Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

続・癒し系ロック 『ザ・ビューティフル・サウス(The Beautiful South)』

今日は、再び私が癒し系ロックと位置付ける『ビューティフル・サウス』について書いてみます。以前に『トラヴィス』を書きましたが、この『ビューティフル・サウス』はもう少し明るめの癒し系です。

『ビューティフル・サウス』については以前の記事で若干触れています。

 

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メンバーは

ポール・ヒートン (Paul Heaton,vo)

デイヴ・ヘミングウェイ (Dave Hemingway,vo)

ブリアナ・コリガン(Briana Corrigan,vo)

ショーン・ウェルシュ(Sean Welch,b)

デイヴ・ロザレイ(Dave Rotheray,g)

デヴィッド・ステッド (David Stead,ds)

ですが、途中で女性ヴォーカルが2回替わります。ジャクリーン・アボット(Jacqui Abbott)と最後はアリソン・ウィーラー(Alison Wheeler)です。

このバンドの前身は1984年に結成されてポールとデイヴ・ヘミングウェイが在籍していたザ・ハウスマーティンズ(The Housemartins)です彼らは良質な2枚のアルバムを残して1988年に解散します。

 

これらは典型的なポップ・ロックアルバムで、本国イギリスでもかなりヒットして人気を博していました。

グループ解散後、ポールとデイヴは『ビューティフル・サウス』を結成します。このバンドの特徴は男性2人、女性1人のヴォーカルです。

1989年にファーストアルバム、『Welcome To The Beautiful South』をリリースします。

このジャケットも問題になったそうです。当然でしょうね。歌詞の内容も政治・社会に対する辛辣な批判が込められており、3人のヴォーカルの澄み切った声とは対照をなしています。アルバムはヒットし彼らは国民的バンドともてはやされるようになります。確かにこのアルバムは彼らの最高傑作かもしれません。冒頭に書きましたが、『トラヴィス』のような暗さはありませんが、メロディーは美しいです。

 

1990年にはセカンドアルバム『Choke』をリリースします。

前作同様美しいメロディーとハーモニーで満載ですが、歌詞を読むとやはり辛辣な批判やグロテスクなものまで曲と似合わないものが多いです。歌詞の意味が分からないで聴いていると心地よいポップなアルバムですが、そのギャップが激しいです。そこがこのバンドの面白いところなのです。

 

続く1992年には『0898』リリースします。

女性ヴォーカリストのブリアナの歌声が病みつきになります。ここまでのアルバムも、これ以降もそうですが、アルバムジャケットにメンバーの姿が現れたことがありません。裏表紙にもありません。ライナーノーツにも載っていません。珍しいです。全体的に明るい楽曲が増えているようです。歌詞は相変わらずで、中には理解不能(私には)の内容もあります。曲はいいです。

 

続いて、1994年に『Miaow』をリリースします。ジャケットが日本盤と違っています。

 このアルバムから女性ヴォーカルがブリアナからジャクリーン・アボットに替わります。ブリアナがグループを去った理由は、ライナーを書いている中川五郎氏によるとポールの書く詩に嫌気が差したようです。フレッド・ニールの曲でニルソンが映画『真夜中のカーボーイ』で歌っていた「うわさの男」をカバーしています。また、このアルバムでは全曲ポールがリードヴォーカルをとっています。デイヴの声も捨てがたいのですが。

 

2年後、5枚目のアルバムとして『Blue Is The Colour』を発表します。

1曲目からジャクリーンのヴォーカルで始まります。ブリアナとはまた違う落ち着いた声で安心して聴けます。1曲を除いて全曲ポールの手によるものです。イギリス特有のケルティックとは違いますが、フォーク調の曲が目立ちます。

 

