Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

映画『メイキング・オブ・モータウン』を観る

昨日のキネ旬シアターは『メイキング・オブ・モータウンでした。

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監督:ベンジャミン・ターナー、ゲイブ・ターナー

主演:ベリー・ゴーディ、関連ミュージシャン多数

製作:2019年 アメリカ・イギリス 2020年 日本公開

 

アメリカのソウル、R&B系のレーベル、モータウンが2019年で創設60周年を迎えたことで、その足跡を辿るドキュメンタリーです。

 

1959年にベリー・ゴーディによって創設されたモータウンスティーヴィー・ワンダーマーヴィン・ゲイテンプテーションズスモーキー・ロビンソン&ミラクルズ、ダイアナ・ロススプリームス、フォートップス、マーサ&ザ・ヴァンデラス、そしてジャクソン5など数多くの人気アーティストをを輩出した名門レーベルに成長しました。

 

しかしその歴史は順調なものでもありませんでした。本人も音楽好きだったベリー・ゴーディが1950年代にジャズのレコード店を開いたのが始まりですが、店は繁盛せず閉店。ベリーはデトロイトのフォードの自動車工場に勤めます。それでも音楽を諦めきれず、家族から借りた800ドルでタムラ・レコードを設立します。これがモータウンの出発点です。モータウン(MOTOWN)とはモーター・タウンのことです。自動車の街です。

 

ベリーは自動車組立工場での経験を活かし、組立工程をミュージシャン作りに応用したのです。編曲、プロデュース、ダンスなどの各工程を回ることでミュージシャンが個性を発揮できるよう管理し、スターを誕生させようとする試みでした。

 

こうして数多くのヒット曲を生み出しました。1960年から1969年の間だけでもビルボードのトップ10に78曲もランクインさせました。これは独立系レーベルとしては異例でした。

 

その後はロサンゼルスに本社を移し映画界にも参入しますが、映画業界の不振や、大物アーティストや作曲家の流出などで経営不振に陥り、1988年に大手MCAに売却されました。その後も大手レーベルの傘下に入るもモータウンの名は生き続けます。

2019年、ベリー・ゴーディは引退しました。

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映画はベリーとスモーキー・ロビンソンを中心にスタッフミュージシャンが当時の状況を語っていくという形式で進められます。ニール・ヤングまで登場します。スプリームススティーヴィー・ワンダー、ジャクソン5などの大スターが出来上がっていく過程が興味深く語られます。特にマーヴィン・ゲイがそれまでのモータウンの方針だった社会に対する批判を歌うことは禁止という掟を破りメーッセージ・ソングを作って歌うくだりは実に興味深かったです。

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また1960年代当時の人種差別や性差別が生々しく語られ、また当時の映像も流され、今のアメリカにタイムスリップしたようでした。

 

洋楽を聴き始めると、嫌が上でも飛び込んでくる単語「モータウン」。それだけソウル系の音楽では欠かせない存在でした。こうして懐かしい映像を観られたことで大満足の2時間でした。

 

ベリー・ゴーディーもスモーキー・ロビンソンも元気いっぱいで驚きました。

 


映画『メイキング・オブ・モータウン』予告編


映画『メイキング・オブ・モータウン』9.18(金)<超貴重!スティーヴィー・ワンダー 幼少期のライブ映像>

 

それでは今日はこの辺で。

 

この人の、この1枚『キャンド・ヒート(Canned Heat)/キャンド・ヒートの魂(Living The Blues)』

今日の「この人の、この1枚」は前回に引き続きキャンド・ヒート(Canned Heat)『キャンド・ヒートの魂(Living The Blues)』です。

 

日本盤にはすごいタイトルがついています。キャンド・ヒートのレコードが最初に発売されたのがアメリカでのサード・アルバムLiving The Blues』です。アルバム・ジャケットも違っています。リリースは1968年でした。

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Side A

1.Pony Blues

2.My Mistake

3.Sandy's Blues

4.Going Up the Country

5.Walking by Myself

6.Boogie Music

 

Side B

1.One Kind Favor

2.Parthenogenesis

I Nebulosity

II Rollin' and Tumblin'

