Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

この人の、この1枚 『あがた森魚/乙女の儚夢』

今日のこの1枚はあがた森魚『乙女の儚夢です。

あがた森魚の「赤色エレジー」を初めて聴いたのは、吉田拓郎がディスクジョッキーを務める深夜放送だったと記憶しています。その時の衝撃は半端じゃありませんでした。1971年頃だったと思います。

この曲は林静一の同名の劇画を歌にしたという事でした。歌詞の内容も驚きでしたが、メロディーも歌謡曲のような曲で、これがフォークなの?という不思議な感覚にとらわれました。

そしてこの曲は大ヒットし、テレビでも取り上げられるようになり、いろいろな歌番組にも出演していました。「夜のヒットスタジオ」にも出演していました。びっくりしましたね。長髪にジーパン、そして下駄ばきがなんともユニークでした。私も真似して下駄を履いていた時期がありました(恥ずかし)。当時のフォーク歌手はマスコミを毛嫌いし、テレビ出演を拒否するミュージシャンが多かったのですが、あがた森魚は積極的にテレビに出演していたように思います。

 

1972年にこの曲を含むアルバム『乙女の儚夢』が発売されました。当時の貧乏高校生の私には手が出ませんでした。大学に入ってからようやくアルバムを入手しました。

大正ロマンを現代風に表現したというアルバムは、「赤色エレジー」を聴いた時より衝撃的でした。もっとも大正ロマンがどういうものなのかというのもよくわかりませんでしたが。あがた森魚の決して上手くない歌ですが、震えるような歌い方と声が妙な哀愁を帯びて、この古臭い、男と女の世界にのめり込んでしまいます。

本人も言っているように、これは大正ロマンとブリティッシュ・トラッドフォークのフェアポート・コンベンションの名作アルバムフルハウスを下敷きにしているようです。アコーディオン、オルガン、バイオリン等の楽器の共通性以外にもメロディーラインにも似たものを感じさせました。

 

ジャケットの絵も林静一の作品で、見開きの変形ジャケットで素晴らしいのです。タイトル文字はあの赤瀬川原平です。

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Side A

1.乙女の儚夢

2.春の調べ

3.薔薇瑠璃学園

4.雨傘

5.女の友情

6.大道芸人

 

Side B

1.曲馬団小屋

2.電気ブラン

3.秋の調べ

4.赤色エレジー

5.君はハートのクイーンだよ

6.冬のサナトリウム

7.清怨夜曲

 

はちみつぱい鈴木慶一、渡辺勝、遠藤賢司友部正人鈴木茂らが参加しています。

 

 

A-1のタイトル曲からノックアウトです。まさに大正時代か昭和の初期なのかは判りませんが、その雰囲気は十分に感じられる詩の内容と哀愁をおびたメロディーです。こんな詩をよく書けたもんだと感心しました。おなかをすかした弟、妹のために万引きする乙女、おまわりさんに許しを請う、父親は逃げた女房が忘れられず酒に溺れ、お姉さんは廓街、錦紗の帯に頬紅つけて働きます。泣けてきます。

A-2は女性による詩の朗読です。

A-3はオルガンで始まる教会音楽のように始まり、やがてバンド演奏になってドラマティックにエンディングを迎えます。

A-4はオリジナル。寂しい弾き語りの曲です。

A-5は昭和初期の作曲家、田村しげるの曲で詞はこれまた昭和の作家、吉屋信子です。松島詩子と山野美和子が昭和の初めごろに歌ったものにあとから歌をかぶせたものと思われます。遠藤賢司が参加しています。まさに大正、昭和です。

A-6は林静一の詩です。大道芸人の口上が聴けます。これは現代風の曲です。

B-1はサーカスの口上が面白い。

B-2は電気ブラン。こんな酒があるのをこの時初めて知りました。浅草の神谷バーで売っていた酒。明治時代にはまだ電気が珍しく、それにブランデーを組み合わせて名付けられたようです。ブランデーベースのカクテルです。この酒の発案者、神谷伝兵衛は浅草の「神谷バー」以外にも茨城県牛久市にあるワイン醸造所、「牛久シャトー」も創設しました。

