Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

この人の、この1枚 『スティルウォーター(Stillwater)/ I Reserve The Right』

トリプル・リードギター、ダブル・リードヴォーカルという、いかにもサザンロックらしい構成のバンド、スティルウォーター(Stillwater)です。

メンバーは

マイク・コウジー(Mike Causey,g)

ボビー・ゴールデン(Bobby Golden,g)

ジミー・ホール(Jimmy Hall,vo)

セビー・レイシー(Sebie Lacey,vo,ds)

アリソン・スカボロー(Allison Scarborough,b)

ボブ・スピアーマン(Bob Spearman,key)

ロブ・ウォーカー(Rob Walketr,g)

の7人組です。

 

結成は1973年頃です。ジョージア・カレッジでマイク、ボビー、ボブ、ジミーの4人が知り合い、マイクがシビーを連れてきてスティルウォーターの前身が出来上がりました。その後、アルとロブが加わって正式にバンドが出来上がりました。

1975年頃キャプリコーン・レコードに見いだされ、1976年に契約しました。

そして、1977年にファーストアルバム『Stillwater』をリリースしました。

Stillwater album cover

このアルバムはビルボードの46位を記録しました。

 

その翌年にリリースされたのが、セカンドアルバム『I Reserve The Right』です。

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Side A

1.I Reserve The Right

2.Women (Beautiful Woman)

3.Keeping Myself Alive

 

Side B

1.Kalifornia Kool

2.Sometimes Sunshine

3.Fair Warning

4.Alone On A Saturday Night

5.Ain't We A Pair

 

プロデュースはタド・ブッシュ(Tad Bush)とスティルウォーターです。エグゼクティヴはバディー・ブルー(Buddy Blue)です。

 

このアルバムがリリースされた1978年頃には、サザンロックも泥臭さから洗練されたサウンドに変わりつつありました。

このスティルウォーターも例外ではなくサザンロックというよりは、ポップなウェストコーストロックという感じです。

オープニングは後半部分でトリプルギターを楽しめます。ヴォーカルもジミーとシビーが交互にリードを取ります。ラストは再びトリプルギターの大演奏会。この辺はいかにもサザンロックらしいです。

 

しかし、このバンドはこの2作であえなく解散してしまいます。これにはキャプリコーン・レコードの不振そして倒産があります。

 

その後、1996年に一度再結成します。そしてアルバム『Running Free』をリリースしました。

Runnin' Free (CD, Album) album cover

 

サザンロック、いやキャプリコーン・レコード末期のバンドでした。

 


Stillwater - I Reserve the Right (HQ)


Stillwater - "Women (Beautiful Women)", "I Reserve the Right"

 

それでは今日はこの辺で。

カントリーロックの軌跡②『Fallen Angels : Legendary Country Rock Recordings』

前回の「カントリーロックの軌跡」に続きもう1枚紹介したいと思います。こちらは時代もやや新しく、オルタナカントリーも収録されています。2000年の発売です。

 

『Fallen Angels : Legendary Country Rock Recordings』

Fallen Angels

 

01. Two Angels - The Jayhawks

02. LA Freeway - Guy Clark

03. Powderfinger - Cowboy Junkies

04. Going Down Again - Crazy Horse

05. Silvermoon - Michael Nesmith

06. You're Between Me - Pure Prairie League

07. Tears - Pure Prairie League

08. Me And My Wife - Rio Grande

09. Grizzely Bear - The Youngbloods

10. Sugar Babe - The Youngbloods

11. Never Goin' Back(To Nashville Anymore) - The Lovin' Spoonful

12. A Song I Heard - Swampwater

13. One Note Man - Swampwater

14. Why Lady Why - Alabama

15. There Goes Another Love Song - The Outlaws

16. Atlanta's Burning Me Down - Dickey Betts & Great Southern

17. Old Five And Dimers(Like Me) - Waylon Jennings

18. Out Of Hand - Gary Stewart

19. I Didn't Know The World Would Last This Long - John Hartford

20. Lay It Down - The Everly Brothers

21. Oh Lonesome Me - Gene Vincent

22. Just Can't Take It Anymore(previously Unreleased) - Gram Parsons & The International Submarine Band

23. November Nights(previously Unreleased) - Gram Parsons & The International Submarine Band

 

トップバッターがジェイホークスとは何とも嬉しい限りです。曲はセカンドアルバム『Blue Earth』からの名曲。マーク・オルソン作。オルタナカントリーの代表バンド。以前このブログでも取り上げました。

 