III Five Owls

IV Bear Wires

V Snooky Flowers

VI Sunflower Power (RMS Is Truth)

VII Raga Kafi

VIII Icebag

IX Childhood's End

 

Side C

Refried Boogie (Part I)

 

Side D

Refried Boogie (Part II)

 

メンバーは前作と変わらず

Bob Hite – vocals

Alan Wilson – slide guitar, vocals, harmonica, jaw-harp

Henry Vestine – lead guitar

Larry Taylor – bass, congas

Adolfo de la Parra – drums

 

アディショナル・ミュージシャンとして

ドクター・ジョン(Dr. John ,horn arrangements, p on A6)

ジョン・ファヒー(John Fahey ,g,on B1)

ジョン・メイオール(John Mayall ,piano on A5 & B.2IV))

ジム・ホーン(Jim Horn ,flute on A4)

ジョー・サンプル(Joe Sample ,p on A3)

 

プロデュースはスキップ・テイラー(Skip Taylor)です。

 

A1はチャーリー・パットンの曲でヴォーカルはボブ・ハイト。

A2はアラン・ウィルソンの曲。

A3はボブ・ハイトの曲。

A4のゴーイング・アップ・ザ・カントリー」は映画ウッドストックのオープニングで流れて有名になり、ビルボードの11位にランクされました。ヴォーカルはアラン・ウィルソン、独特の声です。

A5はジミー・ロジャースの曲。

A6の曲の後にちょっとだけヴァイオリンとギターの演奏が聞こえてきますが、これはヘンリー・シムズとチャーリー・パットンの「カム・バック・コリーナ」の一節だそうです。

B1はブラインド・レモン・ジェファーソン。

B2は組曲風のオリジナル。ギターでジョン・ファヒー、ピアノでジョン・メイオールが参加しています。

レコードの2枚目は両面を費やしてのライヴ・レコーディングです。この前にクリームの『Wheels of Fire』が発売されていましたが、それと同じく1面ライヴです。

この時のライヴの模様が1971年にアルバム『Live At Topanga Corral』というタイトルで発売されました。実に素晴らしいライヴアルバムです。しかし、このタイトルは虚偽で実際には同じカレイドスコープでのライヴでした。随分後になって『Live At The Kaleidoscope 1969』として再発されました。どうやらレコード会社のリバティはライヴ・アルバムを出したくなかったようなので、スキップ・テイラーが録音場所を偽ってワンド・レコードからリリースしたとリバティには報告したのです。

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このアルバムでキャンド・ヒートはブルースに留まらず、新たなロックを目指して変革を始めました。ボブ・ハイトは歌が一段とうまくなりました。

 

翌年、4作目『ハレルヤ(Hallelujah)』をリリースしますが、それは次回に回します。

 


Canned Heat - Pony Blues


Sandy's Blues


Going Up The Country (Remastered 2005)


Canned Heat - One Kind Favor

 

それでは今日はこの辺で。

聴き比べ 『想い出の渚』

今日の「聴き比べ」はザ・ワイルドワンズの大ヒット曲、『想い出の渚』です。

またしてもGSソングで恐縮です。

ワイルドワンズグループサウンズ・ブームのさきがけでした。メンバーは加瀬邦彦、鳥塚茂樹、植田芳暁、島英二の4人で、後にチャッピーこと渡辺茂樹が加入します。このチャッピーが加入してから女性ファンから「キャー、キャー」騒がれるようになりました。それまでは比較的男子に人気があったように思います。

タイガースやテンプターズと違って爽やかさが売り物のグループでした。早稲田、立教、慶応などの大学出身者がいてカレッジ・ポップスのようなグループでした。紅白歌合戦にも出場が認められた、グループサウンズでは数少ないグループでした。その他ではレコード大賞を受賞したブルー・コメッツくらいでした。

この『想い出の渚』は彼らのデビュー曲です。この時は4人のメンバーでした。作詞が鳥塚茂樹で作曲は加瀬邦彦でした。実に爽やかな曲でした。夏の定番です。

ワイルドワンズはこの後『青空のある限り』『愛するアニタ』、チャッピーが加入してからの『バラの恋人』などがヒットしました。

 

