Flying Skynyrdのブログ

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この人の、この1枚 『アシュトン・ガードナー・ダイク・アンド・カンパニー(Ashton, Gardner , Dyke & Co)/ What a Bloody Long Day It's Be』

今ではすっかり忘れ去られたバンド、アシュトン、ガードナー&ダイク(Ashton, Gardner & Dyke)です。

イギリス、リバプールのロックバンド、レモ4(The Lemo Four)に在籍していたトニー・アシュトン(Tony Ashton,vo,key)ロイ・ダイク(Roy Dyke,ds)は1968年にバンドを脱退し、ザ・バーズ(The Birds、アメリカのByrdsとは別)クリエイション(The Creation)にいたキム・ガードナー(Kim Gardner,b)とバンドを組みました。それがアシュトン、ガードナー&ダイクのスタートとなりました。

キム・ガードナーが在籍していたバーズ、クリエイションには後にフェイセズローリング・ストーンズロン・ウッド(Ron Wood)も在籍していました。

 

1969年にポリドールからシングルをリリースしますが鳴かず飛ばずでした。しかし次にキャピトルと契約し、シングルResurrection Shuffle」をリリースすると、これが大ヒットし全英の3位になりました。

またジョージ・ハリソンのアルバム『All Things Must Pass』にも参加したりしました。レモ4時代からジョージとの交流がありました。

シングルヒットに続いてファーストアルバムをリリースしました。『Ashton, Gardner & Dyke』です。

ジャンプ・ブルースあり、スロー・ブルースあり、ビ・バップあり、R&Bありとそれまでに在籍していたバンドとは明らかに違う音楽性を狙ったアルバムでした。

 

さらに1971年にはセカンドアルバム『The Worst of Ashton,Gardner & Dyke』をリリースします。

このアルバムではギターがフィーチャーされます。A面の1曲目ではチッキン・シャック(Chicken Shack)のスタン・ウェブ(Stan Webb)が、2曲目ではエリック・クラプトン(Eric Clapton)ジョージ・ハリソン(George Harrison)がそれぞれ名前を変えて参加しています。またジム・プライス(Jim Price,tp)も参加しています。

 

そして1972年、彼らのラストアルバムとなる『What a Bloody Long Day It's Be』がリリースされます。

 

Side A

1.It’s Agonna Be High Tonight

2.It’s A Drag, I’m A Drag

3.Still Got A Long Way To Go

4.The Falling Song

 

Side B

1.Ballad Of The Remo Four

2.(The Old) Rock And Roll Boogie Woogie

3.Got To Get Back To You

4.What A Bloody Long Day It’s Been

5.Im Going To A Place

 

前作でゲスト参加していたミック・ライバー(Mick Liber,g)が正式メンバーになりました。それにホーンのデイヴ・キャッスル(Dave Caswell,tp,fp)ジョン・マンフォード(John Mumford,tb,perc)ライル・ジェンキンス(Lyle Jenkins,sax,flute)は加入します。

全曲トニー・アシュトンかアシュトンとメンバーの共作になります。

プロデュースもトニー・アシュトンです。

A-4のストリングスのアレンジはディープ・パープル(Deep Purple)ジョン・ロード(John Lord)です。

このアルバムではバンド名をアシュトン・ガードナー・ダイク・アンド・カンパニー(Ashton, Gardner , Dyke & Co)に変えています。これは新しくメンバーが一人加わったからでしょう。

 

ホーンセクションがふんだんに入り、ジャズとブルースとロックがカッコよく融合して何とも言えぬ雰囲気を醸し出しています。ジャズロック、ブラスロックも人気が出ていた時期ですからさもありなんです。アシュトンのハスキーな絶叫型ヴォーカルが何とも言えません。これは隠れた名盤ではないかと密かに思っています。

しかし、世間はResurrection Shuffle」のようなポップな曲を望み、バンドの意向とはかけ離れていきました。結局バンドは解散しました。1972年のことでした。

 

