Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

ギターに酔います!『ロベン・フォード(Robben Ford)』

ブルース、ジャズ、フュージョン、ロックと幅広いジャンルをこなすギタリスト、ロベン・フォード(Robben Ford)です。

1951年、アメリカリフォルニア州生まれです。10歳でサックスを始め、13歳でギターを始めます。彼は2人の兄弟と共にチャールズ・フォード・ブルース・バンドを結成します。チャールズはギタリストである父親の名前です。すぐにチャーリー・マッセルホワイトに雇われ活動を共にしました。バンド自体もアルバムをリリースしています。

その後、ロベン・フォードはジミー・ウィザースプーンやフュージョンのトム・スコット、ジョニ・ミッチェルのレコーディングなどに参加します。

そして1976年にファーストアルバム『Schizophonic』でソロデビューします。

 

そして1979年にはロベン・フォードの最高傑作との呼び声高い『The Inside Story』がリリースされます。

ティーヴ・クロッパーのプロデュースによる本作は、彼のフュージョンの始まりです。

その後もソロアルバム自身のバンドの結成、マイルス・デイヴィス渡辺貞夫との競演などジャズ、フュージョンへも積極的に関わっていきました。

 

そんな彼の数多くあるアルバムの中から、私の好きな3枚をピックアップします。

 

まずは1988年にリリースされたTalk to Your Daughter』です。

 

01.Talk to Your Daughter

02.Wild About You (Can't Hold Out Much Longer)

03.Help the Poor

04.I Ain't Got Nothin' but the Blues

05.Born Under a Bad Sign

06.I Got Over It

07.Revelation

08.Getaway

09.Can't Let Her Go

 

パーソナルは

ロベン・フォード(Robben Ford,g,vo)

ロスコ・ベック(Roscoe Beck,b)

ヴィニー・コライウタ(Vinnie Colaiuta,ds)

ラッセル・フェランテ(Russel Ferrante,key)

 

プロデュースはスコット・ファーガソン(Scott Ferguson)ロベン・フォードです。

 

このアルバムリリースの前までマイルス・デイヴィスとの共演などがあり、ジャズ・フュージョンに傾倒していたロベンですが、ブルースに戻ってきました。

オリジナルは2曲で、あとはブルースとジャズナンバーのカバーです。1曲メンバーのフェランテが描いています。

やはりロベン・フォードはブルースが似合います。といっても、いわゆるそれまでのブルースとは違い、ジャズ・フュージョンからのブルースへの接近とでもいいますか、ジャズ・ブルースとでもいいますか、新しいブルースの解釈だと思います。

 

続いては2002年リリースの『Blue Moon』です。

 

01.Up the Line

02.Hard to Please

03.Don't Deny Your Love

04.Make Me Your Only One

05.Indianola

06.My Everything

07.Way You Treated Me (You're Gonna Be Sorry)

08.Sometime Love

09.Good to Love

10.Something for the Pain

11.It Don't Make Sense (You Can't Make Peace)

12.Don't Deny Your Love

13.The Toddle

 

パーソナルは

ロベン・フォード(Robben Ford,g,vo)

ロスコ・ベック(Roscoe Beck,b)

ヴィニー・コライウタ(Vinnie Colaiuta,ds)

ラッセル・フェランテ(Russel Ferrante,key)

 

その他に

ニール・ラーセン(Neil Larsen,key)

チャーリー・マッセルホワイト(Charlie Musselwhite,harmonica on 13)

などです。

 

プロデュースはウォルター・ニュー(Walter New)ロベン・フォードです。

 

ニール・ラーセンが参加ということでフュージョンも強くなっていますが、ロベンの流れるようなブルースギターがたまらないです。特にオープニングのギターにはノックアウトです。このアルバムが私の中では最高傑作だと思います。

 

最後はロベン・フォードが尊敬して止まないマイク・ブルームフィールドの捧げたアルバム『In Memory of Michael Bloomfield』です。

 