ガイ・クラークはカントリー系のシンガーソングライター。2016年に76歳で亡くなっています。曲は1975年のデビューアルバム『Old No.1』から。いぶし銀のシンガーです。

 

カウボーイ・ジャンキーズも以前取り上げています。ここではニール・ヤングの「パウダーフィンガー」をカバーしています。静かに静かに歌います。

 

クレイジー・ホースはご存じニール・ヤングのバックバンド。4枚目のアルバム『Crazy Monn』からラルフ・モリーナの作。

 

マイケル・ネスミスは昨日のコンピレーションにも登場しました。彼の大ヒット曲「シルバームーン」です。

 

ピュア・プレイリー・リーグも昨日のコンピレーションで登場しました。ここでは2曲収録されてします。2曲ともファーストアルバムからです。1曲は昨日と同じです。

 

リオ・グランデは元マウス&ザ・トラップスのメンバー、ロニー・ワイスらで結成されたった1枚だけアルバムを残したバンドです。曲はそのアルバムからです。

 

ヤング・ブラッズも前回のコンピレーションで登場しています。ここでは2曲ですが、1曲は前回と同じ曲です。

 

ラヴィン・スプーンフルも同様です。曲はキングストン・トリオにいたジョン・スチュワートでスプーンフルのベスト盤に収録。

 

スワンプウォーターは前回も登場したギブ・ギルボーとクラレンス・ホワイトが在籍していたバンド。リンダ・ロンシュタッドのバックバンドとしてスタートし、独自に2枚のアルバムをリリースしています。曲は1971年の『Swampwater』から。アルバムをリリースしたころはクラレンス・ホワイトはバンドを去っています。アルバムにはハーブ・ペダーソンが参加しています。

 

アラバマはその名の通りアラバマ出身のカントリーロックバンド。1969年の結成ですから長いキャリアを誇ります。カントリーバンドとしては珍しく売れました。アルバム数も多くヒットシングルも多数あります。アルバム・シングル合わせて7500万枚を売り上げるマルチプラチナを認定され、受賞数も数え切れないくらいです。カントリー・サザンロックと言った方がいいかもしれません。

 

アウトロウズもブログで紹介しました。このバンドもサザンロックです。曲はファーストアルバムからです。当時はカントリーロックというイメージはありませんでした。緩いサザンロック、という認識でした。ですからこのコンピレーションに入っていたのは意外でした。でも確かにカントリーロックの匂いはします。

 

ディッキー・ベッツ&グレイ・トサザンはオールマン・ブラザースを辞めたディッキー・ベッツがソロになって結成したバンド。ディッキーは元々はブルース志向ですが、オールマンの『ブラザース&シスターズ』でカントリーに目覚め、やがてグレッグと袂を別ちました。その後カムバックしますが、その間にこのバンドで活動しました。ディッキーについても以前ブログで紹介しました。この曲は2枚目のアルバムからです。

 

ウェイロン・ジェニングスはカントリー界の大御所。2002年に64歳で亡くなっています。曲はビリー・ジョー・シェイヴァ―でアルバム『Honky Tonk Heroes』から。

 

ゲイリー・スチュワートはカントリー系のシンガー・ソングライターです。2003年に59歳で亡くなっています。この人もサザンロックの影響下のカントリーロッカーでした。曲は大ヒットアルバム『Out Of Hand』から。

 

ジョン・ハートフォードは有名なフィドルバンジョー奏者。数々のアルバムに顔を出しています。自身のアルバムも多数です。グラミー賞も何度か受賞しています。2001年に63歳で亡くなっています。

 

エヴァリー・ブラザースは前回のコンピレーションに登場しました。

 

ジーン・ヴィンセントはロカビリー歌手。1971年36歳で亡くなりました。バディー・ホリーやエディ・コクランと並んでロックンロールの先駆者。後のブリティッシュ・インヴェンションに多大なり影響を与えました。

 

ラストを飾るのはやはりこの人、グラム・パーソンズです。グラムがバーズに加入する前に結成したバンドがインターナショナル・サブマリン・バンド。前回も登場しました。この2曲はこのアルバムが出た時点では初出だったかもしれません。

 

このアルバムは西海岸と南部両方のカントリーロックを紹介しています。前回はどちらかというと西海岸よりでしたが、こちらはいわゆるカントリーミュージックも多く紹介しておりバランスも良くなっています。

 

2回にわたって「カントリーロックの軌跡」と題してコンピレーションアルバムを紹介しましたが、実際はもっともっとたくさんあるのですが、気に入っているのがこの2枚でした。

 


The Jayhawks - Two Angels


Michael Nesmith - Silver Moon


Pure Prairie League - You're Between Me


Gram Parsons & The Like - Just Can't Take It Any More [1965]

 

 それでは今日はこの辺で。

 

ショーケン(萩原健一)、逝く!