解散後、ガードナーとダイクはバジャー(Badger)に加わります。ダイクはその後パット・トラバース(Pat Travers)のバンドに加わります。

トニー・アシュトンはファミリー(Family)のラストアルバムに参加し、ジョン・ロードやチッキン・シャックのアルバムにも参加したりしていました。1977年にはディープ・パープルのイアン・ペイス(Ian Paice,ds)ジョン・ロードと共にペイス、アシュトン&ロード(Paice, Ashton & Lord)を結成しアルバム『Malice in Wonderland』を発表しました。

 

僅か3年で3枚のアルバムを残し解散した、AG&Dでしたが、ジョージ・ハリソンが絶賛したように70年代初頭の貴重なバンドでした。たまたま大ヒットを飛ばしたせいで、自分たちの音楽が出来なくなってしまったという、なんとも皮肉な結果に終わってしまったのが残念です。

 


Ashton Gardner & Dyke - The Resurrection Shuffle


Ashton, Gardner, Dyke & Co [UK, Blues/Jazz/Psych 1972] It's A Drag, I'm A Drag


Ashton, Gardner, Dyke & Co. - Ballad Of The Remo Four (1972)


Ashton Gardner & Dyke - Resurrection shuffle ( Very Rare Original Footage 1971 )

 

それでは今日はこの辺で 。

知らなかった!『マイク・ハリソン(Mike Harrison)』の死

ふと、マイク・ハリソン(Mike Harrison)のことを思い出し、ソロアルバムのことでも書こうかと、彼の近況はどうなっているのかネットで検索していたら、な、なんと今年の3月25日に亡くなっていることが判明しました。ショックです。

スプーキー・トゥースの記事を書いたのが今年の3月6日でした。それから約3週間で亡くなっているのです。これは虫の知らせだったのでしょうか。

lynyrdburitto.hatenablog.com

それにしても迂闊でした。情報不足に反省しきりです。最近は雑誌の購読も止めていますし、このような情報は新聞ぐらいしかありません。マイク・ハリソンの訃報が新聞に載るはずがありません。もっともっとメジャーなミュージシャンならともかくも、日本ではほとんどその名を知られていない彼の記事なんて新聞に載せてもほとんど読まれないでしょう。

 

ということで、今日は彼の元気だったころを偲んでソロアルバムを聴くことにします。スプーキー・トゥース時代の彼については以前の記事に譲るとして、スプーキー・トゥースの最初の解散後に出されたファーストソロアルバムを取り上げてみます。

 

1971年リリースの『Mike Harrison』です。

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Side A

1.Mother Nature

2.Call It a Day

3.Damian

4.Pain

 

Side B

1.Wait Until Morning

2.Lonely People

3.Hard Headed Woman

4.Here Comes The Queen

 

メンバーは

マイク・ハリソン(Mike Harrison,vo,key,harmonica)

ケヴィン・イヴァーソン(Kevin Iverson,ds,perc,vo)

ピーター・ベイテイ(Peter Batey,b)

イアン・ハーバート(Ian Herbert,g,key,vo)

フランク・ケンヨン(Frank Kenyon,g,vo)

 

プロデュースはマイク・ハリソンです。

 

B-3がキャット・スティーヴンス、B-4がスプーキー・トゥース時代のメンバー、ルーサー・グロヴナーの曲です。その他はメンバーとの共作、それにメンバーのピーターの曲が2曲です。

 

マイク・ハリソンのポール・ロジャースばりのヴォーカルが、いかにもヘヴィーなブリティッシュロックらしく、どの曲もミディアム・テンポにまとめられており、スプーキー・トゥースを思い起こさせます。なんとも思い出深いアルバムです。

 

この後、マイクは1972年に『Smokestack Lightning』、そして1975年に『Rainbow Rider』という2枚のソロアルバムを発表します。この間にスプーキー・トゥースの再結成もありました。

    Mike Harrison Rainbow Rider Cover.jpg

 

この後マイク・ハリソンは1997年まで音楽活動は停止しました。

そして長いブランクの後、かつてのスプーキー・トゥースのメンバーとレコーディングなどを開始しました。そしてアルバムCross Purpose』をリリースしました。

Cross Purpose

 

