. I Knew I'd Want You - The Byrds

15. Mr. Tambourine Man - The Byrds

16. EAch Season Changes You - The Dillards

17. Someday You'll Find - The Dillards

18. Don't You Cry - The Dillards

19. To Ramona - The Gosdin Brothers

20. The Times They Are A Changin' - Hamilton Camp

 

1~3はディノ・ヴァレンティです。後にクイックシルバーメッセンジャー・サーヴィスのヴォーカリストになる人です。このブログには何度も出てきています。その彼の本当に最初のレコーディングではないかと思われます。この人は名前をいくつも持っていてその都度使い分けています。ディノ・ヴァレンテ、チェット・パワーズジェシ・ファーロウなど。

1はヤングブラッズで有名になった「ゲット・トゥゲザー」です。ベースはリランド・スクラーです。

2はレッドベリーのブルースナンバー。ベースはラリー・ネクテルハープシコードレオン・ラッセルが入っています。ギターはディノ・バレンティです。

3は2と同じメンバーでオリジナル曲です。後のクイックシルバーを思わせます。

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4,5はデヴィッド・クロスビーです。デヴィッド・クロスビーがバーズに参加する直前だと思います。先ほどのディノ・バレンティの2,3とこのクロスビーの2曲は1970年のレコード『Early L.A.』にも収録されています。また、2010年発売のバーズの『プリフライト・セッション』にも収録されました。

4はホイト・アクストン、5はレイ・チャールズのヒット曲。いかにもデヴィッド・クロスビーらしい唱法です。

 

6はジャズのバド・シャンクデビッド・クロスビーのコンビです。曲は2人の手によるものです。リード・ギターがジョー・パス、クロスビーがリズムギター、バドがフルートです。

 

7,8はレオン・ラッセルです。と言っても2曲ともインスツルメンタルでレオン・ラッセルハープシコードを弾いています。ギターはグレン・キャンベルです。特段レオン・ラッセルと分けなくてもよかったのではと思ってしまいます。

 

9はブルーグラスバンドのグリーン・ブライアー・ボーイズです。彼らの1963年のセカンドアルバムより。彼らはヴァンガード・レコードに所属していましたが、この時は特別にジム・ディクソンの所属するエレクトラからリリースしました。この曲「He Was Friend Of Mine」ボブ・ディランの曲で、ブルグラスバンドでディランの曲を取り上げたのは初めてだそうです。これもジム・ディクソンの影響でしょう。

 

10,11はザ・ヒルメンです。後にバーズに参加するクリス・ヒルマンが所属していました。アルバム『ザ・ヒルメン』のレコードが発売されたのは1969年になってからのことでした。ここでもディランの曲を2曲取り上げています。ジム・ディクソンは余程ディランの曲が流行ると確信していたのでしょう。それを実現したのがザ・バーズでした。

 

12~15はそのザ・バーズです。これらはバーズの『プリフライト』というデビュー前のレコーディングを集めたアルバムに入っています。これも発売されたのは1969年でした。ここにあの「ミスター・タンブリンマン」が収められています。ゆったりとしたテンポです。これを再録音して大ヒットに繋がったのでした。そしてフォークロックが一躍隆盛を誇ることになったのでした。

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16~18はザ・ディラーズです。ダグ・ディラードを中心にハーブ・ペダーソンバイロンバーラインなどカントリー・ロックには欠かせない人物を擁したブルーグラスバンドです。のちにバーズを辞めたジーン・クラーク『ディラード&クラーク』というバンドも結成しました。現在も活動中です。

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19はザ・ゴスディン・ブラザースです。上記のジーン・クラークと組んだアルバムを発表しています。ここでもディランの「ラモーナに」を取り上げています。

 

20はハミルトン・キャンプです。ハミルトン・キャンプはシンガー・ソングライターです。また俳優でもあります。クイックシルバーメッセンジャー・サーヴィスのファーストアルバムに収められた「プライド・オブ・マン」は彼の曲です。またサイモン&ガーファンクルやゴードン・ライトフットも彼の曲をカバーしています。