01.Interview

02.Killing My Love

03.59th Street Bridge Song

04.Stop

05.Next Time You See Me

06.Interview

07.I Got a Mind to Give Up Living

08.Interview

09.Groovin' Is Easy

10.Peter's Trip

11.The Ones I Loved Are Gone

12.It's About Time

13.Jimi the Fox

14.Mary Ann

15.Interview

16.Blues With a Feeling

17.Interview

18.Blues for MB

 

アルバム名義はロベン・フォード・ブルース・バンドです。

メンバーは

ロベン・フォード(Robben Ford,g,vo)

パトリック・フォード(Patrick Ford,ds)

クリス・ケイン(Chris Cain,g)

ヴォルカー・ストライフラー(Volker Strifler,g,vo)

デュエイン・ペイト(Dewayne Pate,b)

アンディ・ジャスト(Andy Just,harmonica,vo)

その他参加ミュージシャンもいます。

ジョン・リー・サンダース(John Lee Sanders,sax,vo)

ジョン・R・バー(John R. Burr,key)

プロデュースはパトリック・フォード(ロベンの兄)です。

 

この前の年に『A Tribute to Paul Butterfield』というアルバムを出していますが、マイクに対する思い入れは相当なものだったのでしょう。

 

『In Memory of Michael Bloomfield』ではマイクの5つのインタビューが挿入されています。

ロベンは03,07,12,14の4曲でヴォーカルとギターを担当しています。中でも聴きものは07のポール・バターフィールド・ブルース・バンドの『East-West』に収められていた07の『I Got a Mind to Give Up Living(絶望の人生)』でしょう。オリジナルを超える出来です。

そのほかのギターはクリスとヴォルカーです。ヴォーカルはクリスが02と11、ジョン・リーが09、ヴォルカーが05、アンディが16となっています。

アル・クーパーとの『フィルモアの奇跡』からも何曲か取り上げられています。嬉しい限りです。

 

ロベン・フォード、現在67歳ですがまだまだ元気いっぱいのようです。

 

 


Robben Ford - Talk To Your Daughter


Robben Ford - Up The Line


Robben Ford & Chris Cain - I Got A Mind To Give Up Living

 

 

それでは今日はこの辺で。

映画 『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』を観る

今日のキネ旬シアターは『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』でした。

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監督:前田 哲

原作:渡辺一史

主演:大泉 洋、高畑充希三浦春馬

制作:2018年 日本

 

難病・筋ジストロフィーを患った男と、彼を助けるボランティアの姿を描いた実話です。原作は渡辺一史大宅壮一ノンフィクション賞講談社ノンフィクション賞を受賞した作品です。

 

1994年、札幌。

安堂美咲(高畑充希)は大病院のおぼっちゃま医大生・田中久(三浦春馬)と交際中ですが、田中はボランティアに忙しくなかなか会えません。そこで美咲はボランティアの現場に行ってみます。そこには多くのボランティアに囲まれた鹿野靖明がいました。鹿野は幼いころから筋肉が徐々に落ちていく難病の筋ジストロフィーを患い、動かせるのは手と首だけでした。それでも鹿野は自由奔放に生きていました。我が儘いっぱいで何でも人に頼みます。それをモットーにしています。 

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勘違いされて夜のボランティアをすることになった美咲に、鹿野は突然夜中に「バナナが食べたいと」言い出します。その後も成り行きでボランティアを続けますが、美咲は鹿野のわがままぶりに怒り心頭です。とうとう鹿野に「何様のつもり!」と言って出ていきます。鹿野も「もう来るな!」と怒鳴り返します。しかし、美咲を追い出したものの鹿野はその姿に一目惚れをしてしまいます。鹿野は田中に美咲へのラブレターの代筆を頼まれます。田中は美咲との関係を言い出せませんでした。