また2001年には『Hamburg Blues Band』と行動し、アルバム『Touch』をリリースします。

 

2007年にはソロアルバム『Late Starter』をリリースしたのです。

 

残念ながらこれが遺作となってしまいました。ブルースもしっかりやっているようです。フランキー・ミラー、トニー・ジョー・ホワイト、デルバート・マクリントンレイ・チャールズルーズベルト・サイクス、アイザック・ヘイズ、ローウェル・フルソン、オーティス・レディングなど、彼のお気に入りをカバーしているようです。やはり彼にはブルース、ソウルがよく似合います。

未購入です。何としても入手しなければなりません。

 

マイク・ハリソン。享年72才。遅くなってしまいましたが、改めてマイク・ハリソンの冥福をお祈りします。合掌。

 


Mike Harrison - Mother Nature


Mike Harrison - Wait Until the Morning


Mike Harrison - Pain


Mike Harrison - Hard Headed Woman

 

それでは今日はこの辺で。

頑張ってます! 『スピン・ドクターズ(Spin Doctors)/ Just Go Ahead Now: A Retrospective』

ブルース・トラヴェラーの記事を書いた時に、ジョン・ポッパーがクリス・バロン(Chris Barron,vo)と共に1980年の半ば頃に結成したバンド、ラッキング・カンパニー(Trucking Company)のことに若干触れました。そのトラッキング・カンパニーからジョン・ポッパーがブルース・トラヴェラーに専念するためにバンドを去り、一緒に設立に参加したエリック・シェンクマン(Eric Sc​​henkman,g)とクリスはマーク・ホワイト(Mark White,b)アーロン・コメス(Aaron Comess,ds)を誘い、バンド名をスピン・ドクターズ(Spin Doctors)と改め再出発を図りました。

 

スピン・ドクターズはエピックと契約し、ライブEPに続きファーストアルバム『Pocket Full of Kryptonite』をリリースします。

このアルバムには盟友のジョン・ポッパー(John Popper,harmnica)が参加しています。発売当初の売行きは芳しくありませんでしたが、ブルース・トラベラーなどとのライブで人気を獲得し、徐々に売れ出し、ビルボードの3位を記録し、5✖のプラチナディスクになるヒットアルバムになりました。

 

1994年にはセカンドアルバム『Turn It Upside Down』を発表します。

このアルバムはビルボードの28位と前作の売り上げには届きませんでしたが健闘しました。3曲のシングルカットもありました。

 

この後、エリック・シェンクマンが音楽性に違いから脱退します。代わりにアンソニー・クリザン(Anthony Krizan,g)が加わります。

そして1996年にサードアルバム『You've Got to Believe in Something』がリリースされます。

リリース後、アンソニー・クリザンはバンドを去り、イヴァン・ネヴィル((Ivan Neville,key)エラン・タビブ (Eran Tabib,g)が加わります。アルバムの方はさっぱりで、エピックから契約を打ち切られます。

 

1998年にユニバーサル傘下のレコード会社と契約し、1999年にアルバム『Here Comes the Bride』を発表します。

しかし、このアルバム制作中にマーク・ホワイトがバンドを去ってしまいます。さらにツアー中にクリス・バロンが声帯に異常をきたし声が出なくなってしましました。イヴァンが代役を務めましたが、やはり残りのツアーはキャンセルしました。

結局、バンドは2001年まで活動休止を余儀なくされました。2002年以降はライブ活動を開始し、2005年にアルバム『Nice Talking to Me』を発表しました。

このアルバムではオリジナルメンバー4人が揃いました。しかしレコード会社が倒産、アルバムの売り上げは見込めませんでした。

 

その後バンドとしては2013年にアルバム『If the River Was Whiskey』を発表しました。

今のところこれが最後のアルバムになっています。

 

 2000年に彼らのベストアルバムが発売になりました。『Just Go Ahead Now: A Retrospective』です。

01.Jimmy Olsen's Blues

02.Little Miss Can't Be Wrong

03.What Time Is It?