ここでもディランの「時代は変わる」を取り上げています。ギターをロジャー・マッギン、ベースをクリス・ヒルマン、ドラムをマイケル・クラークバーズのメンバーがフォローしています。

 

トラック1、6、17、19、20はこの当時未発表でした。現在は分かりません。

 

ボブ・ディランバーズ、フライング・バリットなどのフォークロック、カントリーロックの人気が出る以前に先見の明を持っていた人物がやはりいたのです。またこのようなCDを企画して発表するというあたりはさすがアメリカ、懐が深いです。日本でこんなものを買う人はほとんどいないと思いますが。

 

未発表という言葉に弱かった頃の購入でした。トホホ

 

 

それでは今日はこの辺で。

サンフランシスコ・サウンドのすべて『All S.F. Rocks Groups』

またまた変なCDが出て来ました。『All S.F. Rocks Groups』といいます。発売は1989年だったらしいです。おまけに日本盤まで出ていました。

 

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1.Got My Mojo Working - Quicksilver Messenger Service

2.The Fool - Quicksilver Messenger Service

3.Kansas City - Jefferson Airplane

4.Miller's Blues - Steve Miller Band

5.Deat Sound Blues - Country Joe & The Fish

6.Turn On Your Love Light - Grateful Dead & Janis Joplin

 

1,2はクイックシルバーメッセンジャー・サーヴィスです。1966年のライブ音源ですが場所はサンフランシスコです。会場はフィルモア・オーディトリアムあたりでしょうか。

メンバーはおそらく

ジム・マレー(Jim Murray - vocals, harp, guitar)

ジョン・シポリナ(John Cipollina – guitar)

ゲイリー・ダンカン(Gary Duncan - guitar, vocals)

デヴィッド・フライバーグ(David Freiberg - bass, vocals)

グレッグ・エルモア(Greg Elmore – drums)

まだ、ジム・マレーが在籍していたと思います。ディノ・バレンティはまだ監獄から出てきてません。

1はマディ・ウォーターズ。2はオリジナルでファーストアルバムより。

 

3はジェファーソン・エアプレインです。1966年フィルモアでのライブ音源です。

この時のメンバーはおそらく

マーティ・バリン(Marty Balin, Vocal,Acoustic guitar)

ポール・カントナー(Paul Kantner, Vocal,Guitar)

ヨーマ・カウコネン(Jorma Kaukonen,Guitar,Vocal)

ジャック・キャサディ(Jack Casady, Bass)

スペンサー・ドライデン(Spencer Dryden,Drums)

グレイス・スリック(Grace Slick,Vocal)

グレイス・スリックが加入していたかどうかは不明。多分いたと思います。

曲はヨーマ・コウコネンがヴォーカルを執ったブルースナンバー

 

4はスティーヴ・ミラー・バンドです。1967年のアヴァロン・ボール・ルームでのライブ音源です。

この時のメンバー

ティーヴ・ミラー(Steve Miller,Vocal,Guitar)

ロニー・ターナー(Lonnie Turner,Bass)

ティム・デイヴィス(Tim Davis,Drums)

ジム・ピーターマン(Jim Peterman,Keybord)

ボズ・スキャッグス(Boz Scaggs,Vocal,Guitar)

ただし、ボズ・スキャッグスについては加入前かもしれません。

曲はモビー・グレイプの『Wow』に収録の「ミラーズ・ブルース」です。これは珍しい。

 

5はカントリー・ジョー&ザ・フィッシュです。1968年のフィルモアでのライブ音源です。

カントリー・ジョー・マクドナルド(Country Joe McDonald,Vocal,Guitar)

バリー・メルトン(Barry Melton,Guitar,Vocal)

デヴィッド・コーエン(David Cohen,Guitar,Organ)

ブルース・バーソール(Bruce Barthol,Bass,Harp)

