スモール・フェイセズ(Small Faces)からフェイセズ(Faces)へ、そのベーシストとして存在感を示してきたロニー・レーン(Ronnie Lane)。
フェイセズ時代のロニー・レーンについては以前の記事に譲るとして、フェイセズ脱退後のロニー・レーンについてちょっとだけ書いてみたいと思います。
1973年にフェイセズを脱退したロニー・レーンは自身のバンド『Slim Chance』を結成します。
メンバーは入れ替わりもありましたが、以下のメンバーでファーストアルバムをレコーディングします。
ロニー・レーン(Ronnie Lane,g,b,vo)
ベニー・ギャラガー(Benny Gallagher,g,b,acord)
グラハム・ライル(Graham Lyle,mandlin,banjo,vo)
ケヴィン・ウェストレイク(Kevin Westlake,g)
ケン・スレイヴン(Ken Slaven,violin)
スティーヴ・ビンガム(Steve Bingham,b)
ジミー・ジェウェル(Jimmy Jewell,sax)
ブルース・ローランド(Bruce Rowland,ds)
ビリー・リズヴェイ(Billy Lisvey:key,key)
ファーストアルバムは『Anymore For Anymore』です。1974年でした。
Side A
1.Careless Love
2.Dont You Cry For Me
3.(Bye & Bye) Gonna See The King
4.Silk Stockings
5.The Poacher
Side B
1.Roll On Babe
2.Tell Everyone
3.Amelia Earhardt
4.Anymore For Anymore
5.Only A Bird In A Guilded Cage
6.Chicken Wired
プロデュースはロニー、ブルース、それにグリン・ジョンズ(Glyn Johns)です。
このアルバムにはシングルヒット「How Come」が含まれていませんが、後にCD発売時にはボーナストラックとして収録されました。
ロニー・レーンがフェイセズを脱退した理由がよくわかるアルバムです。全体的に緩めのロックで、カントリー、フォークが前面に出てきており、ゆったりと優しい、アメリカ南部のスワンプを思わせるサウンドに包まれています。ロニー・レーンがアメリカン・ミュージックに心を寄せていた感じがよくわかります。
なお、メンバーの中のベニー・ギャラガーとグラハム・ライルは元マクギネス・フリント(McGuinness Flint)のメンバーで独立したデュオグループ、ギャラガー&ライル(Gallgher & Lyle)の二人です。ブルース・ローランドはグリース・バンド(Grease Band)のメンバーで後にフェアポート・コンベンション(Faiport Convention)に参加、ジミー・ジェウェルはキーフ・ハートレ―・バンド(Keef Hartley Band)、ケヴィン・ウェストレイクはブロッサム・トゥズ(Blossom Toes)の元メンバーです。
この後メンバーを一新し1975年にセカンドアルバム『Ronnie Lane's Slim Chance』をリリースします。
さらにメンバーチェンジがあって、5人編成になり、1976年にはサードアルバム『One For The Road』を発表します。
しかしこれが『スリム・チャンス 』としての最後のアルバムになりました。
このあとロニーはスモール・フェイセスの再結成ツアーに誘われますが、リハーサルの後断ります。しかし、スモール・フェイセスのメンバーとしてアトランティックとの契約が残っているとされ、レコードリリースの義務を通告されました。
そこでザ・フーのピート・タウンゼントが彼に手を差し伸べました。1977年に二人で制作した『Rough Mix』は賞賛を浴びましたが、レコード売上はあまり伸びませんでした。
しかし、このアルバムの制作中に多発性骨髄腫の診断が下されました。
それでも症状がまだ軽いうちに、ソロアルバム『See Me』を制作し、リリースしました。
ここでの「バルセロナ」はエリック・クラプトン(Eric Clapton)との共作で、クラプトンも参加しています。さらにグリースバンドのヘンリー・マックロウ(Henry McCullough)も参加しています。
結局これがロニー・レーン最後のレコーディングになりました。
1980年代に入ると症状は悪化し、1983年には多発性骨髄腫研究のための資金集めとしてチャリティーコンサートが開かれました。これにはクラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ、フェイセズのメンバー、スティーヴ・ウインウッドなど多くのミュージシャンが参加しました。
1997年、とうとう肺炎を併発し死亡しました。51歳でした。多くのミュージシャンに慕われ続けたロニー・レーン。その死後も変わらずの尊敬が若いミューシャンの間にも根強く残っています。
Careless Love ~ Ronnie Lane's Slim chance
Ronnie Lane and Slim Chance - Anymore For Anymore
それでは今日はこの辺で。