翌々年、1998年に『Quench』を発表します。

このアルバムはだいぶ印象が変わります。というのもキーボードをふんだんに使い、ジャクリーンのリードヴォーカルも増えたことにあります。音に厚みが出ました。

さらにポール・ウェーラーが1曲参加しています。それとハウスマーティンズで一緒だったノーマン・クックが協力しています。ジャズ風の曲があったりして、音楽性が一段と広がったような気がします。

 

2000年には『Painting It Red』をリリースします。

このアルバムは、全作をさらに前進させ、ブラスもふんだんに導入し、ロック色を強めています。楽曲は全曲ポールとデイヴ・ロザレイの共作になります。。リズムを重視し、前々作以前には見られなかった音作りになっています。もちろん静かな曲もありますが、全体としてはロック寄りになっています。

 

3年後の2003年には『Gaze』を発表します。

このアルバムから女性ヴォーカルがアリソン・ウィーラーに替わります。楽曲は前作同様全曲ポールとデイヴ・ロザレイの共作になります。前作の延長線上のアルバム。

 

このあと2006年に『Superbi』をリリースします。

残念ながら未購入です。この後バンドは解散します。

17年の歴史でした。原因はよくわかりませんが、人間関係の軋轢という話も聞いています。私個人としては、ファーストから4枚目か5枚目あたりまでが好きです。

今でも時々無性に聴きたくなる時があります。そのようなときは初期のアルバムを引っ張り出して聴いています。

 


The Beautiful South - Don't Marry Her [original explicit version - HQ]

 

それでは今日はこの辺で。

スパニッシュ・メタル『アルウェン(Arwen)』

今日のレコード・CD棚掘り起こし作戦の成果は『アルウェン』でした。ほとんど記憶がありませんが、たぶん大安売りで手に入れたものだと思います。ジャケ買いでしょう。

スペインのシンフォニック・メタルバンド、『アルウェン』のファーストアルバム『Memories Of A Dream』です。リリースは2002年です。

このバンドのメンバーは

ナチョ・ルイズ(vo)

メイメン・カスターノ(vo)

ホセ・ガーリド(g)

アルベルト・アヴィレス(g)

ルイスマ・ヘルナンデス(b)

ロザルバ・アロンゾ(key)

ジョナサン・ザパテロ(key)

ナチョ・アリアガds)

以上の8人です。男女混成のダブルボーカル、ツインギター、そしてツインキーボードと何とも贅沢なメンバー編成です。

私にとって、スペインとは当時未知の世界でしたので興味はあったのでしょう。が、買ったままになっていたのか聴いた記憶がありませんでした。今回久しぶりというか、初めてというか微妙ですが聴いてみました。

収録曲

1.Transcendental Overture
2.Dreamland
3.Between Love And Pain
4.Time’s Gate
5.Alone
6.So High
7.Woodheart
8.ONCE Upon A Time
9.Eternally
10.At The End
11.New Life
12.Dreamland (Demo Version)*
13.Time’s Gate (Demo Version)*
14.At The End (Demo Version)*

いきなりクラシックかと思わせる前奏ではじまる「Transcendental Over Ture」で幕を開けます。ナチョのハイトーンヴォイスとメイメンのやわらかいヴォーカルが絡み合って聴かせます。8人編成なのでもっとオーケストラっぽいサウドかなと思いましたが、意外とこじんまりとまとまっています。2曲目の「Dreamland」以降もスピードメタルが続きます。楽曲は全部メロディアスで北欧を思わせるようなメロディーですが、どちらかというと、南米の『アングラ』とかイタリアの『ラビリンス』にも通ずるものが有ります。9曲目の「Eternally」は女性ヴォーカルがメインでスローバラードです。もう少しこの女性ヴォーカルの出番を増やせばと思うのですが、ちょっと残念です。それと前にも触れましたが、8人編成をもっと生かし、重厚な音作りをすればよかったかな、なんて思ったりします。

いずれにしてもスペインにこのようなバンドがあったtことは再認識しました。スペインといえばフラメンコというイメージが強すぎました。

レコード・CD棚探索の旅、まだまだ続きます。

 