ゲイリー”チキン”ハーシュ(Chicken Hirsh,Drums)

です。

曲はファーストアルバム『Electric Music for the Mind and Body』より。ブルースです。

 

6はグレイトフル・デッドジャニス・ジョプリンのジョイントです。1969年6月のカルーセル・ボール・ルームでのライブ音源です。曲はデッドおなじみの「ターン・オン・ユア・ラブ・ライト」です。15分に及ぶ熱演です。

この時のデッドのメンバー

ジェリー・ガルシア(Jerry Garcia,Guitar,Vocal)

ボブ・ウェア(Bob Weir,Guitar,Vocal)

ロン”ピッグペン”マッカーナン(Ron "Pigpen" McKernan,Keybord,Vocal)

フィル・レッシュ(Phil Lesh,Bass,Vocal)

ビル・クラウツマン(Bill Kreutzmann,Drums)

ミッキー・ハート(Mickey Hart,Drums)

です。

 

こうして1960年代のサンフランシスコの5大バンドと言われた面々の演奏を聴くと、全グループともブルースを演奏しています。もちろんわざとそのような選曲をしたのでしょうが、当時、いかに白人のブルースが流行っていたかが分かります。

 

 それでは今日はこの辺で。

『Three Nights At Beacon』サンタナ、S.ミラー、シカゴ

 CD棚整理でまたまた変なものが出て来ました。おそらくプライベート盤だと思います。1975年の4月11、12、13日のビーコン・シアターでの3グループのライブ盤です。

とにかくCD時代になって、これまでの未発表の音源が続々と正規盤、プライベート盤を問わず発売されました。こちらはいい気になって次から次へと、このようなものを見つけては買っていました。それらが山積みになっています。と言うわけでその中から面白そうなものを順次紹介していこうと思います。

 

1975年というと、ロックにも新しい波がに入って来た頃です。サイケデリックブームは終わり、ブリティッシュ・ブルースロックも下火になり、華やかだったウェストコースト・ロックも色褪せて、ポップでアダルトなロックがもてはやされるようになった頃です。

それでも1960年代から頑張っているバンドもまだまだ残っていました。このアルバムの3つのバンドも、いまだに頑張っている数少ないバンドです。

 

『Three Nights At Beacon』発売は1989年でした。

f:id:lynyrdburitto:20180730093904p:plain 「Three Nights At Beacon」の画像検索結果

CD1

Santana

01.Black Magic Woman

02.Oye Como Va

03.Blues Prelude

04.Time Waits For No One

05.Give And Take

06.Incident At Neshabur

07.Instrumental

08.Soul Sacrifice

 

Steve Miller Band

09.Fly Like An Eagle

10.Wild Mountain Honey 

11.Come On In My Kitchen

12.Going To The Country

13.Nothin' Last

14.Goin' To  Mexico

 

CD2

Steve Miller Band

01.The Jocker

02.Take The Money And Run

03.Gangster Of Love

04.Your Cash Ain't Nothin' But Trash

05.Shu Ba Da Ma Ma Ma Ma

 

Chicago

06.Call On Me

07.Saturday In The Park

08.Beginnings

09.Ballet For A Girl In Buchannon

10.Make Me Smile

11.So Much To Say, So Much To Give

12.Anxiety's Moment

13.West Virginia Fantasies

14.Colour My World

15.To Be Free

16.No More Than Ever

17.Just You 'n' Me

18.(I've Been) Searchin' So Long

19.25 Or 6 To 4

20.Feelin' Stronger Every Day

 

Disk 1の1~8はサンタナです。

この時のメンバー

カルロス・サンタナ(Carlos Santana,g,vo)

レオン・チャンクラー(Leon Chancler,ds)

ホセ・チェピート・エレアス(Jose"Chepito"Areas,perc)

トム・コスター(Tom Coster,key,vo)

アルマンド・ペラーサ(Armando Peraza,perc)