04.How Could You Want Him (When You Know You Could Have Me?)

05.Two Princes

06.Cleopatra's Cat

07.You Let Your Heart Go Too Fast

08.Indifference

09.Big Fat Funky Booty

10.Hungry Hamed's

11.House

12.I Can't Believe You're Still With Her

13.If Wishes Were Horses

14.She Used to Be Mine

15.Miss America

16.You've Got to Believe in Something

17.Refrigerator Car" (Live, recorded June 12, 1992)

 

01~05はファーストアルバム『Pocket Full of Kryptonite』から。

06~10はセカンドアルバム『Turn It Upside Down』から。

11~14,16はサードアルバム『You've Got to Believe in Something』から。

15は未発表曲。

17は1992年のライブアルバム『Homebelly Groove...Live』から。

 

ほぼ満遍なく選曲されています。

 

ブルース・トラヴェラーとほぼ時期を共にしたバンドでした。紆余曲折はありましたがオリジナルメンバーが戻って健在というのは30年を超えるキャリアでは珍しいことです。この時期はややもするとグランジなどに流れる傾向がありましたが、このバンドはアメリカンロックの王道を歩いていたような気がします。もう少し頑張りましょう。

 


Spin Doctors - Two Princes (alternate video)


Spin Doctors - Little Miss Can't Be Wrong


Spin Doctors - Mary Jane

 

それでは今日はこの辺で。

ジャムバンドだ! 『ブルース・トラヴェラー(Blues Traveler)/ Live From the Fall』

アメリカのブルースロック、ジャム・バンドブルース・トラヴェラー(Blues Traveler)です。

もう、とっくに書いたつもりでいました。振り返ってみたら書いていませんでした。頭も怪しくなっています。

このバンドはスタジオ盤もいいですが、ライブ盤でその本領を発揮する、いわゆるジャム・バンドです。

結成は1987年、ニュージャージー州プリンストンです。

ギタリストのジョン・ポッパー(John Popper,vo,harp,)ブレンダン・ヒル(Brendan Hill,ds)は彼の弟と共に高校生の時にバンドを結成しました。そこにチャン・キンチュラ(Chan Kinchla,g)が加わり、さらにボビー・シーハン(Bobby Sheehan,b)も加わって、4人はバンド名もブルース・トラヴェラーに変更しました。

彼らは高校を卒業するとニューヨークに移り、学校に通いながら夜はクラブでライブを行いました。同じアパートには高校の友人クリス・バロン(Chris Barron,vo)が住んでおり、ジョン・ポッパーはブルース・トラヴェラーとは別のバンドをクリスと共にトラッキング・カンパニーというバンドを結成しました。しかし、ジョンはブルース・トラヴェラーに専念するために、そのバンドからは離れますが、そのバンドは後にスピン・ドクターズ(Spin Doctors)と名乗りました(このバンドについては別の記事で書くつもりです)。

 

その後、ブルース・トラベラーはA&Mのスカウトマンにスカウトされ契約が成立しました。彼らは全員大学を中退しました。

そして1990年にファーストアルバム『Blues Traveler』をリリースします。

ここには先ほどのクリス・バロン(vo)の他にジョアン・オズボーン(Joan Osborne,vo)が参加しています。

 

続く1991年にセカンドアルバム『Travelers & Thieves』、1993年にはサードアルバム『Save His Soul』をそれぞれリリースします。

 

セカンドにはクリス・バロンとグレッグ・オールマン(Gregg Alman,vo,orgn)が参加しています。

そして1994年の4枚目のアルバム『Four』でブレイクしました。

このアルバムはビルボードの8位にランクされシングルの 「Run-Around」と「Hook」もそれぞれ8位と23位を記録しました。そしてアルバムは6✖プラチナを記録しました。さらに1995年のグラミー賞最優秀ロック・パフォーマンス賞を受賞しました。これで一気にブルース・トラヴェラーは人気バンドになりました。