それでは今日はこの辺で。

癒し系ロック 『トラヴィス(Travis)』

今日は、美しいメロディーで癒してくれる、イギリスのロックバンド『トラヴィス』について書いてみます。ブルースロックやヘヴィメタルを聴いていると、時々カントリーロックやフォークロックともちょっと違う、美しいメロディーの軽やかな音楽に触れたくなります。その中でも『トラヴィス』や『ビューティフルサウス』『スターセイラー』などは私のお気に入りです。今日は『トラヴィス』でいってみます。

これも以前の記事で少しだけ触れていますので、参考までに。

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メンバーは、

フラン・ヒーリィ(Fran Healy,vo,g)

アンディ・ダンロップ (Andy Dunlop,g,banj)

ダギー・ペイン (Dougie Payne,b,vo)

ニール・プリムローズ (Neil Primrose,ds)

です。1995年に正式に結成します。それ以前はニールとそのバンドにフランが加わった形でしたが、他のメンバーが辞めたためダギーを誘い正式なバンドとなりました。バンド名はヴィム・ヴェンダースの映画『パリ・テキサス』の主人公の名前から取ったようです。

1996年にデビューシングル「オール・アイ・ウォント・トゥ・ドゥ・イズ・ロック」をリリースします。『オアシス』のノエル・ギャラガーの押しもあって話題になり、1997年にデビューアルバム『Good Feeling』をリリースします。

 このファーストはこの先の癒し系からはちょっと考えられない、『オアシス』まがいのパワフル・ロックです。それでも10曲目の「More Than Us」や11曲目の「Falling Down」、12曲目の「Funny Thing」などを聴くとその後の美メロ路線が想像できます。全英初登場で9位に入りました。

 

1999年、セカンドアルバム『The Man Who』をリリースします。

前作と打って変わって、静かな美しいメロディーを奏でるこのアルバムは全英1位に輝き、全世界で400万枚以上の売り上げを上げました。オープニングの「Writing To Reach You」はいかにもヒットしそうなメロディーで案の定大ヒットとなりました。「Driftwood」「Turn」「Why Does It Always Rain On Me?」と続けざまにヒットさせました。

 

2001年にhサードアルバム『The Invisible Band』をリリースします。

美メロにますます磨きがかかり、よりアコースティカルになってきました。暗く沈んだ出だしから始まるオープニングの「Sing」は、全英3位になりました。アルバムは初登場1位を記録します。全世界で300万枚の前作に続く大ヒットとなりました。

 

2003年、4枚目のアルバム『12Memories』をリリースします。

このアルバムはセルフプロデュースです。前2作は「レディオ・ヘッド」や「ベック」「ポール・マッカートニー」を手掛けたナイジェル・ゴッドリッジでした。おそらくこのアルバムが彼らのなかでは一番暗いのではないでしょうか。そのせいかどうかわかりませんがセールス的には今一つという結果でした。私はこの暗さは大好きですが。

このあとフランが体調不良になりしばらく休むことになります。

 

4年後の2007年にプロデューサーを戻し5枚目のアルバム『The Boy With No Name』を発表します。

このアルバムは、暗さがやや後退し、静かで美しいメロディーが満開になっています。3曲目の「Closer」はシングルヒットしましたが、トラヴィスの真骨頂の美しいメロディーが聴かれます。完全復活でしょうか。全英4位になりました。

 

翌2008年に6枚目のアルバム『Ode To J.Smith』をリリースします。

このアルバムはそれまでのEPICを離れ自主レーベルからの発売となりました。音も重くなり、ロック色が強まっています。それでもメロディーは健在です。しかしながらロック色が嫌われたのかセールス的には失敗で、シングルカットの3曲も100位にも入れませんでした。1曲などはチャートにも入りませんでした。6曲目の「Last Words」などは名曲だと思うのですが。私などは1番好きなアルバムかもしれません。全然悪くないと思うのですが、音楽ビジネスは難しいですね。