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想い出の渚

島塚繁樹:作詞

加瀬邦彦:作曲

  

君を見つけた この渚に

ひとりたたずみ 想い出す

小麦色した 可愛いほほ

忘れはしない いつまでも

水面(みなも)走る 白い船

長い黒髪 風になびかせ

波に向かって 叫んで見ても

もう帰らない あの夏の日

 

長いまつげの 大きな瞳が

僕を見つめて うるんでた

このまま二人で 空の果てまで

飛んで行きたい 夜だった

波に向かって 叫んで見ても

もう帰らない あの夏の日

あの夏の日

あの夏の日

 


♪視聴No.5 ザ・ワイルド・ワンズ The Wild Ones/想い出の渚 Omoide No Nagisa (1966年)

 

この曲を1976年にキャンディーズがカバーしました。ライブです。


想い出の渚 CANDIES

 

1978年にはザ・ハンダースハンダースの想いでの渚』としてカバーしました。ハンダース清水アキラ、桜金蔵、あご勇らのお笑いグループです。


ザ・ハンダース/ハンダースの想い出の渚(1978年)

 

そしてここでもMI-KEがカバーしています。鳥塚茂樹も参加しています。


想い出の渚 Mi・Ke

 

懐かしいの一言です。

 

それでは今日はこの辺で。

 

 

 

 

 

この人の、この1枚『キャンド・ヒート(Canned Heat)/ブギー・ウィズ・キャンド・ヒート(Boogie With Canned Heat)』

今日の「この人の、この1枚」はキャンド・ヒート(Canned Heat)『ブギー・ウィズ・キャンド・ヒート(Boogie With Canned Heat)』です。

 

このブログを始めた頃に、『ブルースロックの名手たち』というシリーズで何組かのアーティストをまとめて紹介した記事を書いていました。個別のアーティストについて詳しく触れられなかったので、改めて彼らのアルバムを何枚かづつ紹介したいと思います。まさかこんなにブログを続けることになるとは思ってもいませんでしたので、とにかく多くのバンドをいっぺんに書きたかったのでしょう。今読み返したらこの頃は読者の方もほとんどいませんでした。

lynyrdburitto.hatenablog.com

ということで、今日はキャンド・ヒートのセカンド・アルバム『ブギー・ウィズ・キャンド・ヒート(Boogie With Canned Heat)』を取り上げます。

 

キャンド・ヒートの結成は1965年、ロサンゼルスです。デビュー・アルバムは1967年の『Canned Heat』です。結成からデビュー・アルバムまでの間にメンバー変遷があり、デビュー・アルバム時のメンバーは

ボブ・ハイト(Bob “The Bear” Hite, vo)

アラン・ウィルソン(Alan”The Blind Owl” Wilson, g, vo,harmonica)

ヘンリー・ヴェスティン(Henry “The Sunflower” Vestine, g)

ラリー・テイラー(Larry Taylor, b)

フランク・クック(Frank Cook, ds)

 

中心メンバーはボブ(熊)アラン(フクロウ)です。二人とも熱心なブルース愛好家でした。ボブはレコード・コレクターとしても知られていました。ボブの家でブルースのレコードを聴いていると楽器を持っていた連中が演奏を始めました。これがキャンド・ヒートの始まりです。そこにアランもいました。ベンチャーズドン・ウィルソンの弟です。アランはほとんど盲目に近いド近視でした。それで「盲目のフクロウ」というニックネームがついています。ちなみにボブは大変な巨漢で「熊」というニックネームでした。ジョン・ファヒー(John Fahey)もいました。ただし彼はすぐ辞めて、代わりにマザーズ・オブ・インベンションからヘンリー・ヴェスティンが加入しました。ラリー・テイラーベンチャーズのメル・テイラーの弟でモンキーズのセッション・ベーシストでした。フランク・クックはジャズ・ミュージシャンとの共演が豊富なドラマーでした。

デビュー・アルバムは全曲ブルースのカヴァーでした。このアルバムの直前には『モンタレー・ポップ・フェスティバル』に出演していました。その影響もあるのか、このアルバムは当時ブルースなど黒人の間でも人気がなかったのですが、ビルボードの76位と大健闘でした。

 

