昔のことを書いていると、いろいろと思い出されることが多く、回顧録のようになってしまいますが、それはそれでまあいいかと思い、頭に蘇るまま書き綴ることにします。
今日は高校時代にどんな本を読んでいたかを思い出してみます。まず頭に浮かぶのは、大学に通っていた兄から薦められて読んだカミュの『異邦人』です。高校入学間もない頃だったと思います。不条理だの実存主義、弁証法、唯物論などなど当時はこういう言葉が飛び交っていたように思います。
『異邦人』の書き出し、「きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない。養老院から電報をもらった。『ハハウエノシヲイタム、マイソウアス』これでは何もわからない、おそらく昨日だったのだろう。」。これは衝撃的でした。主人公ムルソーは葬儀の翌日、女と情事にふけり、映画を観て笑い転げ、母親の死んだ悲しみなどかけらもなく、普段どうりの生活をし、最後には殺人まで犯してしまいます。第2部の殺人事件の裁判で、ムルソーはその動機について聞かれ、「太陽がまぶしかったから」と答え、聴衆の憎悪を煽ります。判決は死刑。ムルソーは満足します。そして最後に「自分が幸福だったし、今なお幸福であることを悟った。一切がはたされ、私がより孤独でないことを感じるために、この私に残された望といっては、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけだった。」で終わります。
私はそれまでこういった小説を読んだことがなかったので面喰いました。が、引き込まれました。訳もわからずにというか、何かが自分の中で動いたような気がしたのです。
元々私はそれほど読書が好きなわけではありませんでした。小学校の時は『世界名作全集』なるものを半強制的に読まされましたので、一応有名な小説は一通り読んではいましたが、夢中になるというほどでもありませんでした。中学校では部活が忙しく、夜も遅く、休みの日も部活で読書どころではありませんでした。ということで本格的に読書に目覚めたのはやはり高校生になってからでした。
『異邦人』に続いて『ペスト』、カフカの『変身』『城』などを読み漁り、しまいにサルトルの『嘔吐』まで行って訳が分からなくなりました。木の根っこを見て嘔吐するってなんだよ、ってな感じでした。その他に弁証法などの哲学本などにも触手を広げていきました。が、結局理解には程遠かったのでしょう。そういうものを読んでること自体に自己満足していたのかもしれません。
学校では高校1年で隣の席の友人が、マルクス=エンゲルスの『共産党宣言』や毛沢東の『実践論・矛盾論』などなどを読めと、重要な部分に赤線を引き熱心に薦めてきます。
私は薦められるまま、様々なその類いの本を読み続けました。時代がそういうものを要求していたのでしょう。卒業後その友人は活動家になって関西方面に行き、その後行方知れずになりました。そういうことも当時の社会風潮でした。
このあとは、芥川、太宰、三島、坂口、漱石、鴎外、藤村、北杜夫などなど純文学と呼ばれる作家、そして司馬遼太郎、子母澤寛など歴史小説や歴史関連本にも興味が広がっていきます。さらにはサスペンス、ミステリーまで幅広い分野にわたることになりました。この間、三島由紀夫の自決事件という衝撃的な出来事もあり、知的欲求は高まっていきました(頭のレベルは置いといて)。
高校時代の3年間だけでもこのように読書の範囲は多岐にわたりましたが、それでもやはり読書のきっかけは未知の世界へと導いてくれたカミュやカフカだったのは確かでした。
大学生になると様々な出会いから、いろいろな人の影響を受けるようになります。そのころ学生の間で人気のあった大江健三郎、吉本隆明、高橋和巳、安部公房なども読むようになりましたが、これは少し先の話になります。
これらの本は多分に私の映画や音楽の好みに影響を与えていたと思います。こうして私の思春期から青年期にかけての人格みたいなものが形成されていったのかもしれません。人間の運命とは面白いものです。人との出会いで大半が決するのではないでしょうか。
今日はこの辺で、またの機会にそれからの読書生活について書いてみたいと思います。
余談ですが、昔の本の活字の小ささといった驚きです。こんな細かい字を読んでいたのかと思うと、今の本の字は本当に大きいです。昔の老人は偉かった。