今朝、新聞を開くと驚くべきニュースが目に飛び込んできました。

ショーケンこと萩原健一氏が亡くなったというのです。一見、目を疑いました。ついこの前まで、NHKのドラマ不惑スクラムに出演していましたから。もっとも、そのドラマでも癌で亡くなるという役柄でした。今考えると不吉な役でした。

1950年生まれの68歳でした。

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私が中学生の頃は、グループサウンズ全盛期で、ブルー・コメッツ、ザ・スパイダースザ・タイガース、ザ・サベージ以下、雨後のタケノコのようにグループが登場しました。その中でも異彩を放っていたのがザ・テンプターズでした。このグループのリードヴォーカルがショーケンでした。

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「忘れ得ぬ君」「神様お願い!」「エメラルドの伝説」など次々にヒットを飛ばし、ザ・タイガースと並んで、グループサウンズのトップに君臨しました。『ザ・テンプターズ 涙のあとに微笑みを』という映画まで出来ました。


涙の後に微笑みを・・ザ・テンプターズ

 

やがて、グループサウンズ・ブームは去り、バンドは解散。すると今度はザ・タイガースのジュリー(沢田研二)やスパイダース、タイガース、テンプターズのメンバーと共にPYGなるバンドを結成します。

関連画像

 

しかし、このバンドは長続きはしませんでした。ショーケンが俳優として認められるようになり、忙しくなったということも原因のひとつでした。ジュリーたちは井上堯之バンドとして活動を続けました。

 

ソロになってからは柳ジョージなどとも共演したりして、「大阪で生まれた女」「愚か者よ」などのヒット曲がありました。

 

一方、ショーケンはテレビドラマ太陽にほえろ!のマカロニ刑事役が大当たり、役者としての人気が高まりました。

テレビドラマではこの後、水谷豊との傷だらけの天使、梅宮辰夫、桃井かおりとの『前略 おふくろ様』などが大ヒットしました。この他にもNHK大河ドラマ勝海舟での岡田以蔵役、元禄繚乱徳川綱吉役など、今でもよく憶えています。

 

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映画では岸恵子との『約束』市川崑監督の『股旅』篠田正浩監督の『化石の森』神代辰巳監督の『青春の蹉跌』、そして黒澤明監督の『影武者』山口智子との『居酒屋ゆうれい』などが思い出深い作品となっています。

「篠田正浩監督の『化石の森』」の画像検索結果 「青春の蹉跌」の画像検索結果

 

俳優としてのショーケンは決してうまい演技とは思えませんが、独特の雰囲気を持った役者であることは間違いありませんでした。それがドラマや映画には欠かせない存在だったのです。

 

一方、私生活はというと、小泉一十三、いしだあゆみ、そして今の奥さん、とみた リカと都合3回の結婚、途中倍賞美津子との恋愛などがあり、女性関係は賑やかでした。

 

また大麻所持で逮捕されたり、飲酒運転で人身事故を起こしたり、恐喝事件を起こしたりと、これまた世間を大いに騒がせました。

それでもこれらのことが許されてしまうというのは、彼のキャラクターなのでしょう。実にユニークな俳優兼歌手でした。

 

しかし、晩年の様子をテレビで観ていると、役柄がそうさせるのかもしれませんが、好々爺になったなという気がしていました。

 

片耳が聞こえないという話は聞いていましたが、まさか消化管間質腫瘍などという大病を患っているとは思いませんでした。

 

グループサウンズを夢中で観ていた少年にとって、ショーケンの早すぎる死はショックです。もっともっと、いぶし銀の演技を観たいと思っていた矢先だったのに本当に残念です。

 

心よりご冥福をお祈りします。合掌

 


ザ・テンプターズThe Tempters/エメラルドの伝説The Legend Of Emerald (1968年) 視聴No.5


大阪で生まれた女  萩原健一  1979


Kenichi Hagiwara 愚か者よ

lynyrdburitto.hatenablog.com

 

それでは今日はこの辺で。

カントリーロックの軌跡①『Country & West Coast The Birth Of Country Rock』

初期の頃のカントリーロックのコンピレーション・アルバムです。1966年から1974年までの録音を集めたものです。全て既発ですので特に珍しいこともありませんが、昔のカントリーロックを手っ取り早く聴くのにはもってこいの編集になっています。2006年の発売でした。

  

 『Country & West Coast The Birth Of Country Rock』

 

