先日の映画は『生きる LIVING』でした。今回は珍しくキネ旬シアターではありませんでした。
監督:オリヴァー・ハーマナス
脚本:カズオ・イシグロ
出演:ビル・ケイ、エイミー・ルー・ウッド
製作:2022年 イギリス 2023年 日本公開
この映画は1952年の黒澤明監督作品の『生きる』のリメイク版です。
ノーベル賞作家のカズオ・イシグロが原作にほぼ忠実に脚本を書いて、オリヴァー・ハーマナスが監督、そしてビル・ナイが主演を務めました。
カズオ・イシグロは5歳からイギリスに移住し、11歳の頃、この「生きる」を観て感銘を受けたらしいです。そしてこの作品を、あくまで原作に忠実にしながらもイギリス風にアレンジを加えて書き上げたそうです。
舞台は黒澤版「生きる」とほぼ同じ、1953年。場所はロンドン。主人公のウィリアムズは役所勤めの公務員。役職は市民課課長。何事もなく、ただ毎日を無難に生きることだけをモットーとしています。仕事への情熱もなく、部下からは煙たがられ、家でも孤独を感じながら暮らしています。
そんな彼がある日、癌の診断を受け、余命半年を宣告されます。彼はこれまでの人生を振り返り、見つめ直します。自殺も考え、仕事をさぼり、大酒を飲み、騒いだりしてみますがしっくりときません。家族にも病気のことは言えずじまいです。
そんな時にかつての部下だったマーガレットと再会します。そして彼女の生き生きとした姿に触発され、自分も何かすべきことがあると気がつくのです。ウィリアムズは地域の女性たちが子供たちのために公園を作って欲しいと陳情に来たが却下されたことを思い出し、その公園の建設を思い立つのです。ウィリアムズは粘り強く上司たちに交渉し、部下を鼓舞し、まるで人が変わったように働き、公園を完成させるのですが・・・。
この映画の主人公、停年間近の公務員を演じるのはビル・ナイです。イギリスの名優として知られています。一昨年公開された『MINAMATA-ミナマタ』にも出演しました。この初老の公務員役は黒澤明の『生きる』では志村喬が演じました。志村喬演じる渡邊は鬼気迫る勢いで公園建設に取り掛かりましたが、ビル・ナイ演じるウィリアムズは淡々としかし粘り強く職務をこなしました。
カズオ・イシグロは渡邊役を小津安二郎映画の常連笠智衆が演じたらどうなるかなと思ったら、頭に浮かんだのがビル・ナイだったそうです。その当時イギリスで観られる日本映画は黒澤映画か小津映画などごく一部だけだったそうです。映画を観てなるほどなと思いました。
カズオ・イシグロにとって黒澤映画『生きる』は重要な意味を持つ映画だったようです。「スーパースターにならなくても、傑出した業績を残さなくても100%充実した人生を送れるんだと、というメッセージを感じ取れた」と語っています。そして当時の自分のような若い世代にこの映画を知ってもらいたい、というのがリメイクの動機なのでオリジナルに忠実に再現したと。
ただ、決定的に変えたのは『生きる』が制作された時代、つまりは敗戦後の先も見えず無気力な時代と現代では明らかに変わった。だからあの時代の悲観主義はやめて楽観的な空気を取り込んだのだ、と。イギリスでもこの時代は戦勝国とはいえ戦争の傷跡はまだまだ残っていたはずです。それでも何か暗かった日本とは違う戦後を想像させました。
本作はオリジナルよりも40分ほど短くなっています。したがってオリジナルに比べて公園を作るまでの過程や葬儀の場面など、ひどくあっさりした感じになっています。その分テンポよく話が進んでいき、気が付けばあっという間のラストでした。それだけ時間の経過を感じさせない、見事な脚本だったということなのでしょう。
『生きる』と言えば、あの雪の降る公園でブランコに乗りながら「ゴンドラの唄」を歌うシーンです。リメイク版ではその歌がスコットランド民謡の『The Rowan Tree』に変わっています。どちらも名シーンです。
改めて「生きる」とは何なのか、を考えさせられました。とは言っても、老い先短い身としては、今更輝こうなんてことは考えもしませんが、輝かなかった人生だってそれはそれなりにありだよな、なんて思ってしまいました。
それでは今日はこの辺で。