今日のキネ旬シアターは2本続けて観てしまいました。1日2本観るのは久しぶりです。2本観たと言っても2本立てとは違います。料金は2本分です。なんとも世知辛い。昔はよく2本立て、3本立て、オールナイトは5本立てとかをよく見ていましたが、今そんな映画館はないのでしょうね。
【華麗なるフランス映画特集】です。
まず1本めは『昼顔』です。
監督:ルイス・ブニュエル
原作:ジョセフ・ケッセル
撮影:サッシャ・ヴィエルニ
制作:1967年 フランス、イタリア
またしてもブニュエルとドヌーヴのコンビです。といってもこちらの方が先日の『哀しみのトリスターナ』より前の作品です。
この映画は当然後追いで観ました。高校生の頃でした。私がリアルタイムで初めてカトリーヌ・ドヌーヴを観たのは多分『暗くなるまでこの恋を』だったと思います。その次に『哀しみのトリスターナ』が続き、あとは後追いで『シェルブールの雨傘』『反撥』『ロシュフォールの恋人たち』、そしてこの『昼顔』へと続いたのだと記憶しています。
ルイス・ブニュエルについては先日の『哀しみのトリスターナ』の記事で書いていますのでご参考までに。
好きな監督のブニュエルとドヌーヴの映画が市の名画座で上映されるというので意気揚々と観に行った記憶があります。ベネチア国際映画祭のグランプリを受賞しました。
映画の方はなかなか高校生には理解しがたい内容だったように記憶しています。
幼少の頃の体験で妄想癖で不感症になったセヴリーヌ。夫ピエールとは性的関係以外は仲の良い普通の夫婦でしたが、何か不満、不安でした。そんな時に友人から高級売春宿の話を聞き、興味を持ってしまいます。さらに夫の友人からも娼館の名前を聞いてしまいます。我慢できずに娼館を訪ねます。そしてセヴリーヌは売春婦となります。名前は昼に咲く花「昼顔」昼は売春婦、夜は貞淑な妻の二重生活です。意外にもセヴリーヌの精神は安定したのです。
しかし、その生活も壊れる時が来ました。野卑な客に惚れられてしまい、自分の女になれと強要されます。さらに娼館の名前を教えてくれた友人が久しぶりにその娼館に現れて鉢合わせをしてしまいます。夫には内緒にしてくれと頼みます。
そのようなことが重なり、セヴリーヌは娼婦を辞めます。ところがその野卑なチンピラが家を突き止め訪ねてきます。そして夫に話をつけると言い出します。断ると男は逆上し、待ち伏せし夫を銃撃してしまいます。男は警官に銃殺されます。幸いなことに夫は命は助かったものの、車椅子状態で口もきけなくになってしまいました。
それでもセヴリーヌはその夫の面倒を見ていこうと決心します。すると前にも増して穏やかな生活を送ることが出来るようになりました。そして忌まわしい妄想もいつの間にか消えたのです。
そこに夫の友人が、妻の真相を話すと訪ねてきます。セヴリーヌは断りますが、友人は聞きません。とうとうセヴリーヌの不貞を話してしまいました(想像)。恐る恐る夫の様子を伺うセヴリーヌ。見ると夫はサングラスの下から涙を流していました。
すると突然、夫が車椅子から立ち上がり、何事もなかったようにふるまい始めます(妄想)。そして窓の下を覗くと、突然森の道を馬車が通ります。しかし馬車には誰も乗っていませんでした(これも妄想)。これで「FIN」です。
この馬車の登場はオープニングのシーンで、森の道を遠くから馬車がやってきて、近づくとセヴリーヌ夫妻が仲良く乗っているという伏線があったのです。
不感症を治すために売春婦になって、快感を覚えるようになるというお話です。とんでもない倒錯の世界に徐々に目覚めていくセヴリーヌ。妄想と現実の連鎖。ブニュエルの世界です。
それにしてもドヌーブの顔を泥だらけにするなんて、ブニュエルもやりますね。
次の映画は『太陽がいっぱい』です。
監督:ルネ・クレマン
原作:パトリシア・ハイスミス