ここにはオールマン・ブラザーズ、ガヴァメント・ミュールのウォーレン・ハインズ(Warren Hynes,steel g)が、またオールマン・ブラザーズのチャック・リーヴェル(Chack Leavell,key)が参加しています。嬉しい限りです。

 

そして、1996年に彼らのライブ・パフォーマンスを遺憾なく発揮したアルバム『Live From The Fall』がリリースされました。

Disk 1

01.Love and Greed

02.Mulling It Over

03.Closing Down the Park

04.Regarding Steven

05.NY Prophesie

06.100 Years

07.Crash Burn

08.Gina

09.But Anyway

10.Mountain Cry

 

Disk 2

01.Alone

02.Freedom

03.The Mountains Win Again

04.What's For Breakfast

05.Go Outside and Drive

06.Low Rider

07.Run-Around

08.Sweet Talking Hippie

09.Imagine

 

これはブルース・トラヴェラーの1995年の秋のツアーのハイライト集です。

2枚組で140分に及ぶ大作です。これぞアメリカのジャム・バンドです。ジョン・ポッパーのハーモニカが唸ります。もう、終わりなどないのではないかとばかり延々と演奏が続き、どこで曲が変わったのかわからなくなる時があります。

オールマン・ブラザーズとグレイトフル・デッドを併せ持ったようなバンドです。

 

この後も1997年にアルバム『Straight on Till Morning』をリリースします。

このアルバムも前作ほどではありませんでしたが、ビルボードの11位にランクされるヒットでした。シングルヒットも2曲出ました。

 

この後ブルース・ブラザース(Blues Brothers)の映画『Blues Brothers 2000』などにも登場したりしました。

 

しかし、1999年に悲劇が起こります。ボビー・シーハンが薬物の過剰摂取で死亡してしまいます。

そして残ったメンバーはボビー・シーハンの遺志を継いでバンドを続けることにしました。新しいメンバーにチャンの弟タッド・キンチュラ(Tad Kinchla,b)、さらにベン・ウィルソン(Ben Wilson,key)を加入させます。

そしてリリースされたのが6枚目のスタジオアルバム『Bridge』でした。2001年です。

ボビー・シーハン抜きの最初のアルバムになりました。

 

ブルース・トラヴェラーはこの後もメンバーを代えることなく現在も活動中です。

アメリカでの絶大なる人気の割には日本での人気・知名度が異様に低いのはどういう訳でしょうか。どうにも納得がいきませんが、この手のジャム・バンドは相対的に人気が無いので致し方ないようです。

 


Blues Traveler - Live From The Fall - 1996 - Breakfast


Blues Traveler But Anyway Live


Blues Traveler - Stand - 9/3/1995 - Shoreline Amphitheatre (Official)

 

 

それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『ブロドウィン・ピッグ(Blodwyn Pig)/ Ahead Rings Out』

イアン・アンダーソン率いるジェスロ・タル(Jethro Tull)の創設メンバーのミック・アブラハム(Mick Abrahams,g,vo)が結成したバンド、それがブロドウィン・ピッグ(Blodwyn Pig)です。

ミック・アブラハムジェスロ・タルのファーストアルバム『This Was』が発表されると、自分の音楽を追求したいとの理由でバンドを去ります。

そしてその年、1969年に後にサヴォイ・ブラウン(Savoy Brown)ウィッシュボーン・アッシュ(Wishbone Ash)、さらにキンクス(Kinks)に参加するアンディ・パイル(Andy Pyle,b)、それにロン・ベルグ(Ron Berg)、後にソウル・サーチャーズ(Soul Serchears)アヴィエイター(Aviator)に参加するジャック・ランカスター(Jack Lancaster,sax,flute)と共にブロドウィン・ピッグを結成します。

 

そして1969年にファーストアルバム『Ahead Rings Out』をリリースします。

Side A

1.It's Only Love

2.Dear Jill

3.Sing Me A Song That I Know

4.The Modern Alchemist

 

Side B

1.Up And Coming

2.Leave It With Me

3.Change Song

4.Backwash

5.Ain't Ya Coming Home, Babe?