そしてドラムがフランクからアドルフォ・デ・ラ・パーラ(Adolfo"Fito" de la Parra ,ds)に代わって1968年にセカンド・アルバム『ブギー・ウィズ・キャンド・ヒート(Boogie With Canned Heat)』がリリースされました。

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Side A

1.Evil Woman

2.My Crime

3.On the Road Again

4.World in a Jug

5.Turpentine Moan

6.Whiskey Headed Woman No. 2

 

Side B

1.Amphetamine Annie

2.An Owl Song

3.Marie Laveau

4.Fried Hockey Boogie

 

アディショナル・ミュージシャンで

ドクター・ジョン(Dr. John ,horn arrangements, p)ブルースマンサニーランド・スリム(Sunnyland Slim ,p)が参加しています。

 

プロデュースはスキップ・テイラー(Skip Taylor)ダラス・スミス(Dallas Smith)です。

 

アルバム・ジャケットが日本盤とアメリカ盤では違っています。よくあることです。日本では先にサード・アルバムが紹介されました。キこのセカンド・アルバムはその後に『ニュー・ロック・ベスト・シリーズ』として東芝リバティから発売されました。

 

このアルバムはファーストと打って変わってA1を除いてその他はすべてキャンド・ヒートのオリジナルです。A3の「オン・ザ・ロード・アゲイン」は彼らの代表曲の一つでブルースマンのフロイド・ジョーンズが1953年に録音したものをアラン・ウィルソンが焼き直したもので、これが全米16位、全英8位のヒットとなりました。ヴォーカルはアランで、彼の蜂のようなだと言われたファルセットは一度聴いたら忘れられません。多くの著名な黒人ブルースマンはアランのハーモニカは史上最高だと絶賛しています。B1は薬物使用に対する警告です。

 

この頃のアメリカのブルースバンドと言えばポール・バターフィールド・ブルースバンドがいますが、彼らはシカゴ・ブルースを基本としていましたが、キャンドヒートはどちらかというとそれ以前のミシシッピ・デルタ地帯のデルタ・ブルースを基本に置いていました。

 

この後、2枚組のサード・アルバム『Living the Blues』がリリースされますが、それは次回に回します。

 


Canned Heat - Boogie With Canned Heat - 01 - Evil Woman

 


Canned Heat - On The Road Again [HQ]


Turpentine Moan


Canned Heat - Boogie With Canned Heat - 08 - An Owl Song

 

 それでは今日はこの辺で。

 

映画『ミッドウェイ』を観る

今日のキネ旬シアターは『ミッドウェイ』でした。

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監督:ローランド・エメリッヒ

出演:エド・スクラインパトリック・ウィルソン豊川悦司浅野忠信

製作:2019年 アメリカ 2020年日本公開

 

この映画は太平洋戦争中の1942年の激戦『ミッドウェイの海戦』を描いた映画です。

アメリカ合衆国の製作映画です。日本からも一線級の俳優が出演しています。監督は『インディペンス・デイ』GODZILLAを撮った監督です。

 

映画の始まりは1937年12月。アメリカ海軍の駐日武官レイトンは海軍総司令官の山本五十六と会話を交わします。「アメリカは日本をこれ以上刺激しないように」と。

 

しかし4年後、1941年12月7日、日本海軍はハワイの真珠湾を攻撃し太平洋戦争の火ぶたは切って落とされました。

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アメリカ軍は1942年2月、マーシャル諸島の日本軍基地を爆撃、さらに4月には日本本土を空爆します。

日本本土を空爆されたことに衝撃を受けた山本はMI作戦(ミッドウェー島の攻略、米空母部隊撃滅)を開始します。しかし、この作戦はアメリカ軍に傍受され、暗号は解読されていたのです。

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激戦の末、日本海軍は空母4隻、重巡洋艦1隻、航空機289機を失い、戦死者は3057名に上る敗北を喫しました。この海戦が太平洋戦争の分岐点となり、これ以降日本軍は敗戦への道を辿ることになります。