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田中は人はいいのですが要領が悪く、いつも鹿野に怒られています。田中は鹿野に頼まれたデートの申し込みのラブレターを美咲に渡します。美咲は田中から頼まれ、鹿野とのジンギスカンデートに赴きます。鹿野はご機嫌で、自分の夢(英検2級をとってアメリカに行く)を話します。鹿野は調子に乗り、肉を食べすぎて下痢をおこしてしまいます。美咲が急いでトイレに連れていきますが間に合いませんでした。美咲は鹿野を慰めます。

関連画像

 

田中と美咲は鹿野に2人の関係を言い出せませんでした。美咲は田中の家に挨拶に行くことになりましたが、自分は教育大学生ではなくフリーターであることを告白します。田中は美咲の嘘に怒って喧嘩をしてしまいます。美咲は落ち込んで、鹿野に相談します。もちろん田中のことは内緒です。鹿野は美咲を励まします。美咲は鹿野の優しさに心を開き、自分も教師になるために大学受験の勉強を始める決心をします。

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そんな中、鹿野の症状は次第に悪化していきます。医師からは人工呼吸器の使用を薦められます。しかし、人工呼吸器を付ければ言葉を失います。田中はなんとか人工呼吸器をつけないですむ機器を父親に頼み込んで装備しますが、英検受験の前に鹿野は倒れてしまい結局人工呼吸器になってしまいました。

 

これでもう話が出来なくなると思っていたところ、美咲が人工呼吸器をつけても話が出来る方法を見つけてきました。鹿野は特訓を始めました。その甲斐あって声が出せるようになりました。鹿野は主治医に退院する、と言います。主治医は痰の吸引は医療行為で家族以外は医療従事者しかできないから無理だと言います。鹿野は「ボランティアは俺の家族だ」と言って、主治医を説得し退院します。

「こんな夜更けにバナナかよ 画像」の画像検索結果

 

田中は医者としても美咲とのことについても中途半端で自信を無くし、ボランティアを辞めると言い、大学も退学を考えます。鹿野は説得しますが田中は去って行きました。

 

鹿野は退院記念に開かれたパーティーの席でみんなの前で美咲にプロポーズします。美咲は感激しますが、好きな人がいて、まだ決着がついていないので、と断ります。鹿野は相手が田中だと察します。ボランティアたちはパーティーの後、主治医から「今のうち好きなことをさせてあげなさい」と言われ、死期が迫っていることを知ります。

 

ボランティアたちは鹿野を旅行に誘います。旅行には美咲も田中も来ませんでした。旅行中、突然鹿野が倒れてしまいます。連絡を受けた田中と美咲は慌てて駆け付けます。しかし、これは鹿野が二人を引き合わせるための企みだったのです。これで二人は仲直りをしました。

 

7年後、鹿野は42歳で亡くなりました。ボランティアの数は延べ500人を数えました。20歳までは起きられないだろうとの予想に反して、鹿野は明るく頑張りました。

田中は医者として活躍しています。美咲は小学校の教師になりました。そして二人はめでたく結婚しました。

 

途中、母親が差し入れを持って訪ねてきますが、鹿野はけんもほろろに追い返します。鹿野は自分の病気せいで、母親が自分の人生を変えてしまうことに耐えられなかったのです。母親はこんな体に産んでしまったことを詫びて、一緒に自殺することまで考えていたのです。鹿野はそれを知っていました。

 

最後に鹿野は遺書として母親の冷たく当たったことを詫びました。母親には自分の人生を歩んで欲しかったのだと。

障害のための家族を犠牲にしたくない。そのために当初は自力でボランティアを集めたのでした。

 

 コメディ・タッチで描かれた映画ですが、中身は感動的です。笑いと涙が交互にやってきます。途中から涙が止まらずに困りました。

この主人公の役はおそらく大泉洋にしかできなかったのではないでしょうか。このキャラクターは持って生まれたものなのか、役柄なのかわかりませんが素晴らしい演技でした。

 

それにしてもこのわがまま人間を支えたボランティアの人たちのやさしさには頭が下がります。それもこの鹿野靖明という人物の人間性から来るものなのでしょう。

鹿野の言葉「人間の出来ることなんて、出来ないことに比べたらほんの少ししかない。人の助けは借りなければいけない。」

 