01. Im On My Way Home Again – The Everly Brothers

02. Beware Of Time – The Corvettes

03. Time Between – The Byrds

04. Why Not Your Baby – Dillard & Clark

05. Luxury Liner – The International Submarine Band

06. Your Gentle Ways Of Loving Me – Guilbeau & Parsons

07. Sugar BabeThe Youngbloods

08. GeorgiaThe Gosdin Brothers

09. One Hundred Years From Now – The Byrds

10. Tears – Pure Prairie League

11. Nobody Knows – The Dillards

12. Sin City – The Flying Burrito Brothers

13. Willin - Johnny Darrell

14. Nine Times Blue – Michael Nesmith & The First National Band

15. Ooh Las Vegas – Gram Parsons

16. April Anne – John Phillips

17. Hong Kong Hillbilly - Clarence White

18. Time - Blackburn & Snow

19. You Better Think Twice – Poco

20. Tried So Hard – Gene Clark

21. Take Care Of Business – Ian & Sylvia

22. Make Up Your Mind – The Spencers

23. Butchies Tune – The LovinSpoonful

24. Shell Game – Jerry Jeff Walker

 

エヴァリー・ブラザースサイモン&ガーファンクルでもヒットした「バイ・バイ・ラヴ」のヒットで有名なドンフィルエヴァリー兄弟デュオです。この曲は1969年のシングル。いかにもカントリーロックという曲です。

 

コルベッツカレイドスコープやニッティ・グリッティ・ダート・バンドのクリス・ダーロウが作ったバンドで、リンダ・ロンシュタッドのバックバンドとしても活動しました。この曲は1969年のシングルです。

 

バーズは説明不要のフォークロック、カントリーロックのビッグ・ネーム。この曲はクリス・ヒルマン作で4枚目のアルバム『昨日より若く』から。まだグラム・パーソンズは加入していませんが、カントリーロックの要素は十分にありました。クリス・ヒルマンはカントリー出身ですから当然ですが。もう1曲はグラム・パーソンズ加入後の名作『ロデオの恋人』から、グラムの曲。当然以前に取り上げました。

 

ディラード&クラークはバーズを辞めたジーン・クラークがダグ・ディラードと作ったバンド。曲は1969年のシングル。ジーン・クラークのヴォーカルは素晴らしいし曲も最高。ジーン・クラークのもう1曲は1967年のソロアルバム『Echoes』から。ジーン・クラークについても既に書いています。

 

インターナショナル・サブマリン・バンドグラム・パーソンズがバーズに加入する前に結成したバンド。アルバム『Safe At Home』から。エミルー・ハリスもアルバムタイトルにして取り上げています。グラム・パーソンズも当然ながら以前に書いています。

 

ギルボ―&パーソンズは共にナッシュビル・ウェストのメンバーです。ギブ・ギルボーは後にフライング・バリット・ブラザースに参加し来日しました。観に行きました。ジーン・パーソンズグラム・パーソンズがバーズを去った後、同じくナッシュビル・ウェストのギタリスト、クラレンス・ホワイトと共にバーズに加入、解散後はフライング・バリットに参加します。

 

ヤングブラッズジェシ・コリン・ヤングが率いるバンド。曲はアントニオーニの映画『砂丘』で使われた曲です。ヤングブラッズはラヴィン・スプーンフルと比較されたニューヨークの人気バンドでした。ジェシはその後ソロとなって活躍しました。以前このブログでも取り上げました。

 

ゴスディン・ブラザースジーン・クラークのファーストソロアルバムで一緒にレコーディングした兄弟デュオです。この曲はこれが初出かもしれません。独自に1枚アルバムを出しています。その後はヴァ―ン・ゴスディンがソロアルバムをリリースしています。

 

ピュア・プレイリー・リーグはクレイグ・フラーなども参加したカントリー・ロックバンド。結成は1969年でした。アメリカでは人気バンドでした。曲は1972年のファーストアルバムから。

 

ディラーズダグ・ディラードが結成したバンド。ハーブ・ペダーソンやバイロン・バーラインなどが在籍していました。ダグ・ディラードはこのバンドを去って、先ほどのディラード&クラークに参加しました。曲は1968年の4枚目のアルバム『Wheatstraw Suite』から。

 

フライング・バリット・ブラザースは説明の必要なし、というくらいにカントリーロック界では欠かせない存在。グラム・パーソンズクリス・ヒルマンスヌーキー・ピートクリス・エスリッジが創設メンバー。曲はファーストの『黄金の城』からの名曲。FBBも何度もこのブログには登場しています。