B-3はバイオリン演奏をバックに女性の詩の朗読です。

B-4は大ヒット曲。これもシングルとLPでは違っていると思います。さらに中津川のフォークジャンボリーでのライブ音源もまた違います。聴き比べると面白いです。ライブは荒っぽいのです。

B-5は友部正人参加の楽しい曲です。

B-6はあがた森魚が北海道から出てきた時の心境か。

B-6はこのアルバムでA-1と並ぶ名曲です。エレクトリックギターははっぴいえんど鈴木茂です。

 

これは当時の日本のロックやフォークのアルバムとしては珍しいトータルコンセプトアルバムでした。これ以後もあがた森魚はトータルアルバムにこだわり続けます。

 

このあとあがた森魚は1974年に『噫無情(レ・ミゼラブル)』を発表します。前作同様のコンセプト的アルバムで、これまた名盤でした。

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参加は松本隆鈴木茂鈴木博文後藤次利、橿渕哲郎、鈴木慶一岡田徹矢野誠、それに名女優の緑魔子たちです。

蒲田行進曲」などが収録されています。

 

1971、72年というと既に関西フォークのプロテストソングは下火になり、吉田拓郎泉谷しげる井上陽水かぐや姫などが人気を集めてきた頃です。そんな時に全く異色のあがた森魚の登場は衝撃的でした。そしてフォーク歌手のテレビ出演というのも画期的で、フォークソングがお茶の間に浸透していくきっかけにもなったのではないでしょうか。

やがてニューミュージックへと向かうニューフォークと呼ばれる音楽の過渡期だったのだと思います。私個人的にはまだまだプロテストソングに取りつかれていた時代でしたが。

あがた森魚はその後も素晴らしいアルバムを作り、また映画製作や演劇にと活躍の場を広げ活動しています。現在69歳、まだまだ頑張ることでしょう。

 そういえば『僕は天使ぢゃないよ』なんていう映画も見ましたね。


あがた森魚 - 乙女の儚夢


모리오 아가타 - 清怨夜曲


あがた森魚 - 星のふる郷

 

それでは今日はこの辺で。

 

ライヴ最高! 『デイヴ・メイソン(Dave Mason)/情念(Certified Live)』

デイヴ・メイソンは今でも新譜が出れば購入するアーティストの中の一人です。もっとも最近はあまり出していませんが。

そんな彼の1976年の2枚組ライブをチョイスしました。このライブ盤が出た翌年に彼は初来日を果たし、このライブ盤と同じような内容で感動した憶えがあり取り上げました。会場は中野サンプラザでした。

なお、デイブ・メイソンについては以前トラフィックの記事で触れていますので参考までにどうぞ。

lynyrdburitto.hatenablog.com

デイブ・メイソンはトラフィック脱退後もデラニー&ボニーのツアーに参加したり、トラフィックに入ったり出たりしていましたが、1970年にファーストソロアルバム、名作『Alone Together』を発表し、ソロ活動のスタートを切ります。

翌年にはママス&パパスのママキャス・エリオットとのコラボ・アルバム『Dave Mason & Cass Elliot』をリリースします。

その後、レコード会社のブルーサムとごたごたがあり『Headkeeper』(スタジオとライブ半々)と『Dave Mason Is Alive!』(ライブ)というなにやら中途半端な(私は好きです)アルバムをリリースしてブルーサムと縁を切ります。

    

そして新たにCBSと契約して、1973年に『It's Like You Never Left(忘れ得ぬ人)』をリリース、翌年に傑作『Dave Mason』、また翌年に『Split Coconut』をそれぞれ順調に発表します。

        

そして1976年にCertified Live(情念)の発表となります。

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Side 1

1.Feelin' Alright

2.Pearly Queen

3.Show Me Some Affection

4.All Along the Watchtower

 