 

この後、2013年に『Where You Stand』をリリースします。

 

約5年ぶりとなるアルバムです。どんなアルバムになるのかと心配もしましたが、やはりトラヴィスは安心して聴けます。相変わらず美しいメロディと静かなサウンド、癒されます。

 

2016年に『Everything At Once』リリスしていますが、残念ながら未購入です。

 

ラヴィスを改めて聴き直すと、全作をを通して非常に完成度の高いロックを聴かせてくれます。たまにはこのような静かなロックというのも心が癒されて気持ちがいいものです。あとの1枚、入手しないといけません。

 


Travis - Writing To Reach You (Official Video)

 

それでは今日はこの辺で。

小説 『あの女』 を読む

『殺人鬼フジコの衝動』以降、すっかり真梨幸子のファンになり『弧虫症』『インタビュー・イン・セル:殺人鬼フジコの真実』『女ともだち』『深く、深く、砂に埋めて』『みんな邪魔』『クロク、ヌレ』『あの女』と読んできました。

もちろん他の作家も並行して読んでいますが、今のところ彼女の小説にも入り込んでいます。

今日はその中で『あの女』について書いてみようと思います。

 

 

女性作家が二人、それとその担当編集者の3人が中心に話が始まります。

所沢のタワーマンションに住む、売れっ子女性作家、三好珠美は次回のN賞を狙って、担当編集者の西岡健司の勧めに従い、所沢のかつての遊郭を取材し、それにまつわる小説を書こうと意気揚々としています。しかし、最近誰かにつけられているような感じがしてなりません。

一方、もう一人の女性作家、根岸桜子は高幡不動駅から歩いて15分以上もかかる、賃貸の安マンションに住む、売れない作家、本業はOLです。

二人はほぼ同時にデビューしましたが、その後は差がつくばかり。珠美は本来は映画監督志望で、たまたま書いた小説がヒット、その後はエッセイやテレビ出演などで人気を博します。言いたいことはズバズバ言う、その表裏が無いところが受けているようです。

桜子は純粋に作家志望ですが、何気に応募した作品がちょっとした評判を呼びましたがその後はさっぱり売れず、ほぼ忘れ去られた状態で、焦るばかりです。

桜子は珠美に対して激しい妬み、嫉妬を抱いています。彼女さえいなければ、自分があの立場になれたのにと、あいつなど死ねばいいとさえ思っています。

編集者の西岡は何故か所沢の歴史にこだわり、盛んに珠美に取材を強制します。所沢はかつて『野老澤』と書いて、軍の飛行場があり、戦後はアメリカ軍が駐留しており、兵隊を相手にした遊郭がたくさんあったそうです。航空発祥の地として知られ今では航空公園になっているようです。その遊郭にあの『阿部定』が名前を変えて住んでいるという伝説があるとのことで、それをモチーフにして小説を書かせ、N賞を取らせたがっているのです。

ある日、その珠美が自宅のタワーマンションの3階から転落し、植物人間になってしまいます。この事故が単なる事故なのか、殺意を持って行われたのか、あるいは自殺未遂なのかはわかりませんが、警察は事故として処理します。

西岡はこのテーマを桜子に書かせることにします。西岡と珠美は不倫関係にあったのですが、西岡はあっさりと桜子に乗り換えます。桜子はテーマをもらって、自分がN賞を取るんだと意気込みますが、どうしても所沢に興味が湧きません。西岡にしつこく取材を勧められ、渋々取材を続けるうちに徐々に引き込まれ、書き上げますが、西岡からはダメ出しが続きます。

そうこうしているうちに、珠美が死亡します。西岡と桜子は思いもよらぬ方法で、その著作を世に訴えます。珠美を殺したのは桜子だというのです。そしてそれを小説にして発表するという記者会見を開きます。真実に基づいた小説だというのです。そして桜子は警察に自首します。