原作本は読んでいませんが、 現実はもっともっと厳しいものだったのでしょう。 

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映画『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』予告

 

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

『ステイタス・クォー(Status Quo)』の知られざる一面

『イギリスの国民的バンド』とまで言われるようになったステイタス・クォー(Status Quo)です。

サヴォイ・ブラウン(Savoy Brown)、フォガット(Foghat)などと並んでブギ・ロックの最高峰として君臨していますが、そのスタート時は意外な一面を持っていました。

 

1962年にフランシス・ロッシ (Francis Rossi,vo,g)を中心にアラン・ランカスター (Alan Lancaster,b)ジェス・ジャウォースキー (Jess Jaworski,key)アラン・キー (Alan Key,ds)というメンバーでスペクターズ(The Specters)というバンド名でスタートしました。

そして数年の間にドラマーがジョン・コーラン (John Coghlan,ds)に代わり、さらにキーボードもロイ・ラインズ (Roy Lynes,key)に代わりました。サイケデリックなシングルも3枚出しました。そしてバンド名をトラフィックに変更しました。しかし既にスティーヴ・ウィンウッドトラフィックが存在していた為、すぐにトラフィック・ジャム(Traffic Jam)に変更しました。そしてキャバレーのバンドを演奏していた リック・パーフィット (Rick Parfitt,g)が加わった時に正式にバンド名をステイタス・クォーに改めました。

 

1968年にデビューシングル「Pictures of Matchstick Men」をリリースすると、これがイギリスで7位、アメリカでは12位となるヒットになりました。しかしこれが彼らのアメリカでの唯一のヒットシングルでした。

そしてファーストアルバム『Picturesque Matchstickable Messages From The Status Quoをリリースします。

Picturesque Matchstickable Messages from the Status Quo

しかし、アルバムの方はチャートに上がりませんでした。この中からは3枚のシングルが生まれました。

 

続く1969年にはセカンドアルバム『Spare Parts』がリリースされます。

しかしこれは商業的には完全に失敗に終わりました。

 

こうしてステイタス・クォーサイケデリック・ロック時代は終わりました。

 

3枚目のアルバム『Ma Kelly's Greasy Spoon』からは今のクォーに通ずるブギ、ロックンロールになっていきます。

 

1973年の通算6枚目のアルバム『Hello!』でイギリスのチャートで1位を記録し、不動の人気を獲得しました。

 

その後のクォーの活躍は周知のとおりですが、バンドのスタート時はサイケデリック・ロックをやっていたという意外な一面も持っていました。路線変更が大成功したいい例です。

結成から50年に亘って最前線で活躍してきたエネルギーには脱帽です。

サヴォイ・ブラウン、フォガットと共にイギリスのブギ・ロックを盛り上げてきた功績は計り知れません。

オリジナルメンバーはフランシス・ロッシのみになってしまいましたが、まだまだ頑張ってもらいたいものです。

 


Status Quo - Pictures of Matchstick Men (Studio-Stereo 1968)


Status Quo Ice In The Sun 1968


Status Quo - Black Veils of Melancholy (1968)


Status Quo "In The Army Now" (Live at Wacken 2017) - from "Down Down & Dirty At Wacken"

 

それでは今日はこの辺で。

今年の読書レポート

このブログを始める時に、このブログの内容は『映画や音楽、本についての雑文』ということにしました。ところが、音楽と映画がほぼ9割以上を占めて、『本』に関してはたったの8記事しか書いていませんでした。

これには色々な理由があるのですが、一番大きな理由は、内容を憶えていられないということに尽きます。読み終わって数日経つと詳しい内容は忘れてしまいます。推理小説などに至っては、前日に読んだ内容まで忘れてしまい、読み返さなければならないという情けない有様です。従って書きたいと思っても、書こうとすると再度読み返さないといけなくなります。あまりいい加減なことは書けませんので。

昔読んで感動しり、影響を受けた本なども、いざ書こうとすると詳細が思い出せず、かといって読み返すほどの気力もなく、結局は諦めるしかありません。

 