Side 2

1.Take It to the Limit

2.Give Me a Reason Why

3.Sad and Deep as You

4.Every Woman

5.World in Changes

 

Side 3

1.Goin' Down Slow

2.Look at You, Look at Me

 

Side 4

1.Only You Know and I Know

2.Bring It on Home to Me

3.Gimme Some Lovin

 

メンバーはアルバム『Dave Mason』の時からの当時はMelonsと呼ばれた.、いわゆるDave Mason Bandのメンバーです。

 

デイヴ・メイソン(Dave Mason,g,vo)

ジム・クリューガー(Jim Krueger,g,vo)

マイク・フィニガン(Mike Finnigan,key,vo)

ジェラルド・ジョンソン(Gerald Johnson,b,vo)

リック・ジェーガー(Rick Jaeger,ds)

 

Side 1の1.は彼の曲の中でも1,2を争う有名な曲です。トラフィック時代の曲です。ジョー・コッカーも歌ってヒットさせています。

Side1の2はこれもトラフィック時代の曲ですが、作者はスティーヴ・ウィンウッドとジム・キャパルディです。これもおなじみの曲でスティーヴもデイヴもライブでよく取り上げます。デイヴのバージョンはスティーヴに比べアップテンポで軽快です。ギターのリフが毎度毎度でいいですね。

Side1の3.はアルバム『Dave Mason』から。

Side2の4.はジミヘンもカバーしたボブ・ディランの曲。デイヴはジミヘンにかなり影響を受けており、ここでのギターも痺れます。

Side2はアコースティック・サイドです。1.はご存じイーグルスのヒット曲。力の入ったヴォーカルです。

2.はアルバム『Split Coconut』から。『Split Coconut』の中では私が一番気に入っている曲です。出来れば泣きのエレキギターが聴きたかった。

3.はアルバム『Alon Together』から。『Dave Mason Is Alive』でも取り上げている名曲。またトラフィックの『Wellcome To The Canteen』にも入っています。泣かせます。この曲は驚くことにGov't Muleもカバーしているのです。

4.は『It's Like You Never Left』と『Dave Mason』と両方のアルバムに入っているほどのお気に入りのナンバーです。ここでは『It's Like You Never Left』と同じようにアコースティックで奏でます。

5.は『Alon Together』より。ここからエレクトリック・サイドに戻ります。

Side3の1.はバンドのメンバーによる演奏です。ブルースナンバー。

2.は『Alon Together』より。長尺演奏になっています。デイヴのギターがふんだんに聴けます。

Side4の1.はこれもデイブの代表曲。『Alon Together』からです。

2.はおなじみサム・クックの曲。アルバム『Dave Mason』でも取り上げています。

3.はスペンサー・デイヴィス・グループのスティーヴ・ウィンウッド作のヒット曲。8分に及ぶファンキーな演奏で締めくくられます。

 

聴きごたえ十分なアルバムです。そして翌年これが日本で再現されます。中野サンプラザでの日本公演、興奮の連続でした。

但し、このアルバム、当時はあまり気になりませんでしたが今聴くと音が悪いです。

この後、デイブ・メイソンは70、80年代はソロアルバムを、90年代に入るとちょっとの間フリートウッド・マックに加入したり、トラフィックのジムキャパルディとツアーを行ったりしていました。2000年代に入るとライブ活動がほとんどになり、スタジオアルバムは2008年までありませんでした。

 

なお、バンドのメンバーの内、ジム・クリューガーとマイク・フィニガンは後に『The DFK BAND』を結成します。また2人ともそれぞれソロアルバムも出しています。これらはまさかCD化されていないだろうと思ったら、マイク・フィニガンとDFKバンドはCD化されていました。驚きです。残念ながらジム・クリューガーはCD化されていませんでした。こんなところまで追っかけていました。物好きです。

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今現在71歳、まだまだいけますね。


Dave Masom All Allong The Watchtower (Certified Live).wmv

 


