Flying Skynyrdのブログ

映画や音楽、本についての雑文

『殺人鬼フジコの衝動』の読後感は

最近、イヤミスなる言葉を知りました。「読んだ後にいやな気分になるミステリー」だそうです。知るのが遅かったですが。

このところ読む小説といったら女流作家が圧倒的多く、たまたまそうなのか、意識して女流作家を選んでいるのかは自分でもよくわかっていませんが、実際にそうなっています。最近では桜庭一樹沼田まほかる桜木紫乃村山由佳などなどです。昔から女流作家は嫌いではなく、小池真理子乃南アサ桐野夏生唯川恵高村薫宮部みゆき篠田節子角田光代林真理子などなど結構な数の女流作家を読んできました。その理由の多くは、女流作家が意外と(といっては失礼ですが)男性の気持ちがよくわかっていて、心理描写が面白いというところだと思います。もちろんミステリーではストーリーの面白さは欠かせませんが、それに加えて男の気持ちをうまく表現しているということだと思います。

ところで最近読み終わった『殺人鬼フジコの衝動』はイヤミスの代表作と言われているそうです。作者は真梨幸子です。初読みです。

 

 

この小説、最低でも15人を殺害したフジコという女の話ですが、その構成がちょっと面白いのです。

まず、「はしがき」から始まります。このはしがきはある女性作家と思われる人物(最後に明かされます)がある女性から送られてきた小説を紹介しますというものです。

そして第1章から第9章まで続き、「あとがき」で終わります。「あとがき」は「はしがき」を書いた人物です。第1章から第2章までは小学生の女の子の視点、3章以降8章まではフジコ(藤子)を主役とした物語、9章はまた女の子の視点という構成なのです。2章から3章に移った時に初めて主人公の名前(藤子)が登場します。それまでは小学生の女の子の1人称で語られます。そして一家惨殺事件が起き、両親と妹が殺され藤子だけが助かりその後、藤子が殺人鬼になっていく姿が三人称で描かれています。そして、9章で女の子の名前が初めて判明します。そこで、1,2章での主役は藤子ではなかったんだと気づかされたのです。気付くのが遅いのかも。

藤子は両親から虐待を受け育ちます。一家惨殺された後は叔母夫婦に育てられます。この叔母は姉、つまり藤子の母親を毛嫌いしています。決して母親のようにはならないようにと事あるごとに言って聞かせます。

藤子が高校生の時、自分の彼氏と出来てしまった親友がやはり藤子に申し訳ないと思いその恋人に別れを切り出したところ、逆上した恋人は親友の首を絞めて殺害してしまいます。たまたまその場に駆け付けた藤子は途方に暮れて自首しようとする恋人を止め逆に死体を処分しようと説得します(実際にとどめに首を絞めたのは藤子なのですが)。そして二人で死体を切り刻みミンチ状態にして処分します。そして妊娠を理由に結婚を迫ります。恋人は弱みを握られ逃れることが出来ず言いなりになります。そして夢に見た結婚生活へと。が、働かない夫、うるさい舅、息子に甘い姑、そして赤ん坊の4人で狭い団地暮らし。せっかく肩身の狭い叔母夫婦との生活から逃れられたと思ったら、それまで以上の最低の生活。保険の外交員になるが成績はさっぱり、夜のバイトもやって何とか生活。そんな時、容姿にコンプレックスを持つ藤子は整形でもしたらとの話に飛びつき、そして整形が病みつきに。金が要る。あとはもう転落の一途。実は藤子は中学生の時にも殺人を犯しています。自分の行いを注意した同級生を殺害していたのですが、迷宮入りになっていたのです。また、この一家惨殺事件を追い続けていたジャーナリストも不審死を遂げています。

ぐずる娘を虐待死させ、夫も殺し、その後、整形美貌のお陰で一時は金持ちとの再婚で裕福な生活も手に入れますが長くは続かず、顔の崩れを補う整形の金や生活費のために次々と殺人を繰り返し、最後は逮捕され死刑判決を受け死刑は執行されました。

しかし、物語はこれで終わりではないのです。「あとがき」で語られる内容で、これは続編があるのだろうなと思ったら、やはりありました。今の内容を忘れないうちに読んでみようかと思っています。

実は「はしがき」と「あとがき」を書いたのは藤子の二女なのです。そして小説の書き手は藤子の長女でした。つまり、1、2章と9章の女の子は長女だったのです。長女は一家惨殺事件や母親の犯した事件も丹念に調べていたのです。長女は既に死んでいます(自殺か他殺かは不明)。長女は9章で、2章で書かれていたこととは(同級生の男子が踏切で事故にあった件)異なる事実を書いています。なぜなのか、この謎のこともあって二女はこれから育ての叔母と中学の時殺害した少女の母親に会いに行くつもりです、というところで終わります。この二人が一家惨殺事件と長女の死に大きく関係しているのではないかと疑われますが、それは続編でということになのでしょう。こうして最後の最後に謎が残ります。

桐野夏生の「OUT」や「グロテスク」、沼田まほかる湊かなえなどもイヤミスだと言われますが、私にはそんないやな読後感などありませんでした。この種類の本を読む人はもともと人間の裏の顔や人の暗部・恥部、失敗談、不幸な人生、転落の人生などを覗いてみたくて興味津々で読んでいると思うのです。私もそうです。明るいだけの、希望に満ちた小説など読みたくありませんので。ですから嫌な気分というよりはスッキリしたとか、うん納得とか、興味深いとか、妙な高揚感があるとか、という感想のほうが強いのです。「人の不幸は蜜の味」ですから。言ってみれば「ハイな気分になるミステリーで『ハイミス』」ですね(失礼しました)。つまりイヤミスなんていう言葉はこの種の本を好んで読む人には本来あり得ないのではないでしょうか。そういう話が嫌いな人はこの種類の本はもともと読まないでしょうから。猟奇物は確かにいやな気持になりますが、グロテスクだけを追求した猟奇物とは明らかに違います。猟奇物は私はあまり好みません。

ただし、この小説は読後感がよくありません。それはつまらなかったという事ではありません。なぜなのでしょうか、すっきりしません。途中からの藤子の変質ぶりが度を越しているせいなのか、現実味が薄いというのか、結末がはっきりしないせいなのかわかりませんが。やはりエンディングの納得感が欲しいのでしょうか。それでも決してイヤミスなんかではありません。

いずれにしても続編を読んでみようと思います。