とはいっても、このブログの目的は備忘録を兼ねています。最近、本やレコードの二度買いが増えています。読んだ本の内容までは別として、タイトルぐらいは記憶にとどめようと思い、備忘録として読んだ本を書き残しておきたいと思います。ですので、標題のレポートというのは大袈裟でした。

 

昨年のことはもう忘れていましたので、今年から始めたいと思います。今年も既に2カ月が経過しています。忘れないうちに書き留めます。タイトルだけです。

 

新刊はありません。最近は古本専門ですから。

 

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 加藤陽子 朝日新聞社 2009年初版 

それでも日本人は戦争を選んだ書影

 

それでも、日本人は「戦争」を選んだ (新潮文庫)

それでも、日本人は「戦争」を選んだ (新潮文庫)

 

この人の著作は新書で何冊か読んでいます。この本は高校生に対する講義形式で書かれています。実際の高校生に講義したものです。日清戦争から太平洋戦争までの、戦争に行きつくまでの政治判断を解説してます。

 

仏教徒 坂本龍馬』 長松清潤 講談社 2012年初版

海援隊坂本龍馬神道でもキリスト教でもなく仏法で国家の繁栄を目指したが、道半ばで閉ざされた。著者は住職。

 

『幕末の大誤解』 熊谷充晃 彩図社 2013年初版

教科書や参考書には載っていない歴史の裏側。真実かどうかはわかりません。

 

『密約 日米地位協定と米兵犯罪密約』 吉田敏浩 毎日新聞社 2010年初版

沖縄返還日米地位協定のに纏わる密約の闇を暴く。怒りと虚しさ。

 

 

『帝都東京・隠された地下網の秘密』 秋庭 俊 洋泉社2002年初版

 東京の地下網の謎を追った。よく調べたことには感服。

 

『君たちはなぜ、怒らないのか』 大島 武、大島 新 日本経済新聞社 2014年初版

大島渚監督のご子息たちの父親への鎮魂歌。

 

 『黒い手帖 創価学会日本占領全記録』 矢野絢也 講談社 2009年初版

著者は公明党の元委員長です。暴露本です。今ごろ読みました。

 

『日本の路地を旅する』 上原善広 文春文庫 2012年初版

全国の被差別部落を歩く。

 

下流老人 一億総老後崩壊の衝撃』 藤田孝典 朝日新書 2015年初版

怖い!

 

『談志 最後の落語論』 立川談志 梧桐書院 2009年初版

遅ればせながら読ませていただきました。

 

植草甚一の芸術誌』植草甚一 晶文社 1994年初版

これは再読です。時々読み返したくなります。

 

『愚行録』 貫井徳郎 創元推理文庫 2009年初版

ブログで書きました。

lynyrdburitto.hatenablog.com

 

 

『鸚鵡楼の惨劇』 真梨幸子 小学館文庫 2015年初版

 新宿の十二社あたり、よく行っていたので興味深かった。やはりうまい。

 

『お引越し』 真梨幸子 角川文庫 2017年初版

 連作短編 全部繋がってきます。

 

カンタベリー・テイルズ』 真梨幸子 『聖地巡礼』の改題 講談社文庫 2015年初版

これも5つの物語が繋がります。

 

『人生相談』 真梨幸子  講談社文庫 2017年初版

これも連作短編です。頭が混乱してきます。

 

小説は相変わらずイヤミス系に嵌っています。特に真梨幸子には嵌りっ放しです。実に面白いし、話の作りが上手です。でも文庫本は読みつくしてしまったようです。単行本を買うまでには至りません。

 

以上、今年になってから読んだ本でした。ジャンルも何も関係なし、節操無しです。

しっかり記憶できている本は残念ながらありません。認知症一歩手前です。

それでは何のために読書をするのでしょう。答えは一つ。読みたいから。ただそれだけです。知識を増やそうなどと言う考えは、もはや毛頭ありません。一昔前は違っていましたが、今ではただ興味のある本を読み、その瞬間に考えさせられたり、納得したり、楽しめればよいというふうに思えてきました。

