最近、訃報記事ばかり書いているような気がします。
今日も超大物脚本家であり映画監督の橋本忍氏の訃報が入りました。
脚本家の橋本忍といえば何といっても黒澤明とのコンビです。とくにデビュー作の『羅生門』はいきなりベネチア国際映画祭のグランプリを受賞しました。
この作品は当初芥川龍之介の『藪の中』を脚本化したのですが、黒澤明に「短すぎる」と言われて「じゃあ、羅生門をくっつけましょう」と言って出来上がったそうです。何の勝算もなく言ってしまって、しかもモノにしてしまう、そのあたりの才能には脱帽です。
その後も『生きる』『七人の侍』『生きものの記録』『蜘蛛巣城』『隠し砦の三悪人』『悪い奴ほどよく眠る』『どですかでん』とコンビを組みます。黒澤明にっても無くてはならない存在でした。
それから松本清張原作の作品も多く手掛けました。『張込み』『黒い画集』『ゼロの焦点』『霧の旗』『影の車』そして何といっても『砂の器』でしょう。橋本は1973年に『橋本プロダクション』を設立しましたが、これが第1作です。原作以上の出来だと評価されました。
その他にも小林正樹監督の『切腹』、山本薩夫監督の『白い巨塔』、岡本喜八監督の『日本のいちばん長い日』など数々の名作の脚本を手掛けました。
テレビドラマの『私は貝になりたい』も大評判になりました。フランキー堺演じる戦犯の二等兵清水豊松の悲劇を描いていました。この作品で芸術祭大賞を受賞しました。後に再放送で観ました。
また監督としても、1959年に『私は貝になりたい』を脚本に加筆し自ら監督しました。
享年100歳。ある意味大往生でしょうか。数々の賞を受賞し日本映画界に大きな足跡を残しました。
続いて本日、俳優の常田富士男氏の訃報も入ってきました。
常田富士夫と言えば『日本昔話』ですが、その他多くの映画、テレビの名脇役として活躍しました。映画では黒澤明の『天国と地獄』『赤ひげ』や市川崑の『股旅』や横溝正史原作物、今村昌平監督の『楢山節考』『うなぎ』など。テレビドラマでもNHKの『バス通り裏』に始まって数多くの作品に出演しました。
またバラエティ番組の『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』に出演し多くの笑いを取っていました。この番組は画期的なお笑いバラエティでした。ハナ肇の「あっと驚く為五郎」は流行語になりました。出演メンバーがとにかく凄かったのを憶えています。大橋巨泉、前田武彦をはじめクレイジーキャッツ、藤村俊二、コント55号、小松方正、宍戸錠、大辻伺郎、熊倉一夫、左卜全などなどです。この中でも多くの方が亡くなっています。
そしてやっぱり『日本昔話』でしょうか。1975年から1994年まで市原悦子と2人っきりでやり遂げました。子供たちと一緒によく観ていました。
レコードまで出してしまいました。
享年81歳。脳内出血だそうです。
そして、2日前には好きだった女優の生田悦子さんの訃報が入りました。
亡くなったのは7月15日だそうです。虚血性心不全、いわゆる突然死だったようです。特に悪いところはなく、朝起きて来ないので様子を見に行ったら亡くなっていたという何ともやるせない最期でした。
好きな女優さんといっても、ごく若い頃の彼女しか知りません。それも主役を張るような女優ではなく、脇役です。しっとりとした感じの上品な役が多かったと思います。
松竹所属だったので松竹の作品には多く出演していました。コント55号やドリフターズの映画に出ていたのを憶えています。
最近見かけないな、と思っていた矢先の訃報でした。享年71歳。
先日の加藤剛氏、その前の星由里子さん、朝丘雪路さんと、映画関係者の訃報が続きます。なんともやるせない気持ちになります。
御三方のご冥福を心よりお祈りします。合掌
それでは今日はこの辺で。