 

プロデュースはアンディ・ジョンズ(Andy Jons)です。

 

ジャック・ランカスターのサックス、フルートとミック・アブラハムのギターのもたらす音楽はジャズとブルースを持ち込んだロックでした。ジェスロ・タルとの違いは何だったんだろうと思ってしまいます。結局音楽性の違いというよりも、ミックは自分のバンドが持ちたかったのではないかと想像してしまいます。

このアルバムもいきなりジャズフィーリングで始まり、2曲目は軽いブルースタッチの曲と続き、3曲目はファンキーな曲、4曲目はサイケっぽく、さらにはプログレ風とバラエティに富んだアルバムになっていて聴きごたえは十分です。それでもイアン・アンダーソンのカリスマ性にはやはり及びません。ヴォーカルのアクの強さではイアン・アンダーソンでしょう。

このアルバムはイギリスチャートのベスト10入りしました。

 

続いて1970年にセカンドアルバム『Getting to This』をリリースします。

前作に引き続きジャズ、ブルース、プログレなどバラエティに富んだアルバムでこのアルバムもイギリスチャートのベスト10入りしました。

 

しかし、ミック・アブラハムはもう飽きたのかさっさとバンドを去ってしまいます。残ったメンバーは元イエス(Yes)のピーター・バンクス(Peter Banks,g)を加えて再始動しますが、ピーターが脱退し結局解散に終わりました。

 

一方ミック・アブラハムはソロ活動に入り、1971年にはソロ第1弾を発表します。

その後も第2弾のソロアルバムを発表しますがそこにはかつてのメンバー、ジャック・ランカスターも参加していました。

 

そして1974年にはロン・ベルグを除くかつてのメンバーにジェスロ・タルクライヴ・バンカー(Clive Bunker,ds)を加えブロドウィン・ピッグを再結成します。しかしすぐに解散。

1988年にまたもや再結成します。ミックアンディクライヴディック・ヘクストール=スミス(Dick Heckstall-Smith,sax)のラインナップです。しかしこのメンバーも長続きしません。

1993年には久しぶりのアルバム『Lies』を発表します。

この時のメンバーは

ミック・アブラハムの他に

グラハム・ウォーカー(Graham Walker,ds)

デイヴ・レノックス(Dave Lennox,key)

マイク・サマーランド(Mike Summerland,b,vo)

 

さらにライブアルバム『Live at the Lafayette』『Live: All Tore Down』が発売されています。

 

前者のライブはミック、ジャック・ランカスター、アンディ・パイル、クライヴ・バンカーのメンバー構成、後者はミック、デイヴ・レノックス、マイク・サマーランドのメンバー構成になっています。

 

ブロドウィン・ピッグはミック・アブラハムの気まぐれで解散したり再結成したりするバンドのようです。パーマネントメンバーはいませんが、懐かしい名前を見ると嬉しくなります。まだ何となく続いているのでしょうか。

 


Blodwyn Pig - It's Only Love


Blodwyn Pig - Dear Jill (Ahead Rings Out, August, 1969)


Blodwyn Pig "The Modern Alchemist"

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

 

サザンロックだ! 『ブラックフット(Blackfoot)/ Strikes』

レーナード・スキナード(Lynyrd Skynyrd)がまだレコードデビューする前にバンドに在籍していたリッキー・メドロック(Rickey Medlocke,ds,vo)グレッグ・ウォーカー(Greg T. Walker,b)が設立したバンド、それがブラックフット(Blackfoot)です。

ブラックフットの元をたどれば、先の二人がチャーリー・ハーグレット(Charlie Hargrett,g)と出会い、キーボードのRon Sciabarasiを誘い結成した『Fresh Garbage』というバンドがスタートでした。その後Ron Sciabarasiがバンドを去り、新たにジャクソン・スピアーズ(Jakson Spires,ds)を加え、バンド名もブラックフットに変え活動を開始しました。ブラックフットとはアメリカン・インディアンの部族名でメンバーは全員インディアンの血を引いていました。