レオン・パティーロ(Leon Patillo,vo)

デヴィッド・ブラウン(David Brown,b)

です。

01,02はアルバム『天の守護神』より。01はサンタナ出世作フリートウッド・マックの曲です。サンタナでより売れました。02もサンタナの定番。

03,04は初出かと思われます。

05は9枚目のアルバム『Borboletta(不死蝶)』より。

06はアルバム『天の守護神』より。

08は1969年のファーストアルバム『サンタナ』より。

 

サンタナと言えばラテン・ロックと言われがちですが、当初のバンド名をサンタナ・ブルース・バンドと名乗ったくらいブルースに接近していました。アル・クーパーマイク・ブルームフィールドフィルモアの奇蹟』にも参加していたぐらいです。2枚目の『天の守護神(Abraxas)』ビルボードの1位を記録するなど人気もうなぎ上りでした。初期にはニール・ショーンも在籍していました。4枚目のキャラバンサライ(Caravanserai)』からジャズ・ロックに向かい、次にはジョン・マクラグリンマハビシュヌ・オーケストラとのジャズ・ロックアルバム『魂の兄弟たち(Love Devotion Surrender)』をリリースしました。『ウッドストック』での演奏も注目されました。この1975年頃はちょうどアルバム『不死蝶(Borboletta)』をリリースした後です。

いつものようにラテンロックとフュージョンが混ざった演奏です。

 

 

Disk 1の09~Disk 2の05はスティーヴ・ミラー・バンドです。

この時のメンバー

ティーヴ・ミラー(Steve Miller,vo,g)

ゲイリー・マラバー(Gary Mallaber,ds)

ロニー・ターナー(Lonnie Tuner,b)

ノートンバッファロー(Norton Bufferlo,harmonica)

ヨアキム・ヤング(Joachim Young,key)

デヴィッド・デニー(David Denny,g)

です。

 

スティーヴ・ミラー・バンドについてはこれまで何度も触れていますのでご参考までに。

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CD1の10,11はアルバム『フライ・ライク・アン・イーグル(Fly Like An Eagle)』より。アルバムリリース1年前のことです。これは名盤です。

12はロバート・ジョンソンの「カム・オン・イン・マイ・キッチン」です。ライブではよく取り上げます。アルバム『ジョーカー(The Joker)』の中のライブでも取り上げています。

13はアルバム『ナンバー5(Number 5)』より。これもライブの定番。

14は7枚目のアルバム『エデンからの旅(Recall the Beginning... A Journey from Eden)』より。

CD2の01は大ヒットアルバム『ジョーカー(The Joker)』より大ヒット曲。

02は『フライ・ライク・アン・イーグル(Fly Like An Eagle)』より。

03はセカンドアルバム『セイラー(Sailor)』より。

04,05はアルバム『ジョーカー(The Joker)』より。

 

ティーヴ・ミラーはアルバム『フライ・ライク・アン・イーグル』で大きく変身・飛躍するわけですが、このライブに頃はその前触れが見れたわけです。アルバム『ジョーカー』から2年ですからその間に色々あったのでしょう。

 

CD2の06からはシカゴです。

この時のメンバー

ピーター・セテラ(Peter Cetera,b,vo)

バート・ラム(Robert Lamm,key,vo)

テリー・キャス(Terry Cathbs,g,vo)

ジェイムス・パンコウ(James Pancow,trombone)

リー・ロッグネイン(Lee Loughnane,trumpet,vo)

ウォルター・パラゼイダー(Walter Parazeider,woodwinds)

ダニエル・セラフィン(Daniel Seraphine,ds)

です。

ロックを聴いていない人でも「シカゴ」は知っているというほど有名なバンドでした。今でももちろん活動しています。ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ(BS&T)と共にブラス・ロック・バンドとしての双璧でした。この1975年時点ではオリジナルメンバーはまだ残っていました。

 

