昨日のキネ旬シアターは『スターリンの葬送狂騒曲』でした。
監督:アーマンド・イアヌッチ
主演:ジェフリー・タンバー、スティーヴ・ブシェミ、オルガ・キュリレンコ
制作:2017年 フランス・イギリス 2018年日本公開
ソビエト連邦の独裁者ヨシフ・スターリンの死後の権力闘争をブラック・コメディ風に描いた作品です。スターリンは秘密警察NKVDを使って20年にわたって恐怖政治を行ってきました。舞台は1953年、モスクワ。そのスターリンの最期から映画は始まります。
冒頭の場面はクラシックのコンサート会場です。ラジオの生放送中です。そこにスターリンの書記係から電話がかかってきます。17分後に電話しろと。電話をするとスターリンはラジオで聴いた演奏が気に入り、今の演奏を録音してよこせと言います。慌てたディレクターはオーケストラにもう一度演奏してくれと必死に頼みこみ、何とか録音します。何しろ言うことを聞かなかったら処刑ですから。
その日、スタリーンは側近たちと夕食をとっていました。同席者は中央委員会第一書記のフルシチョフ、内務省大臣で秘密警察NKVDの最高責任者ベリヤ、腹心で書記長代理のマレンコフ、外務大臣のモロトフでした。粛清者リストを見ながらベリヤに指示を出します。粛清の大役を担っていたのはベリヤでした。明け方まで食事をしたり映画を観たりでようやく終わって自室に戻りました。
録音盤が届き、スターリンがそれを聴き始めると録音盤の中にメモが入っていました。そこには「国を裏切り、民を破滅させた。その死を祈り、神の赦しを願う、暴君よ」とありました。それはコンサートのピアニストが自分の家族が受けた処分からスターリンを憎んで書いたものでした。それを読んだスターリンは最初は笑っていましたが、次第に顔をゆがめ倒れ込んでしまいます。
翌朝、メイドが発見して幹部たちが呼ばれます。有能な医者たちは全てスターリン暗殺疑惑で粛清されいなくなっていました。やむなくヤブ医者を集めましたが、判断は回復不可能との見立てでした。幹部たちは内心大喜びです。そしてここから権力争いが始まります。スターリンは一旦は意識を取り戻しますが、やがて亡くなります。
葬儀の準備と後継選びが始まります。後継のトップは書記長代理のマレンコフです。ベリヤの差し金でフルシチョフが葬儀委員長になりました。彼らはスターリンの娘や息子を味方につけようとしたりして動き始めます。
ベリヤはマレンコフと組み、フルシチョフは外務大臣モロトフを味方につけます。マレンコフが最高責任者の座に就くと、ベリヤは優柔不断なマレンコフを操り囚人解放、自由化政策を推し進めようとします。
フルシチョフとベリヤは服喪中のモスクワ市内の警備の問題で対立します。ベリヤは市内の警備を軍から自分の管轄のNKVDに変えます。そしてモスクワに入る列車を止めようとしますが、フルシチョフはそれは自分の管轄だと主張します。そしてフルシチョフは内々で列車運行を許可します。
列車運行が許可されると大量の弔問客が押し寄せました。危険を感じた警備隊は弔問客の列に発砲し1500人もの死者が出ます。その責任をめぐってベリヤとフルシチョフが対立し、結局警備隊長の責任になり、その上司であるベリヤの失点になります。フルシチョフはベリヤを失脚させるため、ソビエト軍最高司令官ジューコフに協力を要請し、さらに他の共産党幹部たちの同意も取り付けます。ベリヤは赤軍を快く思っていなかったのです。
そして葬儀後の幹部会議でベリヤの解任が決議され、軍が入場してベリヤは連行されます。反対するマレンコフを脅し処刑命令に署名させます。そしていくつかの罪名を言い渡され即決で処刑されます。最後の処刑のシーンは残酷です。
その後、フルシチョフが最高権力者の座につきました。しかし1964年にブレジネフによってフルシチョフもまた失脚します。
この映画が史実に忠実なのかどうかは分かりません。実際ベリヤはスターリンの死後は第1副首相に任命されており、処刑されたのは6月とも12月ともいわれています。少なくともスターリンの葬儀のすぐ後ということはないでしょう。またスターリンはベリヤに毒殺されたという話もあります。この頃はすでにスターリンはベリヤに対する不信感を募らせるていました。
映画の中でもベリヤの罪状の一つに婦女暴行の件が挙げられていましたが、これは事実だったようです。ベリヤは大変な漁色家で強姦と性的暴行の数は数え切れないくらいだそうです。映画でも少女を体をきれいにさせてNKVDの部屋で待機させるシーンがありました。翌朝NKVDの門から出ていく少女の姿が映し出されていました。
その性的暴行の凄まじさや罪人に対する残虐な拷問のため、ベリヤの恩赦政策や自由化政策は政権内でも信用されませんでした。実際の罪状に「党と国家に対する反逆」というものが有って、要するに自由化政策は社会主義に対する反革命的行為だということです。ベリヤが本気で自由化を考えていたのかどうかは分かりませんが、本気だったとすると、ソ連の改革開放は40年遅れたことになります。ベリヤを演じた俳優が心なしかゴルバチョフに顔・容姿が似ていたように感じたのは私だけでしょうか。
フルシチョフのお道化たひょうきんぶりと、反面、裏での画策ぶりは、いわゆる上り詰める政治家とはこんなものだなと納得させられます。そのフルシチョフも集団指導体制を標榜しながらも、結局は自身に権力を集中させるようになり、やがて反フルシチョフ・グループにより失脚させられました。政治権力闘争の凄まじさはどの国でも見られるようです。
いずれにしても謎が多すぎる戦前戦後のソビエト連邦の一部分を垣間見た様な映画でした。
映画はロシア語ではなく英語です。
この映画はロシアが痛烈に批判、ロシア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギスで上映禁止になりました。当然と言えば当然でしょう。ロシアにとってはこれほど自国の過去を侮辱されては黙っていられないでしょう。