しかし、西岡と桜子を知る関係者の中に、これは「フェイク」だと見抜く人物が現れます。事故の起きた時間に西岡、桜子と同席して打ち合わせた人物がいたのです。

そしてまた、別の人物も、この人物も小説家ですが、小説家のカンからこの小説は「フェイク」だと見抜きます。

しかし桜子は堂々と彼らに対し、反論を展開します。結局、裁判の結果、当時の薬の多用による精神状態の不安定さということから執行猶予3年で決定します。

果たして真犯人は誰か、ということになりますが、これ以上のネタバレは止めておきます。

この他の登場人物としては西岡の妻、娘、フェイクを見抜いた小説家・大崎の友人・川尻とその妻、出版社の女性などです。

それよりも、この小説で面白いのは、嫉妬、妬み、恨みのエネルギーの凄さです。真梨幸子自身も当然小説家ですから、作品が売れる、売れない、書評の良し悪しなど気になってしょうがないこともあるのでしょう。やってもいない殺人の犯罪を認めてでも世に出たい(もちろん計算済みでしょうが)、あいつの存在だけは許せない、こういった負の感情がその人間の生きるエネルギーになるという事なのでしょう。作家というのはそういうギリギリの中でバランスを取りながらやっていく商売なのでしょうか。

真犯人の件ですが、あっと驚く人物でした。なんかやられたという感じです。この犯人を予想した人はいるのでしょうか。私の読みが浅いのかな。

珠美は映画監督志望ということで、8ミリ映写機を常に携帯して取材していました。この8ミリ映写機が重大なヒントになっています。

この小説、最初に発売されたときは『四〇一二号室』というタイトルでした。文庫本発売時に改題されたようです。

イヤミスの女王らしく、うっ、となる表現も多く見受けられます。

真梨幸子の小説には西武池袋線東武東上線が良く登場します。 あの辺に土地勘があるのでしょうね。

 

それでは今日はこの辺で。

 

 

 

 

 

映画 『グッバイ、レーニン!』を観る

先日の自宅シネマは『グッバイ、レーニン!』でした。

監督:ヴォルフガング・ベッカー

主演:ダニエル・ブリュールカトリーン・ザースチュルパン・ハマートヴァ

ドイツ製作、2004年公開(日本)

 

東西ドイツ統一前後の庶民の姿を東ドイツ側から描いた作品です。

東ドイツの首都東ベルリンに住むアレックスは小さい頃、ドイツ初の宇宙飛行士イェーンにあこがれ、自分も将来宇宙飛行士を夢見ていたが、結局はテレビの修理屋に勤めることになり、母親クリスティアーネと姉と共に暮らしています。父は10年前に家族を捨て西ドイツに亡命。そのショックで母は一時はうつ状態になりましたが、その後完璧な社会主義者になり、社会活動に取り組み、国から表彰されるほどの活動家になっています。

アレックスも自分の考えを持つようになり、東ドイツの建国40周年記念日の1989年10月7日に母親クリスティアーネに内緒で反体制デモに参加します。やがてデモは激化し警官隊と揉み合いになりアレックスは警察に逮捕されます。そこをたまたま通りかかった母クリスティアーネが目撃してしまいます。クリスティアーネはショックで心臓麻痺を起こし、救急車で病院に運ばれます。命は取りとめたものの昏睡状態に陥ってしまいました。

それから8か月間、クリスティアーネは眠り続けます。その間、ドイツではベルリンの壁は崩壊し、東ドイツ社会主義体制は資本主義へと、そして東西ドイツも間近に迫っていました。アレックスは病院に通ううちに看護師のララと親しくなりました。