06は1974年リリースの『シカゴ 7』より。

07はアルバム『シカゴ 5』より大ヒット曲「サタデイ・イン・ザ・パーク」です。アルバムは全米1位でした。

08はファーストアルバム『シカゴの軌跡(Chicago Transit Authority)』より。

09~16はセカンドアルバム『シカゴと23の誓い(Chicago Ⅱ)』より。組曲

17はアルバム『遥かなる亜米利加(Chicago VI)』より。

18はアルバム『市俄古への長い道(Chicago VII)』より。

19は再び『シカゴと23の誓い(Chicago Ⅱ)』より。「長い夜」です。名曲。

20はアルバム『遥かなる亜米利加(Chicago VI)』より。

 

シカゴと言えばすぐに「長い夜」が浮かびますが、とにかくこのシカゴは2枚組のレコードばかり出していて、高校生には高嶺の花でした。シングル盤とFMラジオで我慢していました。

 1978年にはテリー・キャスが拳銃の暴発事故で死亡。1985年にはピーター・セテラが脱退します。

しかしこれまでに30枚以上のアルバムをリリースし、世界的なバンドとして君臨してきました。

 

久しぶりに古い時代のCDを聴いて、懐かしい限りです。まだまだ出て来そうです。CD時代になって昔の音源が多数出てきたのは嬉しい反面、金銭的には大変でした。

 

 

映像はありませんでした。


Santana - Black Magic Woman 1971


THE STEVE MILLER BAND live in New York City, April 1975 (Fly Like An Eagle)

 


長い夜/シカゴ 25 Or 6 To 4/Chicago

 

それでは今日はこの辺で。

 

映画『沖縄スパイ戦史』を観る

今日のキネ旬シアターは沖縄スパイ戦史でした。

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監督:三上知恵 大矢英代

制作:日本 2018年公開

 

太平洋戦争末期の沖縄戦、民間人24万人が死亡しました。その沖縄戦の裏側で何が起こっていたのかを探るドキュメンタリーです。

監督は映画『標的の村』『戦場ぬ止み』『標的の島 風かたか』の三上知恵と学生時代から八重山諸島の戦争被害の取材を続けてきた大矢英代です。

三上知恵は毎日放送琉球朝日放送の元アナウンサーで、退職後は映像作家として沖縄と戦争についてのジャーナリズム活動やドキュメント映画の制作に携わっています。

大矢英代琉球朝日放送の報道記者を経てフリージャーナリストになったまだ31歳の若手です。

 

沖縄の北部でゲリラ戦やスパイ活動を担ったのは10代半ばの少年たちでした。彼らは「護郷隊」と呼ばれ、彼らを組織して指揮したのが陸軍の特務機関だった「陸軍中野学校」の青年将校たちでした。

1944年、42名の「陸軍中野学校」出身の兵士が沖縄に渡りました。

沖縄戦で組織された少年部隊は「護郷隊」だけではありませんでした。他にも多くの部隊が編成されていたのです。

この映画では「護郷隊」を描いています。「陸軍中野学校」の精鋭たちに組織された彼らの任務は主にゲリラ戦です。当時15~17歳の少年の生きのこった人たちが次々と証言します。現在は90歳近い人たちですが記憶は生々しいです。

 

もう一つ、あまり知られていない事実が明らかにされました。それは八重山諸島波照間島から住民をマラリア地獄の西表島への移住計画です。これを実行したのも「陸軍中野学校」の山下虎雄と呼ばれた表向き教師という工作員でした。住民は西表島へ移住させられマラリヤに罹り夥しい数の死者を出しました。海岸も死体でいっぱいでした。住民は今でも怒りを抑えられません。

 

さらにこの映画のタイトルになっている「スパイ」についての事実が紹介されます。スパイ行為はアメリカ軍に対してのものではなく、軍による住民の監視、さらには住民による住民の監視です。アメリカ軍への内通は軍が一番神経をとがらせていたことでした。軍は内通者と疑われるものを摘発し、殺害します。住民は殺されるよりはと住民を監視するスパイになっていく。その契機になったのが軍機保護法の改正にあったと、ある学者は説明します。