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この映画は『ミッドウェイ海戦』に焦点を絞った戦争映画です。最新の技術を駆使した大スぺクタル映画です。この『ミッドウェイ海戦』についてはこれまでも何度か日本でもアメリカでも映画化されています。この映画の元になっているのはおそらく1976年のアメリカ映画『ミッドウェイ』だと思います。チャールトン・ヘストン三船敏郎主演の映画でした。それから比べれば映画の技術の発達に驚かされます。まるで『GODZILA』を観ているようでした。次々に繰り広げられる戦闘シーンにやや疲れました。

命を顧みず戦ったアメリカ軍の将校・兵士を讃える映画でした。

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疑問が一つ。どうして今頃アメリカでこんな映画が撮られたのでしょうか。どうしても変な勘繰りをしたくなってしまいます。

 

話は変わりますが、もう随分前にアメリカ人が書いた、日本が太平洋戦争に至る歴史を書いた書籍大日本帝国の興亡』文庫本全5巻を夢中で読んだことがありました。著者はジョン・トーランドでこの人は他にも戦史物を多く書いています。彼はこの本でピュリッツァー賞を受賞しました。

この本は二・二六事件から敗戦までを克明に描いています。アメリカ人がここまで詳しく日本の当時の状況を調べ、しかも一方的に日本を悪として描くのではなく、あくまでも史実に忠実に描いていたことに感銘したことを覚えています。詳しい内容はさすがに忘れましたが、面白くて一気に読み、他の著作、『アドルフ・ヒトラー』や『バルジ大作戦』なども読んでしまいました。

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今日の映画はそういった史実とかには関係なく、あくまでも戦争スペクタル映画として鑑賞した方がよさそうです。

 

またまた話は変わって、小学生の頃、漫画でも戦争物が大流行で『ゼロ戦はやと』や『紫電改のタカ』など多くの子供向け漫画が少年雑誌で連載され、テレビでも放送されました。私も夢中で読んだ記憶があります。またプラモデルもブームで、作るのは戦闘機、戦車、戦艦でした。まだあの頃は戦争が一部美化されていたのでしょうか。子供はそんなものにあこがれていたのです。今思えば恐ろしいことでした。

 


映画『ミッドウェイ』予告編

 

なお。今日の観客数は4人でした。やはり戦争物は人気がないのでしょうか。それともコロナのせい?

 

それでは今日はこの辺で。

 

聴き比べ R.チャールズとJ.コッカー『Unchain My Heart』& 訃報 S・コネリー

今日の「聴き比べ」はアンチェイン・マイ・ハート(Unchain My Heart)』です。

 

この曲は1961年にレイ・チャールズ(Ray Charles)によってヒットしました。

レイ・チャールズと言えば知らない人はいないくらいの超有名人です。「I Got A Woman」「What'd I Say」「Georgia on My Mind」などのヒット曲が数多くあります。

この「Unchain My Heart」もその代表曲の中の1曲です。

 

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Unchain My Heart

by  Robert L Sharp & Teddy Powell

 

Unchain my heart, baby let me be

Unchain my heart because you don't care about me

You've got me sewed up like a pillowcase

But you let my love go to waste so

Unchain my heart, oh please, please set me free

Unchain my heart, baby let me go

Unchain my heart, because you don't love me no more

Every time I call you on the phone

Some fella tells me that you're not at home so

Unchain my heart, oh please, please set me free

 

I'm under your spell like a man in a trance

But I know darn well, that I don't stand a chance so

Unchain my heart, let me go my way

Unchain my heart, you worry me night and day

Why lead me through a life of misery

When you don't care a bag of beans for me

So unchain my heart, oh please, please set me free

 

I'm under your spell like a man in a trance

But I know darn well, that I don't stand a chance so

Unchain my heart, let me go my way

Unchain my heart, you worry me night and day

Why lead me through a life of misery

When you don't care a bag of beans for me

So unchain my heart, please, please set me free

 

(please set me free)

Oh won't you set me free

(please set me free)

Woah, set me free

(please set me free)

Woowow, set me, free little darling

(please set me free)

Oh won't you set me free

 


Unchain My Heart

 

この曲を1987年にジョー・コッカー(Joe Cocker)がカバーしました。アルバム名もこの曲のタイトル通りです。

ジョー・コッカーについてはこれまでも何度か書いてきていますが、1980年代以降はAOR分野で人気を博しました。

lynyrdburitto.hatenablog.com


Unchain My Heart

 