 

ということで、これからもなるべく二度買いをしないように、定期的にブログに記録していきたいと思います。

 

それでは今日はこの辺で。

 

ローリング・ストーンズにはなれなかった『プリティ・シングス(The Pretty Things)』

イギリスのR&Bバンドの草分け、プリティ・シングス(The Pretty Things)の歴史はザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)と重なります。

 

1962年、プリティ・シングス創始者ディック・テイラー(Dick Taylor)は友人のキース・リチャーズ(keith Richrds)ミック・ジャガー(Mick Jagger)と共にリトル・ボーイ・ブルー&ザ・ブルー・ボーイズ(Little Boy Blue & The Blue Boys)を結成します。

そこにブライアン・ジョーンズ(Brian Jones)とイアン・スチュワート(Ian Stewart)が加わりました。そして出来上がったのがローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)です。

しかし、このバンドはギタリストが3人になってしまいました。そのためディック・テイラーはベースに回されました。ディック・テイラーはこれを不満としてバンドを辞めてしまいます。

ディック・テイラーは新しくメンバーを募り、バンドを結成します。そして集まったのがデザイン学校の同級生のフィル・メイ(Phil May,vo,harp)ジョン・スタックス(John Stax,b,harp)ブライアン・ぺンドルトン(Brian Pendleton,g,b)でした。それと当初はピート・キトリー(Pete Kitley,ds)がドラマーでしたがすぐにヴィヴ・プリンス(Viv Prince,ds)に代わりました。

そしてバンド名をボ・ディドリーの曲からとって『プリティ・シングス』として、フォンタナ・レコードと契約しました。

 

1964年にシングル「ロサリン」でデビューします。続いて「ドント・ブリング・ミー・ダウン」「ハニー・アイ・ニーズ」をリリース。いずれもイギリスチャートの上位に入りました。

そして1965年にファーストアルバム『Pretty Things』をリリースします。

このアルバムも全英6位と大健闘します。R&B 色の強い彼らの初期の代表作です。しかし、彼らの歌詞の内容やステージでの行いが不道徳極まりないとして、世間的には嫌われるようになりました。特に南半球のツアーではオーストラリア、ニュージーランドでも問題になり、ツアーも中断されるという始末でした。

 

その年の12月、セカンドアルバム『Get the Picture? 』をリリースします。 

ここでその問題の中心人物、ドラムのヴィヴ・プリンスを製作途中で解雇し、新たにスキップ・アラン(SkipAlan,ds)が加わりました。

後にガレージ・パンクの傑作などと呼ばれるようになりましたが、当時は全く売れませんでした。ただし、これは彼らのR&B時代の最期を飾る作品でした。

 

1966年の暮れにブライアン・ペンドルトンが脱退、67年の1月にはジョン・スタックスが脱退して3人になってしまいました。代わりにジョン・ポーヴェイ(Jon Povey,key,vo)ウォーリー・アレン(Wally Allen,b,vo)が 加わりました。

そしてサードアルバム『Emotions』がリリースされます。

管楽器を取り入れた第3作。R&Bからサイケデリック・ロックへと舵を切った作品です。しかし、評判はよくありませんでした。

これでフォンタナ・レコードとの契約は終了し、EMI・Columbiaへと移りました。

 

1968年、スキップ・アランが脱退します。代わりに後にピンク・フェアリーズに参加するサイケなドラマー、トゥインク(Twink,ds)が加わります。

 

そしてこの年、ザ・フーのロック・オペラ『トミー』に先駆けてのロック・オペラ・アルバム『P.F.Sorrow』を発表します。

フーのピート・タウンゼントはアルバム『トミー』を作るにあたって、このアルバムからインスピレーションを得たと言われています。

しかし、このアルバムも売れませんでした。

 