Dave Mason - Take It To The Limit

 

こちらはアルバム『Headkeeper』より。


Pearly Queen

それでは今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『J.ガイルズ・バンド(J.Geils Band)/悪魔とビニールジャングル(Nightmares...and Other Tales from the Vinyl Jungle) 』

ボストンのロックンロール馬鹿野郎、J.ガイルズ・バンドです。気持ちいいくらいのロックンロールむき出しです。

1968年に結成されたJ.ガイルズ・バンドは当初、J.ガイルズ・ブルース・バンドと名乗っていました。その当時のメンバーはJ.ガイルズ(J.Geils,g)、マジック・ディック(Magic Dick,harp)、ダニー・クライン(Danny Clein,b)の3人でした。そこにピーター・ウルフ(Peter Wolf,vo)ステファン・ジョー・ブラッド(Stephen Jo Bladd,perc)、セス・ジャストマン(Seth Justman,key)が加わり、J.ガイルス・バンドとしてスタートします。

1970年にファーストアルバムThe J.Geils Bandをリリースします。この頃はまだまだブルース色が強く、ジョン・リー・フッカーやオーティス・ラッシュ、アルバート・コリンズのカバーもありました。

ニューヨークのフィルモアにも出演し、徐々に人気も出て来ました。アルバムも順調にリリースされました。『The Mornig After』『Full House』『Bloodshot』『Ladies Invited』と続きます。

    Ladies Invited

 

そして、1974年に『Nightmares...and Other Tales from the Vinyl Jungle(悪魔とビニールジャングル)』がリリースされます。

  

Side A

1.Detroit Breakdown

2.Givin' It All Up

3.Must of Got Lost

4.Look Me in the Eye

5.Nightmares

 

Side B

1.Stoop Down #39

2.I'll Be Coming Home

3.Funky Judge

4.Gettin' Out

 

 A-1デトロイト・ブレイクダウン。いきなりピーター・ウルフのかっこいいヴォーカルが聴けます。ノリノリです。ピーター・ウルフはこの後、あの大女優フェイ・ダナウェイと結婚します。公私ともに絶頂期です。

A-2軽いノリのロックンロール。このバンドの曲は大半がセス・ジャストマンとピーター・ウルフの共作です。この曲も御多分に漏れず。

A-3は全米で大ヒットしJ.ガイルス・バンドの名を世界中にし知らしめた曲です。とにかくカッコいい。名曲間違いなしです。今でも時々聴きます。

A-4これまたノリのいいロックンロール。J.ガイルズのギターは目立たないように、目立たないようにと技としているようで、実は凄い。ソロはそれほど多くありませんが、リズムを刻むギターテクは気持ちいいです。

A-5は短い民族音楽のような曲。

B-1J.ガイルスのソロがたっぷり聴けます。このバンドの売り物の一つが、マジック・ディックのハープです。超絶です。

B-2はJ.ガイルス・バンドにしては珍しいタンゴ調の曲。

B-3マジック・ディックのハープを堪能。

B-4これがこのアルバムの一番の聴かせどころでしょうか。全員のプレイが素晴らしい。緊張感のあるメロディーとそれぞれのソロパートがマッチ。

 

このあとHotlineを挟んで2枚組ライブアルバムBlow Your Face Out (狼からの一撃)がリリースされます。

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J.ガイルズ・バンドは何といってもライブです。前述の『Full House』と共にこのライブ盤は圧巻です。

 

この後、Monkey Island』『Sanctuary』『Love Stinks』『Freeze Frame』『Showtimeとアルバムを出して、ヒットにも恵まれますが、音楽性は変わっていきました。特に「Centerfold(堕ちた天使)」は全米1位を記録します。かつてのようなロックンロール一本やりではなく、レコード会社が変わったという影響もあるのか産業ロックっぽくなっていきました。

    

さらにピーター・ウルフが1983年にソロ活動のため脱退しました。脱退後1枚のアルバムを出しますが、鳴かず飛ばずに終わり1985年活動停止になりました。

 

