Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

聴き比べ  『シバの女王』 & 訃報

昨日から今朝にかけて訃報が相次ぎました。作曲家の中村泰士さん(81歳)と作詞家のなかにし礼さん(82歳)です。またしても昭和の歌謡曲を彩った大作詞・作曲家が亡くなってしまいました。「昭和は遠くなりにけり」です。「喝采」「石狩挽歌」「人形の家」「別れの朝」・・・。数え上げたらきりがありません。

謹んでお悔やみ申し上げます。合掌。

 

さて、今日の「聴き比べ」はシバの女王です。

 

日本では1960年代から70年代にかけてイージーリスニングという音楽ジャンルが流行しました。映画音楽などをアレンジしてオーケストラが演奏するインストルメンタル楽曲です。言ってみればBGMのような音楽です。ポピュラー音楽としてひとくくりされていたと思います。

 

その代表的な楽団がポール・モーリアやレイモン・ルフェーブル、パーシー・フェイスなどでした。その中でもレイモン・ルフェーブル楽団シバの女王は大ヒットしました。

レイモン・ルフェーブルはフランスの作曲家、編曲家、指揮者、ピアニスト、フルート奏者です。日本ではこの曲のヒットでポール・モーリアと並んで一躍有名になりました。

 

この曲は元々1967年にミシェル・ローランの作詞・作曲によるシャンソンでした。

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La Reine De Saba

 

Oui! Qu'elle revienne.

Oui! Qu'elle m'entraine.

Cette folie qui avait bouleverse ma vie.

Je le questionne. Mais il déraisonne.

Ce cœur perdu dans l'infini du souvenir.

Viens reprendre ton royaume.

Toi, la reine de Saba.

Reviens me faire l'aumône.

D'un petit peu de toi.

J'ai essaye de comprendre

un autre regard déjà

Mais je n'ai pas pu attendre

un autre bruit de pas.

 

Dis tu m'écoutes.

Tu es sans doute déjà partie

si loin de tous nos souvenirs.

Est-ce ma faute? Est-ce ta faute ?

Si malgre moi,

 

 

 


Michel Laurent _ Ma Reine de Saba

 

 

この曲を1969年にレイモン・ルフェーブルのカバーが日本で発売されると、これがバカ受けしました。ここからイージーリスニングの全盛期を迎えました。


シバの女王 レーモン・ルフェーブル La Reine de Saba  Raymond Lefevre

 

レイモン・ルフェーブル・バージョンがヒットすると、本家のミシェル・ローランが日本語で歌いました。訳詞は亡くなられたなかにし礼でした。

 

シバの女王

作詞・作曲:ミッシェル・ローレン(Michel Laurent)

訳詞:なかにし礼

 

あなたゆえ狂おしく

乱れた私の心よ

惑わされ 背かれて

とまどう愛の幻

私はあなたの愛の奴隷

生命も真心も

あげていたいの

あなたがいないと

生きる力も

失われてゆく 砂時計

 

思い出は遠すぎて

涙は今日も頬ぬらす

悲しみを連れながら

歩けば 影も重たい

私はあなたの愛の奴隷

たとえ嫌われても

愛しているわ

けれどもあなたが

帰る望みは

失われてゆく 砂時計


Michel Laurent _ シバの女王

 

さらに1972年にはアルゼンチンの歌手、グラシェラ・スサーナが歌ってヒットしました。歌入りバージョンでは彼女のバージョンが一番有名かもしれません。彼女のバージョンはタイトルが『サバの女王』となっています。


サバの女王 / グラシェラ・スサーナ

 

インストナンバーではポール・モーリア・バージョンも有名です。


シバの女王 ポール・モーリア  La Reine de Saba  Paul Mauriat

 

日本人も歌いましたね。今は亡き尾崎紀世彦さん。


尾崎紀世彦 サバの女王 1971 / La Reine de Saba

 

イージーリスニングというジャンルの確立に大きく貢献した曲でした。

 

 

それでは今日はこの辺で。