 

ジョニー・ダレルアメリカのカントリー・シンガーです。1997年に亡くなっています。57歳でした。この曲はリトル・フィートのロウエル・ジョージの名曲です。

 

マイケル・ネスミス&ファースト・ナショナル・バンドモンキーズのマイク・ネスミスがモンキーズを去った後に結成したロックバンド。モンキーズに飽き足らなくなったマイク・ネスミスは1968年にバンドを去りファーストソロアルバムを発表します。これはその中のオープニング曲です。シングル「シルバー・ムーン」がヒットしました。

 

グラム・パーソンズはカントリーロックにとっては最重要人物です。僅か26歳での死が惜しまれます。前述のインターナショナル・サブマリン・バンド、バーズ、フライング・バリット・ブラザース、ソロとカントリーロック界の牽引者でした。ローリング・ストーンズとの交流も有名です。曲はセカンドソロアルバム『Grievous Angel』から。エミルー・ハリスとのデュオ。

 

ジョン・フィリップスはママス&パパスのメンバーというかリーダーです。「カリフォルニア・ドリーミング」や「マンデー・マンデー」で有名。曲は1969年のソロあるアム『John Phillips』から。2001年に65歳で亡くなっています。

 

クラレンス・ホワイトも最重要人物。ケンタッキー・カーネルズ、先ほどのジーン・パーソンズとのナッシュビル・ウェスト、そしてバーズに参加。その後、ミュール・スキナーと渡り歩きました。特にバーズでのギタリストとしての力量はバーズがようやくライブが出来るようになったことでも証明されます。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」でも41位に選ばれています。しかし、1973年酔っ払い運転の車に巻き込まれ死亡しました。29歳でした。曲はナッシュビル・ウェスト時代の曲です。

 

 ブラックバーン&スノージェフ・バックバーンシェリー・スノーのフォークロックのデュオです。結成は1964年です。1967年には解散しています。解散後、ブラックバーンはモビー・グレイプに参加。この二人はジェファーソン・エアプレインやクイックシルバーの連中やデヴィッド・クロスビーなど西海岸のミュージシャンとの交流もよく知られています。

 

ポコバッファロー・スプリングフィールド解散後にリッチー・ヒューレイジム・メッシーナが設立したバンド。1969年には名作『Pickin' Up The Pieces』を発表。この曲はセカンドアルバム『Poco』より。カントリーロック界には欠かせない存在です。リッチーはポコ脱退後、サウザーヒルマン・ヒューレイ・バンド。ジム・メッシーナはロギンス&メッシーナを結成。以前このブログでも取り上げました。

 

イアン&シルヴィアイアン・タイソンシルヴィア・タイソンの夫婦デュオ。1964年に結婚し、1975年に離婚し解散。ピーター・ポール&マリーやブラザース・フォーと並んでフォークブームを巻き起こしました。曲は1968年の『ナッシュビル』から。

 

スペンサーズのことはよくわかりません。デイヴ・スペンサーとルー・スペンサーという二人がいたということぐらいです。1968年の録音。

 

ラヴィン・スプーンフルジョン・セバスチャン率いる洒落たバンド。ザル・ヤノフスキー、スティーヴ・ブーン、ジョー・バトラーの4人。『魔法を信じるかい』が大ヒット。その後次々ヒットを飛ばすも1968年には解散します。以前このブログでも取り上げました。この曲は2作目の『Daydream』から。

 

ジェリー・ジェフ・ウォーカーは「ミスター・ボー・ジャングル」で一躍有名人に。この曲は3枚目のアルバム『Driftin' Way of Life』から。以前にこのブログでも取り上げました。

 

選曲は別としても、取り上げているミュージシャンはなかなかよろしいのではないでしょうか。CD1枚にまとめるにはやはり限界があります。

私的に難点を言えば、もう少しそれぞれのミュージシャンの代表曲を入れて欲しかったというところでしょうか。ぜいたくを言っても仕方ありませんが。

 


International Submarine Band-"Luxury Liner" from "Safe at Home"


THE FLYING BURRITO BROTHERS /// 2. Sin City - (The Gilded Palace Of Sin) - (1969)


TRIED SO HARD - GENE CLARK


Poco - You Better Think Twice

 

それでは今日はこの辺で。

腰部脊柱管狭窄症 手術後1年半経過

「ストレッチ イラスト」の画像検索結果

 

早いもので腰部脊柱管狭窄症の手術をして1年半以上が経過しました。

昨年の10月にトレーニング・ジム通いを再々開して、現在も週2回のペースで続けています。

そのせいかどうかはわかりませんが、左足の脱力感が幾分か改善されたような気がします。

 