その後何度か再結成しライブ活動などをしていましたが、昨年の4月にJ.ガイルズが自宅で亡くなりました。71歳でした。これでJ.ガイルズ・バンドは事実上消滅しました。

 

アメリカのストーンズなどとも呼ばれた、ロックンロール一筋の貴重なバンドでした。

 


Must Of Got Lost

 


J. Geils Band - Gettin' Out

 

J.ガイルズの冥福を祈りつつ、今日はこの辺で。

この人の、この1枚 『ジェスロ・タル(Jethro Tull)/スタンド・アップ(Stand Up)』

ジェスロ・タル(以下、タル)を初めて聴いた時の衝撃は今でも忘れられません。ブルースか、ジャズか、ロックか、フォークか、すべて当てはまるようで、すべて当てはまらない、不思議なバンドでした。イアン・アンダーソンのフルートとヴォーカルを前面に押し出した音楽は初めて耳にするようなロック・ミュージックでした。現に彼らはニューポート・ジャズ・フェスティバルで人気を博したように、ロックのライブよりもジャズのフェスティバル等に主演する機会のほうが多かったのです。イアン・アンダーソンの尊敬する人物がローランド・カークということですから、さもありなんです。

ちなみにジェスロ・タルというのは17世紀のイギリスの農学者の名前です。種子播き機械の発明や良種の選択の重要性を唱え、イギリスの農業に強い影響を与えた学者だったらしいです。

初めて聴いたアルバムがセカンドアルバムのStand Upでした。1969年のリリースです。このアルバムは全英1位を記録します。

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ジャケットがまた素晴らしいのです。

 

Side A

1.A New Day Yesterday

2.Jeffrey Goes To Leicester Square

3.Bouree

4.Back To The Family

5.Look Into The Sun 

 

Side B

1.Nothing Is Easy

2.Fat Man 

3.We Used To Know

4.Reason For Waiting

5. For A Thousand Mothers

 

タルのオリジナル・メンバーは

イアン・アンダーソン(Ian Anderson,flute,vo,aco.g,key,mandlin)

グレン・コーニック(Glen Cornick,b)

クライヴ・バンカー(Clive Bunker,ds)

ミック・アブラハム(Mick Abrahams,g)

でしたが、ファーストアルバムのリリース後ミック・アブラハムが脱退、代わってマーティン・バレ(Marttin Barre,g,flute)が加入します。ミック・アブラハムはブラッドウィン・ピッグを結成します。

 

A-1のイントロを聴いた途端度肝を抜かれました。ヘヴィーなベースに重々しいギターが絡みイアン・アンダーソンの端正なヴォーカル、そしてフルート。いやあ、参りました。ブルースのようなイントロですがまさにヘヴィーロックです。彼らの代表曲の一つです。

A-2は変わって、トラッドフォークのような曲です。

A-3は代表曲「ブーレ」。イアンのフルートを前面に押し出したとても美しい曲。クラシックの前奏(バッハ)から、中盤はジャズです。これを聴いているとタルがロック・バンドであることを忘れてしまいます。

A-4は再びヘヴィーなナンバー。マーティン・バレの地味なギターがいいですね。

A-5はイアンのラブソング。ビートルズを思わせるようなきれいな曲。

B-1はこれも代表曲の一つです。ロックンロールにジャズを融合させたような曲です。

B-2これはアフリカのリズムと東洋の音楽を混ぜ合わせたような不思議な曲。

B-3は一転バラードナンバー。フルートとマーティンのギターの絡みが最高。特にここではマーティンのソロがたっぷり聴けます。

B-4これまた美しいナンバー。ストリングスまで入った別なタルを見せられます。

B-5ラストはハードなナンバー。タルらしいフルートがふんだんに入り、イアンのヴォーカルが唸ります。

 

私はこのアルバムがすっかり気に入り、すぐにファーストアルバムThis Was(日曜日の印象)を購入しました。

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これも期待を裏切らないで出来でした。

 