ある日、病室でアレックスとララがいる時に突然クリスティアーネが意識を取り戻しました。ただし、医師からは次に大きなショックを与えると命の保証はないと宣告されます。

アレックスはクリスティアーネに社会主義体制が崩壊していることが分かれば大変なショックになる、病院に置いておけばいずれ分かってしまう、ということから自宅に引き取りことを決意します。そして結婚した姉夫婦やララに無理やり協力させます。

部屋を10年前の様子に戻し、何事も起きていないという嘘をつき続けることにします。クリスティアーネが好物のピクルスが食べたいといえば、既に東ドイツ産のピクルスなどないにもかかわらず、昔の瓶のシールだけを探し当て、それを張り替えて誤魔化したり、テレビが観たいといえば、昔のニュースをダビングしたり、映画監督志望の会社の友人に頼んで嘘のニュースビデオを作ったりと、徹底した偽装工作を行います。

ある日、部屋のカーテンを開けると隣のビルに西側の象徴「コカ・コーラ」の垂れ幕が掲げられていました。不審に思ったクリスティアーネはアレックスに尋ねます。アレックスは何とか誤魔化し、友人に頼んで西側が不況で経済協力を依頼してきたという嘘のニュースをでっち上げ、その場を凌ぎます。

また、ある日には、アレックスがベッドの脇で居眠りしている間に、クリスティアーネが部屋の外に出てしまいます。街中を歩いたクリスティアーネは驚き途方にくれます。それでもアレックスは西ドイツから難民が押し寄せているのだなどと誤魔化します。

クリスティアーネが昔家族で行った山荘に行ってみたいと言い出し、家族そろって行くことにしました。そこで、クリスティアーネは告白します。父親は家族を捨てたのではなく、一人ずつ亡命しようということになって、まず父親が亡命し、後からクリスティアーネが子供二人を連れて亡命すること名なっていた。しかし、いざとなると、子供を連れての亡命がどれほど危険かということに思い至り、怖くなって止めてしまった、というのです。そして、死ぬまでに主人に会いたいと訴えます。姉が父親からの手紙を探し出し、アレックスに父親の居場所を教えます。クリスティアーネの病状は日に日に悪化して再入院になります。アレックスは父親に会いに行く決心をします。

タクシーに乗って父親のいる町まで行きますが、そのタクシーの運転手がなんとあの宇宙飛行士イェーンだったのです。今ではただの人になっていたのです。

家に着くとパーティーが行われていました。父親には家族がありました。子供も2人いました。自分の兄弟になるわけです。父親にクリスティアーネの病状を話し、会ってやって欲しいと頼みます。父親は病院に見舞います。そして長い時間話します。看護師のララは嘘はいつかバレると思い、東西ドイツは統一すると告げます。

アレックスはクリスティアーネの寿命が迫っていることを悟り、友人に依頼して、東西ドイツの統一のニュースを作成します。そのニュースでは東ドイツの書記長を退いたホーネッカーの代わりに宇宙飛行士だったイェーンがが新しいドイツの指導者になると宣言します。このニュースを見てクリスティアーネは息を引き取ります。そして小型ロケットに乗せ空に散灰します。

この映画のタイトルにもなっているレーニン像がヘリコプターに吊るされ、空の中に浮かび上がるシーンは見事でした。すべてを象徴しているようでした。

東西ドイツの統一は、ややもすると西側からの報道が多くなり、東ドイツの一般の人たちの考えや生活ぶりはあまり話題になっておらず、逆に厄介者を背負い込んだというような報道がなされたりもしていました。事実、ドイツは統一後、長い不況を経験することになるのですが。それでもこの映画では、東ドイツの一般の人たちの生活ぶりが淡々としていることを映しています。

一見、重そうな題材ですが、コミカルな描写も交え、爽やかに描き切っています。

アレックスのどこまでも母を思う気持ちが、ひしひしと伝わってきました。

 

この映画はベルリン国際映画祭の最優秀ヨーロッパ映画賞を獲得しました。ドイツでは大ヒット作で歴代興行記録を更新したそうです。

 