一時は「閉塞性動脈硬化症」を疑い病院へ行きました。その前は息切れが激しく、心臓の検査もしました。結局あの脱力感は何だったのだろうと、いまだにわかりません。

 

昨年の暮れには神経内科を受診しようかとも考えました。心臓でも血管でもなければ、あとは筋肉か神経しか残っていませんから。

 

でも、様子を見ながらストレッチやウォーキングを続けていたら、以前のような脱力感が幾分改善されたような気がしてきました。歩ける距離も少し伸びたようです。

 

これからも、もう少し今のジム通いを続けながら様子を見たいと思います。病院は半年後の2年目検診までありません。

 

それでは今日はこの辺で。

『CSN&Y』の6枚組CDは、果たして?

クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(Crosby Stills Nash & Young)の6枚組CDが発売され、バーズの8枚組の二の舞を覚悟しながら、騙されたと思ってまた買ってしまいました。値段は送料込みで3300円でした。

タイトルが『Broadcast Collection '70-'74』です。

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Broadcast Collection '70-'74 (6CD)

Broadcast Collection '70-'74 (6CD)

 

 

おそらくこれまでのブートレグの寄せ集めだろうと思って期待はせずに、買いました。

FMラジオ用のライブ録音です。

 

DISC 1FILLMORE EAST ,NY,1970』

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01 Suite - Judy Blue Eyes

02 On The Way Home

03 Teach Your Children

04 Blackbird

05 Tell Me Why

06 Triad

07. Laughing

08 Our House

09 The Lee Shore

10 Simple Man (False Start) > Simple Man

11 Man In The Mirror

12 Cinnamon Girl

13 Down By The River

14 Guinnevere

15 Only Love Can Break Your Heart

16 Black Queen

17 49 Bye-Byes

18 Love The One You're With

 

DISC 2FILLMORE EAST ,NY,1970』

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01 Pre-Road Downs

02 Long Time Gone

03 Helplessly Hoping

04 Ohio

05 As I Come Of Age

06 Southern Man

07 Woodstock

08 Carry On

09 So Begins The Task

10 Like A Hurricane

11 Wooden Ships

12 Find The Cost Of Freedom

 

DISC 1と2は1970年のフィルモア・イーストでのライブ。アルバム『4Way Street』の録音と同時期です。

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一昨年買った2枚組のブートレグ『Man in the Mirror』と同じ録音と思われますが、曲数は断然こちらの方が多いので正解でした。

DISC 1は『4 Way Street』と同じような曲順で進みます。全編アコースティックです。「Cinnamon Girl」「Down By The River」もアコースティックバージョンです。

DISC 2はエレクトリック・サイドです。「Southern Man」は10分、「Carry On」は14分の演奏です。例によってスティルスとヤングのギターバトルが繰り広げられます。

Like A Hurricane」を歌ったのには驚きました。この曲は1976年の初来日の武道館での公演で初めて聴いた曲です。翌年にアルバム『American Stars N' Bars』の中に収録されました。まさかこの1970年当時に既に出来ていた曲だったのです。知りませんでした。初めて聴いた時には感動したものです。あの感動が甦りました。欲を言えば音質がもう少しよければ、というところでしょうか。

どちらの盤も80分近い収録時間でたっぷり聴けます。

DISC 3 『LAKEHURST,NY,1970』

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1 Suite > Judy Blue Eyes

2 Blackbird

3 On The Way Home

4 Teach Your Children

5 Tell Me Why

6 The Loner > Cinnamon Girl > Down By The River

7 Black Queen

8 49 Bye-Byes > America's Children > For What It's Worth

9 Love The One You're With

 

DISC 4 『LAKEHURST,NY,1970』

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1 As I Come Of Age

2 Pre-Road Downs

3 Long Time Gone

4 Helplessly Hoping

5 Ohio

6 Southern Man

 

DISK 3と4はLAKEHURSTでの1970年6月30日の録音。これも『4 Way Street』と同時期の録音です。

例によってジュディ・コリンズに捧げたスティルス組曲:青い眼のジュディ(Suite: Judy Blue Eyes)」でスタートします。ヒット曲の「Teach Your Children」などは実に楽しそうです。ニール・ヤングのアコースティック・メドレー「The Loner > Cinnamon Girl > Down By The River」も聴きごたえあります。いずれもオリジナルアルバムではエレクトリックで長尺物でしたから珍しいです。