この後、トゥインクはソロ活動のためバンドを脱退します。さらに、あろうことか創始者であるディック・テイラーまでもが『P.F.Sorrow』の失敗を苦にして脱退してしまいます。

バンドはディックの代わりにエドガー・ブロートン・バンドのヴィクター・ユニット(Victor Unitt,g)を加え、さらにスキップ・アランを呼び戻して、1970年に5枚目のアルバム『Parachute』をハーヴェストからリリースします。

プリティ・シングスサイケデリック・アルバムでは最高の出来ではないかと思います。ディック・テイラーの脱退の影響もなく、フィル・メイとスキップ・アランの活躍で完成度の高いアルバムが出来上がりました。

しかし商業的には振るわず、ヴィクター・ユニットはエドガー・ブロートン・バンドに戻り、代わりにピーター・トルソン(Pete Tolson,g)が加入するも、1971年解散に至りました。

 

しかし、すぐさまプリティ・シングスが再評価され、フィル・メイ、スキップ・アラン、ジョン・ポーヴェイ、ピーター・トルソンにゴードン・エドワーズ(Gordon Edwards,key,g,vo)とブラック・キャット・ボーンのスチュアート・ブルックス(Stuart Brooks,b)が加わり再結成されました。

 

1972年にアルバム『Freeway Madness』をリリースします。さらに1974年にはアルバム『Silk Torpedo』をそれぞれリリースします。

 

『Silk Torpedo』はレッド・ツェッペリンのレーベル、スワンソングからリリースされました。全米で104位とまずまずの健闘でした。しかし結局は1976年、アルバム『Savage Eye』をリリースして再び解散となりました。

 

ところがまたまたプリティ・シングスへの評価が高まり、再々結成となりました。1980年にディック・テイラーも加わって、アルバム『Cross Talkをリリースしました。

 

プリティ・シングスは世が世であれば、ストーンズのような超ビッググループになる可能性も秘めていましたが、時代性とのズレなのか、ストーンズとは対照的に日陰の道を歩んできました。しかし、根強いファンはいまだに存在しています。

 


Pretty Things "Midnight To Six Man" 66


Small Faces - Tin Soldier (good quality)

 

 

それでは今日はこの辺で。

 

 

 

 

絶品ブルース『ロバート・クレイ(Robert Clay)/Strong Persuader』

1980年代の新しい世代のブルースマンロバート・クレイ(Robert Clay)です。

 

彼は1953年、ジョージア州コロンバスで生まれました。12歳からギターを始め、ジミ・ヘンドリックスアルバート・コリンズなどの影響を受けました。

20歳の頃、マディー・ウォーターズやフレディ・キングのステージを観てバンドと結成しようと思い立ちます。

そして1974年に自身のバンドを長年の友人リチャード・カズンズ(Richard Cousins,b)と共に組みます。そしてアルバート・コリンズ(Albert Collins)のバックバンドを務めるようになります。

 

1980年にトマトレコードからファーストアルバム『Who's Been Talkin'』でデビューします。

 

1983年にセカンドアルバム『Bad Influence』、1985年にサードアルバムFalse Accusationsをそれぞれリリースします。

 

セカンドのタイトル曲は後にクラプトンンもカバーしています。このセカンドもサードアルバムも好評で、メジャーのマーキュリーとの契約が成立しました。

 

1985年には尊敬するアルバート・コリンズとジョニー・コープランドとの3人によるアルバム『Showdown!』をリリースします。

これはアカデミー賞の最優秀トラディショナル・ブルース・アルバム賞を受賞しました。

 

そして同年、自身のアルバムとしては4枚目となる『Strong Persuader』をリリースします。

 

01.Smoking Gun

02.I Guess I Showed Her 

03.Right Next Door (Because Of Me)

04.Nothin' But a Woman

05.Still Around

06.More Than I Can Stand

07.Foul Play

08.I Wonder

09.Fantasized

10.New Blood

 

バンドメンバーは

ロバート・クレイ(Robert Clay,vo,g)

ピーター・ボー(Peter Boe,key)

リチャード・カズンズ(Richard Cousins,b)