音楽:ニーノ・ロータ
撮影:アンリ・ドカエ
制作:1960年 フランス、イタリア
この映画も当然ながら後追いで観ました。これも高校生の頃だったと記憶しています。
あまりにも有名で、説明もいらないくらいです。アラン・ドロンの出世作になりました。
監督は『禁じられた遊び』『居酒屋』などの社会派ドラマのルネ・クレマンです。この映画でサスペンス物を撮って、その後『危険がいっぱい』や『雨の訪問者』などのサスペンスの傑作を撮りました。
この後もルネ・クレマンとアラン・ドロンのコンビは『生きる歓び』『危険がいっぱい』『パリは燃えているか』と続きます。しかし、作品数は多くはありませんでした。
音楽のニーノ・ロータはフェデリコ・フェリーニの『道(ジェルソミーナ)』など、フェリーニ監督の専属音楽家のような人でしたが、この『太陽がいっぱい』の音楽で世界中に名が知れ渡りました。その後もオリビア・ハッセイ主演の『ロミオとジュリエット』や『ゴッドファーザー』などの名曲を送り出しました。
撮影のアンリ・ドカエはフランス・ヌーヴェルヴァーグの撮影監督で、『死刑台のエレベーター』『いとこ同志』『大人は判ってくれない』など多くのヌーベルバーグ作品を撮りました。『生きる歓び』『危険がいっぱい』などルネ・クレマンの作品も何作か手掛けており、また『サムライ』『仁義』などアラン・ドロンの出演作品も多く手掛けています。
原作のパトリシア・ハイスミスはアメリカの女流作家で、初の長編小説『見知らぬ乗客』がヒッチコックによって映画化されヒットし、続く『太陽がいっぱい』もヒットし人気作家になりました。途中からはヨーロッパに住むようになりました。この人の作品は一時期読み漁りました。長編では『ふくろうの叫び』『プードルの身代金』『スモールgの夜』『愛しすぎた男』など、また『11の物語』など短編集に面白い作品が多いです。
映画の方はというと、貧乏学生のトムがが父親に頼まれ放蕩息子のフィリップを連れ戻しにイタリアまでやってきます。そして何とか友人をアメリカに連れ戻そうとします。連れ戻せば5000ドルの報酬がもらえるのです。ところがフィリップは言うことを聞きません。それどころかトムに対し理不尽な扱いをします。トムには次第にフィリップに対する殺意が芽生えてきます。
フィリップにはマルジュという恋人がいます。ある時3人でヨットの旅に出ます。船内でフィリップとマルジェが喧嘩になり、マルジェはヨットを降りてしまいます。ヨットで二人きりになった機会にトムはフィリップを殺害し、海に沈めます。
そしてフィリップになりすまし、彼の財産と恋人までをも手に入れようと目論見ます。途中でフィリップの友人に見破られそうになり、その彼も殺害してしまいます。トムはその犯人をフィリップに仕立て上げ、フィリップは自殺したことにして、マルジュに全財産を譲ると書き残します。そしてトムはマルジュを慰め、とうとう自分のものにします。これで計画通り財産も女も手に入れることが出来ました。
しかし、ひょんなことから完全犯罪が崩れ、有名なラストシーンへと向かいます。
完全犯罪を達成し、満足感に浸るアラン・ドロン。「太陽がいっぱいだ!」とつぶやくシーンが印象的です。殺害した友人に成りきるために、サインの練習や声色のまねなど、面白いシーンがいっぱいです。最後も逮捕されるシーンまで描かないというのもフランス映画の洒落た終わり方といったところでしょうか。
60年近く経っているというのに、全く色褪せない極上のサスペンスドラマです。ただし、冒頭で盲人をからかい、盲人の真似をしてふざけるシーンなどは今では許されないでしょうね。
今日は2本とも懐かしくて涙が出そうになりました。イヤですねえ、年より臭くて(笑)
今日も、太陽がいっぱい、でした。
さすがに2品まとめて書くと訳が分からなくなってきます。
それでは今日はこの辺で