そしてサードアルバムBenefit、4枚目のアルバムAqualungと続きます。

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Aqualung』は傑作の誉れ高い名盤でした。

 

その後、1972年にThick As A Brickをリリースします。

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A,B両面で1曲という画期的な大作アルバムでした。

この頃から、タルはプログレッシブロックの範疇に入れられることが多くなりました。私にはどうもそうは思えないのですが。この後もロックンロールにゃ老(とし)だけど死ぬにはチョイと若すぎるなんていう素晴らしいロックオペラアルバムを作っているのですから。

 

それにしてもタルのレコードジャケットはどれもこれもなんてすばらしいのでしょうか。

最近(といっても10年程前)、初期のアルバムのデラックスエディションが発売されましたが、ジャケットまでデラックスです。

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タルは今でも時々聴きますが、私にとってはこの『Stand Up』は特に『Aqualung』と共に忘れられない1枚となりました。

 


Jethro Tull - Bourée

 


A New Day Yesterday-Jethro Tull

 

それでは今日はこの辺で。

 

この人の、この1枚 『イッツ・ア・ビューティフル・デイ(It's A Beautiful Day)/イッツ・ア・ビューティフル・デイ(It's A Beautiful Day)』

美しいジャケットで、名盤の誉れ高い『イッツ・ア・ビューティフル・デイ(It's A Beautiful Day)』のファーストアルバムです。

このバンドの結成は1967年です。1967年といえば、ウェストコースト、特にサンフランシスコでのフラワームーヴメントの盛り、続々とサイケデリックなロックグループが登場してきた頃です。

中心人物はバイオリン奏者のデヴィッド・ラフレイム(David Laflamme,violin,vo)です。この人は元々ユタ交響楽団のバイオリン奏者でしたが、妻のリンダ・ラフレイム(Linda Laframme,key)パティ・サントス(Pattie Santos,vo)と共にバンドを結成しました。

そして1968年頃からビル・グラハムのフィルモア・ウェストのステージに立つようになり、ツインヴォーカルとバイオリンという変わった構成で人気を博してきます。

1969年に念願のファーストアルバム『It's A Beautiful Day』をリリースします。

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Side A

1.White Bird

2.Hot Summer Day

3.Wasted Union Blues

4.Girl With No Eyes

 

Side B

1.Bombay Calling

2.Bulgaria

3.Time Is

 

その他のメンバーは

ハル・ワグネット(Hal Wagnet,g)

ミッチェル・ホルマン(Mitchell Holman,b)

ヴァル・フェンツ(Val Fuentes,ds)

ブルース・スタインバーグ(Bruce Steinberg,harmonica,A-2)

 

A-1はこれが『イッツ・ア・ビューティフル・デイ』だという、文字どおりの代表曲。映画『フィルモア最后の日』でも演奏していました。それと以前私が買ったVHSでサンスランシスコのロックを特集したもの(題名は忘れました)でもこの曲の演奏が観られました。バイオリンが印象的な美しい曲です。サイケっぽくもあり、イギリスのフォークっぽくもあり、とにかく名曲でしょう。

A-2はブルージーでムーディーな曲。これも彼らの代表曲。

A-3は一転ジェファーソン・エアプレインにも通じるサイケブルース。

A-4はまたまた一転クラシック風な曲。バイオリンが効いています。

B-1はエキゾチックなインストナンバー。

B-2はサイケデリックな奇妙な曲。

B-3は9分にも及ぶ長尺曲。このバンドは全体的に曲が長めです。ドラムソロなども入り、ハードロック的になっています。

 

この後、リンダ・ラフレイムが脱退したりしてメンバーチェンジがあります。結局その後4枚のアルバムを出しますが、このファーストアルバムに及ぶものは作れませんでした。

日本でも1970年頃発売されて、しばらくは廃盤状態でした。なかなか入手困難な時期がありました。今でもCDは高価な値段が付いているようです。

ちょっと前に1968年頃のライブ盤が出たというので即買いました。

 DVD付きで安かったのですが、いまAMAZONで調べたらとんでもなく高価な値段が付いているのでびっくりしました。なんででしょうか。

 

