Flying Skynyrdのブログ

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思い出のテレビ 大相撲編

思い出のテレビ、今回は大相撲で楽しみます。双葉山千代の山も見てはいませんが、「柏鵬時代」から見続けていました。

昭和30年代後半から昭和40年代に活躍した、印象に残っている力士たちを取り上げたいと思います。と思ったのですが、数が多すぎますので歴代の横綱から行って、次に大関になった力士に限って見たいと思います。大関以上でもあまり印象の無い、もしくは好きでもない力士は除きます。あくまでも私の主観で選びます。

 

若乃花(初代) 第45代横綱

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「土俵の鬼」と呼ばれた若乃花ですが、引退が昭和37年5月ですから、現役の姿をおぼろげながら覚えている程度です。私が覚えている頃は良く負けていました。「栃若時代」の栃錦の現役姿は憶えていませんので強かった頃の若乃花は見ていません。体重は僅か107kgと言いますから、小さかったですね。戦後最軽量横綱。優勝10回。

 

朝 潮  第46代横綱

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朝潮太郎。徳之島出身。テレビで観始めた頃は既に横綱でした。この人は好きでしたが、強かったイメージはありません。大関の頃は強かったらしいのですが、横綱になってからは優勝1回、在位16場所で引退です。濃い顔と胸毛が特徴で日本人離れしていました。優勝5回。

 

柏 戸  第47代横綱 

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柏戸剛。一番好きな横綱でした。強い時はめっぽう強いのですが、負ける時はめっぽう脆い。勝つときの相撲は前みつを取って一気に寄り切ります。そのスピードの凄さには誰もついて来れません。大鵬と共に「柏鵬時代」を築きました。あの大鵬との対戦成績でも16勝21敗と互角の戦いをしています。大鵬に16回勝ったのは柏戸だけです。優勝は5回と少なかったですが記憶に残る名横綱でした。昭和44年7月場所で引退。

 

 

大 鵬  第48代横綱

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大鵬幸喜。当時のイケメンで女性や子供に大変な人気で、当時の子供の人気は「巨人・大鵬・卵焼き」と言われるくらい人気がありました。男性はどちらかというと柏戸好きが多かったように思います。とにかく強かった。憎らしいくらい強くて、柏戸ファンの私にとっては天敵のような存在でした。決して破られないだろうと言われた32回の優勝でしたが、白鳳に抜かれてしまいました。柏戸が剛とすると大鵬は柔でした。

 

栃の海  第49代横綱

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小さな横綱でした。大関時代は強かった印象ですが、横綱になってからは怪我もあったでしょうがよく負けていました。クンロクどころかハチナナ横綱などと言われたこともありました。技は多彩で特に外掛けが上手かった印象があります。昭和41年暮引退。優勝3回。横綱では1回でした。

 

佐田の山  第50代横綱

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地味な横綱だった印象があります。平幕優勝、関脇での優勝があります。通算優勝回数6回。昭和43年3月場所で引退。引退後は政治力があったのか理事長に就任しています。大鵬ファンだった私の祖母は、佐田の山大鵬に勝つと、佐田の山のことを「サダコー」と呼んでいました。

 

玉の海  第51代横綱

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横綱になるまでは「玉乃島」でした。北の富士とともに「北玉」時代を築きました。北の富士との対戦成績は21勝22敗でした。まさにライバルでした。大鵬も既に晩年でこの二人の優勝争いが続けられました。ところが昭和46年の10月、虫垂炎の手術後肺血栓を起こしあっけなく死亡してしまいました。これには驚きました。今でも当時のことが蘇ってきます。優勝はこの時点で6回でしたが、この先何回優勝するのだろうと相撲ファンは楽しみにしていたところでした。ライバル北の富士の落胆ぶりは凄かったようです。惜しい横綱を亡くしました。

 

北の富士  第52代横綱

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玉の海の好敵手、北の富士です。今でも解説でおなじみの人です。「北玉」時代は玉ノ海の死によってあっけなく終わりました。その後は一人横綱を務めます。玉の海の死後直後の場所では優勝するものの、その後は不振が続きます。その後2回の優勝を果たすも昭和49年は初場所から休場が続き、結局7月場所で引退しました。優勝回数10回。イケメンで女性ファンが多く、歌手としても歌番組などに出演していました。

 

琴 櫻   第53代横綱

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大関在位32場所、32歳での横綱昇進でした。これは長くはないな、と思っていましたが案の定、昭和48年7月場所、在位8場所で引退しました。あんこ型の体形で技などなく、ぶちかましとのど輪で押していくという、あまり面白みのない相撲でした。優勝5回。

 

輪 島  第54代横綱

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輪島大士は史上初の大学卒横綱でした。「黄金の左」は左からの下手投げが得意で、その破壊力も抜群でした。相撲界そのものが新しい時代に入ったな、ということをなぜか感じさせられた横綱でした。輪島時代はいつまで続くのだろうと、思わせるくらいの強さでした。優勝14回。その後親方になるも、金銭トラブルで角界追放、プロレス転向、そして70歳で死去。波乱万丈の人生でした。

 

北の湖

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輪島の一人勝ちに終止符を打ったのが、この人、北の湖でした。18歳7カ月で新入幕を果たし、2年後には大関昇進、昭和49年7月場所後に21歳2カ月で最年少横綱昇進を果たしました。昭和40年代最後の横綱昇進になりました。この後昭和50年代はは輪島との「輪湖時代」が始まります。優勝回数24回。数々の記録を打ち立てました。理事長就任も平成27年、62歳で惜しまれながら亡くなりました。この人が生きていれば相撲界ももう少しよくなっていたかもしれません。

