大学生生活を始めた頃、いつものように四畳半の下宿でラジオの深夜放送(DJは吉田拓郎だったと思う)を聴いていると佐渡山豊という沖縄出身のフォークシンガーの歌う『ドゥチュイムニイ』という曲が流れてきました。
これは衝撃的でした。出だしは沖縄の方言なのでよくわかりませんでしたが、途中から標準語になり、その歌詞は血気盛んな若者の心を捉えるのに十分でした。そして沖縄の怒りを現す生の叫びを聞いたような気がしたものでした。
この前年、沖縄は日本に返還されました。しかし、その中身は両手を上げて歓迎出来るものではありませんでした。その片務協約は未だに解消されず、沖縄にその負担を強いているままです。
そして、先日の辺野古埋立て工事の是非を問う県民投票の圧倒的な結果をもってしても今のところ日本政府の強硬姿勢に変更はありません。
若い頃に痛切に感じた無力感をここ数年味わい続けています。
昨日、何百もの曲を録音したUSBのお気に入りセットリストをランダムに流していると突然この曲が流れてきて驚きました。学生時代のことを懐かしく思い出すと同時に、佐渡山豊の頑張っている姿の動画を見て、何か勇気づけられたような気がしました。
今では昔の歌詞に新たに追加された歌詞もあるようです。元々長い曲でしたが、さらに長くなったようです。
吉田拓郎の『イメージの詩』や岡林信康の『それで自由になったのかい』などに通じる歌でした。この辺りの歌はボブ・ディランの影響が顕著でした。
四十数年経った今でも忘れられない1曲です。
歌詞のほんの一部を抜粋します。
作詞・作曲 佐渡山豊
わったあ島やウチナ(沖縄)ぬ
コザぬ街るやいびいしが
中の町んかいやぁぐゎあかとる
いっぺぇぼうちらぁわらばぁやさ
たとえば泣き虫にはナチブサー
バカやアホにはトットロー
日本語よりも新鮮な
ウチナグチ(沖縄の方言)を使おうよ
唐ぬ世から大和ぬ世
大和ぬ世からアメリカ世
アメリカ世からまた大和ぬ世
ひるまさ変わゆるくぬウチナー(沖縄)
明日の自分を生きるよりも
今の一時を生きてゆく
そんな姿が何よりも
生きてる証にならねえかよ
泥んこ道のひめゆりも
春が来るのを待っている
一度この世に生まれたら
アララガマだよ生きてやるよ
詩を忘れたカナリヤは
うしろのお山に捨てられた
よそ見しててはあぶないよね
そんな物騒な世の中さ
もしもし亀よ亀さんよ
もうじきウサギさんが追いつくぞ
背中を立てて歩きなさい
福沢諭吉さんが言ってたよね
天は人に上に人を創らないと
それじゃあ一体何者が
人の上に人を創ったんだよ
もしもあんたが時間の果ての
崖っぷちに立たされて
死ななきゃならねえ定めなら
何を思って死ぬのかよー
今はどんどん歌詞が追加されて62番まであるそうです。
佐渡山豊、ドゥチュイムニイのとおり生きています。
シングルバージョン
アルバムバージョン
別バージョン
またまた別バージョン
本日は私のほんの「ドゥチュイムニイ(独り言)」でした。
それでは今日はこの辺で。