それでは今日はこの辺で。

ダンサブルなブリット・ポップ 『フランツ・フェルディナンド(Franz Ferdinand)』

今日は、『コーラル』『ザ・ズートンズ』『クーラ・シェイカー』と並んで60~70年代の香りをプンプンさせるバンド『フランツ・フェルディナンド』を取り上げたいと思います。やはり年齢的にこういうメロディーなり、サウンドを聴くと惹かれてしまいます。これも以前の記事で少しだけ触れていますので、参考までに。

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フランツ・フェルディナンド』はスコットランドグラスゴーの出身です。

メンバーは、

アレクサンダー・カプラノス(Alexander Kapranos,vo,g,key)

ロバート・ハーディ(Robert Hardy,b)

ポール・トムソン(Paul Thomson,ds)

ニコラス・マッカーシー(Nicholas McCarthy,g,key,vo)

です。

2001年にバンドを結成します。このかわったバンド名は第1次世界大戦のきっかけになった例のサラエボ事件で暗殺されたハンガリー帝国の皇位継承者の名前からとったそうです。

地元でも人気が高く、2004年に発表したデビューアルバムFranz Ferdinandは爆発的ヒットをもたらしました。

イギリスのみならずアメリカでも評判になり400万枚以上の記録的売り上げを記録しました。イギリスの3大音楽賞であるブリットアワード、マーキュリープライズ、NMEアワードを新人としては初めて総なめにしました。確かにアップテンポで踊れる音楽ですが、クラブミュージックともディスコとも違う、グループサウンズのようなメロディーを持った曲などもあり、郷愁を誘います。トータル36分と短いアルバムで、あっという間に聴き終わってしまう感じです。

 

翌年の2005年にはセカンドアルバムYou Could Have It So Much Better』を発表します。

これは全英初登場で1位をとるという、相変わらずの人気でした。メロディーにはますます磨きがかかり私などはすっかり虜になりました。聞くところによると、ボブ・ディランの影響をかなり受けているとの話もありますが、私などはキンクスの影響を感じてなりません。とにかく軽快でメロディアスで言うことなしです。

 

そして3年半のブランクの後、2009年に発表されたのが『Tonight』です。

このアルバムでは全2作と違って、メロディーよりもリズムに重点を置いた作りになっています。テンポもやや遅くなった感じで、ディスコ音楽のようです。これまでのフランツ・フェルディナンドとはだいぶ違って聞こえます。

 

さらに、4年のブランクの後、2013年に『Right Thoughts, Right Words, Right Action 』を発表します。

これはファースト、セカンドと前作の中間という言い方は変かもしれませんが、フランツの新たな一面をうかがわせる作品です。前3作を踏まえて、新たなダンスミュージックを確立したような感じです。

個人的にはファースト、セカンドがやっぱり好きです。

昨年、ニコラス・マッカーシーが退団を表明し、替わりにディーノ・バルドー(Dino Bardot,g,vo)とジュリアン・コリー(Julian Corrie,key,b,vo)の加入が発表されました。

 

今後のニューアルバムに期待です。

 


Franz Ferdinand - Do You Want To

 


Franz Ferdinand - Walk Away (2005)

 

それでは今日はこの辺で。

『クーラ・シェイカー(Kula Shaker)』 インド音楽との融合

今日は、ブリットポップの過渡期に現れた、興味深いバンド『クーラ・シェイカー』について書いてみます。60年代のロックとインド音楽を見事に融合させています。

以前の記事で少しだけ触れています。参考までに。

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結成は1990年と古いのですが、デビューは『クーラ・シェイカー』とバンド名を変更した1996年です。

メンバーは、

クリスピアン・ミルズ (Crispian Mills,vo,g)

ジェイ・ダーリントン (Jay Darlington,org)

アロンザ・ベヴァン (Alonza Bevan,b)

ポール・ウィンターハート (Paul Winterhart,ds)