デヴィッド・オルソン(David Olson,ds)

 

プロデュースはブルース・ブロンバーグ(Bruce Bromberg)デニス・ウォーカー(Dennis Walker)です。

 

オープニング曲の「Smoking Gun」がシングルカットされ、ビルボードの22位を記録しました。ブルースの曲としては異例のことです。アルバムの方は13位とこれまら大健闘。ダブルプラチナに認定されました。

この作品はグラミー賞の最優秀コンテンポラリー・ブルース・アルバム賞を受賞しました。

 

ロバート・クレイの演奏するブルースはそれまでのブルースとは明らかに違っていました。コンテンポラリー・ブルースというか、ブルースとソウルとロックとファンクの融合です。新しいブラック・ミュージックの誕生でした。それでも08のスローブルースなどは絶品です。

 

この後もコンスタントにアルバムをリリースしています。これまでにライブ盤を含めると20枚以上のアルバムを発表しています。まだ65歳ですからこれからです。

 

1990年8月27日のアルパインバレーでの演奏はほぼ同期のスティーヴィー・レイ・ヴォーンとの最後の競演になってしまいました。その夜、スティーヴィーはヘリコプターが墜落し死亡しました。

 

ロバート・クレイ出現の後、白人のブルース・ロッカーが続々と現れます。ウォルター・トラウト、ケニー・ウェイン・シェパード、ジョー・ボナマッサ、コリン・ジェイムス、ジェフ・ヒーリー、コーリー・スティーヴンス等々。そういう意味では、新しいブルース界の牽引者だった言えるでしょう。

 


Robert Cray - Smoking Gun


I Wonder


New Blood - Robert Cray

 

 

それでは今日はこの辺で。

幻のブリティッシュ・フォーク『トゥリーズ(Trees)』

1969年に結成され、1970年に2枚のアルバムを残して消えていったトゥリーズ(Trees)です。

 

彼らは短いキャリアながらいまだに語り継がれています。それはその音楽性もさることながら、イギリスのデザイングループであるヒプノシスが手掛けたジャケットが評判になったということも大きな要因かもしれません。

 

トゥリーズは1969年にロンドンで結成されました。

メンバーは

バイアス・ボシェル(Bias Boshell,vo,b,g)

バリー・クラーク(Barry Clarke,g)

デヴィッド・コスタ(David Costa,g)

アンウィン・ブラウン(Unwin Brown,ds)

セリア・ハンフリス(Celia Humphris,vo)

です。

 

CBSと契約した彼らは早速ファーストアルバム『The Garden of Jane Delawney』を1970年にリリースします。

 

トラディショナルが過半数を占めるこのアルバムは、当時のブリティッシュ・フォーク界の人気者、フェアポート・コンベンションと比較されました。片やサンディ・デニーという稀有な女性ヴォーカリストを擁するバンドと、トゥリーズのほうもセリア・ハンフリスというサンディよりも透きとおったハイトーンの声の持ち主を擁していました。

トゥリーズはトラディショナルなフォークをサイケデリックに料理しているところが特徴です。そして長い曲が多く、そのミステリアスなところが魅力となりました。

 

そしてすぐさま、セカンドアルバム『On the Shore』がリリースされました。

そしてこのジャケットが評判を呼びました。ピンクフロイドを含む多くのプログレッシヴ・バンドのジャケットを手掛けたデザイン・グループ、ヒプノシスの作品です。ジャケ買いした人も多いのではないでしょうか。

このアルバムもトラディショナルが半数を占めます。ファーストよりもややロック色が強くなり、プログレッシヴ・フォークといった感じになっています。

 

トゥリーズは1971年に解散しました。1972年にはセリアとバリーがメンバーを集めて再結成しましたが、間もなく消えました。

 

ジャケット共に未だに語り継がれる不思議なバンドです。

 


Trees - The Garden of Jane Delawney


Trees - Murdoch


Trees - Fool


Trees - Sally Free and Easy

 

それでは今日はこの辺で。