1971年になるとリッキーとグレッグがレーナード・スキナードの参加要請を受け、一旦活動を中断します。その間チャーリーは別のバンドを立ち上げていましたが、リッキーとグレッグがレーナード・スキナードを辞めると、再び1972年にブラックフットを再稼働させました。

 

そして1975年にようやくファーストアルバム『No Reservations』がアイランドレコードからリリースされました。

これはまさにサザン・ハードロックでした。レーナード・スキナードを彷彿とさせます。

 

続いて1976年には『Flyin' High』が1976年に発表されます。今度はエピックレコードからでした。

 

そして1979年にいよいよサードアルバム『Strikes』が発表されます。

 

Side A

1.Road Fever

2.I Got A Line On You

3.Left Turn On A Red Light

4.Pay My Dues

5.Baby Blue

 

Side B

1.Wishing Well

2.Run And Hide

3.Train,Train

4.Highway Song

 

 

A-2はスピリット(Spirit)のランディ・カリフォルニアの曲

A-3はレーナード・スキナードのメロディアスな曲を思わせる名曲。

A-4はブルース・イメージ(Blues Image)の曲。

B-1はフリー(Free)の名曲。ポール・ロジャースのヴォーカルとまではいきませんが、こんなところでフリーの曲を聴けるなんて思いませんでした。

B-3でハーモニカを吹いているのはなんとカブ・コーダ(Cub Koda)です。

B-4はレーナード・スキナードの「フリーバード」の二番煎じか。それでもブラックフットを代表する名曲です。やはりサザンロックはいい。

 

このアルバムは後にプラチナレコードとなりました。B-3,4はシングルヒットしました。

 

ブラックフットはその後も順調にアルバムを発表しました。1980年に『Tomcattin' 』、1981年には『Marauder』をそれぞれリリースします。

 

そして1983年にはユーライア・ヒープ(Uriah Heep)のケン・ヘンズレー(Ken Hensley,key)を加え、6枚目のスタジオアルバム『Siogo』をリリースします。

しかしこのアルバムの売行きは芳しくなく、チャーリー・ハーグレットはバンドを去ります。そして続く1984年にアルバム『Vertical Smiles』をリリースします。

このアルバムの後、ケン・ヘンズレーも脱退します。代わりはアックス(Axe)のボビー・バース(Bobby Barth,g)でした。

そして1986年、オリジナルメンバーはリッキーを残し全員去りました。バンドは解散します。

リッキーは新しいメンバーを集めRick Medlocke & Blackfoot』として再始動します。しかしメンバーは定まらず、2枚のアルバムを残し、リッキー・メドロックはレーナード・スキナードへ再加入するためバンドを解散します。

 

その後2004年になると、リッキー・メドロックを除くオリジナルメンバーとボビー・バースがブラックフットを再結成します。しかし、ジャクソン・スピアーズが53歳で亡くなったり、ボビー・バースの入院などがあり、メンバーは固定せず、現在はオリジナルメンバーは一人も存在せず活動は継続しています。

 

ブラックフットはサザンロックとハードロックの両方を兼ね備えた貴重なバンドでした。

 


Blackfoot, "Highway Song"


Blackfoot - Train, Train


Blackfoot, "Wishing Well"

 

それでは今日はこの辺で。

早すぎる旅立ち 『ロニー・レーン(Ronnie Lane)/ Anymore For Anymore』

スモール・フェイセズ(Small Faces)からフェイセズ(Faces)へ、そのベーシストとして存在感を示してきたロニー・レーン(Ronnie Lane)

フェイセズ時代のロニー・レーンについては以前の記事に譲るとして、フェイセズ脱退後のロニー・レーンについてちょっとだけ書いてみたいと思います。

lynyrdburitto.hatenablog.com

1973年にフェイセズを脱退したロニー・レーンは自身のバンド『Slim Chance』を結成します。

メンバーは入れ替わりもありましたが、以下のメンバーでファーストアルバムをレコーディングします。

ロニー・レーン(Ronnie Lane,g,b,vo)

ベニー・ギャラガー(Benny Gallagher,g,b,acord)