の4人組です。

1996年にデビューアルバム『K』をリリースします。

ヴォーカルのクリスピアンは仏教徒でバンド名もインドの皇帝の名から由来しているそうです。このアルバムのリリース前に発表されたデビューシングル「Gratefu When You're Dead」がいきなりヒット、続く「Tattva」に至ってはいきなり4位登場、3週で10万枚の大ヒットになりました。ちなみに「Gratefu When You're Dead」はグレートフル・デッドのジェリー・ガルシアとジャム・セッションをするという内容になっています。そして3枚目のシングルが「Hey Dude」で全英2位となりました。そして満を持してリリースした本作は初登場1位を記録しました。オアシス以来のデビューアルバム売上を記録し、日本でも大ヒットしました。1曲目の「Hey Dude」からベース、ドラムのグルーヴ感とギターのカッティングに圧倒されます。カッコいいです。全編サンスクリットの曲、さらに60年代を思わせるロックンロール、サイケデリックロックとまさにインド音楽とロックの見事な融合です。

 

この後ジョー・サウスのカバーでディープ・パープルで有名な「Hush」をシングルヒットさせ、1999年にセカンドアルバム『Peasants, Pigs and Astronauts』をリリースします。

しかしこの間、メディアとひと悶着あって、彼等は大バッシングを受けます。鉤十字(卍)に関する発言がナチスヒトラーを美化するものだというのです。クリスピアンは誤解だと反論しますが、バッシングの嵐は止みませんでした。そのせいもあったのかアルバムの売れ行きもいまひとつでした。この作品は前作の延長線上で、相変わらず見事な融合を見せています。出来は前作を凌いでいるのではないでしょうか。

 

そしてバンドはこの直後あっさりと解散を宣言します。わずか3年で2枚のアルバムを残し消えました。

そのごメンバーはそれぞれに活動し、クリスピアン・ミルズ は2001年に3ピースバンド『ザ・ジーヴァス(The Jeevas)』を結成し、2002年と2003年にそれぞれアルバムを発表します。『1234』と『Cowboys & Indians』です。

 

 

クリスピアンが「クーラ・シェイカーとは違ったことをやりたかった」という通り、ストレートなロックアルバムになっています。2枚目ではCCRの「雨を見たかい」やボブ・ディランの「戦争の親玉」をカバーしています。

しかしこれも商業的には成功といえず2004年に解散してしまいます。

 

2005年に再結成の話が持ち上がりジェイ・ダーリントンを除くメンバーは同意し、新たにハリー・ブロードベント (Harry Broadbent,org)を加え、再結成が実現しました。富士ロックフェスにも参加し、日本での変わらぬ人気を再確認しました。

 

そして2007年に再結成後の最初のアルバム『Strangefolk』をリリースします。

この新作ではインド風味がぐっと後退し、メロディーも美しくなり、60年代の雰囲気は生かしつつ、これはこれで十分楽しめますが、やはりファースト、セカンドと比較すると物足りなさは否めません。私見ですが。

 

そして3年ぶり、2010年には4枚目のアルバム『Pilgrim's Progress』を発表します。

美しいメロディーとともに戻ってきました。インド音楽はここでも影を潜め、サイケ、フォーク調の曲が多くなっています。いいんですが、どうしても前作同様物足りなさを感じてしまいます。あの飛び跳ねるようなロックンロールとインド音楽との融合のイメージが強すぎて払拭できません。最初の2枚を聴いていなければ、本作と前作は十分満足できるアルバムだと思うのですが。それでもこんな感想は、2,3年後にはまた変わっているかもしれませんが。

 

昨年、5枚目のアルバム『K 2.0』をリリースしましたが、残念ながら未購入です。リストには上がっているのですが、なかなか購入に至りません。まだ高いのです。

 

映像を2本ご覧ください。


Kula Shaker - Hush


Kula Shaker - Great Hosannah

 

それでは今日はこの辺で。