こちらもDISC 3はアコースティック、DISC 4はエレクトリックです。DISC 3は66分、DISC 4は37分と短めです。「Southern Man」は13分を超える熱演です。音質はアコースティックまずまず良ですが、エレクトリックは音が籠ってあまりよくありません。ちょっと残念。

 

DISC 5 『SANFRANCISCO,CA,1972』

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01 Wooden Ships

02 I Used To Be A King

03 The Lee Shore

04 Harvest *

05 Only Love Can Break Your Heart *

06 Southbound Train *

07 Intro To Crosby Solo Segment

08 Almost Cut My Hair

09 Page 43

10 Intro To Nash Solo Segment

11 And So It Goes

12 Immigration Man

13 Heart Of Gold *

14 The Needle And The Damage Done *

15 Teach Your Children *

16 Military Madness *

17 Chicago *

18 Bill Graham Outro

* with Neil Young

 

DISK 5は1972年3月26日、サンフランシスコのWINTERLANDでの録音。

クロスビー&ナッシュのステージにニール・ヤングが飛び入り出演したときの模様です。発売されたばかりの『HARVEST』から何曲か歌っています。全編アコースティックライヴです。クロスビー&ナッシュはこの後アルバムを発表します。正確にはCSN&Yではありませんが、ニール・ヤングを含めたハーモニーの美しさには感動ものです。全編アコースティック。アンコールは大好きなグラハム・ナッシュの「Chicago」。会場割れんばかりの拍手です。その後、ビル・グラハムの挨拶があります。音質も悪くありません。69分。

   

 

DISC 6 『WESTBURY,NY,1974』

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01 Love The One You're With

02 Wooden Ships

03 Immigration Man

04 Helpless

05 Military Madness

06 Johnny's Garden

07 Walk On

08 Almost Cut My Hair

09 Teach Your Children

10 Only Love Can Break Your Heart

11 Lee Shore

12 Time After Time

13 Southbound Train

14 Another Sleep Song

15 Our House

16 Hawaiian Sunrise

 

DISC 6は1974年9月8日のニューヨーク、ウエストベリーのキング・ビスケット・フラワーでのROOSEVELT RACEWAY公演での録音。

1970年にCSN&Yとしては活動を停止していた彼らが、1974年に一時的に再結成して大々的にツアーを行いました。その時の模様を録音したものです。これは2015年に発売された『Roosevelt Raceway, Westbury, NY,September 8th 1974』と同じものです。

ここではアコースティック・バージョンは無く、いきなりエレクトリックです。ニール・ヤングも発売されたばかりの『On The Beach』から「Walk On」を披露しています。デヴィッド・クロスビーも曲数は少ないですが存在感は大きいです。音質もよく、あらためてCSN&Yの凄さを感じさせられました。75分。

この100万人以上を集めた1974年のツアーの模様は2014年にCSNY 1974(3CD+DVD)』で発売されました。

 

 

その後1988年と1999年にそれぞれ4人でのアルバムを発表しています。

『American Dream』『Looking Forward』です。

 

 

さらに2008年にはDeja Vu Live』なるライヴまで発表しています。

 

この6枚組は、バーズの8枚組と違ってまずまず正解でした。もっともCSN&Yのプライベート盤をあまり買っていなかったということですが。6枚組で3300円なら正解でしょう。

4人ともに健在、何よりです。

 

 


Crosby Stills Nash and Young Live at Fillmore East 1970

 

『4 Way Street』から


Crosby, Stills, Nash & Young - Southern Man (live audio 1970)

 


On The Way Home - HD (Live) Fillmore East


CROSBY STILLS NASH & YOUNG - Almost Cut my Hair (Live 1974)

 

それでは今日はこの辺で。

映画『ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~』を観る

昨日のキネ旬シアターは『ホイットニー オールウェイズ・ラヴ・ユー』でした。

ポスター画像

 

監督:ケヴィン・マクドナルド

主演:ホイットニー・ヒューストン

制作:2018年 イギリス

 

正直、ホイットニーについてはあまり知識も興味もありませんでした。あまりにも有名人で人気者でしたので食指が動かなかったというのが本音です。何しろひねくれものですから。まあこの手の音楽はあまり好みではないというのもありますが。しかし、この映画を観て、私など知るはずもない事実を知り、やはり一人の人間の人生は一筋縄ではいかないなという思いを強く思わされました。

 

ホイットニー・ヒューストンは1963年、ニュージャージー州ニューアークの生まれ。1985年のデビューアルバム『そよ風の贈りもの』が大ヒット、一躍スターに。その後もヒットを飛ばし、映画女優としても活躍します。そんな華やかな彼女の人生にも、隠された真実がありました。さらには薬物・アルコールへの依存、離婚などが重なり、その後復活を果たすも2012年、わずか48歳の若さでこの世を去りました。