当時のウェストコーストのバンドとは一味違ったバンドでした。

 


It's A Beautiful Day - White Bird


It's a Beautiful Day-Hot Summer Day

 

それでは今日はこの辺で。

 

この人の、この1枚 『ジミ・ヘンドリックス(The Jimi Hendrix Experience)/エレクトリック・レディランド(Electric Ladyland)』

まだジミ・ヘンドリックスのことを少しも書いていなかったような気がしますのでちょっとだけ触れてみたいと思います。

今更ジミ・ヘンドリックス(ジミへン)については、数多くの方が書いておられるので私が書くようなことは特別ないのですが、やはり感銘を受けたアルバムは書いて置きたいという、ささやかな希望から書いてみます。

ジミヘンはご承知のようにわずか27歳で亡くなりますので、生前に残したアルバムも少ないです。

その中で私が好きなのはElectric Ladylandです。ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス名義でのアルバムとしては最後のアルバムとともにジミヘン存命時の最後のスタジオアルバムになります。レコードは2枚組です。1968年リリース。

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Side A

1.And the Gods Made Love

2.Have You Ever Been (to Electric Ladyland)

3.Crosstown Traffic

4.Voodoo Chile

 

Side B

1.Little Miss Strange

2.Long Hot Summer Night

3. Come On (Let the Good Times Roll)

4.Gypsy Eyes

5.Burning of the Midnight Lamp

 

Side C

1.Rainy Day, Dream Away

2.1983 - 1983... (A Merman I Should Turn to Be)

3. Moon, Turn the Tides...Gently Gently Away

 

Side D

1.Still Raining, Still Dreaming

2.House Burning Down

3.All Along the Watchtower

4. Voodoo Child (Slight Return)

 

エクスペリエンスのメンバーは

ノエル・レディング(Noel Redding,b,vo)

ミッチ・ミッチェル(Mitch Mitchell,ds,vo)

 

ゲストミュージシャンとして

トラフィック(Traffic)から

スティーヴ・ウィンウッド(Steve Winwood,organ,A-4)

クリス・ウッド(Chris Wood,flute,C-2)

デイヴ・メイソン(Dave Mason,g,vo,A-3,D-3)

が参加しています。

 

さらに

バディ・マイルス(Buddy MIles,ds,C-1)

マイク・フィニガン(Mike Finnigan,organ,C-1)

フレディ・スミス(Freddie Smith,horn,C-1)

ジャック・キャサディ(Jack Cassidy,b,A-4)

アル・クーパー(Al Kooper,p,B-2)

が参加しています。豪華です。

 

B-1はノエル・レディング、B-3はアール・キング、D-3はボブ・ディラン、それ以外はジミヘンのオリジナルです。

デイブ・メイソンはこれで触発されたか、後に「All Along the Watchtower(見張り塔からずっと)」をカバーします。ディランもジミヘンがカバーしてくれたことにkン社していたようです。

A-4の「Voodoo Chile(ヴードゥー・チャイル)」は彼の代表曲でもあり、ライヴでは必ずと言っていいほど演奏していました。

とにかくこのアルバムはまだまだサイケでブルースで、私にとっては言うこと無しで、さらにトラフィックの面々とアル・クーパーが参加しているのですから、文句のつけようもありません。もう一つマイク・フィニガンが参加していることも特筆ものでした。

ジェファーソンのジャック・キャサディまで顔を出しています。

 

このあと、プロデューサーのチャス・チャンドラーが去り、メンバーのノエル・レディングが去り、エクスペリエンスは解散します。

ジミヘンはミッチ・ミッチェルとビリー・コックスを加えてバンド「ジプシー・サンズ&レインボウズ」を結成します。ウッドストック・フェスティバルはこの時のメンバーたちです。