 

現在もスパイ行為をした人物を知る住民たちは、決してその名前を口にしません。あの状況ではやむを得なかったのだと証言します。

 

映画は戦争の悲惨さと同時に、軍の冷酷さを明らかにしていきます。そして軍は決して国民、住民を守ることはない。守るのは国であって、国体護持だと。本土決戦になったならば、沖縄と同じ現象が間違いなく起きたでしょうと識者は語ります。

 

そして自衛隊も戦時になれば国民を守りことはしない、守るのは基地であって、国なのだと自衛隊OBは語りました。最近の様々な法律の制定・改正は何のためでしょうか。再び真っ先に被害を被るのは沖縄なのでしょうか。

 

 


「沖縄スパイ戦史」予告編

 

 

それでは今日はこの辺で。

映画『スターリンの葬送狂騒曲』を観る

昨日のキネ旬シアターはスターリンの葬送狂騒曲でした。

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監督:アーマンド・イアヌッチ

主演:ジェフリー・タンバースティーヴ・ブシェミオルガ・キュリレンコ

制作:2017年 フランス・イギリス  2018年日本公開

 

ソビエト連邦の独裁者ヨシフ・スターリンの死後の権力闘争をブラック・コメディ風に描いた作品です。スターリンは秘密警察NKVDを使って20年にわたって恐怖政治を行ってきました。舞台は1953年、モスクワ。そのスターリンの最期から映画は始まります。

 

冒頭の場面はクラシックのコンサート会場です。ラジオの生放送中です。そこにスターリンの書記係から電話がかかってきます。17分後に電話しろと。電話をするとスターリンはラジオで聴いた演奏が気に入り、今の演奏を録音してよこせと言います。慌てたディレクターはオーケストラにもう一度演奏してくれと必死に頼みこみ、何とか録音します。何しろ言うことを聞かなかったら処刑ですから。

 

その日、スタリーンは側近たちと夕食をとっていました。同席者は中央委員会第一書記のフルシチョフ内務省大臣で秘密警察NKVDの最高責任者ベリヤ、腹心で書記長代理のマレンコフ、外務大臣モロトフでした。粛清者リストを見ながらベリヤに指示を出します。粛清の大役を担っていたのはベリヤでした。明け方まで食事をしたり映画を観たりでようやく終わって自室に戻りました。

 

録音盤が届き、スターリンがそれを聴き始めると録音盤の中にメモが入っていました。そこには「国を裏切り、民を破滅させた。その死を祈り、神の赦しを願う、暴君よ」とありました。それはコンサートのピアニストが自分の家族が受けた処分からスターリンを憎んで書いたものでした。それを読んだスターリンは最初は笑っていましたが、次第に顔をゆがめ倒れ込んでしまいます。

 

翌朝、メイドが発見して幹部たちが呼ばれます。有能な医者たちは全てスターリン暗殺疑惑で粛清されいなくなっていました。やむなくヤブ医者を集めましたが、判断は回復不可能との見立てでした。幹部たちは内心大喜びです。そしてここから権力争いが始まります。スターリンは一旦は意識を取り戻しますが、やがて亡くなります。

 

葬儀の準備と後継選びが始まります。後継のトップは書記長代理のマレンコフです。ベリヤの差し金でフルシチョフが葬儀委員長になりました。彼らはスターリンの娘や息子を味方につけようとしたりして動き始めます。

 

ベリヤはマレンコフと組み、フルシチョフ外務大臣モロトフを味方につけます。マレンコフが最高責任者の座に就くと、ベリヤは優柔不断なマレンコフを操り囚人解放、自由化政策を推し進めようとします。