グラハム・ライル(Graham Lyle,mandlin,banjo,vo)

ケヴィン・ウェストレイク(Kevin Westlake,g)

ケン・スレイヴン(Ken Slaven,violin)

ティーヴ・ビンガム(Steve Bingham,b)

ジミー・ジェウェル(Jimmy Jewell,sax)

ブルース・ローランド(Bruce Rowland,ds)

ビリー・リズヴェイ(Billy Lisvey:key,key)

 

ファーストアルバムは『Anymore For Anymore』です。1974年でした。

 

Side A

1.Careless Love

2.Dont You Cry For Me

3.(Bye & Bye) Gonna See The King

4.Silk Stockings

5.The Poacher

 

Side B

1.Roll On Babe

2.Tell Everyone

3.Amelia Earhardt

4.Anymore For Anymore

5.Only A Bird In A Guilded Cage

6.Chicken Wired

 

プロデュースはロニー、ブルース、それにグリン・ジョンズ(Glyn Johns)です。

 

このアルバムにはシングルヒット「How Come」が含まれていませんが、後にCD発売時にはボーナストラックとして収録されました。

 

ロニー・レーンがフェイセズを脱退した理由がよくわかるアルバムです。全体的に緩めのロックで、カントリー、フォークが前面に出てきており、ゆったりと優しい、アメリカ南部のスワンプを思わせるサウンドに包まれています。ロニー・レーンがアメリカン・ミュージックに心を寄せていた感じがよくわかります。

 

なお、メンバーの中のベニー・ギャラガーとグラハム・ライルは元マクギネス・フリント(McGuinness Flint)のメンバーで独立したデュオグループ、ギャラガー&ライル(Gallgher & Lyle)の二人です。ブルース・ローランドはグリース・バンド(Grease Band)のメンバーで後にフェアポート・コンベンション(Faiport Convention)に参加、ジミー・ジェウェルはキーフ・ハートレ―・バンド(Keef Hartley Band)、ケヴィン・ウェストレイクはブロッサム・トゥズ(Blossom Toes)の元メンバーです。

 

この後メンバーを一新し1975年にセカンドアルバム『Ronnie Lane's Slim Chance』をリリースします。

 

さらにメンバーチェンジがあって、5人編成になり、1976年にはサードアルバム『One For The Road』を発表します。

しかしこれが『スリム・チャンス 』としての最後のアルバムになりました。

 

このあとロニーはスモール・フェイセスの再結成ツアーに誘われますが、リハーサルの後断ります。しかし、スモール・フェイセスのメンバーとしてアトランティックとの契約が残っているとされ、レコードリリースの義務を通告されました。

そこでザ・フーピート・タウンゼントが彼に手を差し伸べました。1977年に二人で制作した『Rough Mix』は賞賛を浴びましたが、レコード売上はあまり伸びませんでした。

 

しかし、このアルバムの制作中に多発性骨髄腫の診断が下されました。

それでも症状がまだ軽いうちに、ソロアルバム『See Me』を制作し、リリースしました。

 

ここでの「バルセロナ」はエリック・クラプトン(Eric Clapton)との共作で、クラプトンも参加しています。さらにグリースバンドのヘンリー・マックロウ(Henry McCullough)も参加しています。

結局これがロニー・レーン最後のレコーディングになりました。

 

1980年代に入ると症状は悪化し、1983年には多発性骨髄腫研究のための資金集めとしてチャリティーコンサートが開かれました。これにはクラプトン、ジェフ・ベックジミー・ペイジフェイセズのメンバー、スティーヴ・ウインウッドなど多くのミュージシャンが参加しました。

 

1997年、とうとう肺炎を併発し死亡しました。51歳でした。多くのミュージシャンに慕われ続けたロニー・レーン。その死後も変わらずの尊敬が若いミューシャンの間にも根強く残っています。

 


Careless Love ~ Ronnie Lane's Slim chance


Ronnie Lane and Slim Chance - Anymore For Anymore


The poacher - Ronnie Lane

 

 

それでは今日はこの辺で。