しかし長続きせず、さらにビリー・コックスとバディ・マイルスによる「バンド・オブ・ジプシーズ」を結成します。このバンドによるライブ音源がBand Of Gypsysとしてアルバム化されました。

しかしこのバンドもあっという間に解散します。その後は再び、ミッチ・ミッチェルとビリー・コックスと共に活動を再開。ワイト島のロックフェスティバルなどに出演しています。

しかし、その年の9月、ホテルで死亡します。死因は睡眠中の窒息死とされていますが、謎が多いのです。薬物もやっていましたし、自殺説も出ました。ホテルに一緒にいた女性モニカ・ダンネマンは証言が二転三転し、後年自殺しています。

27歳の死は、ブライアン・ジョーンズローリング・ストーンズ)、ジャニス・ジョップリン、ジム・モリソン(ドアーズ)、ロン・マッカーナン(グレイトフル・デッド)、カート・コバーンニルヴァーナなど何故か多いのです。

 

私がジミヘンを始めて映像で観たのは、モンタレー・ポップ・フェスティバルの映像でした。ギターのネックを性器のようになでながら、弦を齧り、ボディに火をつける。とにかく凄かった。右用のギターを左で弾きブルースを奏でる。クラプトンが圧倒されたのもわかります。モンタレー・ポップ・フェスティバルで同じくギターを壊すパフォーマンスで知られたザ・フーとの出演順でもめたのは有名な話です。それからウッドストックでの星条旗の演奏。

 

ジミヘンの映画『栄光への奇跡』を昨年観ました。

下積みからモンタレー・ポップ・フェスティバルへの出演が決まるまでの話です。なかなか興味深かったです。ギターはワディ・ワクテルでした。

 

正式なスタジオアルバムはわずか3枚と少ないですが、ジミヘンの死後は夥しい数の未発表音源やライブ音源、コンピレーションのレコード、CDが発売されました。その一部を紹介します。でも、むやみやたらと発売されても困るのですが・・・。

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やっぱりまとまらない記事になってしまいました。短い人生でしたが中身が濃すぎて、書くことが多すぎ主題を絞れませんでした。申し訳ございません。

 

振り返ってみると、この他にもまだ書いていない大物がいっぱいいました。ぼちぼち書いていくことにしたいと思います。

 


Jimi Hendrix 'Voodoo Child' (Slight Return)

 


The Jimi Hendrix Experience - All Along The Watchtower (Official Audio)

 

今日は久しぶりに1日2記事書きました。ジーノ・ロートの訃報記事の日にジミ・ヘンドリックスというのも何かの縁でしょうか。

 

それでは今日はこの辺で。

 

 

 

ジーノ・ロート(Zeno Roth) 逝く!

昨日、読者のユキ24( id:yukidayo24)様より、ジーノ・ロートが2月5日に亡くなったとの情報を頂きました。ありがとうございました。

あまりに急な出来事でしたので驚くとともに、ショックでした。61歳でした。

兄のウリ・ジョン・ロートが自身のFace Bookで公表しました。「ここ数年の病気で亡くなった」とのことです。ウリも悲しみに暮れているようです。

 

昨年の7月に「ジーノ」の記事を書いたばかりだというのに、早すぎました。

lynyrdburitto.hatenablog.com

「ジーノ」のラストアルバムになってしまった『Runway To The Gods』もまだ未購入のままでした。

何としても入手しなければなりません。


Zeno - 2006 - Runway To The Gods

 

さらにウリのコメントによれば、ジーノはクリスマスの前に3曲の新曲のデモテープを作っており、ウリがそれを完成させてリリースするとのことです。それと彼の詩を編集し出版するとのことです。

もうあの哀愁漂うメロディーとギターが聴けないと思うと残念でたまりません。

 

とりあえず報告まで。今のところ詳しい情報がありません。

心よりご冥福をお祈りします。合掌

 

今日は特別に朝の掲載になりました。

 

それでは。夕方またいつものように記事を書きます。