ジョー・コッカーらしい歌唱が素晴らしい。

 

今日この記事を書いているときにまたしても訃報が飛び込んできました。

イギリスの俳優、ショーン・コネリーが亡くなりました。90歳でした。

初代ジェイムス・ボンドです。私が最初に観た『007シリーズ』は第3作目のゴールドフィンガーでした。小学生でした。女体に金粉を塗るシーンなどハラハラドキドキだったのを思い出します。皮膚に金粉を塗ると死ぬんだ、などと信じ込んでいました。ショーン・コネリーは全部で7作品でボンド役を演じました。私などはボンドと言えばショーン・コネリーでした。どちらが役名かわからなくなることさえありました。

その他にも1971年のクラウディア・カルディナーレとの『SOS北極... 赤いテント』も印象的でした。エンニオ・モリコーネの音楽が最高でした。

また一人、名優が逝ってしまいました。

心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。

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それでは今日はこの辺で。

聴き比べ 『ケセラセラ (Que Sera, Sera) 』

今日の「聴き比べ」はドリス・デイ(Doris Day)ケセラセラ (Que Sera, Sera) 』です。

 

ドリス・デイ映画女優でありジャズ・歌手でもあります。センチメンタル・ジャーニーは代表曲です。並んで彼女の代表曲の一つがこのケセラセラ (Que Sera, Sera) 』です。

この曲は1956年のヒッチコック映画『知りすぎていた男』の主題歌です。主演はジェイムス・スチワートとドリス・デイでした。昔ビデオで観ましたが面白かったですね。ヒッチコック映画はどれを見ても面白いです。

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この主題歌はアカデミー歌曲賞を受賞しました。私もドリス・デイのレコードは何枚か入手しました。

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Que Sera, Sera

by  Jay Livingston & Ray Evans

 

When I was just a little girl

I asked my mother

What will I be

Will I be pretty

Will I be rich

Here's what she said to me

 

Que sera, sera

Whatever will be, will be

The future's not ours to see

Que sera, sera

What will be, will be

 

When I grew up and fell in love

I asked my sweetheart

What lies ahead

Will we have rainbows

Day after day

Here's what my sweetheart said

 

Que sera, sera

Whatever will be, will be

The future's not ours to see

Que sera, sera

What will be, will be

 

Now I have Children of my own

They ask their mother

What will I be

Will I be handsome

Will I be rich

I tell them tenderly

 

Que sera, sera

Whatever will be, will be

The future's not ours to see

Que sera, sera

What will be, will be

Que Sera, Sera

 


Doris Day - Que Sera Sera

 

コニー・フランシスがカバーしました。


Que Sera Sera (1962) Connie Francis

  

私の好きなメリー・ホプキンもカバーしました。


ケ・セラ・セラ/メリー・ホプキン Que Sera Sera/Mary Hopkin

 

最近気に入っているホリー・コールです。ジャズです。


Holly Cole • Que Sera Sera

 

日本ではペギー・葉山です。ペギーさんの『南国土佐を後にして』の記事を書いていてこの曲を思い出しました。

 

訳詞:音羽たかし

 

わたしの小さい時ママに聞きました

美しい娘になれるでしょうか

ケ・セラ・セラ

なるようになるわ

先のことなど 判らない

判らない

 

大人になってから あの人に聞きました

毎日がしあわせに なれるでしょうか

ケ・セラ・セラ

なるようになるさ

先のことなど 判らない

判らない

 

子供が出来たら そのベビーが 聞きます

美しい娘になれるでしょうか

ケ・セラ・セラ

なるようになるわ

先のことなど 判らない

判らない

ケ・セラ・セラ


Peggy Hayama - QUE SERA ,SERA

 

雪村いずみさんもカバーしていますが、これも歌詞が違います。


ケ・セラ・セラ 雪村いづみ

 

懐かしのゴールデン・ハーフです。これも歌詞違いです。


ゴールデン・ハーフ ケ・セラ・セラ 1970 / Que Sera Sera

 

まあ、なるようになるか。

 

それでは今日はこの辺で。