フルシチョフとベリヤは服喪中のモスクワ市内の警備の問題で対立します。ベリヤは市内の警備を軍から自分の管轄のNKVDに変えます。そしてモスクワに入る列車を止めようとしますが、フルシチョフはそれは自分の管轄だと主張します。そしてフルシチョフは内々で列車運行を許可します。

 

列車運行が許可されると大量の弔問客が押し寄せました。危険を感じた警備隊は弔問客の列に発砲し1500人もの死者が出ます。その責任をめぐってベリヤとフルシチョフが対立し、結局警備隊長の責任になり、その上司であるベリヤの失点になります。フルシチョフはベリヤを失脚させるため、ソビエト軍最高司令官ジューコフに協力を要請し、さらに他の共産党幹部たちの同意も取り付けます。ベリヤは赤軍を快く思っていなかったのです。

 

そして葬儀後の幹部会議でベリヤの解任が決議され、軍が入場してベリヤは連行されます。反対するマレンコフを脅し処刑命令に署名させます。そしていくつかの罪名を言い渡され即決で処刑されます。最後の処刑のシーンは残酷です。

その後、フルシチョフが最高権力者の座につきました。しかし1964年にブレジネフによってフルシチョフもまた失脚します。

 

この映画が史実に忠実なのかどうかは分かりません。実際ベリヤはスターリンの死後は第1副首相に任命されており、処刑されたのは6月とも12月ともいわれています。少なくともスターリンの葬儀のすぐ後ということはないでしょう。またスターリンはベリヤに毒殺されたという話もあります。この頃はすでにスターリンはベリヤに対する不信感を募らせるていました。

 

映画の中でもベリヤの罪状の一つに婦女暴行の件が挙げられていましたが、これは事実だったようです。ベリヤは大変な漁色家で強姦と性的暴行の数は数え切れないくらいだそうです。映画でも少女を体をきれいにさせてNKVDの部屋で待機させるシーンがありました。翌朝NKVDの門から出ていく少女の姿が映し出されていました。

 

その性的暴行の凄まじさや罪人に対する残虐な拷問のため、ベリヤの恩赦政策や自由化政策は政権内でも信用されませんでした。実際の罪状に「党と国家に対する反逆」というものが有って、要するに自由化政策は社会主義に対する反革命的行為だということです。ベリヤが本気で自由化を考えていたのかどうかは分かりませんが、本気だったとすると、ソ連の改革開放は40年遅れたことになります。ベリヤを演じた俳優が心なしかゴルバチョフに顔・容姿が似ていたように感じたのは私だけでしょうか。

 

フルシチョフのお道化たひょうきんぶりと、反面、裏での画策ぶりは、いわゆる上り詰める政治家とはこんなものだなと納得させられます。そのフルシチョフも集団指導体制を標榜しながらも、結局は自身に権力を集中させるようになり、やがて反フルシチョフ・グループにより失脚させられました。政治権力闘争の凄まじさはどの国でも見られるようです。

 

いずれにしても謎が多すぎる戦前戦後のソビエト連邦の一部分を垣間見た様な映画でした。

映画はロシア語ではなく英語です。

 

この映画はロシアが痛烈に批判、ロシア、ベラルーシカザフスタンキルギスで上映禁止になりました。当然と言えば当然でしょう。ロシアにとってはこれほど自国の過去を侮辱されては黙っていられないでしょう。

 

 

 


『スターリンの葬送狂騒曲』予告編

 

トレーニング・ジム 再々開

「トレーニングジム イラスト」の画像検索結果

約4カ月ぶりにトレーニング・ジムに行ってきました。

手術後1年経過し、ウォーキングもボチボチ始めました。

今週から少し、トレーニングを始めようかと思い行ってきました。

ストレッチ 20分

筋トレ 20分

ウォーキング 30分

バイク 10分

短めで切り上げました。

少し歩くと左足のハムストリングとふくらはぎに力が入らなくなる症状は変わりません。これが治らない限り長めのウォーキング、ランニングは無理です。果たして回復するのでしょうか。不安です。

 

もう少し様子を見ましょう。