 

ここまで横綱になった人を見てきました。この後は名大関と呼ばれた人たちを見てみたいと思います。

 

 

北葉山

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侍のような風貌でカッコよかった。うっちゃりという技をこの人の相撲で初めて知りました。おそらく柏戸戦だったと思います。テレビで観ていて軍配が北葉山に上がって、決まり手がうっちゃりと聞いて不思議な気持ちになりました。大関在位30場所は当時の記録でした。晩年は勝ち越しがやっとでした。昭和41年5月場所引退。優勝1回。

 

琴ヶ浜

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内掛けの琴ケ浜。とにかくこの技がよく決まりました。がっぷりよつになると、必ず足が出てきて相手を倒します。まさに必殺技でした。これだけでも記憶に残った大関でした。昭和37年12月場所引退。

 

栃 光

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白鵬時代の名大関。優勝こそありませんでしたが、いつもそこそこの成績を収めていたような印象があります。同門の栃ノ海横綱になりましたが、栃光はついになれませんでした。昭和41年1月場所で、3場所連続負け越しで大関陥落と同時に引退(当時は3場所連続負越しで陥落だった)。

 

若羽黒

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あんこ型力士。あまり強かった印象はありません。憶えているのは大関を陥落してからかもしれません。大関時代に優勝1回。昭和40年3月場所で引退。

 

豊 山

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新入幕まで本名の「内田」で土俵に上がっていました。東京農大から鳴り物入り角界入りしました。十両を2場所で通過、新入幕から大関まで7場所で大関昇進。大学卒初の大関となりました。昇進後の場所は負越すも、翌場所は13勝と力を発揮しますが、そのあともここ1番で勝てず、遂に横綱にはなれませんでした。昭和43年9月場所で引退。未完の大器でした。

 

貴ノ花(初代)

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角界のプリンス」と呼ばれた貴ノ花。初代若乃花の弟です。若貴の父です。中学時代は水泳でオリンピックの候補選手でもありました。「水泳ではメシが食えない」と兄に頼み込んで角界入り。兄は反対でしたが母親の説得で入門しました。兄は特別厳しく指導しました。貴ノ花はその天性の足腰の柔軟さと運動神経の良さで頭角を現し、昭和43年9月場所で十両優勝を果たし入幕。その後故障などで再び十両。再入幕後は昭和47年11月場所から大関昇進。昭和46年には大鵬に勝って、大鵬に引退を決意させました。優勝も2回しましたが横綱にはなれませんでした。今度は日の出の勢いの千代の富士に負けて引退を決意しました。その千代の富士貴ノ花の息子に引退を決意させられるのです。

 

 

記憶に残る個性は力士たち

 

大関にはなれませんでしたが記憶に残っている個性的な力士を何人か紹介します。

 

明武谷

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「起重機」と呼ばれ、上手をとったら吊り上げるという得意技で人気がありました。やせ形で色男。女性に人気がありました。最高位は関脇。昭和44年11月場所引退。

 

 

岩 風

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「潜航艇」の異名をもつ岩風。相手の懐に潜り込むのが得意。最高位は関脇。その後は十両まで落ちて昭和40年9月場所で引退。

 

海乃山

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「曲者」海乃山。けたぐりが得意で、何をやってくるかわからない力士でした。それが魅力でした。今日は何をやってくるかな、と彼の相撲はいつも楽しみでした。大鵬を破ったこともあります。最高位は関脇。昭和45年1月場所で引退。

 

 

若 浪

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平幕優勝者。体は小さいが、力は強く、どんな相手でも吊り上げてしまう。それとうっちゃりも得意でした。実に個性的な力士でした。最高位は小結。昭和47年3月場所、十両で引退。

 

秩父

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なぎらけんいちの歌にも出てくる若秩父。といっても、私が知っている若秩父は弱い頃の若秩父でいつも負けていたような記憶があります。典型的なあんこ型力士でした。最後の頃はずっと十両だったような気がします。塩をいっぱい撒くのが有名でした。最高位は関脇。昭和43年11月場所で引退。

 

出羽錦

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この人も知っているのは晩年です。若秩父とは反対に、塩をちょこっと撒きます。解説の他テレビ番組にも多く出演していました。最高位は関脇。昭和39年9月場所引退。

 

房 錦

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近所のお姉さんがファンでした。

 

鶴ヶ嶺

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もろ差し得意の鶴ヶ嶺逆鉾、寺尾の父親です。

 

安念山

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いい男でファンも多かった。小結で優勝しています。もう1歩のところで大関になれませんでした。

 

 最後の頃はいい加減になってしまいました。さすがに疲れました。いろいろ思い出してくるのですが、記憶が曖昧なのでこの辺にしておきます。

 

プロ野球選手と相撲取りはベーゴマに名前が刻まれていましたのでよく名前だけは憶えています。それとメンコにもなっていたので、テレビでは見ていなくても名前だけは良く知っていました。

栃錦鏡里千代の山吉葉山などなど、どんな力士だったのか大人に聞くのが楽しかったです。懐かしい昭和の1ページでした。古すぎて誰も読まないでしょうね。

 

大好きだった千代の富士が登場してくるのはもう少し先でした。

 

 

それでは 今日はこの辺で。