そんな彼女の波乱に満ちた人生のドキュメント映画です。

 

ホイットニーの母親はシシー・ヒューストンでプレスリーアレサ・フランクリンのバックコーラスやスイート・インスピレーションズのメンバーでソロシンガーとしても活躍しました。その母親の影響で幼少の頃から教会で歌っていました。従姉にはディオンヌ・ワーウィックやディー・ディー・ワーウィックなどがおり、まさに音楽一家でした。母親に似て抜群の歌唱力が備わっていました。

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父親のジョンは公務員でした。兄も歌手で異父兄はプロバスケット選手でした。兄弟も多くヒューストンファミリーは大家族でした。これが後にホイットニーの人生に大きく関与してくるのです。

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10代の頃はモデルとしても活躍しました。ある時、母親のシシー・が喉が痛いと言って、ホイットニーにステージを代われと命令します。ホイットニーは無理だと断りますが、どうしてもやれと言われ、仕方なくステージに立ちました。これが観客の大喝采を受けました。これは母親の企みでした。これが功を奏して、アリスタレコードのクライヴ・デイヴィスの目に留まり、契約に至りました。

 

そしてデビューアルバム『そよ風の贈りもの』が大ヒット、エルヴィス、ビートルズを抜いたと騒がれました。その後もヒットを飛ばし続け、彼女は大スターへの階段を上り続けました。そして1991年のスーパーボウルの開幕式にアメリカ国歌を斉唱し、これが大絶賛を浴び、後にシングルとして発売されました。

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さらに翌年、映画に初主演します。ケヴィン・コスナーとの共演『ボディ・ガード』です。この中の主題歌、ドリー・パートンのカバー曲『オールウェイズ・ラヴ・ユー』が14週連続No.1を記録する大ヒットとなりました。ここに彼女の絶頂期を迎えます。

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この年にR&B歌手のボビー・ブラウンと結婚します。ここから彼女の転落が始まります。ボビーとの間には娘クリッシーも生まれ幸せな家庭生活を築いているように見えました。ところがボビーはホイットニーとの人気の差に嫉妬するようになり、さらにホイットニーのマネジメントの主導権争いがボビーと父親ジョンの間に起こり、ファミリーもぎくしゃくしてきます。ホイットニーのファミリーは全て彼女の莫大な収入を糧としていました。

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ホイットニーは随分前から麻薬に手を染めていました。そしてその量はどんどん増えました。とうとう空港で捕捉され、激しく痩せた姿をテレビのインタビューで追及されるとその使用を認めました。夫のボビーは浮気のし放題。離婚説も流れ始めます。ホイットニーは麻薬漬けで子育ても放棄。やがて娘クリッシーも麻薬に手を出し、親子して麻薬漬けになってしまいました。ホイットニーは幼少の頃、性的虐待を受けていました。それも従妹のディー・ディー・ワーウィックからでした。そのため、我が子供をどのように愛していいのかわからなかったようなのです。言動も荒っぽくなっていきます。さらに父親の葬儀にも参列せず、世間からの非難が続きました。

 

2006年には離婚成立。それでもホイットニーは何とか立ち直ろうと施設への入所を決断します。しかし途中で資金難になってしまい、施設を退所せざるを得なくなりました。あれほど稼いだ金はどこへ行ってしまったのか。スッカラカンだったようです。その資金稼ぎのためにツアーを開催すると言い出しました。レコード会社のクライヴ・デイヴィスは反対しますが、ホイットニーは強行します。ところがやせ細っていた身体は醜く太り、かつての美声はどこへやらで、観客からは大ブーイングでツアーは失敗に終わりました。

 

そして、2012年2月11日、ビバリーヒルズのホテルで浴槽にうつ伏せに倒れているのを発見され、死亡が確認されました。僅かに48歳でした。おそらくコカインによる心臓発作だったのでしょう。

2015年7月には娘のクリッシーが17歳の若さで亡くなりました。

 

ホイットニー・ヒューストンは史上最も売れた女性シンガーとしてギネスに記録され、その売り上げはレコード2億枚と言わています。

 

表向きあれほど華やかだった女性シンガーも、その奥には多くの苦悩を抱え、そして転落していったのです。最後は胸が痛みました。大スターならではのドキュメンタリー映画でした。

 

 


映画『ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~』予告編

 


ホイットニーヒューストン「I will Always love you」

 

それでは今日はこの辺で。